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1999-10-27

『われ笑う、ゆえにわれあり』土屋賢二


 凄まじい哲学が誕生した。一言で言うならば「言いわけする哲学」! 鋭い弁解の数々は英知に裏づけられ、際限のない揚げ足取りを集中力が支える。不況に喘ぐ世紀末を生き抜く者にとっては必読の書と言えよう。抱腹絶倒間違いなし! とどまるところを知らぬユーモアが、技巧ではなく著者の人格に根差したものであることを証明している。このような偉大な教授を抱えているとは、お茶の水女子大学の学生諸君が羨ましい。


 それにしても凄い! 本を開くなり「献辞」から笑わせられる。次の「はじめに」まで読めば、既に本書を手放すことが困難になっているだろう。どんなに読書が苦手な方でもハマッテしまうことを私が断言する。


「今日からタバコをやめられる──でなくても禁煙をやめられる」に始まり、「愛ってなんぼのものであるか?〈懐疑主義的恋愛論〉」「洗濯の概念〈大きい顔をされないための概念分析〉」等々、18の文章で構成されているが、こうして目次を見るだけで、既に怪しげである。ムムッと妙な期待感がせり上がって来るでしょう? 土屋先生はその期待に120%応えてくれます。


 タバコの有益性を証明する根拠が10も挙げられている。その一番目が「タバコを50年吸い続けた人は少なくとも50年は確実に生きたはずである。ゆえにタバコを長期間吸えば吸うほど長生きする」というもので、これらが論破された場合の方法としては、


 手遅れの肺ガンにかかってしまう。こうなってしまえばもう恐いものなしである。論証のことは忘れて吸いたいだけ吸えるのだ。


 とアドバイスを怠らない。ここまでくると詭弁というよりは「喜弁」と表現していいんじゃないかしら? オチもなかなかひねりが効いていて、愛煙家にとっては痛快。


 続く「助手との対話」を爆笑の内に読み終え、この辺で誰もが「そろそろペースが落ちてくるかな?」とか「このパターンで最後まで行っちゃうのかな?」とそわそわすると思われる。確かに似た傾向がある作家を思えば、それはお笑い作家の運命(さだめ)とも言える。清水義範しかり、赤瀬川原平またしかりである。しかし、土屋はアプローチを変え、論理的な笑いに着手する。更に、突飛な例をあげつらうことによって恋愛という幻想にメスを入れる。吹き出すような笑いに支えられながらも、整合性を崩さないところはまるで大学教授のようだ。


 この調子でなんと最後まで突っ走ってしまう。「あなたも今日から老化が楽しめる」などは、赤瀬川原平の『老人力』より遙かに先んじて書かれたもので「さては赤瀬川め、パクりやがったな」と想像がつく。


 英米ではユーモア精神が高く評価されているが、ユーモア精神は最終的には、自分を笑うことができる能力、苦境に立たされても笑うことのできる能力のことであろう。つまり、不幸を笑いに変える能力のことであろう。


 これこそが土屋教授の真骨頂なのだろう。だが、ユーモアととるか、ただの悪ふざけととるかは分かれるところだ。


 豊かな発想、意表を衝いた視点は、笑いながらも見逃してはなるまい。何にもまして練られた文章が素晴らしい。最後に収められた「何も考えないで楽しく生きる方法」などはわかりやすい哲学入門とでも言うべき作品で、幾度も読み返す価値がある。笑い続けた後だけにスッと頭の中に染み込んでくる。笑いは緊張を解き、心を開かせる効用があることにハッとする。


 門下生の柴門ふみ(漫画家)による解説も心がこもっていて清々しい。

われ笑う、ゆえにわれあり

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