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1999-02-01

『総門谷』高橋克彦


世界の不思議が勢揃いする壮大なスケールの伝奇小説


 伝奇小説の金字塔ともいうべき傑作である。


 UFOに始まり、ナスカの地上絵、ピラミッド、ストーン・サークル、ピリ・レイスの古地図、極移動説等々。これに、フリーメーソンと自衛隊が絡み、歴史上の人物が勢揃いし、遠野物語が基調を奏でる。豪華絢爛、謎と不思議のオール・スター戦といった感を呈する。これだけ並べ立てれば、かえって不味くなってしまいそうなもの。ところがドッコイ、料理人の腕が違う。一級のエンタテイメントに仕上げているのは見事としかいいようがない。


 東北で発見されたUFO。これに飛びついたテレビ局。テレビ出演した男が、他局の番組であれは嘘だったと証言する。殺(け)される証人。謎を追う彼等の後を尾行者がつける。巧みな導入部によって、知らず知らずの内に物語に引き込まれる。中盤で主人公・霧神顕(きりかみあきら)の出生の秘密が明かされ、未知の能力が徐々に発揮される。志を同じくする仲間が次々と殺され、顕の怒りが眠れる能力を呼び覚ます。魑魅魍魎との壮絶な死闘。地図上に存在しない総門谷とはどこにあるのか、果たして顕の運命は如何に。時代劇の予告編みたいな口上になってしまったが、ドキドキワクワクさせる筆者の手並みは実に鮮やかだ。相当な時間をかけねばこれほどのダシは出ない。


 筋運びは『スカラムーシュ』(ラファエル・サバチニ創元推理文庫)の仇討ちを思わせ、結末は『2001年宇宙の旅』(アーサー・C・クラーク/ハヤカワ文庫)の余韻を感じさせる。本の分厚さもなんのその、一気読みすること請け合いだ。


 この本はSFではなく伝奇小説だ。SFと伝奇小説の違いは何か。それは──よく分からない。が、肌で感じるものがある。いうなれば西洋と東洋の違いといったところか。すなわち、パンと御飯の感覚の相違だ。「御」の字に現れているのは感謝の念だ。米という文字は八十八を組んだもので、88の行程を経て食卓に上がる、という話をテレビアニメ『一休さん』で聞いたような記憶がある。いや『日本昔ばなし』だったかも知れない。要は主食に対して、恩の思想があるということを言いたいのだ。日本人があからさまな自己主張を嫌うことは、余りにも有名である。謙譲を美徳とする文化は独力で成し遂げたとしても「○○さんのおかげです」と言わざるを得ない。御飯という言い回しにも根っこにあるのは「お百姓さんのおかげでオマンマにありつける」という発想であろう。幼少の頃、「一粒も残すな」と言われて育った人が殆どではなかろうか。農耕民族特有なこうした感覚を負の側面から捉えたのが「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」といった俚諺(りげん)であろう。もたれ合いが談合社会を支え、腐敗に手を染め易いのは確かだ。しかし、正の側面から捉え直すと、関わり合う人間同士は不思議な縁を宿しているという、運命的な連帯感を共有させる。「袖振り合うも他生の縁」「情けは人のためならず」となるのである。いずれにしても、底を支えているのは“情”である。マイナスに引っ張られると「情に流され」、プラスに持ち上げられると「情けが深い」となる。“情”というものは理屈と正反対に位置しているもので、極めて振幅が激しい。感謝が怨みに、恩が仇へと一転することもまま見受けられる。「情けが仇となる」ことさえあるのだ。


 ちょっと上手く表現できないが、西洋的な自立よりも、東洋的な関わり合いに感動を覚えるのだ。手っ取り早く言うと『レオン』と『變臉(へんめん)〜この櫂に手をそえて』の少女の役所の違いなのだ。今直ぐ、直ちにレンタルビデオ店へ走って行ってもらいたい。『レオン』の子役は殺し屋をタジタジさせるほどの自立心を持っている。自らの意志で薬を手に入れるために売春をし、殺し屋に対しては、殺しの手ほどきをさせ挙げ句の果ては物真似までさせる。ところが『變臉』の子役は少年として売られ、買い主に女の子だとバレた途端、卑屈なまでに隷属させられる。それまで「おじいちゃん」と呼んでいた老人を「御主人様」と呼ぶよう強いられる。邪険に扱われても付き従おうとする少女。健気(けなげ)に尽くそうとするものの、やることなすことがことごとく裏目に出てしまい、老人の人生は破局へと向かう。ところが、この少女が命懸けで老人を救うのだ。どちらの映画もそれぞれ魅力があるのだが『變臉』の方が感動が深い。それは、パンにはなく御飯にはある湿り気のようなものだ。“情”という湿気が物語を深いものにしているような気がしてならない。哀れを誘う少女につい感情移入してしまうのだ。多湿な環境に生まれ育ったことが、感覚を決定づけているのかも知れない。シガラミに逆らえないという点では、『さらば、わが愛〜覇王別姫』を見てもよく分かる。まあ、そうは言っても結局、嗜好の問題だから「深い」と感じるか「不快」と思うかは人によって分かれるところだろう。


 長々と綴ってしまったが、「怨(おん)と恩」が描かれているところに、SFを超えた“アジア的な感動”を覚えた。


総門谷 (講談社文庫)

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