川越車両センター、横浜、本当は座間に行きたかった

この日(10月19日)は、JR東日本埼京線川越線車両基地である川越車両センターで行われたイベントである川越車両センターまつり2013に行ってきました。

この時の目的はやはり、今年度中に全廃される予定の埼京線205系で、検車庫に入っていたハエ28編成(クハ205-107F)を撮影することが出来ました。

ハエ28編成(クハ205-107F)は、かつて京浜東北線で活躍していた車両で、全て4ドア車となっています。

埼京線を追われた205系は、ハエ3編成やハエ8編成などの初期運用離脱編成が、転用されることもなく解体されていたけど、状態の良い一部の編成が、インドネシアに輸出されることになります。

京浜東北線の編成のうち、ハエ27編成(クハ205-106F)が惜しくも廃車解体されていました。

川越車両センターは、1985(S60)年9月30日の埼京線の開業及び川越線の電化により開設されていました。

川越車両センターでのイベントは、毎年恒例で行われているけど、自分(しゃもじ)が行ったのは、2010(H22)年10月16日以来3年ぶりでした。

池袋から南古谷までは、205系に乗って行くことが出来て良かったです。

川越車両センターで行われたイベントである川越車両センターまつり2013で展示されていた埼京線E233系のハエ128編成(クハE233-7028F)は、総合車両製作所(J-TREC、旧、東急車輛)で製造され、今月15日に逗子から川越車両センターまで回送されたばかりで、整備の段階に入っていました。

埼京線E233系は、新津車両製作所(新潟市秋葉区)と総合車両製作所(横浜市金沢区)の2ヶ所で製造、交互に輸送され、早いペースで導入されています。

後者(総合車両製作所製)の場合は、逗子から所属先まで試運転を兼ねて自力で回送されるけど、今回もやはり川越車両センターまで自力回送されていました。

総合車両製作所から逗子までは、京急逗子線との分岐点から逗子までの連絡線が非電化区間なので、当然ディーゼル機関車による牽引となっていたし。

埼京線E233系で順番通りに導入されていないのはその為であります。

10月1日には、総合車両製作所製のハエ127編成(クハE233-7027F)が逗子から回送されたし。

入れ替わりに、運用離脱された205系のハエ6編成(クハ205-94F)のうちの9両が長野総合車両センターまで回送されていました。

来年2月に導入される予定の横浜線E233系も早いペースで導入されることが予想されています。

この時には205系のハエ28編成との並びも撮影することが出来ました。

川越車両センターまつり2013で展示されていた埼京線E233系のハエ114編成(クハE233-7014F)で、休憩用車両として解放されていました。

この時のLED表示は、快速板橋と普段見ることの出来ない表示となっていました。

板橋行き自体も普段設定されていないので、貴重な表示となっていたし。

こちらは、西武鉄道のイベントでもよく見られるような幻の表示の披露でもありました。

板橋駅は、十条駅と同様に、山手線の支線→赤羽線時代からある駅で、北側に都営三田線新板橋駅、南西側に東武東上線下板橋駅があります。

川越車両センターの最寄り駅である南古谷駅からは、上福岡駅入口経由の上赤坂行きの西武バス(古01系統、川越営業所所属)も出ています。

埼京線E233系のハエ109編成(クハE233-7009F)で、6月30日から7月15日までハエ101編成(クハE233-7001F)に取り付けられていた、埼京線E233系デビュー記念ヘッドマークが付いていました。

それだけではなく、普段見ることの出来ない通勤快速板橋の表示も披露されていました。

埼京線の通勤快速は、赤羽〜大宮間で武蔵浦和駅のみ停車で、平日の朝と夕方以降に運転されているけど、土曜日に見られたのはこのイベントならではでした。

板橋駅は、快速及び通勤快速の停車駅だけど、板橋行きは設定されていないので、こちらも幻の表示となっています。

E233の種別表示は、通勤快速は赤色、快速は青色です。

このハエ109編成は、今年7月10日に新津車両製作所から配給輸送された編成で、その次に、総合車両製作所製のハエ122編成(クハE233-7022F)が7月19日に出場していたので、この時から新津車両製作所製と総合車両製作所製が交互に導入されています。

新潟市秋葉区(旧、新津市)にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の新津車両製作所は、日本で唯一の鉄道会社直営の鉄道車両製造工場で、車両の改造・修繕が行われていた新津車両所が前身で、東急車輛製造(当時)からの技術供与により、1995(H7)年5月に落成した京浜東北線用の209系ウラ36編成(クハ209-37F)を皮切りに、通勤型車両や近郊型車両(平屋建ての普通車部分のみ)の製造が本格的に行われるようになっていました。

新津車両製作所では、209系、E217系E531系、E231系E233系のほか、相鉄10000系,11000系、都営10-300形小田急新4000形の一部も製造されていたので、自動車で言うOEM供給車でもあります。

西武鉄道でも、所沢工場(現在は武蔵丘に移転されている)での直営による車両製造も行われていたけど、1999(H11)年の西武9000系の9108Fを最後に車両製造が打ち切られてからは、この新津車両製作所が日本で唯一の鉄道会社直営の鉄道車両製造工場となっています。

新津車両製作所での生産ラインは決められており、現在の埼京線用のE233系に移行される前は、高崎車両センター(宇都宮・高崎線用)のE233系近郊バージョンの普通車部分が製造されていました。その前は、田町車両センター(現在は国府津車両センター)所属の東海道線用のE233系の近郊バージョンの普通車が製造されていたし。

新津車両製作所製のE233系通勤型バージョンの導入は、2010(H222)年から2011(H23)年に掛けて導入された京葉線用の5000番台の一部以来でした。

新津車両製作所では、ご当地の新潟地区に導入される予定のE129系(E721系の直流バージョン)も製造される予定となっています。

E233系が登場したのは、2006(H18)年12月26日の中央快速線のことで、あれから7年経とうとしています。

川越車両センターまつり2013の車両撮影会場で展示されていた埼京線205系のハエ13編成(クハ205-121F)は、臨時の表示となっていました。

この編成は、103系の置き換え用として、1990(H2)年に川崎重工業で製造された編成で、山手線から転用された6ドア車が組み込まれています。

埼京線の6ドア車組み込みにより、余剰となったサハ(T車)は、そのまま武蔵野線に転用されたほか、先頭車改造されて鶴見線仙石線に転用されていました。転用前に使われていたサハは、暫定的な方向幕が使われていたことを覚えています。
今回の川越車両センターでのイベントは、以前当たり前だった埼京線205系にとって最後のイベントとなったので、行くことが出来て良かったです。この編成は、インドネシアに輸出される予定となっています。

その他の展示車両は、クモヤ143、209系試験車(Mue-train)、りんかい線の70-000形、八高・川越線用の209系3000番台185系C1編成、E259系新型NE'Xで、E259系に関しては、グリーン車を含めて休憩用として開放されていました。グリーン車は常に椅子取りゲームの状態だったし。

この後、川越まで出て、友人と横浜まで小竹向原乗り継ぎで移動しました。 横浜で友人と合流した後、すぐに別れて、横浜市営地下鉄ブルーラインで片倉町まで行き、片倉町と岸根公園のekiShスタンプを集めました。

片倉町から岸根公園までは、岸根公園を通って歩きました。 ここには篠原池があります。

岸根公園から新横浜までブルーラインで移動し、新横浜から溝の口まで、東急バスの新横溝口線に乗りました。

この路線は、新横浜と溝の口の間を、第三京浜道路(有料道路)経由で(平常時には約30分で)結ぶダイレクト路線で、溝の口エリアから新横浜(東海道・山陽新幹線への乗り換え、日産スタジアム横浜アリーナ新横浜ラーメン博物館、ウインズ新横浜など)へのアクセスがターゲットとなっています。

この時に使われていた車両は、東急バス新羽営業所所属のNI1278(横浜200か35-87)号車の三菱ふそうエアロスターのワンロマ仕様車(QKG-MP35FP)で、昨年導入された、大型長尺ワンステップバスAT車で、リクライニングシートが完備されていました。

第三京浜道路を通る為に、シートベルトや補助席が完備され、座席定員制となっているので、満席の場合は乗ることが出来ないです。

日産スタジアムで大規模なイベントが開催される時には、増発されることや、リムジンバス用の観光バスタイプの車両が使われることもあります。

従来のシルバーと赤色に加え、ゴールド塗装も入っていることは、東急バスのワンロマ車の証であります。

運賃のほうは、全線乗り通す場合は、大人400円、小児200円、途中から(まで)の乗降の場合は、大人350円、小児180円で、SuicaPASMOなどのICカードが使えるけど、東急バスの一日券や、全線定期券では乗ることが出来ないです。

途中のバス停は、新横浜側が、烏山大橋、日産スタジアム前、溝の口側が、高津高校前、高津中学校入口で、新横浜駅日産スタジアム前、溝の口駅〜高津中学校入口間のみの乗車は不可能となっています。

横浜駅は、1964(S39)年10月1日に、東海道新幹線の東京〜新大阪間の開業と共に開業していたけど、開業当時は、単なる乗り換え駅で、駅周辺には何も無かったです。

1976(S51)年にはひかり号の停車駅となり、1985(S60)年3月14日の横浜市営地下鉄の新横浜延長と共にひかり号の停車が倍増していました。

横浜駅では9番乗り場から発車した後、烏山大橋、日産スタジアム前で乗車扱いが行われていました。

今回は、日産スタジアムから第三京浜の港北インターチェンジまでの道路が渋滞していたので、本来の港北インターチェンジ経由ではなく、小机新道交差点を右折してから亀甲橋を渡り、新羽営業所、都筑インターチェンジ方面への迂回ルートを通っていました。

港北インターチェンジ付近には、横浜名物のシウマイ(焼売)やシウマイ弁当などでお馴染みの崎陽軒のシウマイセンター(シウマイ製造工場)があります。

迂回ルートは、綱島駅と新横浜駅を結ぶ綱72系統と、綱島駅と勝田折返所を結ぶ綱71系統(東急バス新羽線)を繋げたようなルートで、新横浜駅〜新羽営業所間の送り込みの新横81系統や、回送ルートで通ることになっています。

この時に、本来のルートとは違って、横浜市営地下鉄ブルーラインの高架下を通りました。

その後、左折し、新栄高校入口まで綱71系統と同じルートを通り、右折した後港北工業団地前で再び右折し、都筑インターチェンジへ。都筑インターチェンジからは、ETCレーンを通過し、本来のルートと同様に第三京浜道路を通って、次の京浜川崎インターチェンジまで快走していました。このバスは、3車線あるうちの左側の車線をキープしながら、70〜80Km/hで走っていたし。

第三京浜道路は、世田谷区の玉川インターチェンジ(環八通りに接続)から保土ヶ谷インターチェンジ(横浜新道または首都高神奈川2号三ツ沢線に接続)を結ぶ有料道路で、1964(S39)年10月6日に、玉川インター〜京浜川崎インター間が開通し、翌年の1965(S40)年12月19日に保土ヶ谷インターまで延長されていました。

都筑インターチェンジが新設されたのは、1995(H7)年4月10日のことで、併設の都筑パーキングエリアも同時に開設されていました。

この区間には、2017年を目処に、野川インターチェンジも出来る予定となっています。

京浜川崎インターで降りた後は、第三京浜入口でUターンし、右折してからJR南武線に沿ったルートを通り、高津中入口、高津高校前を通ったけど、ここでも渋滞していました。

この周辺には、KSP(かながわサイエンスパーク)があり、溝の口駅とのシャトルバスが運転されています。

溝の口駅に到着した後は、新横浜行きとして折り返していました。

溝の口駅に発着する東急バスは、川崎営業所が廃止されてからは高津営業所所属路線がメインとなっています。

東急バスの新横溝口線は、2001(H13)年12月16日に、新羽営業所と高津営業所の共管により開設された路線で、当時は途中にバス停がなく、バス共通カード(現在はPASMOに進化している)が使えなかったです。

2003(H15)年2月1日には途中のバス停が新設され、バス共通カードも使えるようになっていました。

2005(H17)年9月16日には、新羽営業所による単独運用となっています。

今回は、港北インターチェンジから都筑インターチェンジを通過して京浜川崎インターチェンジへと向かう正規のルートでは無かったのが惜しまれるけど、一般道の迂回を経験することが出来て良かったです。以前乗った時には港北インターチェンジからの高速走行を体験していたし。

小田急の海老名でのイベントがあったけど、行かれなかったのが残念でした。

この日(10月19日)は、THE ポッシボーのあっきゃんこと秋山ゆりか氏の21回目の誕生日でした。おめでとうございます。これからも頑張ってもらいたいですね。

もっと残念だったのは、ハーモニーホール座間で行われたモーニング娘。の54thシングルの「わがまま 気のまま 愛のジョーク/愛の軍団」の発売記念選民イベントに落選敗北してしまった為に参戦出来なかったことでした。そのお陰で川越車両センターのイベントに行けたけど、本当はさゆと握手したかったです。

次にさゆ、あやちょ、はるなん、りなりな、佐保ちゃん、まみたん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?