Hatena::ブログ(Diary)

潜む狸の日記

2014-08-17

坂本龍馬雑考

| 16:54

 少し前の放送になりますが、HDDにたまっていたので視聴してみました。

 坂本龍馬というと、知名度が高い半面、薩長同盟を斡旋した以外どうも大きな政治的なアクションはないような印象があるのですが、人気は高いものです。

 ヒストリアでも今年発見された坂本龍馬の手紙からその快男児ぶり、そして細やかな性格などを浮き彫りにしていました。

 政治的なヴィジョン、そして武道にも秀でた維新の志士は人気が高いものですが、坂本龍馬に関していえば、汚れ仕事をしていないからこそではないでしょうか。

 江戸城無血開城の後の維新立役者は、戊辰戦争で東北に恨まれ、またある者は政治闘争に敗れ不平士族の反乱を指揮します。

 西南戦争の後に大久保利通は暗殺されますし、伊藤博文ハルピンの駅で朝鮮併合の恨みを買い、暗殺されました。

 龍馬明治維新の光の面を背負い、負の部分を背負わずに幕末を駆け抜けていったからこそ、政治の左右を問わず多くの人の人気を今でも得続けているのではないかとふと思った次第です。

2014-08-12

senri_gusuku2014-08-12

宮城県白石蔵王紀行

| 22:49

【1.電網のつなぐ知識】

 娯楽の少ない宮崎に越してきてはや3年8ヶ月。

 慣れない家計の切り盛りに趣味に費やせるお金はカツカツになってしまい、気が付くと趣味はすっかりネットサーフィンになってしまった。

 救いともいえるのは、楽しみの中にWikipediaの確認があった事だ。雑学好きな私としてはネットサーフィンの中でもかなり有意義な時間を過ごすことができた。

 有名だが表舞台から名前を消した戦国武将の名前を調べると、意外な事に子孫が生き延びていたりして新たな発見がある。

 たとえば、戦国大名として名高い織田家は小牧・長久手の戦い以降は歴史の表舞台から名前が消えて、子孫がフィギュアスケート選手として急に現代に現れた印象があるが、本家が東北に小藩として根を張り、分家も存続していたのは意外な発見だった。滅亡したはずの小田原北条氏大阪狭山にやはり小藩として生きながらえていたのは、東京にいたときに何度か小田原城を訪れていたので嬉しかった。

 しかし、Wikipediaで何回も食い入るように読んだのは、日本史ファンに人気の高い真田信繁もまた血脈が存続していたという事実だった。

 信繁のエピソードが語られるとき、大阪で討ち死にし、嫡男の大助(幸昌)も落城とともに自害した事で幕を閉じるものだ。その後は秀頼を伴って鹿児島に落ち延び、鹿児島県の雪丸という地名は幸村が転じたものだとか、伝説の世界へ突入していくのである。十勇士など忍者を従えていた信繁らしいグランドフィナーレ。

 しかし、史実はこれを上回る展開を見せているからおもしろい。

 大阪城落城に際して、信繁は敵である伊達家の家臣である片倉小十郎景綱に次男の大八と三人の娘を託し、その血脈は現代まで続いていると言うのだ。

 その仙台真田家の伝来品が4月から8月末まで宮城県蔵王町で展示されているのだという。夏期休暇がとれた私はふるさと東京を中継地点にして、早速の東北旅行としゃれ込んだ。


【2.北へ。白石蔵王!】

 ひたすら眠い。

 郷里の東京郊外から、目的地の最寄り駅白石蔵王までは新幹線を使って2時間半。それから1時間に一本のバスに1時間揺られて合計4時間の旅路を経て、蔵王町文化ホール(ございんホール)に到着となる。

 余裕をもって旅先を見回るため、六時に起きたのはいいが、早朝からの移動はなかなか身に堪える。目が霞む中、大宮東北新幹線に乗り込んだ私は、福島で再度東北新幹線に乗り換えた。

 なぜやまびこからやまびこに乗り換えるのかというと、白石蔵王東北新幹線のために設置された駅だが、止まる新幹線がまばらだからだ。

 なるほど、駅から見える外の風景は住宅ばかりが広がり、馴染んだ西都城の駅前が少し綺麗になった程度だった。

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 とはいえ、駅の内装はさすがに綺麗なものだ。

 志布志線が廃線になったお陰で大きな待合室を閉鎖して持て余し、撤去されたキオスクの跡も寂しい西都城とはさすがに違う。

 バスに乗って在来線白石駅前を通った時、頭の中では完全に西都城と白石を比べる気分は失せていた(ただし、白石市の人口は6万2千人、都城市は17万近くいる)。

 バス会社は宮城交通のため、略称宮崎交通と同じく『宮交』の標識なのはおもしろい偶然だったが、東日本特有の山の形や木々の姿に南九州とは違った懐かしさを覚える。

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 川は大規模な護岸もされておらず、自然が豊かなため釣り人の姿も目立つのは、梅雨台風の大雨で水害との戦いを宿命づけられた南九州ではあまりお目にかかれない風景だ。

 宮崎との違いを感じているうちに1時間のバス旅は終わりを告げ、蔵王町文化ホールに私は到着した。

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 意外なほど綺麗な建物は、震災前の2010年からあったという。

 入り口にほど近いワンコーナーが目指す特別展の会場だ。はやる気持ちを抑えながら私は、コインロッカーに向かい、クリップボードをはじめとする筆記用具、そして秘密兵器を手に会場へ向かったのだった。


【3.対面! 本物。】

 会場に入ると、実際に真田信繁大阪冬の陣で着用していたという南蛮胴の甲冑が!

 ひとしきり眺めた後に、展示内容を見回してみると、意外と充実している事が分かった。展示品の点数は大きな博物館企画展に比べれば少ない。ただ、キャプションのパネルの充実はなかなかの物で、用意した秘密兵器が役に立ちそうだった。

 私は、アウトドア用の三脚の折りたたみ椅子を広げるとキャプションの書き写しを開始した。

 参考文献やインターネットを漁れば分かるような事が書かれているかもしれない。だが、白石蔵王は宮崎からあまりにも遠いのだ。そして企画展というのは限定の展示ゆえに埋もれていた資料や、その時の最新の研究が発表される事がある。なにより、知ったかをしているよりは謙虚に書き写している方が、見えてくる物の深みが違ってくる。

 信繁の子である大八がどのような生涯をたどったのかはwikipediaなどを検索していただくと詳しく載っているので、そちらに譲るとして、何点かおもしろいと思った点をピックアップしてみたい。

・成人した大八は真田守信は、のちに幕府をはばかり片倉守信を名乗った。真田家ははじめ藏米取りと言われる、藩から禄米を支給される形式での主従関係を結んでいたが、後に現在の蔵王町となる刈田郡矢附村、曲竹村など現宮城県南部と、現宮城県北部石巻市栗原郡など360石の所領を与えられた。仙台真田家は代々矢附村に在郷屋敷を構えた。

 江戸時代の武士は城下町へ移住して藩から禄米をもらってサラリーマン化し、土着性をはぎとられた印象を抱いていたのですが、薩摩藩の私領主や郷士以外にも、仙台藩に土着性を保持し続けた武士が江戸時代も存在していた事は私にとって目から鱗でした。

・所領が南北に分けられているのは伊達家中では一般的なことであり、これは片方の所領が不作でも、もう片方の所領で収穫を確保できるからである。

 風土の厳しい東北仙台藩ならではの知恵が見て取れます。ただし、薩摩藩が領内の有力な諸家に島津宗家から養子を送り込んだり、地頭制度を外城に土着した居地頭制度から城下町に住まわせる掛持地頭制度にしたように、所領を一カ所にまとめない事で支配下の武士の力を弱めようとした要素もあるかもしれません。このあたりは仙台藩の歴史をあまりにも知らないので邪推かもしれませんが。


【4.そして時は動き出す】

 さて、今回の展示ですが、後ろ半分は幕末に活躍した信繁の子孫喜平太にスポットを当てています。

 以下、また要約。

真田信繁から数えて10代の真田喜平太の時代に幕末を迎えた。

 喜平太は、当時最先端とされた西洋式砲術をきわめ、講武場で洋式砲術の師範役を務めた。彼の目には旧態然とした仙台藩体制改革の対象に映り、二十二箇条に及ぶ改革案を藩主に提案したが、守旧派の重臣に受け入れられず、給頭頭(下級藩士の部隊長)を免職になる。

 なおも建言をする喜平太は自らの意見が容れられないのならば、自分を使う意味がないので講武場の師範を免職にしてほしいと訴え、結果として免職になった。

 戊辰戦争で当初新政府側の先鋒になった仙台藩は、藩参政に喜平太を押し立てた。喜平太は、新政府軍司令の世良修造廃藩置県を提言し、また会津を短期間で降伏させて新政府での仙台藩の貢献を示すつもりだったが、世良は横暴がたたり暗殺され、東北諸藩は旧幕府側に傾いてしまう。打つ手がなくなったことを悟った喜平太は職を辞すが、旧幕府側に立つ仙台藩は彼の能力を必要としていた。戦局が不利になる中、藩主伊達慶邦公の要請により喜平太は再び戦場に赴き、先祖と同じ六連銭を掲げて幕末最後の戦いを駆け抜けていった。

 喜平太の孤立した姿を見るに、彼は遅く生まれた仙台吉田松陰か、はたまた仲間に恵まれなかった薩摩志士かと思います。

 もう少し周りに引き上げてくれる人や仲間がいればと思われてなりません。

 幕末が来て急に薩長土肥維新志士が誕生したわけではありません。薩摩藩調所広郷による財政改革があり、島津重豪、斉彬の蘭癖や琉球貿易などあらかじめ改革を受け入れる余地がありました。また、長州藩関ヶ原五大老家から防長二カ国の二十数万石に押し込められ(それでも、この石高より小さな大名は多数います)、江戸時代初期から徹底した文書主義による内政改革や村田清風による財政改革など、変化の中に身を置いてきました。

 そして薩摩家老小松立帯刀、長州には祐筆の添役である周布政之助など、藩主以外にも藩の実力に認められてこそ、藩の近代化が成し遂げられた事を忘れてはならないでしょう。

 旧体制の打破を叫ぶ幕末の志士を見ると江戸時代は価値のない時代のように見えますが、彼らもまた連綿と続く江戸時代遺産や経験、そして体制の上で明治維新を成し遂げた事は記憶にとどめてもいいでしょう。


【5.おしまいに】

 さて、折りたたみ三脚椅子を持ち込んでのメモ取りだったが、睡眠不足と意外な分量にこの日では終わらず、翌日のリターンマッチを経てやっとメモを取り終えたぞ。

 真田信繁という南九州に来る前からの関心で蔵王町を訪れたのに、江戸時代理解の仕方にすっかり南九州で身に付けた物の見方が根付いている事に自分でも驚いている。

 南九州へは完全に出稼ぎ気分だったけれど、意外と学問の分野でも考察力を身に付けられていたのはダメ学生だった私としては救われた気分である。

 これを機に大学院生への進学を……などと思わなくもないけれど、ここまで勉強できたのも社会人マネーがあればこそ。あまり余計な事は考えない方がいいだろう。

 仕事と趣味や学問と両立はなかなか難しいけれど、それでもかすかに得られた物を倍増させて進めるのはいいものだ。

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2014-08-09 ゼロ魔、アリア、機巧少女、竜騎士、剣舞…

メディアファクトリーのラノベでアニメ

| 23:20

今期のアニメで毎週楽しんでいる作品の一つが『精霊使いの剣舞』なわたくしですが、メディアファクトリーアニメ化されるライトノベルって一定の傾向がありますよね。

1.日本人の少年が主人公の異世界ファンタジー

2.主人公は何かを使役する魔法学園に転入

3.そこでヒロインに奴隷扱いされる

4.ヒロインの親族は大きな罪を犯しており、彼女はそれを挽回するために必死になっている

5.敵は仮面の男

6.EDテーマは出演ヒロインたちの合唱

私自身は、熱心なMF文庫ウォッチャーではないので、もっと重要な要素の見落としとかあるかもしれません。

ただ、レーベルのファンにはお約束となるMF文庫的黄金比を設ける事で、安心感ある作風の提供をする販売戦略なのかもしれないなあと感じたので、メモ書き代わりに残しておきます。

2014-07-27

senri_gusuku2014-07-27

荒瀬ダム、撤去中!

| 10:28

【1.九州公共事業

 公共事業というと、九州はどうも『失敗』のイメージが強く付きまといます。

 思い出したように話題になる長崎県諫早湾干拓工事もそうですが、宮崎県でも戦前大淀川に轟ダムを作ったのは良いものの、ダムのせいで洪水が頻発し、集落がまるまる一つ移転に追い込まれ、ダムもまた戦後移転した事がありました。

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 宮崎県のダムでのもう一つの失敗というと、杉安峡に作られた杉安ダムも忘れてはならないでしょう。

 宮崎市佐土原駅から古墳群で知られる西都市まではかつて妻線と呼ばれる鉄道が敷かれ、終着駅の杉安にある景勝の渓谷を観に多くの人々が訪れ、日向の嵐山と呼ばれる賑わいを誇っていました。しかし、杉安ダムができると渓谷も水没し、観光客の減少から妻線はついには廃線になったと言われています。熊本県を通るくま川鉄道湯前駅から妻線への路線も計画されていたらしいので、なかなか勿体ない話しではあります。

 もちろん、杉安ダムを巡るこうしたエピソードはある程度ノスタルジーは混じっているでしょう。妻線は西都からの材木の輸送も担っていましたので、昭和40年代以降の木材離れとモータリゼーションの流れや、鉄道廃線になってさびれた高千穂の町を思うと、ダムがなくてもさびれた可能性は十分に思い当たるものです。

 さて、そんな思いが渦巻く九州公共事業ですが、最近面白い話しを聞きました。

 熊本県八代市にある荒瀬ダムが撤去工事中だというのです。

 おりしもNHKの『新日本風土記』でその風景を見た俺は、南九州にいるならばぜひその現場を見たいと思い、N-ONEにまた一働きしてもらう事にしました。


【2.取り戻せ、エコドライブ!】

 さて、前回のエコドライブ日記のあと、ガソリンを満タンにした俺は、伸び悩む燃費計に頭を抱えていました。

 友人の空港へのお迎えや、遊びのためにエアコンを全開にして町乗りやアイドリングをしていたら、燃費計はなんとリッター12.4キロ! こんな成績のままでは恥ずかしくてe-燃費サイトへ投稿できません。

 誰かに気持ちよく乗ってもらってもいいスコアを出すのが真のエコドライバーですが、実際問題この数値のままではかなり気まずいものです。

 どれだけ取り返せるのかを裏テーマに、今回の旅行に挑みました。


【3.見たぞ、荒瀬ダム!】

 そんなわけで、車載温度計が38度の酷暑を示す中、エアコンはぎりぎり冷房が動作する31度(それ以上だとオートエアコンと言えど暖房に切り替わるようで熱風を吹き出しました)でちょこちょこスイッチを切りながら霧島の麓をパスして九州脊梁山地へ突入。気温が下がって来たので車載温度計から1度マイナスした程度のエアコンをつけたり消したりしながら、しばらくぶりに八代に行きました。

 高速を降りて、球磨川沿いの道を遡っていくと、待望の荒瀬ダム撤去など、工事を歓迎している様子が見受けられました。

 大がかりな工事だと大体賛成派と反対派が交互にスローガンを掲げているような印象があるものなので、安心してダム撤去の現場を見る事が出来るという物です。

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 今か今かと待ちかまえながらうねる山道を流していくと、坂本物産館を越えた辺りで唐突にダムが現れます。

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 夏場はアユに配慮して工事は中断しているとの事でしたが、思ったよりもまだ全体が残っています。

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 それから、意外と小さい。偏見かもしれませんが、ダムというと谷の中の村落一つまるまる水没させるような規模の物を想像していたのですが、護岸工事した河川敷を水没させる程度の規模だったようです。

 ただ、これだけでも遡上する魚にとっては大変なもので、流域の人たちは遡上するアユを捕まえては上流に放流して球磨川の生態系を守ってきたのです。

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 放出される水の流れはかなり激しく、今はコンクリートの段差にすぎなくても、遊泳力の劣るウナギは多分遡上できないでしょう。今時点でもイールラダー(ウナギが越えられない段差を工事でつけてしまった場合、段差をウナギが越えられるように緩やかな角度の樋やパイプを通してウナギの遡上を助けます)の設置はしてもいいと感じられました。

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 少々ピンボケしていますが、堰で水没していた川原です。今の流れよりも陸地寄りの部分はダム時代に堆積した泥や砂のせいか、石の粒が見えませんね。

 自ら作り上げ、発電に使ってきたダムを壊すのは胸に一抹の寂しさがよぎりますが、人が自らの過ちに気付き、積み重ねて来たものを敢えて壊す勇気を感じました。

 ただ、八ッ場ダムみたいな無駄なダムも相変わらず建設中なのは虚しくなります。

 国内をいくら工事して国土を『強靭化』しようとも、日本企業人件費の安いタイに工場を作り、治水のなっていない国での洪水に苦しめられます。

 公共事業をペイできるようにするには、国内産業を空洞化させずに守っていかなければなりません。

 血税を注ぎ、自然を破壊して作ったダムはそれだけの価値を生み出しているのか、土建屋への利権だけではなく、地元や国民全体の利益や幸せをきちんと生み出せているのか広い視野に立って行政ができれば、この国はより良くなるのにと思いました。


【4.おしまいに】

 遠いと思っていた荒瀬ダムも意外とN-ONEで早く辿り着けて日帰りできたのは意外な発見でした。

 しかし、前回の八代訪問は博物館企画展目当て、今回はダムだけ目当てなので、城下町を堪能できていないのが惜しまれます。

 今度行く時は泊まりでゆったりと楽しみたいものです。

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 さて、帰り道は霧島サービスエリアを抜けた辺りの下り坂でN-ONEのN/A(ターボなし)モデルに追い抜かれたりしてエコドライブを実感しましたが、結果は表示リッター19.7キロ、実測19.04キロでした。

 e燃費だと端数の切り捨て方から19.01と表示されていますが、7月の俺の平均値がちょうどこの数値だったので、偏差値は上りも下がりもしませんでした。

 とりあえず昔に比べれば数値は良くなっているなあと思う反面、過去のとりとめなく撮った写真たちを見ると、冬場はリッター20キロ台の表示がごろごろとあるではありませんか……。

 今度の週末は宮崎県内でも秘境とのほまれ(?)も高い椎葉村までドライブする予定です。

 登り坂で燃費が落ちるか、はたまた人気のない道と涼しい山の中ゆえに燃費は上がるか。

 目当ての物も楽しみですが、行く道筋そのものが楽しみなのはなかなかの幸せであります。

2014-07-26 再会、ボンベよ…

senri_gusuku2014-07-26

極冷ボンベ 2014年夏

| 15:04

【1.皆様のおかげです】

 ブログアクセス解析なんぞしてみると、意外な物にヒットする事が分かってきます。

 人気な記事はやはりJP1がらみ、LPICやMCp、CompTIAなどの資格関連で良くヒットしているようですね。

 意外な物としては、最近頑張りだした自動車関連の記事で、コーティングキーワードで訪れる方の多い事。

 労力やお金がかかる事は、やっぱり皆知っておいたり元気づけられたいものですよね。

 しかし、最近のアクセス解析で最も意外だったのは『極冷ボンベ*1』でした。


【2.再会のボンベ】

 極冷ボンベの記事を書いたのはずいぶん前で、2010年の8月8日でした。

 調べてみると、どうもあれから毎年夏は限定品としてファミリーマートで販売されているらしい。

 宮崎でも飲めるのかと二軒梯子してみるとありましたありました。

 そんなわけで、昔懐かしい極冷ボンベとの対面となりました。

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 シルバーグレイのいかにもボンベという外観、霜が降ったような演出

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 注目すべきは、左側のメーターが100を振り切って針が折れている事でしょうか。

 よそさまの去年のブログを見たところ、去年はまだメーターは100に届いていないようでしたので、満を持して送り込んだ決定版と考えるべきなのでしょうか?

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 グラスに注いでみると、色は淡い水色。2010年の濃い色合いはありませんんでした。

 味わいはラムネ味。味覚までは詳細に覚えていませんが、あまり変わっていないとおもいます。


【3.ボンベはいいものだ】

 メカ好きとしてはやはり武骨なボトルというのは訴求力が強く、味わい以上にこのパッケージングや演出が気に入ってしまっているようです。

 自分でもアホだとは思うのですが、最近鹿児島の尚古集成館の別館で似たようなものを見かけました。

 薩摩藩第11代当主島津斉彬は開明的な藩主として知られていますが、彼は最新式のボンベカノン砲(ベキサンス砲)に憧れて、自ら湯飲み茶わんを作る時、それを模した形にしてボンベンと銘打ったのだとか。

 この場合のボンベは爆弾を意味するbombオランダ語読みした物だと思われ、ボンベカノン砲はすなわちただの鉄球ではなく、中に火薬を詰めた破裂弾(現代の榴弾に相当)を撃ち出せる当時の最新式の大砲でした。

 好きな物を食べ物や器に活かすのは、ザクとうふキャラ弁マミさんケーキを食べる現代の我々と感覚的にはひじょうに近い物を感じます。

 遊び心というのも何かを成し遂げるのには必要だし、こうした茶目っ気のある方に見いだされた篤姫西郷隆盛はいい上司に恵まれたと思いました。

*1:「ごくれい」ではなく、「ごくひえ」と読むようです。