レインコートの悪魔

劇団肋骨蜜柑同好会第1回公演
『レインコートの悪魔』

【作・演出】
フジタタイセイ

【日時】
8/27(金) 19:30
8/28(土) 12:00 / 15:30 / 19:30
8/29(日) 13:00 / 18:00

(開場は開演の30分前です)
(上演時間は90分を予定しています)

【場所】
演劇フリースペース・サブテレニアン

※詳細

173-0013
東京都板橋区氷川町46-4 B1F

東武東上線大山駅北口から徒歩7分。(大山駅池袋駅より3つ目です。)
都営三田線板橋区役所前駅から徒歩3分。


【チケット】
前売:1000円
当日:1300円

★チケットのご予約はこちらからお願いします。
CoRich http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=21330


【出演】
井奥亮太
桜義一
笹山健太
少年
千頭和直輝
山田拓
吉田利恵子

【お問い合わせ】
mail : rokkotsumikanあっとgmail.com
(「あっと」は@)
blog : http://rokkotsumikan.blog48.fc2.com/


極東の島国に、雨の止まない街がある。
年に1度の停電の日、「レインコートの悪魔」は現れるという。
街の人は、誰も悪魔の正体を知らず、なぜそんなうわさが流れているのかも知らず、た

だ漫然と生きている。今日も止まない雨にうんざりしながら。

都市伝説がささやかれるある街、雨のやむことのない街。

そこは確かに日本で、けれどどこか違う。

妄想都市の物語。







見ていろ世界。これが私の反撃だ。復讐だ。
全力で立ち向かう。今が楽しくて楽しくてたまらないから。

甘えとか恥とかは知った事ではない。芝居のためなら泣きながら親に援助を求めることだってする。
それぐらい本気なのだ。負けない。これが今の私だ。


見ていろ世界。

映画

昨日、中島哲也監督、松たか子主演の『告白』を観てきた。



素晴らしかった。とにかく素晴らしかった。ゾクゾクした。


【ここからネタバレ含む】


まず第一に、役者が良い。松たか子が素晴らしかった。上手いというか、凄い。
元々松たか子が好きで、ドラマもよく観ていたが、今回はとにかく淡々と無感情に。でも裏に込められた熱いパトスというか、狂気というか、そういったものが確かにある、そんな演技だった。それ故に鉄仮面が崩れた時のカタルシスというか、燃える感じが凄い。もうGガンとかチェンゲとかそのレベル。
松たか子以外にも、岡田将生もよかった。どうせ最近のイケメン俳優の売り込みだろうと思って観たが、実に役を全うしていた。何も知らず、ただただ自分の信念に則り熱血教師として生徒とぶつかろうとする。変に意味深な演技をせず、全く裏のない演技がとてもよかった。
木村佳乃。あまり木村佳乃の演技はみたことがなかったが、さすが実力派。綺麗な演技だった。ブレがない。
その他生徒役。これもよかった。メイン3人がとても良い演技だったので、引き込まれてしまった。
生徒たちにリアリティがあったかと言われれば、微妙に首をひねるところだが、いずれも実に人間臭かった。その他モブ生徒も、実に人間だった。やはり人間とは愚かしく恐ろしい生き物だ。


あと、宣伝が上手かった。「私の娘は、このクラスの生徒に殺されました。」松たか子のこの台詞だけが強烈に脳裏に焼きつく宣伝だったので、私も含め客の抱くイメージはミステリー的な方向に流れる。
ところが、犯人は開幕間もなくして明確に判明する。しかも客のみでなく、登場人物の大半に語られる。
まぁ、よくありそうなやり方だが。この時点で観客は「これはミステリーではない」と気付く。
どこかのレビューにあったが、「この映画中、観客は身の預けどころがない」という意見は実に的を射ている。
物語の登場人物に身を預け、喜怒哀楽を共にする―そういう楽しみ方が好きな人は絶対にこの作品を好きになれないだろう。
この作品は極めて客観的に見ざるを得ない。また、事前に持っていたイメージを覆され、奇妙な浮遊感に包まれながら観ることになる。故に、極めてナチュラルな状態で観ることができるし、要請されるのだろう。

ストーリーについて。物語は主要人物の告白によって進められ、映像はそれを補う視覚情報として扱われる。この微妙な乖離がまた面白く、どちらをも損ねずにうまく一つのものとして成立している。それぞれの人物の目線はどれも違う方向を向いており、どれも実に人間の目線である。これがまた面白い。
また、綺麗に伏線が張られていた。だが、「次々と明らかになる新事実!」という感じではなく、あくまで付け足しというか、補足というか。また、どこまでが真実なのか微妙に悩まされる時間もあり、実にワクワクした。

演出的な点について。演出効果が素晴らしい。まず冒頭。長い時間淡々と松たか子の独白というか、「告白」が続くが、微妙に本道から逸れた台詞や動作、生徒の様子、反応、それとは全く関係の無い動作、別の空間の様子等々を挟むことによって、「動き」を出している。これは見習いたい。私の芝居に使えるかもしれない。これによって客は飽きずに観ていられるのだ。
説明ゼリフは使い方によってはとても有効なものになる。そのいい例だろう。正しい使い方だ。
あと、過剰演出と謎演出。どれも意味深というか。狙いがわからない演出が多々。だから面白い。特に最後のCG。見せ場でも何でもない、台詞と再現映像だけでサラッと行ってしまえばいいところを、わざわざゴテゴテさせるあの感じ。あぁ、面白い。



【ここまでネタバレ含む】



あぁ、書きたいことは色々ある気がするのだが、色々ありすぎて書けない。とりあえずそろそろ筆を置くことにしよう。


この映画で私が最も賞賛したい点は、「メッセージ性のなさ」である。途中までは、「命の重さ」とか「善悪」とか、そういうものをテーマにしているのかと思って観ていたが、そんなことはなく。
最終的に我々に残されるメッセージは何もない。「あとは自分で考えろ」というものでもない。作品中で全て完結しているのだ。

私の目指す芝居、やっている芝居はこういうコンセプト。
「…うん。なんか、面白かった。」こういう感想を引き出したい。一番嫌なのは「色々考えさせられました」というもの。私はあなた方に何も考えて欲しくはない。全て舞台上で完結しているのだ。少なくとも私の中では。伝えられていないとしたらそれは私の力不足。
いや、設定に関しては大いに考えて欲しいのだが、作品自体に対して何か考えて欲しくはない。「人生の儚さ」とか「愛」とか「温もり」とか「幸せとは」とかそういうの。私はただ美しいものを描きたいだけなのだ。極端な例を上げるならば『苺ましまろ』とか。そんな感じ。かわいいは正義。美しければそれでいい。

なにはともあれ、本当にいい映画だった。レビューが書きたいほど熱中した映画はこれが初めてだ。DVD買ってもいい。創作意欲に火がついたというか、目指すべき地点に辿り着くための素材が一つ集まったというか。この作品を紹介してくれた某さんには本当にお礼を言いたい。ありがとう。

この熱がどこまで続くか、そもそもそんなにいい映画だったのかはわからない。もう一度観たらひどく退屈なものかもしれない。というか2回目はあまり面白く無いだろう。一期一会だから面白い。一期一会でしか面白くない、そういう作品が凄く好きだ。


あぁ、上手くまとまらない。まぁ、一言で言えば「面白かった」。以上。

武器

自分の武器はなんであろうか。自分は何が出来るのだろうか。
私の周りの演劇人はみながそれぞれに武器を持っている。
彼は技術面に優れている。彼女はとにかく目立つ。彼は演劇をよく知っている。等々。
では、私は?
技術もない、目立ちもしない、演劇をよく知らない。
ただ一点、「情熱」という点においては勝っていると信じている。
芝居にかける情熱。自分の演劇哲学。
それを発揮できていないのが現状である。私が周りの天才たちに対抗するにはそこを押し出すしかないのに。
遠慮しすぎなのだろうか。だが余計なことを言ってしまうのが怖い。まだ「役者」になりきれていない自分がいる。
だから頼られないのだ。居場所を感じないのだ。


上手くもないし面白くもない。どうすればいい。

どうすればいい。

演出

演出の役割は色々ある。
やはりメインは役者に演出をつけることであるが、それだけではない。
練習場の雰囲気作りや、スタッフとの連携も大切である。

演出が一番やってはならないのは、演出に対して不信感を抱かせることである。演劇観の違いから生じる不信感など、避けがたいものはある。だが、「こいつ実はこの脚本についてあんまり考えてないんじゃないか」とか、「この人やる気あるのかな」とか、そういう不信感が生まれては、芝居がうまくいかなくなる。
その演出個人の帯びているイメージによって左右されることはある。たとえば、「この人はすごく上手い」とか「この人は演劇をよく知っている」とかである。
しかし、それが希薄だったり、演出経験が浅かったりする場合は、そうそう上手くはいかない。
「演出は奴隷」というのはある人の言だが、確かにそう思う。演出は奴隷であり、かつ道化であるべきだと。
演出は誰よりも本気でなくてはならない、ということは大前提であるが、その熱意を見せて欲しい。
熱意の見えない演出ほど気持ち悪いものはない。演出は魂の切り売りをするものである。
自己犠牲、というと言葉が固いかもしれないが、芝居を作るためならなんでもする、という姿勢を持っていたいし、いてほしい。
その姿勢がわずかでも役者に伝われば、良い芝居の素地ができると信じている。

演出が役者を「使ってやってる」、役者が演出に「使われてやってる」という関係が生まれたとき、その芝居は音を立てて崩れてゆく。それだけは絶対に避けねばならない。
最近たまにその片鱗が見える時がある。恐ろしいことだ。

最終的には「役者も演出も楽しい」というのが理想であるが、演出が、役者が、大切にすべきものを忘れては元も子もない。


とまぁ、偉そうに色々思うわけである。一本芝居の演出もしたことないのに。


あとなんか書きたいことがあったような…。ちくしょう忘れた。
まぁいいや。とりあえず演出は責任感を常に背負ってなければならないと思う。








あぁ…。もう脚本(not演出)兼役者なんて絶対やらない。

やりたいことできないこと

しにたい



あーあ…。もうどうしよう。全然自分の演技が面白くない。この一年で自分は役者として、演劇人として成長したという自負はあるし、周りもそれは認めてくれている。
でも、改めて自分の演技を見つめてみると、まったく面白くも上手くもない。
ぶっちゃけ、「新人よりは上手い」と思い込んでいた。でもそれは間違いだった。自惚れも大概にしろ。
最近、新人がぐんぐん成長していくのがわかる。みんな輝いている。それに比べて、私はむしろ下手になってる気すらする。
竹とんでもSONICでもそう。演出の望む演技が出来ていない。
私はカメレオンになりたい。芝居によって色を変え、その場に合った演技がしたい。凡才の私が天才である周りに対抗できるのはその点ぐらいしかないのだ。演出の意図を汲み、自分がいち早くその色に染まる。あわよくば演出の意図を全体に伝える手伝いがしたい。

まぁそんなのは夢物語であって。実際は全く出来ていない。現状は単に出しゃばってるだけだ。
もちろんその全てが悪いとは思わない。微力ながら他の役者や演出の役に立てれば、と思ってやっている。
だが、それが誘導的になったり、演出の領域を侵犯してしまっているのは問題である。悩ましい。

最近色々な人と自主練の必要性について話した。
自分が出ていないシーンをやっているときには、それを見ているべきか、自主練をしにいくかという話し合いである。
私の考えとしては、そのような状況においての自主練は不要だと思っている。
「練習中に議論をするべきではない」という意見をちらほら聞いたが、私はそれが芝居の面白さであると思っている。
演劇に効率性はそれほどいらない。非効率的なぐらいがいい。新歓公演でそう感じた。
自分にあった作り方をするべきである、と。
まぁ、その演出が、芝居が、劇団が求めるものによるとは思うが。
色々聞いて話して考えれば良い。議論に首を突っ込めばいい。特に新人公演なのだから、芝居の作り方を学べばよい。
確かに、練習時間が少ないと不安になるかもしれないが…。まぁ一長一短ではある。
自主練は練習時間以外ですればいいと思う。

ただ、最近他人に対して自分の価値観を押し付け過ぎな気もする。お前はそんなに偉いのかto自分。
芝居の作り方は実に色々である。自分の意見と合う合わないはあるのに。
いや、でも、その方針に対して明確な哲学と目的と理由があれば全然問題はないのだ。
ただ、よくわからないまま否定してしまうのは私の良くない所である。もっと冷静にならねば。


話は変わって。
今日は劇団系学祭企画についてのミーティングに出て来た。色んな人がいた。沢山集まった。
……沢山いすぎた。こうなると尻込みしてしまう。私は小さい集団で芝居をつくりたいのだな、と思った。
それに、もし関わらせていただけることになったとしても、今の自分に出来るのか、と思ってしまう。

私が芝居をやる理由はただ二つ。自分のためとSONICのためである。割合は今は3:7ぐらい。
基本的に、自分の獲得したものを元にSONICの芝居が少しでも良くなれば、と思っている。その為にはまず自分が経験を積んで、少しでもいい演技ができるように、少しでも独自の演劇哲学を練ることができるようにならねばならない。

最近は集客力が著しく落ちている。これは憂慮すべき自体である。客足を伸ばすにはもっと面白い芝居を作らねば。
そんなわけで、もし私が犠牲になって少しでも良い芝居ができるならば喜んで犠牲になろう。どんな立場であろうとも。

考えて見れば、肋骨は完全に自分のための芝居だなぁ…。こういうのも大切にせねば。本気で頑張る。

何の話だっけ…。えぇと、あ、そうだ。劇団系の話だ。
そんな訳で、私としてはSONIC秋公演があるならばそちらに集中したい。肋骨で十分贅沢してるんだもの。
今度はSONICのために頑張りたい。あと単純に人多すぎ。私いらないだろ、多分。
でも、少しでも多く役者やりたいなぁ…。まぁ金ないけどね。


うわー。この文章美しくねぇ…。だめだ鬱だ。あー…。

色々あってブログを始めてみる。

とりあえずまず告知。

8/27〜29に東京で芝居やります!

【公演紹介】
劇団肋骨蜜柑同好会第1回公演 『レインコートの悪魔』
詳細は劇団ブログ http://rokkotsumikan.blog48.fc2.com/ を御覧ください。


 さて、宣伝はこれくらいにして。
 まさか自分が人からお金をいただいて観てもらうような芝居を(しかも東京で)することになるとは思ってもいなかった。
正直、私の演技は人からお金を取れるような演技ではない。ちょっと芝居に興味のある人が、ふらっと見に来てくれて、その人が私に少しでも興味を持ってくれればそれでいい。
だが、今回はお金を取る。私の周りには素晴らしい役者が沢山いる。お金を払って見る価値がある役者がいる。
だから公演全体としては見る価値があるものであると、私は思う。
 とはいえ、「先輩方の胸を借りるつもりで…」とか言うつもりはない。それくらいの図々しさはこの一年で身につけてきた。
舞台は役者同士の全力のぶつかり合いである。同じ舞台上の人間に劣等感を抱いてはいけない。その瞬間に演技がつまらなくなる。
とはいえ、暴れればいいってものではない。それは去年の自分へのお咎め。発表会じゃないんだから。
各々の役には果たすべき役割がある。その役割を全力で全うすることが重要なのだ。いかなる脇役でも。
だから私は全力で望みたい。周りにいる素晴らしい役者はみなライバルなのだ。負けない。越えてみせる。


あ、ちなみに私の本拠地、劇団SONICBOOMの新人公演『百合と薔薇の輪舞曲』もよろしくお願いします。
詳細は劇団ブログ http://beam.to/sonicboom/ を御覧ください。



こういうブログって難しい…。どうせ知り合いしか見に来ないしなぁ。なかなか勝手がわからないことだ。