地下鉄博物館、勝田台、E653系

この日(7月21日)は、落合から南砂町まで、東京メトロ東西線の07系(07-102F)に乗りました。

東京メトロ東西線南砂町駅付近にある新砂あゆみ公園で静態保存されている営団地下鉄5000系(スキンステンレス車)5833号車の廃車体は、2番目のドアの部分までがカットされた上で静態保存されています。

この5833号車は、1969(S44)年3月の東陽町西船橋間全線開業の時に導入されていた車両で、2001(H13)年3月に05N系に置き換えられるまでの32年間活躍していました。

冷房改造されなかった5000系は、1994(H6)年まで活躍していたけど、この編成は、冷房化された編成でもありました。

5833号車は、2002(H14)年3月から、江東区との協力により、新砂あゆみ公園で保存されている5000系で唯一の静態保存車となっているけど、営団地下鉄時代に廃車となっていたので、前面のSマークが残されています。

立ち入り自由で憩いの場所となっていることにより、部品が盗難され、窓ガラス等が破壊されていたというや、一部複製品となっていることで残念な状態となっているし。

このようなみすぼらしい姿となっているけど、解体されたよりはマシで、保存車らしく大切に扱ってもらいたいと思っています。

南砂町から葛西まで、今年リニューアル(B修工事が施工)された東京メトロ東西線05系元祖ワイドドア車である05-114Fに乗りました。

落合駅で、中野行きの運用に入っていた05-114Fを見た時に、これはチャンスと思い、南砂町で5833号車を見て時間を潰した結果、中野からの折り返しの各駅停車西船橋行きでそれに乗ることが出来ました。

リニューアルされた05-114Fは、帯色の変更(紺色と水色)、前面スカートの取り付け、車内の案内表示のLCD化、車椅子スペースの新設、行先表示のフルカラーLED化などで、新型の15000系並みに改良されたほか、VVVFインバータ装置が三菱電機製のGTOサイリスタから、千代田線の16000系などに準じた東芝製のIGBT素子(PMSM方式)へ交換されていました。

こちらは3月5日にリニューアルされて営業運転が再開されたけど、今回乗ることが出来て良かったです。

05-114Fは、営団地下鉄時代の1991(H3)年10月に、東西線のラッシュ時対策により、川崎重工業で試作されたワイドドア車で、運転台後部を除いてドア幅が1.8メートルに拡大され、同じ年に開業した南北線9000系初期型に準じた三菱電機製のGTOサイリスタ方式のVVVFインバータ装置が試験的に搭載されたことで話題となっていました。

当時は前面にWIDE DOORのステッカーがあったけど、現在は剥がされています。

同じ年の1991(H3)年4月には、小田急電鉄で1000形のワイドドア車(1500番台、4両編成または6両編成)が導入されていたけど、それに刺激されて導入されたと思われます。

因みに小田急ワイドドア車は、05系ワイドドア車よりも広い2メートルの幅を誇っていました。

現在小田急ワイドドア車は、座席確保及び一部区間複々線化による混雑緩和により、2メートルから、新2000形や新3000形の初期型と同様の1.6メートルに縮小され、全て6両編成に纏められています。

翌年の1992(H4)年には、05-115〜118Fの4編成がワイドドア仕様として導入されていたけど、VVVFインバータ装置が本格的に採用されずに05系初期型車と同じチョッパ制御に戻されていました。

1993(H5)年に導入された05-120Fからは、06系や07系に準じて仕様変更され、IGBT素子のインバータ装置が採用されたほか、ドアの幅が通常に戻されていました。

以降ワイドドア車の動きが途絶えていたけど、東西線で再び混雑が激しくなった為に、2010(H22)年から2011(H23)年に掛けて、05系初期型車の更新時期を期に、オールワイドドア(ドア幅1.8メートル)の15000系が導入され、初期型05系が置き換えられていました。

初期型05系のほうは、5000系やそれから改造された元東葉高速鉄道の1000系と同様に一部がインドネシアに輸出されています。

ミャンマーが日本製の気動車王国となっているのに対し、インドネシアは、日本製の通勤型電車王国となっています。

更新前のGTOサイリスタ方式のインバータ装置は、故障が多く、たった1編成しかないということでメンテナンス面で不利となっていたので、更新を期に交換されたと思われます。これにより、独特のインバータ音が聴けなくなったという寂しい出来事がありました。

05-115〜118Fのほうも、05-114Fと同様の更新工事が行われることが予想されるので、東西線からチョッパ制御の音が聴けなくなる時が近づいてきています。

この後、地下鉄博物館を見物し、葛西から西船橋乗り継ぎで東葉勝田台まで移動しました。この時に乗った車両は、どちらも東葉高速鉄道の2000系でした。

地下鉄博物館では、開業当時の銀座線で活躍していた1000形、丸ノ内線で活躍していた300形の見物がメインに見物しました。地下鉄博物館のトイレは、東京メトロの駅のトイレ並みにリニューアルされていました。

東葉高速鉄道は、西船橋から東葉勝田台までの全線が610円と高いけど、ekiShスタンプ集めの為に乗りました。

東葉勝田台からは歩いて、トレインカフェまで行き、その中に入りました。こちらは今から41年前まで使われていた都電8000形8053号車(軽量型電車、都電ターボ)の廃車体が使われていました。行先表示のほうは、本所吾妻橋となっていたし。こちらは、火、水、木が定休日となっています。

勝田台から京成西船までは、京成線(京成津田沼乗り継ぎ)で移動し、西船橋から大宮まで、元フレッシュひたちE653系K308編成(クハE653-8F、青色の7両付属編成)による快速マリンブルー南房総号に乗りました。

この列車は、高崎〜安房鴨川間を、高崎線武蔵野線京葉線外房線経由で(高崎線沿線や武蔵野線の東半分と房総方面を乗り換えなしで)結ぶ外房線沿線の海水浴客がターゲットの列車で、往路、復路共に途中、本庄、深谷、熊谷、鴻巣、北本、桶川、上尾、大宮、武蔵浦和南浦和、南越谷、西船橋蘇我、御宿、勝浦、鵜原上総興津安房小湊安房天津の各駅に停車していました。

7両編成のうち、自由席は1号車から3号車、指定席は4号車から7号車で、快速であったことから、青春18きっぷでも乗れる乗り得列車となっていました。

E653系のK308編成は、1998(H10)年12月の485系ひたち号の置き換え最終段階の時に導入された編成で、マリンブルーということでこの編成が選ばれたと思われます。

もう1編成の青色だったK302編成が後述のいなほ号への転用改造によりK301編成と共に郡山総合車両センターに入場していたのでそのはずでした。

E653系の7両基本編成は、このK308編成を含めた8編成全てが羽越線(新潟〜酒田、秋田間)の特急いなほ号に順次転用される予定で、グリーン車の新設、普通車のリニューアル等により1000番台となり、塗装も日本海の夕日がイメージされたオレンジ色に統一されます。

営業運転開始は、9月28日のダイヤ改正の予定で、新潟〜秋田間のいなほ7,8号から使われることになっているし。

常磐線特急のE657系では、赤帯に統一されたので、フレッシュひたちで活躍していた頃のE653系のようなカラフルな色が見られなくなったことで残念に思っています。

E653系の4両付属編成(K351〜354編成)は、いわき〜仙台間を結ぶ特急に使われる予定となっていたけど、一昨年3月11日に発生した東日本大震災で大幅なダメージを受けていた為に見送りとなったので今後の動向が気になります。

E657系の導入による651系E653系の捻出により、団臨用として使われていた勝田車両センター485系が、K60,K40編成共に廃車となっていました。前者のK60編成(6両編成)は、新潟地区(いなほ号北越号)、後者のK40編成(4両編成)は、磐越西線のビバあいづ号で使われていたし。

マリンブルー南房総号は、E653系が普段走らない路線を走るという貴重な列車で、注目が集まっていました。

大宮から武蔵浦和まで、埼京線で戻り、武蔵浦和から南越谷まで、スカ色115系のM40編成(クモハ115-318F)によるホリデー快速鎌倉号に乗りました。

ホリデー快速鎌倉号は、武蔵野線の南越谷と古都鎌倉を、武蔵野線横須賀線経由で乗り換えなしで結ぶ臨時列車で、途中、南浦和武蔵浦和北朝霞、新座、東所沢、新秋津、西国分寺、北府中、横浜、大船、北鎌倉に停車するので、武蔵野線沿線と横浜、鎌倉方面を乗り換えなしで結ぶ貴重な列車となっています。

北府中と横浜の間は、普段旅客列車の走らない武蔵野貨物線を通るのが特徴であり、特別料金なしで乗れるのが嬉しいと思います。

以前ホリデー快速鎌倉号は、大宮発着となっていたけど、現在は南越谷発着に変更されています。

115系M40編成は、以前むさしの号で使われていた編成で、その間合い運用としてホリデー快速鎌倉号に使われていました。

1999(H11)年11月にホリデー快速鎌倉号に横浜から大宮まで初めて乗った時には、小山電車区(現、小山車両センター)所属の115系が使われていたことを覚えています。

今から20年前までは小山発着で、大宮〜小山間が各駅停車だったし。

今年のGWには、この115系M40編成が快速むさしの奥多摩号に使われていた関係により、ホリデー快速鎌倉号に大宮総合車両センター所属の183系(一部指定席)が使われていました。

今回のホリデー快速鎌倉号は、8月25日までの土休日と、9月14〜16,21〜23日運転で、115系M40編成がカムバックしてきたことになります。

秋以降は、秋の臨時列車の発表次第となるけど、どうなるのか気になります。

車窓からは夕景を眺めることも出来ました。

新越谷から北千住まで、東急8500系の8616Fで移動し、千代田線で町屋へ、町屋から荒川車庫前まで、8808号車(オレンジ色のあや電、あいりん、オレンジしょこりん)による荒川車庫前まで移動しました。

この日(7月21日)から、都電の荒川遊園地前電停の王子駅前、早稲田方面の乗り場が、荒川車庫前(早稲田)寄りにずれた場所に移動し、これまでのホームの隣に設けられていました。

こちらはホームの延長ではなく、これまでのホームが取り壊されて、踏切拡張用地に転用されることになります。

それを見た後、ここから早稲田まで、7026号車に乗って帰りました。

この日は、原宿でチアチアの対バンが行われていたけど、しゃもじ欠席となってしまいました。

この日は、飯山満、船橋日大前、八千代緑ヶ丘、八千代中央、村上(千葉県、東葉高速鉄道マスター)の各駅のekiShスタンプを集めました。


次にさゆ、あやちょ、りなりな、佐保ちゃん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?