21話「みえないかべ」
脚本:堺三保/絵コンテ:後信治/演出:鈴木利正

コズミックフラクチャー(宇宙の裂け目)対策を大人がする話。
と、志麻&光太の仲違いを何とかしようと周りが頑張る話。

コズミックフラクチャーに対する作戦は風祭父を中心に、徐々にまとまりつつある。作戦にインフィーを使用することになったが、パイロットの一人は光太、パートナーは志麻を任命することになった。
一方その頃、そんな宇宙の危機とは関係なく、ケンカ中の志麻と光太。仲直りさせるため、あれこれ策を労するクラスメイトたちだが、なかなか旨くいかない。
だが、それでも時間は過ぎる。
ステルヴィアのスタッフは、志麻と光太の二人に任務を伝えるのだった。


そんな話。
前回よりは話が動いた。
ただ、コズミックフラクチャー対策話は学園話にほとんど絡まないくせにクドイように思えた。
もう少し短くして学園話を長くしたほうがワシ的には良かったと思う。
今回の脚本はSF設定の人だから、設定の描写に熱入れているのかなぁ、とかは思った。
堺三保脚本もあとは第24話のみ。どうなるかなぁ。

第2クールに入ってから描かれているコズミックフラクチャーがどうとかの部分は、結構描写に時間をかけたりしている割には、面白みに欠けていると思う。
理由の一つは、物語(または主人公達)に全く絡まないし、かといって(多分ステルヴィアの視聴者の多くは)SF面に多くを期待していないからだ。
だが、同じ佐藤竜雄監督作品である「機動戦艦ナデシコ」(『木星蜥蜴』)や「学園戦記ムリョウ」(『敵対異星人』)でのそういう『人類に対する脅威である存在』は物語に実質上無関係にするか、頑張って消化している。
ナデシコ」の『木星蜥蜴』は主人公天川アキトの理想を打ち砕く存在(または生き方を変えるキッカケ)として有ったし、「ムリョウ」では主人公には直接関係しているようでしていない存在として有ると思う。
ただ、「ナデシコ」のキャラは自己都合で全て動いている(または、ほとんど常に我を通そうとする)とか、「ムリョウ」ではあくまでキャラの掛け合いを通じて(説明的な表現を可能な限りそう見えないように)事象を描いているとかの違いがあるけれど。
そこのあたりが「ステルヴィア」との違いになっていると思うのです。
このあたりはステルヴィアとムリョウを全部見てからまた書こうと思います。
(8/20ステルヴィア第21話鑑賞後、記述)