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仙芳丸航海日誌 RSSフィード

漁師の家に生まれて,建築デザインをしています。
どちらも昔からある仕事ですが,
昔のエッセンスを今に活かすと刺激的です。
山口晋作 
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May 20(Mon), 2013

「産業」ではなく「生活」なんだよ

無理矢理「産業」にしているのがだめだよな、と思うわけです。

自動車や家電のように工業化しないと世の中に出現しない代物と違い、住まいというのは、人がこの世界に生まれたそのときから、いつでも・常に・同時に・いやでも、「ある」わけで、やはり、「産業」ではなく「生活」だよな、とおもうわけです。

私が生まれた下津井は江戸時代北前船が寄港して、寄港した期間というのは、岡山城の城下町よりも人々がごった返したそうですが、今は昔で、現在ではそんな様相は全くありません。私の祖父(大正4年生まれ)は、生前自分が住んでいる下津井の方が、児島よりも「都会」だと思っていたようですが、そういう感覚も彼の年代くらいまで、それ以降は、もうズレています。中学生になる頃に瀬戸大橋が開通しましたが、25年経ってもまだ宇野港から高松までフェリーが運航しているなんて、当時は考えていませんでしたが、主要交通手段の変化というのは、いとも残酷で、人の暮らしを変えていくわけで、鉄道中心から自動車中心の生活に変わった地方都市の駅前商店街が廃れるのも同じで、経産省補助金を仕方なく出しながら、商店街の活性化を!とか叫ばれても、住んでる人がやる気がない/もしくはピントがずれている、のだから、目も当てられないという商店街が各所に散在しているというわけです。モノ・カネ・ヒトが大きく動くために、主要交通手段が編み出され、いまとなっては、ネットとスマホでやりとりされていますが、その移り行く世情のなかでも、住まいというものは、変わるものではなく、ずうっとそこに「ある」ものです。

住宅産業というのは、すでに産業としてのダイナミズムも失われているので、「とにかくコストダウン」とか、「設備投資は必要最小限に切り詰めつつ、いかに経費を削るか」とかが、まずありきであって、そこには、「どんな生活を描きたいのか」という、本来の姿は皆無であり、皆無だからこそ、蹴ったら壊れるような住宅が大量生産され、十年毎にコーキングを打ち直さなければならない住宅を平気で使うというわけで、ここにいたり、日本の住環境の悪化が極まる原因があるわけです。

そんなこといっても、住宅メーカーも頑張っているじゃあないか、という見方もありますが、それは、上辺だけの話しであって、元が上記のような根性なんで、日本人が得意とするさわやかで奇麗なプレゼンが消費者に出来れば、そこそこ売れるし、長いものに巻かれるのが好きな国民性なので、ブランド力(笑)という物に頼って、自分の力で生活を考えずに、ネット検索という人のフンドシも現代は多数横行しているので、そのフンドシがどのくらい不潔かという感覚も合わせ持たないままに、住まいを選び、銀行融資のことも人に任せて、とりあえず、早くつくって来れればいいよ、みたいな感じで対するものだから、受ける方もそんな感じが加速して、早いが勝ちで消費増税前に逃げ切りましょう、そうしましょう!というのが、現代日本の住宅生産を取り巻く状況である。

まちづくりもそうだけど、住んでいる人の「生活」あっての「街」であるので、住んでいる人が自分たちの街を楽しみ、誇りを持てて、銭湯もあるし、八百屋もあるし、魚屋もある。そろばん教室もあるし、パン屋もある。色んな店が点在する中で、自分たちが暮らしていけるという、専門用語で言えば、「コンパクトシティ」というのが、ナウでヤングな街なのだが、すまいもそうで、「産業」が先にあるのではなく、「生活」が先にあり、これを読むあなたの生活のために住宅があるわけで、何で海外旅行から帰ってきて飛行機の窓から見る日本の風景が貧しく感じるかというと、そこには、「生活」が見当たらず、「産業」があるように見えるからで、こんなことをしていると、モノサシで線を引いたような区画の街ばかりになって、ズボンの腰からシャツがはみ出ている不手際さはそこにはなく、野良犬も生活できないだろうから、そうなったら、もうちょっと田舎に逃げて生活しないとイケナイくらいの危機感を感じる。そんな日本が残念ながら今の現状である。

スマホ世界の到来もあり、古いと思っていたものも古くなく、様々なものが同じ土俵で評価できるようになっているからこそ、いまいちど、ばかばかしい「戦後の住宅産業」ではなく、地に足の着いた「自分の生活」というものが、ナウでヤングなのだ、という新たな価値観を手に入れて、明日を歩み出して欲しい。

それにしても、住宅産業をグルグル続け続けるというのが目的になるという、自己目的化というのがまかり通り、まかり通るのは、携わっている人も分断されて、各自の持ち場でやることをくそ真面目にやっているからで、総体として観察すれば、こんなに馬鹿げたことはないな、というくらい、ばかばかしい感じになっているのである。アホである。

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