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日本基督教団 仙台南伝道所 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-01-12-Sun 「キリストの洗礼」    牧師 佐藤義子 

詩編 89:2−15

マタイによる福音書 3:13−17

          

はじめに

 今日の聖書は、イエス様がバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)から洗礼を授けられたことが記されています。

当時人々に洗礼を授けていたヨハネは、神様が私達人間を救う為に御子イエス・キリストをこの地上に遣わされるという救いの御計画の中で大変重要な役割を与えられた人でした。彼の誕生にあたっては、母親の胎内に入る前からすでに父親となる祭司ザカリヤに告知されていました(ルカ福音書1章)。ヨハネの使命は「民を、神のもとに立ち帰らせ、準備の出来た民を主のために用意する」ことでした。

洗礼者ヨハネに関する預言の成就

 旧約聖書イザヤ書40章に「呼び掛ける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。」(3−5節)との預言があります。 

今日の聖書の直前に、ヨハネがユダヤの荒れ野で、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としており、ヨルダン川で人々に悔改めを促す説教をして、悔い改める者に洗礼を授けていたことが記されています。ユダヤの人々は旧約の時代から、長い間、救い主・メシアを待ち続けていましたから、多くの人々はヨハネこそ、自分達が待っていたメシアかもしれないと期待しました。ヨハネのメッセージは、やがてまもなく神様の裁きの時が来る。あなた達は自分の罪を悔い改めなければならない。というもので、生まれた時から律法(十戒など)を教えられていたユダヤ人には良くわかりました。ヨハネは、洗礼を授けるだけではなく、もう一つのことを人々に語りました。それは、「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打もない。その方は、聖霊と火であなた達に洗礼をお授けになる。」(11節)でした。後から来るメシアは高い御力で神の国を支配され、「聖霊と火」でバプテスマを授けるのです。「聖霊」は新しい命を与えるもの、「火」は悪を滅ぼし尽くす力を持っています。火はあらゆる汚れを清めて、神様が現臨して下さる為の、聖化をもたらすものです。 

イエス様のバプテスマ

 バプテスマとは、「浸水する」という意味の動詞からきた名詞です。人々はヨルダン川に身を沈めることによって、自分達は正しいという誇りを捨て去り、神と人の前ではっきりと自分を罪人として表明しました。洗礼が、罪を告白し、悔改めることによって罪の赦しが与えられることならば、罪のない神の御子・イエス様は受ける必要がないと考えられます。ところが群衆に交じって、イエス様はバプテスマを受けに来られました。ヨハネは、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」と聞いています。しかしイエス様は、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行なうのは、我々にふさわしいことです。」と答えられています。

「正しいこと」とは神様の御心に適うこと

 罪を犯していないイエス様がバプテスマを受けるということは、イエス様御自身が、御自分を、罪ある人間の側に身を置かれ、罪ある人間と同じ者としてその交わりに入ることです。フィリピ書には「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(2:6)とある通りです。イエス様が洗礼を受けられた時、天は開き、神様の霊がイエス様の中に入り、天からの声が聞えました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。こうして神の御子・イエス様の、救い主としての公生涯が始められました。

イエス様は、私達に、聖霊と火でバプテスマを授けて下さるお方です。私達はこのバプテスマをも求めていかなければなりません。聖霊が私達に降る時、私達は新しく造り変えられていきます。私達は洗礼によって、古い自分と決別したはずですが、なお、私達は新しく造り変えられていく必要があります。悪の根が火で焼き尽くされ、聖霊を受けることによって、私達はイエス様に似る者とされていく約束が与えられています。

神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」(ロマ書8:29)