Hatena::ブログ(Diary)

潜む狸の日記

2014-04-20

俺が後輩のお蔭で40年前の美少女と納豆について語り合う事になった件について。

| 21:46

納豆。慎ましやかな日々を送る俺にとって、日々の食卓に欠かせない食材!

植物質にしてタンパク質という矛盾に見せかけた一石二鳥!

ねばねばと糸を引くさまは触手系のエロスを思わせ、ぐるぐるとかき混ぜて食べるプロセスはドリルや銀河の渦を思わせて男の浪漫!!

ワンパックあたりの単価が3〜40円、食べ方も辛子か山葵か慎ましやかなバリエーションがあり、大和撫子な感じが萌え萌えだぜ!!!

この食べ物を独り暮らししてから再発見した事をFaceBookに書いたら、会社の後輩が生活の知恵を授けてくれた。

特売の時にまとめ買いして冷凍しておけば、日持ちするというのだ。

近所のマックスバリューでまとめ買いするのがすっかり習慣になった私だが、消費税増税のため特売の時のまとめ買いがすっかりエスカレートしてしまった。

カゴいっぱいの納豆を差し出すと、顔だけはなじみになった40年前の美少女(少しは現実に夢を挿入したいものだ)が目を丸くして尋ねてくるではないか。

「これ、料理で全部使うんですか?」

「ええ、冷凍すると日持ちするので」

 高校時代読んだインパール戦線の体験記で、ビルマでは1日と持たなかった納豆が、ですよ! と言いたいところだが、そこまでの年ではないだろうし、分かる年齢にはビルマインパールトラウマかもしれない。そこはお口にチャックだ。

「冷凍して大丈夫なんですか?」

「ええ、冷蔵庫に1日おいとけば溶けますし、急ぎならばレンジで40秒から1分で程よくなります」

 熟練の主婦――40年若くてずっと身近にいればタコさんウィンナーが入ったお弁当とか作ってくれそうな食への情熱がある――は、料理熱心らしくうんうんと頷き、

「はあー、勉強になりました」

 とのたまった。うん、40年の時間と東京と宮崎の空間は実に惜しいと妄想をしながら私はプリペイド式のカードで会計を済ませてレジ袋に食材を詰め込んだ。

納豆、それは生活の知恵。

納豆、それはコミュ障への救済。

納豆、それは時空を超えた美少女との出会い。

まあ、納豆菌が脳に回っただけかもしれない。

偏差値を上げたいのならば食べない方が良いかもしれない。

ただ、馬鹿と天才は紙一重という。おいらは最近山葵ばっかりかけているから阿呆になったかもしれん。皆様にとってメジャーな辛子ならばこうならないかもしれない可能性を書き添えて結びとしておこう。

日本人とiPhone

| 21:45

 すっかり定着した感のあるスマホですが、多くの人は今あるスマホからiPhoneへの機種変更を考える傾向があるようです。

 背景としては、キャリアと価格面からの妥協からHTCサムスンAndroidを購入したものの、Andoroid2.Xのもっさりとした動きや、数か月もするとバッテリーの持ちが悪かったり、洗練されていない端末デザイン(見た目だけではなく、手にした使い心地)に嫌気がさして、評判のいいiPhone指向を強めるようです。

 Andoroidは4.Xになれば動きも良くなりますし、iPhoneの液晶パネルはSHARP製なので、動きに納得できない場合はSHARPスマホにすればいい物ですが、Android4.XのSHARP製のスマホに触れてもなお、iPhoneへの憧れを強める人がいて悲しい思いを強くします。

 これでは、自分たちの国の企業も雇用も守れないのではないか、と。

 iPhoneは確かに動きも良いし、皆が使っています。

 何より、安い。

 しかし――自分たちの生活を守るためには、代価が必要です。

 国の借金や少子高齢化での福祉予算の確保のために世論調査では意外な事に消費税増税に賛成の方が多かったものですが、国内産業すなわち自分たちの生活基盤を守るためには高くても国産の端末を買うべきです。

 結局日本人は世間に従って生きるものです。

 みんながiPhoneにしていればiPhoneにし、お国が税金を上げないといけないと言えばそれに賛成する。

 それはまあ、昔から変わらない物ですが。

 自分の意志や考えを持たないとこの国の政治は政治家を選ぶだけで国民の声が反映されない物になる訳ですが、この辺りはあと何年経てば変わるものでしょうか。

 はてさて。

2013-12-01

senri_gusuku2013-12-01

12/1秀吉が八代にやって来た展に行く

| 23:03

【1.夏の自然科学、秋の人文科学

 夏の博物館と言えば、夏休みの子供向けに自然科学系の博物館恐竜の展示にいそしむわけですが、人文系の博物館は秋が本格的な企画展のようです。

 南九州だとメジャーな鹿児島県歴史センター黎明館をはじめ、尚古集成館、そして都城島津邸ともに余所から教科書で見たような貴重な史料を呼び込んでくれて、文字通り時間と空間を越えた日本史の世界に誘ってくれます。

 こうした展示を見る時に忘れてはいけないのが、ポスターやチラシで告知される余所の博物館の展示です。

 さすがに西日本と言えども山陰山陽地方四国に行くのは大変ですが、近場の中九州くらいならば比較的気軽に行ける物です。

 そこで気になったのは、「秀吉が八代にやって来た」というチラシでした。


【2.秀吉九州

 秀吉九州というと、来年の大河ドラマにもなる黒田官兵衛秀吉軍師で福岡藩主になったり、加藤清正熊本城などが連想されますが、南九州とは因縁が深い相手になります。

 当時九州のほとんどを手中におさめかけていた島津義久、義弘兄弟ですが、天正14年(1586)7月からはじまる豊臣方の侵攻によって後退を余儀なくされます。

 天正15年(1587)5月8日豊臣本陣が設けられた川内平佐の泰平寺に停戦会談のため訪れた島津義久剃髪した僧侶の姿で俗世への訣別と恭順の意を表し、その命と薩摩大隅・日向の一部の所領の存続を認められたのでした。小田原合戦に伊達正宗が死に装束で参陣する有名なエピソードのおよそ三年前の出来事です。

 島津氏の縮小により、豊臣方の武将や、島津氏に九州を追われ秀吉を頼った鎌倉時代以来の領主である伊東氏、大友氏は旧来の土地である日向・豊後への復帰を果たします。大友氏はその後大名家としては取り潰されますが、伊東氏は日向飫肥藩として明治維新まで全うしたのでした。

 秀吉統治下も混乱は続きます。天正20年(1592)、秀吉朝鮮出兵を開始しましたが、肥前名護屋城に向かうために肥後国佐敷に留まっていた島津氏家臣の梅北国兼は加藤清正朝鮮出征中の留守を突く形で佐敷城を占拠し、豊臣支配や朝鮮出兵に不満を持つ他の島津家家臣や農民たちと共に反乱(梅北一揆)を起こしたのでした。

 一揆は3日間で鎮圧されましたが、秀吉により島津歳久が首謀者とみなされ、兄の義久の追討を受け自刃し、島津家は限られた領地に対して厳しい検地が行われのです。

 検地により、九州征伐の時に秀吉に激しく抵抗し、足利尊氏以来都城盆地に根を張っていた北郷氏(後の都城島津氏)は8万石近い所領を取り上げられ、川内平佐に減封されてしまいます。北郷氏が都城に返り咲くには、都城を支配していた伊集院氏を秀吉の死後排除する庄内の乱まで5年の歳月が必要でした。

 秀吉の支配は島津氏の内部を大きく揺さぶりましたが、領内の豪族の所領替えをする事により島津氏の直轄領を増やし、大小の豪族が連合した中世の面影を残す戦国大名の組織を近世的な島津氏を中心としたピラミッドを構築する事になります。先に挙げた北郷氏は、足利尊氏から直接都城盆地北郷の地を与えられ、島津本家からも独立した客分として扱われていました。秀吉からも直接朱印状を貰っていたのですが、太閤検地以降、明確に島津氏の配下に組み込まれ、所領を保証するのは中央ではなく、島津宗家となったのです。

 秀吉南九州に痛みを伴った近世への脱皮を促したのです。

 さて、八代は八代城の城下町であり、江戸時代肥後熊本藩に組み込まれていました。

 熊本藩と言えば熊本城が有名ですが、一国一城令江戸時代にあって島津氏の備えとして例外的に一国二城体制が許された特殊な環境にあったのです。

 上記の南九州史観と異なった歴史観が楽しめるはずです。

 12月1日までの展示でしたが、自動車の納車が前日の11月30日になったので、さっそく慣らし運転を兼ねた長距離ツーリングと洒落込みました。


【3.八代と秀吉

 展示を見る前に驚いたのは、八代城ものがたりというパンフレットでした。

 いきなり表紙に秀吉肖像画がプリントされています。

 八代は、秀吉がポルトガル人宣教師ルイス・フロイスと面会をした場所でした。フロイスはその著書『日本史』で以下のように八代の事を記しています。

この地がいかに美しく、清らかで、また優雅で豊穣であるかは容易に説明できるものではない。…その町へは、海路からではなくては入ることも登る琴もできないようになっている…

 秀吉フロイスという全国史に知られた人物と外国に八代を紹介した人物の会談の場になった事は八代の方の大いに誇りするところのようでありました。

 さて、展示は鎌倉幕府追討の恩賞で名和氏が八代を得た時代から100年を過ぎた頃から戦乱の世が始まり、相良氏、島津氏と領主が変わり、秀吉の八代入りで平和な時代が訪れるまでを描いています。

 大友宗麟や竜造寺孝信、そして秀吉などの有名な肖像画をはじめ、大阪城天守閣慶応義塾図書館東京大学史料編纂所など九州以外からも豊富に資料を取り寄せ、その中には国指定重要文化財が何点もありました。

 美術館ではなく、博物館のため文書など派手さはない展示がメインでしたが、八代を中心とする地域史と全国史を同時進行で描写する様と、合戦で犠牲になる庶民の姿をさりげなく織り込み、秀吉の恩賞など人心掌握術をきちんと展示し、秀吉による平和という展示の結びを説得力をもって構築しています。

 来館の方は熱心なかたが多く、子供たちは正解すると城主バッジがもらえるワークシート片手に熱心にメモを取り、大人たちも古文書の展示では説明文だけでなく、原文を読み取ろうとしているのが印象的でした。



【4.秀吉の夢の跡】

 個人的には秀吉に対しては時を追うにつれ、評価よりもマイナスの気持ちが強くなっていました。

 朝鮮出兵朝鮮人陶工や朝鮮人参など文化的に得る物はありましたが、平和な外交でも手に入れられるような戦利品しか残りませんでしたし、自分の子かも怪しい秀頼に家督を譲るために身内を犠牲にし持続的な政権を樹立できなかった事は、やはり徳川家康に比べると結果的には誤っていたと断じざるを得ません。

 ただ、全国統一を成し遂げた秀吉はやはり画期的だったのだとは再認識できました。

 酸いも甘いも飲み込むのが歴史を理解する事であります。

 秀吉を受け入れた過去の八代の選択は間違いではなかったのでしょう。ただ、はたして秀吉は最後まで平和の使者だったのか。

 まあ、ここらは地域史のヒーローに対するアプローチは複雑な物がありますし、史料を貸し出してくれた施設に対するリップサービスもあるのでしょう。

 

 見事な展示の高揚感と、自分自身の秀吉への思いを胸に渦巻かせながら、私は宮崎へハンドルを向けたのでした。

2013-11-17

高岡にはなぜ石垣がなかったのか

| 21:39

【1.高岡という町】

 薩摩藩は、本城である鶴丸城(鹿児島城)以外にも、領土内の古い山城の麓に武士集団を住まわせ、いざという時に備えていました。

 外城制度と呼ばれるこの一国一城令にたいしてスレスレの脱法制度ですが、こうして作られた麓、時代が下ると郷と呼ばれる居住地は旧薩摩藩領で113か所あり、宮崎市近郊でも綾、高岡、穆佐、倉岡の4か所があります。

 特に高岡は今は宮崎市に編入され、中心部からのアクセスもそこそこよく、多くの遺構が残されています。

 今まで二回ほど訪れて武家屋敷や門の撮影を楽しんだものですが、現地のガイドであるチラシには気になる文言が記載されていました。

 今でこそ南九州特有での石垣に囲われた武家屋敷を楽しめますが、薩摩藩時代は幕末になるまで石垣が許されていなかったというのです。


【2.薩摩藩辺境

 考えてみるに、薩摩藩やその系譜は辺境としての日向―宮崎地区に一段下の地位を与えていた歴史がありました。

 外城の郷士鹿児島の城下士は当初身分は同じ侍とされましたが、薩摩藩第8代藩主島津重豪によって藩内の身分や家格の整備が行われた際に、郷士は城下士より一段の下の位と位置づけられました。

 また、幕末西郷隆盛と共に入水した僧侶月照は日向の法華岳寺に追放するという名目で、実際は日向国境で死罪に処す計画だったのは比較的知られた話です。

 西南戦争当時、宮崎県鹿児島県に編入されていましたが、戦後の復興において旧宮崎県域からの税収の多くは旧鹿児島県域の復興に使われてしまいます。この事から川越進らの分離独立運動が行われ、西南戦争時の扱いに不満を持った都城の人々の黙認もあり、宮崎県は再度独立を果たしたのです。

 こう考えてみると、薩摩藩領の端で国境警備を担っている高岡石垣が許されなかったのは、何らかの差別的な要素があった可能性があるのではないかと思えてくるものです。


【3.ちょっとした発見と考察】

 ところが、しばらく見ているととある解説文に巡り合いました。

 石垣が禁じられていた高岡は、家々の境界をどうしていたかというと、竹の生垣で囲い、横二段の割竹で固定したもので代用していたようです。

 土塀や柴垣でもなく、メンテナンスに手間のかかる竹の生垣!

 竹は放っておくと思わぬところからタケノコを突き出してしまう物です。生垣に使うような品種は孟宗竹のように太くもありませんので、食用にもあまり適さないはずです。

 ただし、近世までの日本では竹はそれ以外に重要な役割がありました。

 工芸品の材料、わけても武士と竹というと、矢の材料という側面があるはずです。


【4.竹生垣の役割と終焉】

 矢に主に使われる竹というとその名の通り、ヤダケという比較的細めの品種があります。

 比較的固いようで、尖った切り株をうっかり踏むとゴム長靴でも貫通してしまうほどだとか。

 高岡という土地は行ってみると分かるのですが、曲がりくねった大淀川やその支流と山の間にあるやや不便な土地です。

 現代は宮崎平野の市街地から簡単にアクセスできますが、江戸時代は同じ薩摩藩領は薩摩街道で山を抜けて都城盆地まで出ないといけなかったわけですから、補給がやや困難な前線基地と考えていいでしょう。

 高岡麓の武家屋敷の竹生垣はこうした環境での国境警備に当たり、経戦能力を高めるために決められていたのではないかと考えられます。

 外城の郷士と城下士の身分の差が固定されたのが幕政後期であり、それまで郷士への差別がなかったのならば当初から高岡石垣がなかった事には、実用的な理由があったのではないかと推察できました。

 幕末になって石垣に戻っていったのも、銃器が進歩し、また近隣の藩との外交問題よりも外国や長州征伐、討幕への動きなど、価値観がシフトしていく中、手間のかかる時代遅れな竹生垣を敢えて保持していく理由がなくなったからではないでしょうか。

 なんとなく今まで外城制度に関して疑問に思っていたことが一つ解決したですっきりとしました。

 いやいや、勉強し続けると思わぬ事に巡り合って面白いですねえ。

2013-11-10

senri_gusuku2013-11-10

国の借金が国民の資産と言えなくなる日

| 15:09

9月末の国の借金、1011兆円=財務省

【1.国の借金】

 1,2か月前にテレビ番組で日本の海底資源の可能性について特集があった。

 日本の海は海底火山やプレートの活動が活発なため、希少金属などが埋蔵されており、その総額は試算すると数十兆円といわれているらしい。

 最近話題になった東京オリンピックだが、これまた直接効果による経済効果は1兆円、生産誘発総額は2.5兆円。しめて3.5兆円ほどが経済効果と言われている。

 さて、ニュースによれば国の借金は1011兆円である。

 どんぶり勘定だが、オリンピックならば314回開催して、あるいは世界的にはけして狭くない上特殊な条件にある領海を34倍にして(数十兆円を30兆円と見積もり、全て採掘可能という前提のもと)やっと払えるほどの計算になる。

 まあ、日本の国債はほとんどが日本の国民が持っているから全て国民の資産だから問題ないというご意見もある。ただ、その金額の途方もなさと、その利息を考えるとに、ちと立ち止まって考えるべきではないかと思わされる。


【2.日本国債を国民だけが買い続けられるのか】

 さて、悲しい事だが、ここに興味深い現実がある。

 日本は数年前にアメリカに次ぐ経済大国ではなくなり、世界第二位のGDPを誇る国は中国になっている。

 少し前に中国資本による水源地の買い上げなどが問題になり、最近は中国資産家が日本の文化財を購入しようとしている事が話題になっている。

 では、GDPで上回る中国投資家(富裕層一人ひとりの規模は日本の富裕層より大きい)が今後日本国債を買う可能性もゼロではないだろう。

 ギリシアに端を発したEU各国の通貨危機国債暴落経済的な不安から投資家たちが各国の国債を手放した事に原因の一つがあるとされている。

 アベノミクス前の日本は円高だった。それを民主党政権無能さによるものだと糾弾する向きもあるが、当時言われていたもう一つの理由としては、また日本円が世界的にみて信用があるから高値で取引されているというものだった。

 今後は中国だけではなく、インドブラジルなどの新興国も台頭するだろう。その時に各国の投資家が日本国債を買う事はありえない話ではない。

 経済規模が世界有数ではなくなった日本がその際、国際的なマネーゲームに今よりも激しく巻き込まれ、大変な事になる事を想像する事は難くない。

 中国を完全な脅威として考えるべきかは今後の外交の展開次第だ。ただ、全面的・あるいは現代的な地域紛争まで至らなくても、悪意や恨みではないただの欲望が国の運命を左右する事がある事はきちんと考えるべきだろう。

 それはまだ見ぬインドブラジル投資家であっても同じことだ。


【3.借金の行方】

 話は一気に過去に飛んで恐縮なのだが、日本史をひも解いてみると、経済問題は政治体制や社会基盤に大きな影響をもたらしている。

 鎌倉幕府元寇のコストを払いきれずに徳政令(借金の無効化)を宣言し、民衆の不満をためこんだ末、北条政権の腐敗により倒された。

 江戸時代、借金にあえぐ米沢藩は金を貸した商人も士分に取り立て、支払う俸禄の増大や藩内の身分秩序の乱れに苦しんだ。

  薩摩藩は500万両の借金を無利子の250年賦とするという離れ業をし、琉球奄美から過酷な取り立てをし、一部の商人には黒砂糖や琉球口から輸入した中国の物品の専売などの特権を与えた*1

 江戸幕府は棄捐令と呼ばれる借金の帳消しや利息の放棄を三度行ったが、幕政の後期に集中しているのはやはりなかなか興味深い。

 今後の動向として気になるのは、日本政府が果たして国民に対して国債の元本や利息を保証できないデフォルト(債務不履行)の状態になるか、国債を買う富裕層や企業に特権を認めたり、はたまた外国の投資家国債を買うのと引き換えに国内で特権を認めたりと社会秩序の乱れが現れないか、という事だ。


【4.今後の対策】

 差し当たって私は経済専門家ではないのだが、対策として考えられるのは、今後の技術革新などに対応して稼ぐべき時に稼げるように人材や企業・研究機関の維持をしておくこと。

 国産品の使用率を上げること。

 最後に、福祉予算の負担軽減を目的にした少子化対策だろう。

 8割以上が高等教育(高校卒業後の専門学校、短大、大学など)を受ける時代である。

 今後のシュリンクしていく一方の日本で今までの教育水準が維持できるかは疑問なのだけど、今から対策をしたとして、彼ら彼女らが社会人になるまでの期間から25年計画を見積もり、増税はやむを得ないが、ゴールがある事をきちんと提示する事だ。

 一時的な不安の煽りから増税を行っても、将来のヴィジョンがなければ、人は社会や政府を信じられない。

 以前の自民党も、民主党も、今の自民党もそういう所が出来ていない。

 オリンピックだけが社会の希望だと考えるのは、いかにも貧しい視線だし、見識を欠いていると言わざるを得ないと思うのだが、いかがだろうか。

*1:なお、薩摩藩の借金については諸説ある。文政6年の段階で164万両だった借金が文政12年には500万両になっているのはそれまでの増大のペースからかけ離れているため、利息の変動を防ぎ、長期の返済とするためにあえて2倍以上の500万両として利息代わりにしたのではないかという説があるのだ。また、実際には250年間の支払いはなく、明治4年の廃藩置県を機に明治政府江戸幕府旗本だけに適用されていた棄捐令を拡大解釈し、薩摩藩時代の借金の返済を不要とした。

2013-11-08

最近見たアニメととある青年の事

| 00:22

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 最近とあるアニメの総集編を劇場版でやっていて、映画館に観に行った。

 本放送は観ていなかったのだけど、観ると登場人物の感情がすごい赤裸々でも綺麗で、画面につられてすごい泣きそうになった。

 善意や思いが人を傷つけたり、自分の弱さと向き合って吐き出して、前に進むために痛みと向き合う姿はかなり来るものがあったんですな。

 で、それとは別件で、昨年の春から秋にかけて2クールで放送されて放送時ヒットしていたとあるアニメを今やっと消化中であります。

 原作自体は10年くらい前の作品で、何回か読んでいたのだけど、まさかここまで面白かったとは! と途中でシリーズを追うのを止めた自分自身を悔やんだわけですが、ふととある事を思い出しました。

 そういえば、自分自身がこのシリーズや作者の作品を追うのをやめた後で出会った人物で、この作者の作品を好きな青年がいたな、と。

 彼自身は良く泣ける作品が好きだと言っていましたが、そうするとあのアニメも観ていたのかもしれない。

 青年は年下だったけど、まあこうして離れて数年たって彼の作品への趣味と同じ軌道に一時的に乗ったと考えると面白いし、今見ているのが彼の趣味ならばなかなかいい趣味をしていたんだな、と感じもした。

 趣味は良かった。しかし過去形と遠いフォーカスで語っている事からお察しいただけるかもしれないが、青年はとある問題となる行動を起こしてしまっているし、私ともボタンのかけ違いから今は友達ともいえない状態になっている事だ。

 喧嘩に関しては五十歩百歩だから私はとやかく言う権利を持っていないが、問題となった行動に関しては弁護が難しい事件となってしまっている。

 美味い飯だけを食べていれば人間全員が大成できるわけではないように、人間は趣味だけを極めてもうまく行かないらしい。

 少なくとも、最近私が心を動かされた二作品は、そこそこ成熟していないと楽しめない物だと思う。

 だけど、世の中にはあの青年以外にも、いい趣味をしているのに信じられないほど社会常識を欠いた人というのは何人もいるのだ。

 顧客や仕事にいたぶられるたびに仕事を辞めたいと思う事があるものだけど、ここで踏み止まっている事で彼らの事をそう考えられるのかもしれないし、彼ら・彼女らがいい趣味をすぐに持てたという“才能”も、歳月を重ねた人生の経験で追いつけるものなのかもしれない。

 金曜日の夜、仕事を終えた疲労と解放感にふとそんな事を思った――。

 まあ、もちろん今までの自分の趣味も悪い物だとは思っていないので、放棄するつもりはないです、念のため。

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