先生

「先生,っていうんは,『先に生きる』と書くんじゃ。現場に行って,大工や左官がしようることを見て,あそこがいけん,ここがいけん,ここの納まりはこうです,と,先回りして気付いてそれをキチンと指摘する事で,はじめて,先生になるんじゃ。ぼーーー,っと漠然と見よったら,何にもならんで。」たまに楢村さんに登場して頂くと,この拙いブログもシャキッ!とする気がします。出演料は,広告費と引き換えでお願いします(笑)。>楢村さん。
さて,この間,人前で「先生」と紹介された(豊橋での講演の事です)。もちろん,毎週日曜日,通っているキリスト教会では高校生に聖書の話をする「先生」ではあるし,学生時代ほぼ毎日のようにやっていた家庭教師の仕事では中高校生に勉強を教える「先生」だし,大人にパソコンを教える「先生」でもあった。でも今回は,職業人としての「先生」である。
駆け出しの僕が,である。正直,うそだろ,という感じでもある。便宜上使っているのだから,真に受ける必要はないけど,40人の中には本当に,ヤマグチ先生だと思ってくださっている方がいるようだ。そうだとすれば,そう受け取ったとすれば,僕が80分話した言葉に何らかの利益を感じてくれたわけで,思い出深い学生時代を過ごした豊橋の方々に,少し恩返しができたかなと思う。
あと数週間で怒濤のような日々が少し楽になりそうです。二つの口内炎に催促されながら早口で話した講演が終わり,また別の箇所で口内炎が続発していますが,それもあと一息です。それが終わると,未だ読んでいない,ケネス・フランプトン『現代建築史』青土社,に手が付けれそうです。
写真は,今回の講演準備の為に読んだ参考文献です。こうやって,立ててスキャンすると,なんだか新鮮です。