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1999-10-11

『心をあやつる男たち』福本博文


人間を操作する快感の末路


 高度成長期にさかんに行われた管理職を特訓するST(センシティビティ・トレーニング)と、飽食の時代に入り横行した宗教的な手法を駆使する自己開発セミナー。これらがどのような時代背景の中で誕生し、如何なる社会問題へと至ったのか。あるトレーナーの半生を軸に描いたノン・フィクションである。


 ユダヤ人によって考案されたキリスト教指導者養成のノウハウ。これが企業の管理者教育を求める風潮とマッチした。あるキリスト教指導者研修が信者以外を対象にし始める。カウンセリング理論に裏づけられた効果的な手法が、徐々に脚光を浴び出す。その時、一人の男が禅の要素を加えることによって、より一層効果のある方法を編み出した。男は短期間で激烈な変化を望むあまり、暴力を駆使するようになる。遂に、出るべくして自殺者が出る。


 STは、一種の「踏み絵」であった。企業側には、この特訓を難無く通り抜けてこそ管理者の資格がある、といった認識があり、途中で逃げ出す社員を馘にしたこともあった。(113p)


 STは「モーレツ時代」をそのまま反映する特訓に豹変した。(同頁)


 男はトラブルを巻き起こしながらも、確かに法悦状態を生み出す技に長(た)けていた。妙なカリスマ性に引き摺られる一部のスタッフと参加者が哀れ。“チェンジ体験”と名づけられた現象は、俄(にわか)には信じ難い。2週間ほど閉鎖された環境下で抑圧され、コントロールされ続けることで、現れる反動ではないのか? 大体、殴られて黙っているような手合いなのだ。プレッシャーに人一倍敏感な点からも、精神的に脆(もろ)い連中と思えてならない。大の大人が抱き合って泣く姿に吐き気を覚えた。抱き合って泣くか、自殺するかしかないような連中だ。こんなところへ大手企業のビジネス戦士達が陸続と送り込まれていたのだから、全く、開いた口が塞(ふさ)がらない。能率と効率こそ最優先される社会にあっては、インスタントな人格改造が信じ込まれていたのだろう。高度成長が人間をどのように扱っていたかが一目瞭然である。そこから引き継がれた負の結果として、彼等の子や孫が今、世紀末を揺るがしているのではないだろうか。経済至上主義が作り出した歪んだ魂はきちんと受け継がれている、と言う他ない。


 ST誕生の経緯が始めに記されているが、来日したロジャース(カウンセリングの泰斗)が登場したのには驚いた。つまりST自体の概念は心理療法的な根拠があるということだ。只のインチキではない事実を始めて知った。アメリカではSTは有力な心理療法として受け入れられているとのことである。では、アメリカと日本では何が違うのだろうか。


 アメリカのような離婚社会では、夫婦の愚痴をきくサイコセラピストの存在理由があるが、日本では酒場や電話での長話がその役割を果たしている。精神の病をかかえる者は、精神科に行って薬物療法の世話になるか、それでも治らない患者は呪術的な宗教や霊能者めぐりに明け暮れる。精神科が精神療法(心理療法)を敬遠するのは、保険点数がきわめて低いことにくわえ、著しい効果がないからである。しかも精神分析は、日本人の自我では耐えきれなくなり危険が伴う。(201p)


 そして耐え切れなくなった自我はフラフラになり自分の命を手に掛ける結末となる。夥(おびただ)しい自殺者を出し、STの飛ぶ鳥を落とすような勢いは一気に雲散霧消する。


 時代を経て現れた「自己開発セミナー」。これも結局、根は一緒だった。


 両者の狙いは自己探求にあり、宗教以外の手法で「宗教体験」をさせる点で見事に一致していた。(274p)


 一部熱狂的な支持者がマルチ商法まがいに友人・知人を誘い出す。


 滑り出しが良いだけに後半の失速が惜しまれる。もう一歩、時代と人間の闇に光を当ててくれれば好著なのだが……。私の嗜好に合う合わないもあるとは思うが、概要をなぞって終わってしまった印象を拭えない。


 心の弱さこそが、マインド・コントロールの標的であり、コントロールを可能にしている最大の要素であろう。これに対抗する唯一の手段は、日常生活の中で、弱い自分をリードし、自分自身を支配できるかどうかということに尽きるのではないだろうか。


心をあやつる男たち

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