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1999-10-25

『銀の匙』中勘助


 この本はまもなく読まれなくなるだろう。


 コルクの箱に収められた玩具の数々。幼い日の想い出をまざまざと蘇らせたであろう品々の中に銀の匙(さじ)があった。物語はこの銀の匙の想い出から紡ぎ出される。


 前編は、主人公の出生から10歳くらいまでが描かれ、後編は今の中学から高校くらいとおぼしき年齢になるまでが書かれている。どこにでも転がっているような日常生活が淡々と綴られる。大人に恐れおののく幼い心、竹馬(ちくば)の友ともじもじしながら出会った日、学校での出来事、異性を意識し激しく揺れる自我、成長してゆく少年はふとしたことでなぜかしら涙ぐんでしまう。と、別にどうってことのない話なのだが、滴(したた)り落ちてくるような懐かしさで心を満たしてくれる。私の幼い瞳も確かにそれを見た、そんな不思議な感興を誘う。


 この作品の前編は明治44年、著者が27歳の時に書かれたという。真っ先に夏目漱石が高く評価し、漱石の推薦によって東京朝日新聞に掲載された。和辻哲郎の解説によると「子供の世界の描写としては未曾有のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常な彫琢(ちょうたく)があるにかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと」などを漱石が賞賛したとのこと。


 私が生まれたのは昭和38年。半世紀を経ても尚、変わらぬ子供の世界。この作品に見られる童心の有様は、国を超えても理解されるのではないだろうか。新人類のハシリである私ですら共感できるのだから。


 生まれが東京・神田となっているが、「坊っちゃん、坊っちゃん」と呼ぶ伯母がいるところを見ると、中流以上の家庭だったと思われる。驚いたのは当時の言葉遣いだ。9歳の女の子が「ごめんあそばせ」(101p)とか「きのうはあたくしが悪うございました」(同頁)と言うのだ。更に6〜7歳の時の話で「二人がさしむかいになったときにお国さんは子供どうしがちかづきになるときの礼式にしたがって父の名母の名からこちらの生年月日までたずねた」(54p)とある。大人びた言葉使いに格式を感じ、はたまた幼い子供が公(おおやけ)という概念を持っていることに感銘を受けた。封建性の名残(なごり)とはいえ、公私を厳しく峻別する社会の機能は望ましく思った。


 やや古めかしくはあるものの、文章のリズムに乗ってしまえば淀みなく読める。どこをとっても匂い立つような懐かしさが詰まっている。


 例えば、隣に越して来たお嬢さんとの出会いはこんな感じだ。


 私が裏へいってこっそり様子をみてたら垣根のところへちょうど私ぐらいのお嬢さんがでてきたが、ついとむこうへかくれて杉のすきまからそっとこちらをうかがってるらしかった。しばらくしてお嬢さんはまた出てきてちらりとひとを見たので私もちらりと見て、そして両方ともすましてよそをむいた。そんなことをなんべんもやってるうちに私はお嬢さんがほっそりとしてどこか病身らしいのをみてなんとなく気にいってしまった。そのつぎに目と目があったときにあちらは心もち笑ってみせた。で、私もちょいと笑った。あちらは顔をそむけるようにしてくるりとかた足で回った。こちらもくるりと回る。あちらがぴょんととんだ。こちらもぴょんととぶ。ぴょんとはねればぴょんとはねる。そんなにしてぴょんぴょんはねあってるうちにいつか私は巴旦杏(はたんきょう)の陰を、お嬢さんは垣根のそばをはなれてお互いに話のできるくらい近よってた。(90p)


 全てがこんな調子で、子供の所作が生き生きと躍るように描かれている。物語の目的が、ある世界を示すことにあるとするなら、この作品は完璧な小説だと言い切って良いだろう。


 しかし、だ。この本に共感を示すのは、私ぐらいの世代が最後であろう。今時の若い連中が読んでも「ツマンナ〜イ」で終わるのが関の山だろう。読み了えることさえ不可能かも知れない。死せる昆虫を見て「電池が切れた」と思うような育て方をされてしまっているのだから、止むを得ないと言ってしまえばそれまでだ。連綿と続いてきた子供の世界は既に亡い──。


 多くの青年によってこの本が読み継がれるような、そんな時代と社会になれば猟奇と名のつく事件も目にしなくなるに違いない。

銀の匙

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