バンダイチャンネルをテレビの大画面で!


アニメを見たい。

それも今放送中のやつじゃなくて。
少し前に見たかったやつ。
前に見たけど、見直したいやつ。
物心つく前の放送で見れなかったやつ。

こういう時、人はレンタルビデオ屋に走るもの。けれど、近所のビデオ屋の品揃えがよろしくなかったり、運良く在庫があっても借りられている事の多いこと。
ますます作品への思いが深くなっていくのは良いけれど、目的を遂げられないんですな。

地方ではレンタルショップは遠いし、1軒1軒が離れているから行脚も骨だ。
ますます焦がれる思いは強くなり、IT業界に身を置きながらアナログ好きだった私は、ひとつの決断をした。

HDMIケーブルをAmazonで注文したのである。

HDMIとは、映像の出力端子の規格だ。PCにも、液晶テレビにもあるのが味噌。二つの機械を繋ぐとあら不思議、ノートPCがテレビを外部モニタとして使用できるばかりか、音響もテレビ側から出せるんですな。

こうするとホラ、目の前にマウスとキーボードがなく、ネットサーフィンをせずに動画だけ楽しめる環境の出来上がり。
15.6インチのノートPCよりも大きい19インチの大画面だ! 19インチが大画面というと失笑を買いそうだけど、しかしノートPCよりも格段に画面も発色も優れている。

アナログな環境を復活させるために敢えてテクノロジーに頼る妙な努力。

そんなわけで、今はバンダイチャンネルで心置きなく見たいアニメを楽しんでいます。
うーん、こりゃ都内でレンタルショップを行脚していた6年前よりも遥かに便利だ。
技術の進歩と少しの工夫で地方の不便さもずいぶん変わるものだなあ、と密かに達成感を感じながらアニメを見るのでした。
最後に、今回のHDMIケーブル、Amazonから届いた時、映画とのタイアップで妖怪ウォッチの段ボールに入っていた事を付記しておきます。
これまたびっくりだニャン!

地方で読書するなら、電子ペーパー端末!


【1.思い出のfool for the city】
宮崎に来てから5年程度たつ。
事ある毎に頭に浮かぶ問いかけは、宮崎は楽しいのか、という物だ。

南九州というくくりで見れば、楽しい。
無料で開催される歴史講座に、豊富な文化財、豊かな自然。

ただ、生まれ育ってきた環境とはいささか異なるのは事実だ。
悔しいが、それがたまに気になる。

例えば、古本屋だ。
私の出身である東京の自治体とその周辺には中高一貫校や大学が何校もあった。
このため、周辺の古本屋事情は驚くほど豊かで、雑誌や新書、学術文庫など安価な教養を提供してくれる場が沢山あったのだ。

そりゃあ宮崎市にもBook-offはある。
ただ、それは余りにも小さいし、1軒1軒が離れている上、あまり大きくないから梯子するのは自動車でも面倒くさい。
電車やバスでの通勤・通学の人も少ないから、新書や、出版されて間もないライトノベルとか海外SFとかもあまりない。
じゃあ新刊でと言われると、この県内、書店は面積に比べて棚が低く、間も開いていて意外と在庫がないんですな。

欲しい物が欲しい時に手に入らないし、おまけに目と手にする機会も少ないから、感覚も鈍っていく。
こればかりは仕方がないし、地元の新古書店たちもゼロ年代後半に閉店していったからない物ねだりと言われればそれまでだ。
しかし、このまま宮崎で中途半端なマイルドヤンキーとして埋もれていいのかという問いかけは、常に自分に付きまとっている。


【2.抗いの電子書籍
頭を抱える私は、ひとつの決断をした。
電子書籍を買おう。
電子書籍は新刊でも紙の本よりも安いし、ダウンロード販売だから注文してから待ったり、運送業者とタイミングを合わせたりする必要はない。
欲しい物を欲しい時に、しかも安く手に入れられる。
出版レーベルによっては、本を重版しないで古い本は電子化だけしているところもある。
ネックとしては、端末の問題だ。スマホタブレットの液晶だと目が疲れるし、インターネットが出来る環境では読書に集中もできない。
結論、電子ペーパーの専用端末が必要だ。
Lideoや楽天koboなど候補は幾つかあったが、欲しい本を何冊か検索して最終的にAmazon Kindleに落ち着いた。
外国のAmazon電子書籍のパイプラインを一任する事になるのは面白くない。しかし、読みたい物を我慢しないという目的のためにはやむを得ない選択肢である。
ちょうどKindle2000円オフのキャンペーンもやっていたので、さっそく注文してみたぞ。


【3.到着! Kindle
そんなわけでついに買いましたAmazonKindle。

本体は意外なほど軽く、スマホみたいな持ち方もしないから、読んでいて手が疲れない。目への負担も通常の液晶よりもはるかに少なく、寝しなに読むとしっかり眠くなるぞ。
さすがにスマホのようにぬるぬるとした動きはできないけれど、今のところは文字データだけだから、そんなに画面を動かす必要はないので気にならない。
あと、楽天koboだとページをめくるたびに画面が白黒反転したけれど、文章だけ読む分には、スムーズに画面が切り替わる。書店の店頭でkoboを試した時にはがっかりしたので、これは嬉しいサプライズだ。


【4.Kindleライフのこれから】
さて、それで電子書籍ライフを浴びるように楽しんでいます、めでたしめでたしと言えればいいのだけど、今月は帰郷とスマホの買い替えときてKindle端末の購入と出費が相次いだので、購入は2冊に留まり、あとは立ち読み用の冒頭部分だけ無料DLした書籍ばかりになる。
ただ、宮崎だから読書ができないという事もなくなったし、何かを読みたい時にコンビニの週刊誌で外れの週でも買ってしまうような事はなくなった。
本を買うにもスペースを気にしなくていいのはありがたい。

ただ、買い過ぎた時に古本屋に売って小遣いを稼いだりする事はできなくなったのは事実。
少し財布のひもを締めて行きたいものだ。

スマホ機種と言えば国産、国産と言えば……シャープ!?


【1.機種変の11月】
 スマホが世の中に出回るようになってから、機種変には2年しばりが〜というため息をよく聞くようになっている。
 私自身はあんなに高い機械を2年もしない内に買い換えたい気にはならず、3年目を迎えていたけれど、ふと時代に取り残されたような気分になって、突如機種変を決意した。


【2.それまでのスマホ
 今まで使っていたのは、シャープのSHL21という機種で、ちょうど3年前の2012年の11月に機種変したものだ。
 auスマートバリューと呼ばれるauのインターネット回線とセットで契約すると月々の通信料で割引を受けられるシステムが、auよりも格安の地元のケーブルテレビ局の回線で受けられることもあり、IT業界人としてはやっと重い腰を上げてスマホにしたわけだ。
 この頃か少し前くらいからシャープの経営はかなりまずくなっており、何とか助けたいと思っていた事もあるわけだが――まあ、結果としては3年たった今はさらにまずい情況になっているのはここで改めて言うまでもないことか。


【3.いざ、機種選定】
 さて、3年も経つと世の中は変わる。変わるのだが――ROMやRAMの容量に関して言えば、スマホはあまり劇的に進化していない。
 メモリはだいたい2GBで、3GBあるのは一部のハイエンド機種。ROMも32GBあればハイエンドで、16GBがエコノミー機種。
 今回機種変したい理由の一つは、2GBのメモリ容量ではかなり動作が重いので、3GBのメモリを使いたいからだ。
 こうなると、auAndroid端末だとソニーXperiaか、サムスンのGalaxy、LG電子のIsai、そしてシャープのSHL32に絞られてくる。
 スマホに関しては残念ながら日本よりも韓国の方が色々と新機軸を打ち出す元気があるのは事実だ。GalaxyEdgeの縁を曲面にしてアイコンを集中させる、ツールバーをハードウェアのデザインに組み込むデザインとか。外装をスクラッチリカバリにしたり、画面を曲面にしてフットプリントを変えずに画面のサイズを増やすIsaiとか。
 まあ、GalayEdgeは、続く端末では両端が曲面になったけどアイコンの集中はなくなったし、Isaiも斬新さはなくなり、ふつうのスマホになっていった様には見受けられる。
 こうして見ると、日本のスマホななかなか特徴が見出しづらい。国際市場であまりシェアが取れないから冒険するような余裕がないのかもしれないし、島国ならではの日本人の特徴かもしれない。
 さて、翻って私は日本人である。とりあえず、安くない買い物の結果は、自分の社会を良くするために使いたいし、あまり冒険的な物を買って向こう3年くらい不便な思いをしても困る。よって、選択肢はやはり国産スマホになる。まあ、この文脈だと韓国製だから買わないんだろうと思われそうだけど、仮にGalaxyやIsaiがカナダやフィンランド製でも同じ選択をしたはずだ。


【4.どっちにするの?】
 Xperiaか、AQUOS Phoneか。
 一般的には前者を選ぶ人が多いと思う。何しろスペックは高いからガジェット好きには評価が高いし、SMEアニプレックスのグループ企業だからアニメにも良く出てくるのでファングッズとしても抜群。
 ただ、私はひねくれ者であり、少し変わった選択肢を取りたくなる。加えて、AQUOS Phoneの方がXperiaより安い上、同じSnapDragon 810(MSM8994)ことスナドラCPUでもデチューンしてあるから、発熱問題も回避できる。液晶はIGZOなので、ここからもバッテリーの持ちはある程度期待できるだろう。
 身の丈を意識しながらも割のいい買い物になるはずだ。
 ま、こういう幼なじみとお嬢様を天秤に掛けてヒロインを決めるギャルゲーみたいな事ができるのは、現実には買い物くらいだ。だから楽しい。
 結果、AquosPhone SERIE SHV32がこの11月からの新しい相棒になった。

リュックサッカー〜人としてあるべき姿、豚としてあらがう姿〜

【1.リュックサック万歳】
 最近の流行は、A4どころかB5の紙すらもまともに入らないボディバッグ。
 そりゃあ持ち歩く物が大型化し、スマホの充電器やタブレットまで加わるのだからダメだと思う。やっぱりリュックサックの出番だ。

 なにより身体に密着できるから通勤ラッシュではぐれないし、前に回せばリュックが確保してくれた自分のスペースで本を広げる事が出来る。
 両手が空けば片手で吊り革を握り、もう片方の手はご自由にスマホも本でもなんでもござれだ。
 リュックサック・イズ・ビューティフル!


【2.中見るの? え? え?】
 まあ、おいらもリュックサックの中に何が入っているのか聞かれる事はある。自転車通勤の今は読む本もなく、折り畳み傘と1〜2リットルのペットボトル、そして弁当箱だ。数は少ないが意外とスペースと重量を取るので肩掛けの鞄でなくて助かっている。

 そんなリュックサッカーライフを送っておりましたが、この記事でびっくりしたのは、他人のリュックの中身をぶちまけてネット上で公開した事ですな。
 いや、たしかに無駄があるとは思った。ノートPCがタブレットだったら手帳も書籍やマンガもいらないかもしれない。加えて仕事の書類と、フリーペーパーや謎の紙まで一緒なのは文書管理能力に不安がある。著者の言いたいことは、よく分かる。
 ただ、何が良くないって水商売の女が見たって事だ。多分おだてたり、周りを盛り上げるためにノセて御開帳させたのだろう。
 そうでなければ、いつ入れたか分からない紙切れや、まして社外秘にもなるような仕事の書類を出したりすまい。
 百歩譲って、見たのは良い。千歩譲って犠牲者の名前や特徴をリュックサック以外さらさなかった事を誉めてやってもいい。ただ、本人や読者に有益なアドバイスはしてやれなかったのか。それでドキュメント管理がデキる男に変わったならばめでたしめでたしじゃないか。
 読んでいて不愉快なのは、こうして彼の弱点を全世界に配信し、笑い者にした事だ。多分女子会のネタにして自分たちの女子力の高さをなんとなく誇ってそれで終わりにした事ですな。


【3.イケてるリュックw】
 リュックサッカーの男子の怒りを買ったかもしれないと書いた著者は、イケてるリュックとしてハードシェルのリュックを挙げている。
 そうだねシェルが固いと繊維がほつれないしね。光沢のある仕上げとかは確かに素敵だ。

 でも、硬いリュックは通勤ラッシュでぶつかると迷惑になるという原則を考えて欲しい。仕事の書類をリュックに入れた彼らは、業後の息抜きに水商売の店に行ってひと時疲れをいやすのではないのか。
 イケてないリュックサッカー――わしのようなぶにせ(薩摩弁でキモメンの意味)――が良くて金づるや単なる自分の食糧――薩摩黒豚や観音池ポークとかMの国黒豚(本当にそんなブランド豚が宮崎県に存在する。宮崎と都城ダブルミーニングだろうな。BHYYYYY)――に見えたとしても、それを品評して断じるだけのコラムはいただけない。


【4.人としてあるべき姿、豚としてあらがう姿】
 整理整頓をした方が毎日疲れないし、仕事も捗って楽しいよ! みたいな普通の事がなぜ言えないのか。
 ダサいとかモテるとかそんなことじゃなくてさ、リュックサッカーが心配性に見えるならば心配を取り除くことを一緒に考えるのが人としてのあるべき姿じゃないか。
 衣食足りて礼節足るという言葉がある。
 心配事が減ってダサイのダサくないのを人は考えられる。

 翻って、著者が思いやりがないのも、衣食が足りないからかもしれない。
 水商売でも一流の方は、祇園の芸妓のようにきちんと人に教訓を与えてくれるものだ。

 ネタにされたA氏が心配だ。彼はいつまでこんなフィールドに居るつもりだろう。
 人は人の間で生きる以上、社会とつながらざるを得ない。凡人は常にキョロ充を目指して頑張るしかない。
 だからこそ、せめてキョロ充をして得る物が社会とのつながりや給料や慰めだけではなく、自分自身の技芸を磨くものでなければならない。
 そうでない世界や人々には、ためらいもなく手を振って後にしたい物だ。

プリウスは「良い車」ではないのか

【1.はじめに】
 さて、私はホンダ党である。
 けれど、プリウスが悪い車と言われるとそうとは思えないのだ。
 まずは3ナンバー。最近は5ナンバーとの維持費差はそんなにないと言われている。けれど、3ナンバーのボディに裏打ちされるサイズは自動車重量税に跳ね返るし、1800Cの排気量は自動車税にかかってくるものだ。結論、燃費でEco(logyかnomyはさておき)と言われるが、やはりある程度お金があってのプリウスだ。だからアクアが一番売れる。

 加えて、あの空力に優れたボディ。リアのクーペ風のなだらかなラインは、スピーディなイメージを受ける。二代目プリウスは全体的に丸みが強くて垢抜けないけど、二代目インサイトと三代目プリウス幾何学と流線型をミックスしたデザインは何度見てもいい。ちなみにあのリアのデザインは初代インサイトの方が二代目プリウスに先んじて採用したものだという事は言っておいても罰は当たるまい。

 そしてどうにも解せないのは、こうした見栄っ張りな女性が大好きだろうハリウッドのスターたちだってプリウスを愛用している事だ。ディカプリオとか。


【2.ここではないどこか〜より良きものを求めて】
 もっと良い車って何なのか。

 第一の可能性として、もっと高額な自動車に乗れと言っている可能性がある。
 ただ、大学生にレクサスやベンツ、BMWアウディはや二次元で留めてほしい。自費で車を買える学生はなかなかいない。
 多くの大学生が乗る車は、親の金で買ったか、親の車そのものだろう。ここで文句を言う彼女は、財産目当ての付き合いかと勘繰りたくなるものだ。

 第二の可能性は、良い車のイメージや目標もなく、巷に溢れているからというのがプリウスを忌避する理由かもしれない。
 やっぱりこの『彼女』は、仕事のストレスで禿げたり、デスクワークや飲み会でお腹が出て来たお父さんのパンツと私のパンツを一緒に洗わないでとか言ったりするんじゃないか。
 自分を育てるのにどれだけの苦労やコストが掛かっているのか想像できずに。
 可愛い女の子たちは時として残酷だ。広瀬すずが『どうして生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう』と言ったように、自分たちを支えてくれる人たちや、人並みに生きるために皆どれだけ頑張っているのかを知らない。
 ま、この場合は得体のしれない中古セダンをシャコタンしてピカピカのアルミホイール、そして法令違反の鬼キャンを付けた『非凡な』DQNと付き合って満足するんじゃないか。そしてそれから後悔するか、実家にお小遣いを無心し続けるのだろう。
 上昇意欲は大切だが、身に余る自己イメージは身を滅ぼす。足るを知らなければ今のギリシャのような財政破綻が待っているのではないか。

 第三に、『彼女』がネット中毒の可能性がある。Twitterの「今日のプリウス」とか2ちゃんでのプリウス叩きに毒されているのかもしれない。
 IDを見る限りだと、『彼女』の発言がアンチプリウスなだけなので、表題みたいな服や部屋まで示しているのかは今一分からないからだ。

 最後に、あまり考えたくない事だけど、『彼女』はプリウスを生理的にかっこいいと考えていないのではないか。
 今までだってかっこ悪いって話しだけど、そうじゃない。事前情報や文化的な背景のない、メカデザインに対する生理的な印象の話だ。


【3.対決! 大二病とプリウス!!】
 私がプリウスのデザインをかっこよく感じるのは、エアロボディだ。空気の抵抗をスムーズに流す流線型。ほかの乗り物で言うと新幹線が一番デザイン的な思想が近い。ただ、流れに逆らわない受け身なデザインはオタク的に見えるのだろう。
 例えばスバルみたいにボンネットにも吸気口があったり、エスクァイアみたいにもっとグリルが輝く貪欲なデザインとか、ワイルドなSUVに乗る男性を求めているのかもしれない。大二病で恋愛脳の女子は。


【4.ここにあるかなにか〜未来は救われるのか】
 差し当たっては第三のパターンの『彼女』ならまだオタク的だ。プリウスが嫌なだけで、インサイトやグレイスハイブリッドの出番になればホンダ党としては嬉しい。
 ただ、ネット中毒ならばFIT3のリコールとかタカタ問題とか突っ込んできそうではある。
 その場合は新型デミオを推して5ナンバーの維持費と取り回し、そしてSkyActiveエンジンのもたらすロングドライブの燃費の良さで割と幸せな気分になれるだろう。

 それ以外の1、2、4のパターンの彼女の場合は、今後のライフステージ次第かなあ。
 社会人になって経済観念を身に付けるか(それが成長でなくてただの変化のレベルならば付き合う男は苦労する)、それでも親から小遣いをもってセレブ指向を強めるのか。専業主婦の家計費をママ友とのお茶代に沢山費やすか、パート代から家計費を出さないのかもしれない。
 そしていつの間にかプリウスはミニバンに取り替えられているだろう。
 この『彼女』との未来は余り平坦とはいえそうにない。

 プリウスハイブリッドカーデファクトスタンダードとして街の風景に溶け込んだ。
 そのおかげで、様々な人生の縮図が見えてくる。
 差し当たっての人生は、いかに金を稼ぎ、その中で最適解を探る事だと思う。ギリシャの借金問題や、この国の国債や抜本的な対策がない年金問題を見るにつけ、強く思う。
 地球の事を考える自動車は、人間の営みについて教えてくれるものであるなあ。

SERIEが遅い〜SHL21の限界

【1.三年前から現代人】
 AndoroidスマホのSHL21を使うようになり、気付くと2年と8か月くらいの期間が経過していた。
 最初は流行りのLINEもできる! イロイロな情報にすぐアクセスできる! とヒャッハーな感じで、家計簿アプリも使って高い通信費に対抗するように財政を引き締めていた。
 課金サービスもGPSも使わず、ひたすら慎ましく節制をしてきた、つもりだった。が、気が付くと2年目になろうかという昨年10月から急に動作が重くなり、そこから長い戦いが始まった。


【2.メモリとの戦い】
 まずはメモリ占有率。
 これは様々なアプリがあるけれど、スマホ内部を漁っていると、ウィルスバスターモバイルでバッテリーやメモリの最適化ができると分かった。
 見ると、プレインストールされている使わないアプリがちょこちょことメモリを食っていたので、「設定」⇒「アプリ」画面でデータ削除と無効化の作業をしてみた。
 PCだったら管理者権限で一気にアンインストールできる(root化って奴ですな)ものだけど、スマホのアプリが個別でどんな動きをするかもわからないし、いつ落すリスクがあるとも言えないのでそれはさすがにしたくなかったのだ。まあ、ついでに言うとroot化して戻す作業で失敗して何かあっても嫌だったというのもある。

 これでフリーズは多少改善された……はずだった。
 喜んでネットサーフィンをしたり、無料アプリの恩恵にあずかっていると思いもよらぬ事態が発生した。


【3.ストレージさんも参戦!】
 今度はストレージの容量が足りないというのだ。
 んな馬鹿な。
 今となってはそんなに大容量ではないかもしれないが、買った時は大枚をはたいて32GBのSDカード(これを大枚と表現するわたくしのお財布事情を察していただけると大変助かる)を使っているのだ。
 スマホをUSB接続してSDカードのプロパティをPCで見ても容量は半分も使っていない。いぶかしみながらまた「設定」の「アプリ」画面を見てみるとよからぬことが発生していた。
 SDカード側にアプリをインストールするようにしたのは容量問題が発覚する前だったのだが、既存のアプリが度重なるアップデートや、家計簿ソフトか何かで容量を食っていたのだ。また、移せる物をSDカードに移して、アプリのインストール先をSDカードにしてもどうもいけない。これ以上インストールできなくなった。
 しかし、本体のROM容量16GBのうち、4GB程度しかアプリって使えないんだね。

 唸りながら、しかし新しいスマホにホイホイ買い替える程のお金はない。
 第一、ROM16GBって当時('14年秋)も、現在('15年初夏)も、ハイスペックではない安めのスマホの容量だ。
 しかも、メモリ。2GBのメモリでこんな有様だから、少なくとも3GBの機種は欲しい。結論、やはり買い換えるならばハイスペックスマホ
 使い方が悪いのかもしれないけれど、悲しいかなそれはある程度見直す機会があった。この晩春、スマホが勝手に再起動してついには電源が入らない悲劇から、サポートプランで機種はそのままに本体を一度取り替えているんだな。
 一度リセットをかけたような状態で、初めからいらないアプリを削り、家計簿アプリはローカル保存ではなくクラウド化し……それでもほっとくとメモリの使用率は89%に到達する。


【4.スマホとの距離】
 結局、今に至るまでうまい解決方法は見つかっていない。
 強いて言えば、買ってからずぶずぶスマホ泥沼にはまっていったので、使うのを自粛するくらいだ。
 まあ、それもいい。
 家には未読本やプラモがだいぶ積みあがってきた。
 消化しながら、いらない物はBoook-OFFに持って行こう。まあ、買取の待ち時間で目にする物は結局スマホになるのだけど。

宝暦治水の日向松

 江戸時代の宝暦4年から5年(1754〜1755)、薩摩藩江戸幕府の命令で濃尾平野を流れる木曽川長良川揖斐川木曽三川の分流工事を行いました。

 工事中に多くの薩摩藩士が自害、病死をし、総指揮を執った家老の平田靭負も自害をし、薩摩藩はその後工事費用の返済のため領内に重税を課すことになった工事でもあります。

 この工事で設けられた分流提に松が植えられ、千本松原と呼ばれています。
 ただ、この松が不思議な事に『日向松』と呼ばれているのでありました。

 昨年くらいに鹿児島県歴史資料センター黎明館で宝暦治水について学んだ時、不思議に思ったものでした。宝暦治水に動員された人々の中には、薩摩・大隅の武士だけではなく都城盆地宮崎市高岡町の外城士や私領の家中士がいたのではないか。
 当時の薩摩藩領を考えると不思議ではない話です。

 最近手にした古写真のパンフレットで気になる物がありました。
都城・小林・えびのの昭和」と題された戦前や昭和のモノクロ写真を中心とした本の広告なのですが、以下は昭和13年の写真のキャプションです。

宮崎県日向地方で伐採されるアカマツは、「霧島松」とも呼ばれ、床柱や造作材、将棋盤などに用いられた。写真は、伐採した日向産の松の丸太(長さ約7メートル、直径約1メートル)を高原駅前へ運ぶトロッコ

 
 材木店のページを見ると、霧島松は日向松とも呼ばれているらしいのです。
ウッドショップ 関口

 ただし、宮崎県日向地方という記述がどうも引っかかるものです。
 日向というのは宮崎の旧国名でもありますが、現在は県北に市町村合併で出来た日向市がありますので、県北部を指していると思われます。

 別の材木店のページでは、霧島あか松と日向松は別だと表記されています。
森のかけら

 混同されるケースもあるようですが、その場合でも日向松のグループの中で霧島あか松・霧島松は分けて考えてもいいでしょう。
 だとすると、薩摩藩士にちなんだ松なのに千本松原で霧島松と呼ばれないのはなぜなのか、疑問が残ります。
 そんな中で検索を進めていくと、次のページにヒットしました。
千本松原〜日向松の由来

薩摩藩士たちが、油島の背割堤に植えた松は、日向松(ひゅうがまつ)でした。日向松は文字通り、宮崎県産の松です。 1,000km 以上隔てた岐阜と南九州を行き来するには当時の交通手段では、片道25日間、往復50日ぐらいの日時を要したと思われます。
 
松苗なら美濃地方でも調達できたはずなのに、資金が底を突き一両の余裕も無かった中で、わざわざ駄賃を使って何ゆえ遠方から松の苗を運んだのか。小説『霧の木曽三川淵』の著者・瀬戸口良弘氏は、幕府の役人が『薩摩より松苗を持参致して植林を致せ』と下命したのに違いないと推測しています。そして、なぜ日向松なのか?
 
美濃から薩摩に行くには、陸路を徒歩で関ヶ原〜滋賀〜京都を経て大阪に行き、大阪からは船(帆船)で細島港(現在の宮崎県日向市)着、細島から再び陸路を徒歩で、西都〜都城〜国分〜鹿児島着の道順がありました。
 
瀬戸口氏は、以下のように推測します。松苗を採取しに国許に向った小奉行ら一行は、大阪から細島港に到着すると、佐土原藩(現宮崎市)国家老の屋敷に宿泊することになり、思い切って松苗のことを相談しました。
 
島津藩とは親戚筋に当る佐土原藩は、今回の美濃の治水工事の下命を気の毒に思っている矢先でもありました。すでに時間的余裕はない、しかも資金も底を突いている状況を察した佐土原藩国家老は、佐土原藩士に命じて細島港までの道中の道端に自生している山苗を採取させ、細島港より桑名城下の『七里の渡』に直接積で運ばせたというのです。薩摩藩士たちは、届いた松をホロホロと泣きながら植林しました。


 推測とされていますが、佐土原藩士が採取した松苗だったとされています。佐土原―細島間に自生していた松は霧島松・霧島あか松ではなく、日向松でしょう。
 日向の薩摩藩士が参加していたかどうかは分かりませんが、日向松について少し謎が解けてすっきりしました。