烏山線、日光線、本当は新宿に行きたかった

この日(4月9日)は、椎名町から池袋まで西武3000系の3011F(999号)、池袋から湘南新宿ラインで宇都宮まで行き、宇都宮から宝積寺まで211系で移動しました。

宇都宮では、名物の宇都宮餃子も食べました。

烏山線の宝積寺駅で、旧国鉄風塗装(ツートンカラー)のキハ40-1007号車を撮影し、烏山まで乗りました。

この時には、キハ40-1007号車とキハ40-1008号車(従来の烏山線色)の連番の組み合わせだったけど、今回ツートンカラーの車両に当たって良かったです。

今月15日に烏山線が開業90周年を迎えていたので、前後異なる記念ヘッドマーク(ステッカー)が、4月1日から9月30日までの予定で取り付けられています。

烏山線のキハ40ツートンカラーは、1979(S54)年に現在のキハ40系に置き換えられるまで活躍していたキハ10系旧型DCと同様の塗装で、2010(H22)年12月にキハ40-1003号車が、翌年2011(H23)年4月にこのキハ40-1007号車が開業88周年記念として塗り替えられていました。

一昨年、昨年の8月に運転された風っこ烏山号では、びゅうコースター風っこ(トロッコ風DCの2両編成)の両端にツートンのキハ40系を連結した車両で、キハ40系側が自由席となっていました。

烏山線は、今から90年前の1923(T12)年4月15日に宝積寺〜烏山間が開業で、途中駅は熟田(現、仁井田)、大金駅しかありませんでした。

来年春には、新型の蓄電池電車であるスマート電池くん(EV-E300系)の2両1編成が試験的に導入され、最終的に全てが置き換えられる予定となっているので、キハ40系も最後の活躍となっています。

キハ40系列は、JR東海だけでなく、JR東日本でも新型車両に順次置き換えられていく運命なので、烏山線とは限らず、乗車・撮影はお早めにということになります。

JR東海でも、一昨年からキハ40-3005,6309号車とキハ48-3812,6812号車が同じようなツートンカラーとなっています。

今回はお目当ての旧塗装を撮影出来て良かったと思っています。

JR北海道、西日本、四国、九州では、安泰となっています。

宇都宮駅で、デビュー当時の朱色5号塗装(首都圏色、タラコ色)のキハ40-1004号車を撮影することに成功しました。

このタラコ色リバイバルカラーは、昨年12月からキハ40-1004号車だけに施されており、貴重な1両となっています。

今から10年前の2003(H15)年4月から11月までの間には、烏山線開業80周年記念として、期間限定でタラコ色となっていたことがあったけど、今回開業90周年記念として10年ぶりにタラコ色に戻されていました。

烏山線の車両は、宇都宮駅構内にある宇都宮運転所(宮ミヤ)所属で、日中を中心とした一部の列車が宝積寺から宇都宮へと乗り入れています。

宇都宮では、昼寝のシーンでの撮影となり、宇都宮17時15分発の341Dから営業運転に入っていました。

その途中にある大金駅は、烏山線の中間駅で唯一交換可能な駅で、交換シーンを狙うことが出来ます。

キハ40系列(キハ40,キハ47,キハ48)は、1977(S52)年から1982(S57)年までの間に、キハ10系列の置き換え用として、各形式合わせて888両が製造され、北海道から九州までの全国に配置されていました。

そのうちのキハ40系は、1両の両運転台、トイレ付きのセミクロスシート車で、登場当時は、極寒地(北海道)用の100番台(現在はワンマン改造されて700番台)、寒冷地(東北)用の500番台、温暖地(関東以西)用の2000番台に区分されていました。

烏山線用の1000番台は、1986(S61)年から1995(H7)年に掛けて、トイレと屋根上の水タンクが撤去された車両で、温暖地用の2000番台のうちの9両(2011〜2017,2087,2139号車)から改造されていました。

この改造により、キハ40-1008号車を除き、トイレがあった場所の窓の部分がガラス窓に差し替えられているけど、キハ40-1008号車は、烏山線のキハ40で唯一、トイレ跡の窓が従来の二段窓となっていることで異彩を放っています。

キハ40-1006号車(旧2016号車)は、1990(H2)年3月にロングシート化されずに小牛田運輸区に転属されたけど、1999(H11)年12月4日には、陸羽西線陸羽東線のキハ110系の導入により、南秋田運転所(現、秋田車両センター)に再転属の上で、男鹿線で活躍しています。

烏山線に残った1001〜1005,1007〜1009号車の8両は、1990(H2)年にロングシート化、冷房化(1008号車は2087号車時代に冷房装置搭載済)、ワンマン改造されています。

烏山線のオリジナルカラーへの変更により、車両毎に異なる七福神のステッカーも追加されています。

このタラコ色のキハ40は、JR北海道にもあり、第二、第四土曜日に、滝川9時37分発、富良野新得、帯広経由、釧路17時39分着の日本一の長距離普通列車で話題の2429D(滝川→富良野間1両編成、富良野→釧路間2両編成)にも使われています。

滝川駅や周辺にある新十津川駅では、キハ40の姿を盛んに見ることが出来、函館本線の電化区間をのんびりと走る姿も見られます。

キハ40系タラコ色のリバイバルは、JR西日本JR四国でも行われています。

自分が烏山線並びにキハ40系に乗ったのは、2006(H18)年4月2日以来だったけど、キハ40はキハ110系列以降にはない昭和の薫りがする気動車であることを実感しました。

この時に、宇都宮線の宇都宮〜黒磯間で使われる予定の湘南色帯のY7編成(クハ205-607F)との並びを撮影することも出来ました。こちらは、元京葉線のケヨ8編成(メルヘン顔のクハ205-115F)のうちの4両から改造された車両です。

烏山線オリジナルカラーのキハ40-1008号車には、開業90周年記念ヘッドマーク(ステッカー)が付いており、宝積寺(宇都宮)寄りは、祝 九十とかつての急行列車のヘッドマークを模したデザインとなっていました。

キハ40-1008号車は、1980(S55)年にキハ40-2087号車として富士重工業で新製、高崎第一機関区(現、高崎車両センター高崎支所)に配置され、2085,2086,2088,2089号車と共に、八高線(当時は八王子〜高崎間で直通運転が行われていた)や足尾線(現在のわたらせ渓谷鐵道線)で活躍していました。

1996(H8)年3月16日に八王子〜高麗川間が電化される前は、八王子〜箱根ヶ崎間が東京都(都内)で最後の非電化旅客営業区間として有名でした。

1991(H3)年4月には、宇都宮運転所(烏山線)に移り、他の1000番台と同様に、トイレ・水タンクの撤去、ロングシート化、ワンマン化改造を受けてキハ40-1008号車となっていました。

1009号車は、1982(S57)年にキハ40-2139号車として新潟鉄工所(現、新潟トランシス)で製造され、水戸機関区→水戸運転所(現在は常陸大子駅構内にある水郡線営業所に機能が移転されている)所属で水郡線で活躍し、1995(H7)年12月に1009号車に改造され、烏山線に転属されていました。この1009号車は、烏山線のキハ40系で唯一の新潟鉄工所製となっています。

生え抜きの1001〜1005,1007号車は、1979(S54)年に2011〜2015,2017号車として富士重工業宇都宮製作所で新製、宇都宮運転所に配置されて以来、生まれも育ちも宇都宮となっています。

烏山線のオリジナルカラーは、国鉄時代末期の1986(S61)年11月の1000番台化の時から採用されており、白地にRの文字がデザインされた緑帯で、沿線の緑や川沿いの風景にマッチしています。

今回乗った1007号車には、寿老人、1008号車には、福禄寿のステッカーが付いていました。

前回(2006(H18)年4月2日)に烏山線に乗った時には、キハ40-1003+1004号車の組み合わせだったことを覚えているけど、現在だったら国鉄ツートンカラーとタラコ色の組み合わせになっていたところでした。

大金駅は、烏山線の中間駅で唯一交換可能な駅で、今回は撮影しなかったけど、並びでの撮影が可能となっています。

一昨年8月に友人の珍宝僧氏が、大金駅で、このことを受けて、旧国鉄色のキハ40-1003号車と1007号車(旧国鉄色同士)の並びで撮影に成功していたということを思い出しました。

珍宝僧氏は、今年1月の18切符の旅で磐越東線に乗った後に烏山線に寄り道した時にタラコ色のキハ40-1004号車を撮影・乗車することに成功したという喜びに浸っていたこともあったし。

大金駅は、現在無人駅となっているけど、5年前に無人化されるまでは大金駅の入場券や、宝積寺〜大金間の乗車券が発売されて人気を集めていました。

やはり宝が積もり、大金になると言われていたし。

大金駅前には、大金神社があります。

宇都宮からJR日光線205系600番台のY3編成(クハ205-603F、日光色)で、鹿沼まで1往復しました。

205系600番台は、JR日光線107系JR宇都宮線の宇都宮〜黒磯間の211系の置き換え用として、京葉線(内房線外房線乗り入れ運用あり)で活躍していた205系のメルヘン顔(1990(H2)年3月10日の東京延長の時に導入された編成)の10両のうちの先頭車を含めた4両から改造された車両で、12編成(湘南色8編成、日光色4編成)が出揃う予定となっています。

京葉線時代は、赤色の帯で、東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)や幕張メッセなどへのアクセス輸送で使われていたけど、日光線に転じてからは、世界文化遺産、国際観光地である日光へのアクセス輸送で使われています。

日光色(チョコレート色と金色の帯)は、Y2,3,6,10編成(元ケヨ1,4,5,9編成)の4編成で、今回乗ったY3編成は、元京葉線のケヨ4編成(クハ205-111F)のうちの4両(クハ204-111,モハ204-301,モハ205-301,クハ205-111号車)から改造されています。

車両番号の表示は、日光色に限り、端の部分に移設されていたので、車番を消した跡があり、種車の番号を読み取ることが出来ます。

京葉線で活躍していたメルヘン顔の編成のうち、先行的に運用離脱されていたケヨ11,12編成が編成単位で廃車となっていたので、不足する2編成が武蔵野線のメルヘン顔のVVVF未改造編成から改造されることが予想されます。

JR日光線での営業運転開始は、今年3月16日のダイヤ改正のことで、その前日の3月15日をもって日光色を纏っていた107系が定期運用から離脱され、全ての車両が入れ替わったことになりました。

行先表示は幕式のままで、日光線の場合は、赤地で白い毛筆体の文字が表示されています。宇都宮〜黒磯間で使われる湘南色の編成が日光線で使われる場合も毛筆体で表示されるし。

車内は、京葉線時代と同じ青色のロングシートのままとなっているけど、仙石線205系3100番台と同様に、押しボタンの新設、宇都宮(黒磯)寄りの先頭車(4号車、クハ205)への車椅子対応トイレ及び車椅子スペースの取り付けが行われています。トイレ取り付けにより埋められた窓の部分には、他の側面と同様に日光線のエンブレムが取り付けられています。

JR日光線は、宇都宮と日光の間を鹿沼経由で結ぶ路線で、かつて東京、新宿方面からの直通列車も運転されていました。

日光線を走っていた107系は、1988(S63)年から今年3月15日まで活躍していた車両(2両1編成のトイレ付きの3ドアロングシート車)で、かつての急行型電車だった165系の足回り品が採用されていました。

165系が167系と共に全廃となってから、今年で10年経ちます。

165系の横軽バージョンである169系も、今月をもってしなの鉄道から引退する予定となっているし。

JR日光線107系に乗ったのは、昨年4月8日に宇都宮でのモーニング娘。のコンサートに行った時の帰りに、宇都宮から日光まで1往復したのが最後で、日光色時代では最初で最後でした。

現在JR日光線107系は、ありがとう107系のステッカーが付いたまま、小山車両センターに置かれていました。

小金井駅(栃木県下野市)付近にある小山車両センターは、1966(S41)年に新設された車両基地で、これまでの間は宇都宮運転所所属となっていました。今から50年前の1963(S38)年に115系が導入された時に宇都宮運転所に配置されていたのはその為でした。

かつて115系王国と言われていたJR宇都宮線は、現在ほとんどが湘南新宿ラインを含めてE231系で埋め尽くされています。

今回時間の関係で宇都宮〜鹿沼間の区間運用での往復でしか試乗出来なかったけど、充分だと思っています。

宇都宮から赤羽まで、E231系の通勤快速、赤羽から池袋まで埼京線205系で帰りました。

この日は、埼京線に導入される予定のE233系の1回目(ハエ101編成)の配給輸送が新津→東大宮間で行われていました。こちらは7000番台で6ドア車なしとなっています。この後に横浜線に導入される予定のE233系も6ドア車なしとなるし。

新宿サブナード福家書店で、生田衣梨奈石田亜佑美夏焼雅須藤茉麻福田花音光井愛佳各氏によるSATOYAMAガイドブックの発売記念の握手会が行われていたけど、7日の日曜日の強風狂風凶風状態による延期分により、18切符を使って烏山線日光線に行っていた絡みで参戦出来ずに、しゃもじ欠席○○電運休悪臭会通過サイン音開かずのランラン踏切状態となってしまったよ!

本当は7日の日曜日に強風狂風凶風状態にならなければ、18切符を使って烏山線に乗りに行き、9日のSATOYAMAガイドブックの握手会に行っていたところだったよ!

今月2日の火曜日に千葉県柏市新星堂カルチェ5柏店で行われたモーニング娘。道重さゆみ氏によるミチシゲ☆イレブン全国11ヶ所同時握手会で、列に並んでいた時に、自分の出番が来る前でチケットが完売完敗敗北棒々鶏大どんでん返し、しゃもじ欠席さゆ電運休状態に加え、新星堂ならぬ旧星堂槲店でのイブニング娘。全国11ヶ所同時悪臭会通過サイン音開かずのランラン踏切状態となってしまったことによる槲ショックから未だに立ち直れない状態だよ!

今月16日にクラブチッタ川崎、17日に池袋のサンシャインシティ、18日に渋谷のタワレコモーニング娘。の握手会イベントが行われるけど、全て仕事で行かれずにしゃもじ欠席○○電運休悪臭会通過サイン音開かずのランラン踏切状態となってしまうよ!こちらは小田急50000形VSE秋田新幹線E6系スーパーこまちが満席になったことや、夜の都電で7000形オンリーとなったこと、副都心線の急行通過駅で8両編成しか来ない時間帯に例えたくなるよ!

次にさゆと握手出来るのは来月21日に田中れいな氏が卒業した後(遅くとも次期(54枚目)のシングル(発売時期未定)の時)までお預けとなってしまうことが懸念されるよ!

自分(しゃもじ)が握手会に参戦した時を、都電の8500形以降の車両(定員60人台の王子家インバータ車)や小田急50000形VSEと60000形MSEに乗った時のように見えてしまうよ!

都電8810号車(黄色いあや電、りなちょ)は注目度が他の車両より人一倍でしゃもじの注目度が他のヲタよりも人一倍であることにそっくりな状態で、その黄色い8810号車が荒川車庫で寝ている日がしゃもじ欠席にそっくりな状態でもあるよ!

最近はハロプロ系はおろか、自分(しゃもじ)の握手会参戦が減っているので、幸せの黄色い都電の8810号車(黄色いあや電、りなちょ)が荒川車庫で寝ていることが多いことに例えたくなるよ!

次にさゆと握手するまで秋葉原ハロショに行くのを見合わせます。

この日のekiShスタンプは、下野花岡、仁井田(栃木県)、鴻野山、大金、小塙、滝(栃木県)、烏山(JR烏山線マスター)の各駅でGETしました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?