Hatena::ブログ(Diary)

潜む狸の日記

2014-07-27

senri_gusuku2014-07-27

荒瀬ダム、撤去中!

| 10:28

【1.九州公共事業

 公共事業というと、九州はどうも『失敗』のイメージが強く付きまといます。

 思い出したように話題になる長崎県諫早湾干拓工事もそうですが、宮崎県でも戦前大淀川に轟ダムを作ったのは良いものの、ダムのせいで洪水が頻発し、集落がまるまる一つ移転に追い込まれ、ダムもまた戦後移転した事がありました。

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 宮崎県のダムでのもう一つの失敗というと、杉安峡に作られた杉安ダムも忘れてはならないでしょう。

 宮崎市佐土原駅から古墳群で知られる西都市まではかつて妻線と呼ばれる鉄道が敷かれ、終着駅の杉安にある景勝の渓谷を観に多くの人々が訪れ、日向の嵐山と呼ばれる賑わいを誇っていました。しかし、杉安ダムができると渓谷も水没し、観光客の減少から妻線はついには廃線になったと言われています。熊本県を通るくま川鉄道湯前駅から妻線への路線も計画されていたらしいので、なかなか勿体ない話しではあります。

 もちろん、杉安ダムを巡るこうしたエピソードはある程度ノスタルジーは混じっているでしょう。妻線は西都からの材木の輸送も担っていましたので、昭和40年代以降の木材離れとモータリゼーションの流れや、鉄道廃線になってさびれた高千穂の町を思うと、ダムがなくてもさびれた可能性は十分に思い当たるものです。

 さて、そんな思いが渦巻く九州公共事業ですが、最近面白い話しを聞きました。

 熊本県八代市にある荒瀬ダムが撤去工事中だというのです。

 おりしもNHKの『新日本風土記』でその風景を見た俺は、南九州にいるならばぜひその現場を見たいと思い、N-ONEにまた一働きしてもらう事にしました。


【2.取り戻せ、エコドライブ!】

 さて、前回のエコドライブ日記のあと、ガソリンを満タンにした俺は、伸び悩む燃費計に頭を抱えていました。

 友人の空港へのお迎えや、遊びのためにエアコンを全開にして町乗りやアイドリングをしていたら、燃費計はなんとリッター12.4キロ! こんな成績のままでは恥ずかしくてe-燃費サイトへ投稿できません。

 誰かに気持ちよく乗ってもらってもいいスコアを出すのが真のエコドライバーですが、実際問題この数値のままではかなり気まずいものです。

 どれだけ取り返せるのかを裏テーマに、今回の旅行に挑みました。


【3.見たぞ、荒瀬ダム!】

 そんなわけで、車載温度計が38度の酷暑を示す中、エアコンはぎりぎり冷房が動作する31度(それ以上だとオートエアコンと言えど暖房に切り替わるようで熱風を吹き出しました)でちょこちょこスイッチを切りながら霧島の麓をパスして九州脊梁山地へ突入。気温が下がって来たので車載温度計から1度マイナスした程度のエアコンをつけたり消したりしながら、しばらくぶりに八代に行きました。

 高速を降りて、球磨川沿いの道を遡っていくと、待望の荒瀬ダム撤去など、工事を歓迎している様子が見受けられました。

 大がかりな工事だと大体賛成派と反対派が交互にスローガンを掲げているような印象があるものなので、安心してダム撤去の現場を見る事が出来るという物です。

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 今か今かと待ちかまえながらうねる山道を流していくと、坂本物産館を越えた辺りで唐突にダムが現れます。

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 夏場はアユに配慮して工事は中断しているとの事でしたが、思ったよりもまだ全体が残っています。

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 それから、意外と小さい。偏見かもしれませんが、ダムというと谷の中の村落一つまるまる水没させるような規模の物を想像していたのですが、護岸工事した河川敷を水没させる程度の規模だったようです。

 ただ、これだけでも遡上する魚にとっては大変なもので、流域の人たちは遡上するアユを捕まえては上流に放流して球磨川の生態系を守ってきたのです。

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 放出される水の流れはかなり激しく、今はコンクリートの段差にすぎなくても、遊泳力の劣るウナギは多分遡上できないでしょう。今時点でもイールラダー(ウナギが越えられない段差を工事でつけてしまった場合、段差をウナギが越えられるように緩やかな角度の樋やパイプを通してウナギの遡上を助けます)の設置はしてもいいと感じられました。

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 少々ピンボケしていますが、堰で水没していた川原です。今の流れよりも陸地寄りの部分はダム時代に堆積した泥や砂のせいか、石の粒が見えませんね。

 自ら作り上げ、発電に使ってきたダムを壊すのは胸に一抹の寂しさがよぎりますが、人が自らの過ちに気付き、積み重ねて来たものを敢えて壊す勇気を感じました。

 ただ、八ッ場ダムみたいな無駄なダムも相変わらず建設中なのは虚しくなります。

 国内をいくら工事して国土を『強靭化』しようとも、日本企業人件費の安いタイに工場を作り、治水のなっていない国での洪水に苦しめられます。

 公共事業をペイできるようにするには、国内産業を空洞化させずに守っていかなければなりません。

 血税を注ぎ、自然を破壊して作ったダムはそれだけの価値を生み出しているのか、土建屋への利権だけではなく、地元や国民全体の利益や幸せをきちんと生み出せているのか広い視野に立って行政ができれば、この国はより良くなるのにと思いました。


【4.おしまいに】

 遠いと思っていた荒瀬ダムも意外とN-ONEで早く辿り着けて日帰りできたのは意外な発見でした。

 しかし、前回の八代訪問は博物館企画展目当て、今回はダムだけ目当てなので、城下町を堪能できていないのが惜しまれます。

 今度行く時は泊まりでゆったりと楽しみたいものです。

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 さて、帰り道は霧島サービスエリアを抜けた辺りの下り坂でN-ONEのN/A(ターボなし)モデルに追い抜かれたりしてエコドライブを実感しましたが、結果は表示リッター19.7キロ、実測19.04キロでした。

 e燃費だと端数の切り捨て方から19.01と表示されていますが、7月の俺の平均値がちょうどこの数値だったので、偏差値は上りも下がりもしませんでした。

 とりあえず昔に比べれば数値は良くなっているなあと思う反面、過去のとりとめなく撮った写真たちを見ると、冬場はリッター20キロ台の表示がごろごろとあるではありませんか……。

 今度の週末は宮崎県内でも秘境とのほまれ(?)も高い椎葉村までドライブする予定です。

 登り坂で燃費が落ちるか、はたまた人気のない道と涼しい山の中ゆえに燃費は上がるか。

 目当ての物も楽しみですが、行く道筋そのものが楽しみなのはなかなかの幸せであります。

2014-07-26 再会、ボンベよ…

senri_gusuku2014-07-26

極冷ボンベ 2014年夏

| 15:04

【1.皆様のおかげです】

 ブログアクセス解析なんぞしてみると、意外な物にヒットする事が分かってきます。

 人気な記事はやはりJP1がらみ、LPICやMCp、CompTIAなどの資格関連で良くヒットしているようですね。

 意外な物としては、最近頑張りだした自動車関連の記事で、コーティングキーワードで訪れる方の多い事。

 労力やお金がかかる事は、やっぱり皆知っておいたり元気づけられたいものですよね。

 しかし、最近のアクセス解析で最も意外だったのは『極冷ボンベ*1』でした。


【2.再会のボンベ】

 極冷ボンベの記事を書いたのはずいぶん前で、2010年の8月8日でした。

 調べてみると、どうもあれから毎年夏は限定品としてファミリーマートで販売されているらしい。

 宮崎でも飲めるのかと二軒梯子してみるとありましたありました。

 そんなわけで、昔懐かしい極冷ボンベとの対面となりました。

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 シルバーグレイのいかにもボンベという外観、霜が降ったような演出

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 注目すべきは、左側のメーターが100を振り切って針が折れている事でしょうか。

 よそさまの去年のブログを見たところ、去年はまだメーターは100に届いていないようでしたので、満を持して送り込んだ決定版と考えるべきなのでしょうか?

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 グラスに注いでみると、色は淡い水色。2010年の濃い色合いはありませんんでした。

 味わいはラムネ味。味覚までは詳細に覚えていませんが、あまり変わっていないとおもいます。


【3.ボンベはいいものだ】

 メカ好きとしてはやはり武骨なボトルというのは訴求力が強く、味わい以上にこのパッケージングや演出が気に入ってしまっているようです。

 自分でもアホだとは思うのですが、最近鹿児島の尚古集成館の別館で似たようなものを見かけました。

 薩摩藩第11代当主島津斉彬は開明的な藩主として知られていますが、彼は最新式のボンベカノン砲(ベキサンス砲)に憧れて、自ら湯飲み茶わんを作る時、それを模した形にしてボンベンと銘打ったのだとか。

 この場合のボンベは爆弾を意味するbombオランダ語読みした物だと思われ、ボンベカノン砲はすなわちただの鉄球ではなく、中に火薬を詰めた破裂弾(現代の榴弾に相当)を撃ち出せる当時の最新式の大砲でした。

 好きな物を食べ物や器に活かすのは、ザクとうふキャラ弁マミさんケーキを食べる現代の我々と感覚的にはひじょうに近い物を感じます。

 遊び心というのも何かを成し遂げるのには必要だし、こうした茶目っ気のある方に見いだされた篤姫西郷隆盛はいい上司に恵まれたと思いました。

*1:「ごくれい」ではなく、「ごくひえ」と読むようです。

2014-07-23 「薩摩」芋…違うな、「日向」芋だぜ!

senri_gusuku2014-07-23

焼き芋、それは夏の味覚

| 01:44

【1.焼き芋の再発見】

 焼き芋を自宅で簡単に楽しみたい。

 そう思ったのは2013年の晩秋である。当時俺は節約のために料理下手・料理に全力を注ぎたくないなりに自炊を頑張っていた。

 十八番は、袋詰めされた鍋汁を元にした鍋料理。

 これなら野菜も肉も摂れるし、一品でおかずも汁物も兼ねられるから食べた後の片付けも楽だ。

 けれども、それだと食べられる食材が限られるので、さらにおかずを一品付けたくなる。シフト勤務で三食の時間帯がおかしくなる日もあるので、出勤前に適当に空腹をいなしたりできる食べ物もあるとよかった。

 食品というのは、惣菜、弁当、そして外食の順に高くなっていく。

 言い換えれば、材料に近い物ほど安価になっていくわけだ。

 スーパーで何かいいものはないかと思っていると、ふと目に留まったのがサツマイモ、いや南九州ではカライモとよばれるヒルガオ科植物の根菜だった。

 これなら量もあるし低カロリー、そして焼き芋にできれば簡単に食べられる!

 おりしもホームセンターで見かけた焼き芋調理用の土鍋が脳内で化学反応した俺は、寒い季節のくせにハッスルして行動に出た。

 土鍋の価格は1000円足らず。これと低い原価で幼い頃からのノスタルジーや特別な食べ物をいつでも手に入れられるのならば、安い物だ。

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【2.焼き芋を作ろう!】

 宮崎で手に入るサツマイモ鹿児島産と、県の南にある串間市で取れるものの2通りあるが、迷わず後者を選んだ。串間市は水道料金も値上がりし、3・11前は原発を誘致しようとまでしていたくらいの場所だ。

 少しは金を落として元気にしてやりたいと考えるのは県民として自然な感情だった。

 土鍋で作るのは簡単で、熱が通りやすいように適当に切ったサツマイモを鍋に入れて、弱火で熱し続ければ出来上がり。

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 ふかした芋とは段違いの出来栄えに、ほぼ毎日お世話になっていた。

 前の冬は疲れた時にミスタードーナツを食べていたのだが、土鍋が来てから安くて低カロリーな甘味を楽しめたのは財布にも体重にも優しかったし、量を食べるとお通じもなかなか良くなるので、健康になっていく自覚があった。

 実にすばらしい物だったのだが――。春先のまだ肌寒い頃、芋の質が急激に落ちた。幾ら加熱しても食べやすくなるだけで甘みが出ない。また、芋を買って数日すると上下の断面に小さなカビのような物が付くような事もあった。

 食べ飽きたのか、俺の味覚がおかしくなったのか。がっかりした俺は、失意のうちにサツマイモ常食から離れたのだった。


【3.真夏の再会】

 3か月くらいご無沙汰が続いて、ふとスーパーでサツマイモコーナーを見ると、意外な光景を目にした。

 焼き芋というと冬の味覚なので、サツマイモのシーズンは晩秋から冬にかけてと思っていた。ところが、「新物」と銘打たれた鮮やかな紫色の芋が誇らしげに並んでいるではないか。

 早速買って帰ったね。

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 芋自体は細いが、これならば火がすぐに通るという物だ。

 勇んで四つに切って、鍋に投入した。

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 そして待つこと暫く。火を通しても皮は鮮やか、断面は深い黄金色を魅せている。食べるとまさしく美味い焼き芋だった。

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 どうやら季節の最後になると古くなっておいしくない芋だけになってしまうらしい。俺は少しサツマイモに対する経験値を深くすることができた。

 ともあれ、これでしばらくはまた健康的ないい食事がとれそうである。

 暑い季節だろうと、そんなことは関係ないね。

2014-07-22

senri_gusuku2014-07-22

鹿児島国際大学の学内博物館 企画展『鹿児島城築城への道のり』

| 10:03

【1.大学へ行こう!】

 黎明館での企画展を見ていると、興味深いタイトルの企画展鹿児島国際大学の学内博物館で行われているというので、日曜・祝日の公開日である7月20日に早速訪問してみました。

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 学内博物館なのでスペース的には高校までの教室よりも少し狭い位のスペースですが、薩摩鹿児島地区の島津氏の城郭の変遷がまとめられています。


【2.島津の居城、居館】

 伝説によると、島津氏の初代の惟宗忠久は、薩摩大隅・日向の三国にまたがる島津荘の下司職(荘園の管理人)に任されると、薩摩国の山門院(やまといん、現在の出水市の一地区)の木牟礼城(きのむれじょう)に入り、その後日向国都城盆地の堀之内や祝吉に御所を建てて移り住んだと言われています。

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 ただし、これは伝説にすぎず、出水市の木牟礼城跡の看板には忠久の代官が下向してきたと記載されています。

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 また、初代の忠久は都の行事にも多く参加しており、実際に島津氏が南九州に根付くのは、3代久経が元寇の戦いに際してではないかと言われています。

 実際に島津氏の文書を見てみると、初代忠久と2代忠時の文書は惟宗か藤原の性を名乗ることが多く、島津荘を本貫地として意識した島津名乗りを始めたのは忠時以降というのを黎明館の企画展で読んだような気がします。

 さて、今回の鹿児島国際大学の展示で触れられている一番古い城は薩摩鹿児島地区にある東福寺城となります。

 それ以前の城や居館はこのように曖昧です(木牟礼城の看板は忠久の代官から5代貞久まで島津氏は木牟礼を拠点にして薩摩を支配したと書かれています)。都城盆地の御所にも、とうぜん代官派遣していた可能性はあります。しかし、その後比企能員の乱に連座した惟宗氏が承久の乱を経て南九州に復権したときの支配地域は薩摩一国に留まっておりました。都城盆地が再び島津氏の影響下に入るのは、4代忠宗の息子たち『七人島津』の北郷氏や樺山氏の都城盆地の土着、そして彼らの所領拡大がされる戦国時代中期まで待たなければならないので、祝吉と堀之内に関しては資料も残っていないのでしょう。


【3.三つの城】

 だいぶ話がそれましたので戻しますと、今回の展示は東福寺城から清水城、内城を経て鹿児島城の築城に至るまでの流れを出土品やパネル展示、そして学生の作成したジオラマやイラストをメインに展示しています。

 以下、メモしてきた内容と推測をつらつらと。

 まずは東福寺城から。

 東福寺城は、鹿児島市清水町の海に面した丘陵(異人館から稲荷川河口まで)にある城で、文保3年(1319)の記録に記述されたのがもっとも古い記録となります。

 地頭島津氏の管轄下におかれていたと思われるが、南北朝時代南朝方の肝付兼重らを迎え入れ、北朝方の島津氏と戦っていました。

 暦応4(1341)年に5代島津貞久が攻め落とし、7代元久(奥州家)が拠点を清水城に移すまで島津氏の拠点でした。

 ここで気になったのは、島津奥州家の所領は大隅だったにも関わらず、拠点になった東福寺城は薩摩側の鹿児島にあったことです。

 律令時代に定められた大隅国範囲は、現在の国分など錦江湾奥地の沿岸の開けた場所も含まれており、当時はここが大隅の中心地でした。『国分』の名の通り大隅国国分寺、そして大隅国一宮である大隅八幡宮(現在の鹿児島神宮)がおかれています。なんとなくここに城を構えればいいように思うのですが、総州家への対抗なのかはたまた比企能員の乱以降は島津氏は薩摩一国の守護だったので島津氏としての拠点はあくまで鹿児島と言ったところでしょうか。

 ちなみに、律令時代の薩摩は、中心地が川内とされ、ここに国分寺一宮である新田神社もおかれています。前述の通り、島津忠久南九州初の居城が出水市にあるように、都から船で行きやすい北薩が重要地点でした。ここから本拠地が鹿児島へシフトしているのは、薩摩と中央との関係よりも薩隅日の三州へ目が向いたからではないかと愚考します。

 続いて清水城。

 清水城は現在の清水中学校が居館跡、そして裏手の丘陵が城郭としての役割を持っていました。

 7代元久は、三州守護の地位を得て日向の志布志城から鹿児島に戻り一度は東福寺城に入りますが、手狭なため、清水城に居館を移しました。

 当城は、14代勝久に至るまで150年継続して本城と称され名実ともにその役割を果たしてきたのです。

 南東を稲荷川に、西北は急激な崖に面しています。

 稲荷川河口は港が形成されたようであり、海運を通じた交易・防衛に地として選ばれたと思われます。

 東福寺城と清水城を並べてみて、最近似たような城をみたと思ったらNHKの『英雄たちの選択』で見た最新の復元CGによる清洲城でした。

 桶狭間の戦い当時、清洲城は中央に川が流れた城だったとか。

 真ん中に川が流れているのは連携を取りにくいものですが、片方が敵に敗れてももう片方で戦闘を継続できるのが強みだったとか。

 東福寺城と清水城も前者が曲輪や二の丸、後者が本丸として機能するように考えられていたのではないかと推測します。

 またまた『英雄たちの選択』ネタですが、甲斐の武田氏のつつじヶ崎の館は大きな川に面しておらず、防衛も交易も不利だったため、武田勝頼釜無川に面した新府城を築城・移転したと磯田道史先生は言っていましたが、島津氏は武田氏に先立つこと200年以上前から川を居城の防衛や交易に役立ててきたわけです。ちなみに、清水城よりも12年早く築城された都之城もまた大淀川にほど近く天然の水堀を備え、河川交通もおそらく利用していた事でしょう*1

 最後に、内城。現在の大竜寺小学校です。これは15代貴久が天文19年(1550年)伊集院宇治城から移った模様ですが、跡地に当たる小学校もあまり大きくなく、どうしてここに移転したのかは解説もなくわかりませんでした。ただ、稲荷川からはそんなに離れていませんし、一国一城制度の前だし薩摩藩時代の外城制度を思えば、清水城と東福寺城があるから居住性が良く、城下町も作れる平地に移動したのかもしれません。


【4.おしまいに】

 展示自体はシンプルなものでしたが、島津氏の研究としてはやや常識になっているところもあるせいか、今まで博物館などで学ぶ機会がなかったためいい勉強になりました。

 特に今までの知識と付け合わせてイロイロ推測すると見えてくるものが増えてくるので、楽しいものです。

 もうカレンダー通りの開館しかしていませんが、興味のある方は是非見に行かれてはいかがでしょうか。

*1:宮崎平野までのスムーズな移動は江戸時代の観音瀬の掘削まで待たなければなりませんが

2014-07-21

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鹿児島国際大学への道のり〜エコドライブ偏差値59.19

| 09:31

7月20日鹿児島国際大学の学内博物館で行われている企画展鹿児島城築城への道のり』を見学に行きました。

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前回のドライブで帰りに九州道を使ってしまったけれど、今回は往復を東九州道にしたところ、表示燃費はリッター21.8キロをマーク。

283.6キロ走破で13.74リットル給油。実燃費はリッター20.64キロでした。

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ついに実燃費でリッター20キロ以上をマーク。カタログ燃費の88.96パーセントを達成できました。

梅雨明けした南九州はきわめて暑く、エアコンのお世話にはなった物の、車載温度計の外気よりも1度低いくらいの温度を心がけて走らせ、鹿児島北ICから桜島PAの間で視界を遮るようなスコールに遭遇して、気温が33度から25度へ一気に低下したのも幸いしたようであります。

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e燃費に投稿したところ、以下の通りのスコア

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N-ONEユーザー全体に対する偏差値・・・59.19

宮崎県ユーザーに対する偏差値・・・71.08

かなりのエコランが達成できているようで何よりです。

 さて、今回強く感じたのは、Tourerの名を冠したターボではある物の、やはり高速道路よりは郊外の道路をノンストップで走らせている方が燃費がいいと言うもの。

 そうそう用事があるわけではありませんが、高速道路を使わない長距離ドライブで行ってみたい場所が何点かあるのでその内試して見るとしましょうか。