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1999-10-18

『争う 悪の行動学』岸田秀(責任編集)、いいだもも、黒沼ユリ子、小関三平、日高敏隆


人類に巣食う本能への考察と激論


 前半はバトルロイヤルを思わせる対談、後半はそれぞれのレポートで構成されている。多分絶版になっていると思うが、古本屋で比較的入手し易いだろう。新書サイズを一回り大きくした版で、単行本の背を高くした大きさのソフトカバーである。


 対談の脚注に工夫が凝らされている。本人達の手によるものでページ下に配したのも便利で好ましい。脚注のためにこの判型になったのかも知れない。小見出しなどは発言そのものをゴシックで表記し斬新。表紙裏には様々な字体で「争」の字があり、更に色々な辞書から「争う」の項目が複写されている。そして、豊富な写真と絵が見事にマッチしている。実に考え抜かれた体裁で、ちょっとした興奮を覚えるほどだ。気合いのこもった見事な企画である。


 生存競争に見られる「争い」から、人間の果てしのない「争い」に至るまで、興味深い対話が疾走する。話が横に逸(そ)れて、更に興(きょう)を惹く。


 同じ種の動物同志は殺し合うことはないという。儀式化された本能が歯止めとなり、敗北を認めるポーズをとった途端、攻撃できなくなってしまうとのこと。人間に歯止めが利かないのは、本能が破壊されているからであり、そのために道徳を必要としたのではないか、との岸田の論調には強い説得力がある。終始、岸田がリードした対談となっている。岸田の唯幻論は余り好きではないが、その整合性は卓越したものがある。非常に腰の強い論理であることは認めざるを得ない。


 第2部の岸田、いいだ、黒沼の対談は失敗。ミス・キャストだ。出版社の意図としては、岸田の観念論と、メキシコで少数民族の解放に取り組む黒沼の実践と、労働運動を模索し続けるいいだをぶつけようという目論見だったのだろう。だが、岸田と黒沼の話が全く噛み合っていない。同じ言葉が違う背景から繰り出され、泥沼状態と化してしまった。岸田の言い分ははっきり言って黒沼にとっては随分失礼なものとなってしまっている。机上の学者と現実に目前の人をどう救うかという問題に直面している人とでは、話が噛み合わないのも当然か。だが、岸田理論は、黒沼を初めとする少数民族の良き理解者達の本質を鋭く見抜こうとしている。岸田の唯幻論は共産主義のように美しい均衡を保ち、如何にも実現可能に思える。そこに共産主義と同じ陥穽(かんせい)があるのではないか? 綺麗なモノは魅力的だ。しかし、壊れ易いガラス細工のような思考であると思えてならない。彼自身が臨床に携わっていないところに弱みがあるのではなかろうか。具体的な変革を伴わなければ観念の遊戯に過ぎない。説明・解釈からは納得を覚えても、感動は生まれない。魂に火を吹き込むような何かが欠けている。


 個人的には、トインビーが説くところの「挑戦と応戦」や、現代の社会事象に見られる争いを掘り下げて欲しかった。


 多少、散漫な嫌いはあるが、それを補って余りある勢いが楽しい。

争う 悪の行動学

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