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1998-04-24

「薯粥」(『一人ならじ』所収)山本周五郎


 中々、本を読む時間がなく、読んだとしても書評を書くほどの衝動が湧いてこないので(笑)、若き日の覚え書きを記し、所感を残しておこうと思う。


〈梶井図書介(ずしょのすけ)との一本勝負に勝ち、城主・水野監物(けんもつ)忠善から食禄500石で師範にとの御意(ぎょい)を、隼人辞退する〉

「あいや十時氏しばらく」うしろから図書介が声をかけた。「只今の勝負はまさしく拙者の敗北でござる。御前においてかく明らかに優劣がきまったからは、もはや師範の役は勤まり申さぬ。拙者は退身つかまつるゆえ、どうぞ御斟酌(ごしんしゃく)なくお受け下さるよう」

「……ほう」隼人は眼をみはり、びっくりしたようにふり返った。「只今の勝負に負けたから、もはや師範は勤まらぬと仰(おっ)しゃるか、……すると、仮に拙者が師範になっても、また別に兵法家がまいって試合をし、負ければ師範ができぬというわけですか」そこまでいうと、急に隼人の頬へかっと血がのぼった。かれは膝をはたと打ち、「ばかなことを仰しゃるな」と大喝(だいかつ)した。「兵法は死ぬまでが修行という。技の優劣は修行の励みでこそあれ、人間の価値を決めるものではないぞ。人の師範たる根本は『武士』として生きる覚悟を教えるもので、技は末節にすぎない。貴殿はその本と末とを思い違えておる。さようなことでは、今日までの御扶持(ごふち)に対しても申し訳はござらぬぞ」


 梶井図書介(かじいずしょのすけ)との一本勝負に勝った十時隼人(とときはやと)の科白(せりふ)。この言葉は、城主である水野監物忠善(みずのけんもつただよし)にも向けられたものだった。


 20代で読んだ本の中で、最も鮮烈に刻印されたものの一つ。普段は温厚な隼人が激怒するシーンは圧巻。私憤ではなく、武士としての矜持(きょうじ)が、相手を許さなかった。


 現代にあって我々は、人間を見失って、末節である技の優劣を競うような社会で生きている。自分の大切なものを踏みにじられても、食べてゆくために我慢を強いられている。資本主義は競争社会だ。生き馬の目を抜くような現実を前にして、なす術(すべ)を持たずに立ち尽くす。「それで、いいのか?」という問いかけに対し、「仕方がないさ」とシニシズムをもって答える自分がいる。食べるためなら何でもやってのける人々が、日本を支えているのだ。


 周五郎の小説は、「それで、本当に生きてると言えるのか?」と読者を鞭打つ。痛みを覚え、何かが変わるようでなければ、読む資格がない小説の数々である。この一冊を、私は何度でも読むことだろう。

 2005-12-22


一人ならじ

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