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1999-11-29

リング上での崇高な出会い/『彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論』佐瀬稔


 格闘技に魅了される心理は何によって支えられているのだろう? 心の裡(うち)でスポーツとはまた違った次元の衝動に、激しく揺り動かされるものの正体は何なのだろう? 知性と暴力が生み出す計算された攻撃、一歩踏み外せば直ぐそこにある死の予感、肩書などの虚飾を剥(は)ぎ取り一個の武器と化した肉体……。観客は戦う二人に感情移入し、日常生活では手に入れられない「闘争の劇」を、手に汗握り固唾(かたず)を呑んで見守る。ほんの幾世紀前では、相手を殺すことが目的であったであろう真剣勝負。死して悔いなし──その覚悟が放つ煌(きら)めきは、手垢(てあか)にまみれた日常の昏(くら)きを、流れる星の如く一瞬だけ照らす。


 第1章はジョージ・フォアマンのカムバック、第2〜3章は30人に及ぶボクサーの春秋が描かれている。著者の眼差しは試合の行く末を決定づけた瞬間から、舞台裏にまで行き届き、ボクサーという名の人間をしかと見据える。そして、拳で語り合う嘘偽りのないファイトを叙事詩のように謳い上げる。


 大橋秀行ストロー級へ進出しフィリピンの同級6位セニザと対戦。3回KOで仕留める。その時の記者会見で大橋の口から「張正九」の名が出る。張は世界ジュニア・フライ級チャンピオンで、大橋は過去に二度敗れている。それがキッカケとなりストロー級へ転向したのだった。張の名が気になった著者は、記者たちが去った後で大橋に声を掛ける。


「張正九というチャンピオンに執着があるのですか」

 席を立ちかけていた大橋は、ちょっと不審そうな顔をし、質問の意味を理解するとすぐほほえんだ。

「そうです。思いが残っているのです」

「なぜですか」

「ぼくにとって、彼はもっとも強くてりっぱな相手だったからです。あれほどみごとな相手と戦ったときの高揚感、充実感が忘れられない。ああいう試合をもう一度やれたらなあ、と思いが残ります……」


「張正九と二度戦って二度ともTKO負け。その末に残った思いが、無念でもなければ恨みでもない、という。話の続きをぜひとも聞いてみたい」。著者が再び大橋と会ったのはそれから2ヶ月後だった。


 大橋が語り始めたのは名嘉真竪安というボクサーの話だった。


【※名嘉真は沖縄出身でモスキート級の元高校チャンピオン。卒業後プロ入り。期待されながらも6勝1敗のあと、8戦目の試合で意識不明に。一命はとりとめたものの脳に障害が残り、今なおリハビリ中】


 大橋は名嘉真と高校2年の時に対戦。当時無名だった名嘉真に判定負けを喫する。


「それからは、名嘉真竪安という選手のことばかりを考えて過ごしました。一日中、朝から晩までです。次に会ったのはその年の8月、今度は高校選手権の準決勝でした。このときも判定。自分ではなんとか勝てたかな、と思ったんですが、判定は3-2で名嘉真の勝ちでした。それからまた、明けても暮れても名嘉真のことばかりです」


 高校最後の試合がやって来た。名嘉真のプロ入りは既に決まっていた。1年365日「考えて考えて考え抜いたことを全部やりました(203p)」。結果は5-0で大橋に軍配が上がった。


「うれしさなんかまったくなかった。それどころか、一度にどっと力が抜けた感じになってしまって」


 大橋は緊張の糸が切れたように目標を失い空虚な日々を送る。後に大学を中退しプロ入りを決意。その理由をこう語る。


「名嘉真がいたからです。ぼくは、ああいうすばらしい相手ともう一度戦いたかった。それには、自分がプロにならなければならない。それだけが動機のすべてです」


 だが、大橋がプロのリングに上がることが決まった時には、名嘉真は不幸な事故によってリングを去っていた。そして、張正九と出会う。


「2年前、初めて挑戦したとき、張が第1ラウンド開始と同時に猛然と打ってきて、ぼくはロープを背負った。そのとき、直観したのです。ああ、これは名嘉真竪安なのだと。このエネルギッシュなラッシュこそ、名嘉真竪安だったのだと……」


 大橋は尚も語る。名嘉真と張を忘れることができない、と──。


 ここで初めて気づくのだ。大橋秀行という23歳の青年は、単にボクシングのことを語っているのではないのだ、と。


 ──あなたは人間のことを語りたかったのですね。

「そうです。そうでなければ、ボクシングなどやってはいません。ぼくはこんなことを考えています。さいわいにして、もしも世界チャンピオンになることができたなら……」

 ──……

「名嘉真竪安君を見舞いに行きたい」

 ──そうですか。

「それから、将来、結婚して子供が生まれたら、家族そろって韓国旅行に出かけて……」

 ──そして?

「張正九に会いに行きたい。いろいろなことを、ゆっくりと話したい」

 ──名嘉真や張とリングを離れてのつき合いは?

「まったくありません。試合の前後、口をきいたこともない。でも、あの二人には、できれば生涯の友人になってほしい、とぼくは思っているのです」


 ああ、グローヴを交え、汗を飛ばし、時に流血をも辞さない男たちの、何と崇高な出会いか──。言葉も届かない高みで、これほど濃密な共感が交錯していたとは。人間と人間の出会いがかくも劇的な真実に彩られていたとは。この件(くだり)を読む度に私は居ずまいを正し、どうしようもなく涙を溢れさせてしまう。


 この三十余年間、自分がなぜボクシングジムや試合場に通っていたのか、を考える。

 そして、真にボクサーの名をもって呼べる男たちと、懦夫(だふ)凡愚のわが身をへだてるものの気の遠くなるほどの大きさを、あらためて思い知る……。


 こう著者は締め括る。


 古武士を偲(しの)ばせる余りにも清廉(せいれん)な生き様が、読者をして滝に打たれるが如き感慨にひたらせるに違いない。

彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論

1999-11-03

『現代作家100人の字』石川九楊


 文字を読む──言葉の意味を探るのではなく、筆跡を読む。線の一本一本に込められた“何か”を読み取ろうと丹念に注がれる視線は、点の打ち所をも見逃さない。京都芸術短大講師を務める書家が、現代作家100人の文字を眼光鋭く洞察する。写真を含めてわずか一ページ余りで論及する見事な手並みは、“「書」のレントゲン”とも言い得るものだ。


 墨痕鮮やかな書から、万年筆のサイン、クレヨンで書かれた見出しに至るまでが取り上げられている。無造作と思える解釈を確固たる根拠が支えている。だが「深読み」と感じた事実を私は否定しない。「かくも鋭く見抜くことが可能な眼はどこに位置しているのか?」これが最大の疑問だった。石川には、書き手の意図を虎視眈々と見抜こうとするあざとさは感じられない。半(なか)ばまで読み進んで、私はハッとした。彼は、眼前にある「文字」に寄り添い、「文字」の側に立って、書き手を見つめているのだ。ここに至っては、書き手の地位・名誉・人気などは一切、眼中にないであろう。書いた人物さえも淡い墨のように遠くへ霞(かす)んで見える。


「運筆の快感──書の歴史は一面でこの変遷(へんせん)に裏打ちされているとも言える」。その上で、歴史の推移が情け容赦なく文字を変貌させるのも当然。「時代が大正、昭和と近づくにつれて俗に言う『個性的』『我流』の書が多くなるのは、文字が伝統的な規範の呪縛(じゅばく)から脱して、自由に思い思いの変容を開始したからだ。おそらくそれは近代日本語の成立と自我の確立に連動している」とした上で、その最大の要因を「〈文〉と〈書〉の乖離(かいり)という病理」によるもであると説く。硬筆の運筆法が今時のコギャルどもの丸文字にまで進化? するのである。


 で、丸文字代表選手として、宮部みゆき吉本ばななが、更に進んだ? イラスト文字組からは、村上春樹篠原ともえらが俎上(そじょう)に載せられている。


 歴史的基準を前提とせず、単純な『サクサク』としたリズムに生れるイラスト文字には成熟はない。もしも、現在のような行き過ぎた商品市場経済に寄り添うところに表現があるとするなら、成熟しないことをひとつの役として演じてみせる篠原ともえが、おそらく、村上春樹よりもはるかに過激な表現者であり、もっとも尖端を走っているということになる。


 文字という極小の世界から時代の呼吸まで辿(たど)る慧眼(けいがん)は圧巻の一言に尽きる。


 ワープロを教育分野からは遠ざけるべきだとの提言も「(1)造語力が弱まる(2)『文字禍』にさいなまれる(3)創造的語彙が激減する」という3点の理由から具体的な論証が試みられ、警鐘の余韻を含んでいる。


 とにかく文章の切れがいい。数千年の歴史から現代に至るまでを自在に語り、時に辛辣、時に優雅な表現力は心憎いあまりだ。例えば、作曲家・武満徹の色紙を石川はこう評する。


 署名部〈満〉のサンズイは圧巻。短いベースの音が二つ、ボン・ボン。続いて深く吸い込まれた息が、ピューという強い笛の音となっていっきに吐き出される。〈徹〉のギョウニンベンはヴァイオリンの響きの趣。

 なだらかに、なめらかに左下方へ傾斜していく行はメロディーに同伴し、署名部の文字がしだいに拡大するのは、曲の昂揚(こうよう)。〈り〉と〈徹〉のサイズ落差は20倍、あるいはそれ以上もあろうか。いわばピアニシモとフォルテシモの表現が混在している。


 こんな文章を読ませられると、所感を記す気力も萎(な)えてただ溜息(ためいき)を吐(つ)くしかない。他にも、詩人・大岡信の書を評する件(くだり)などは、さしずめ推理小説の趣がある。こちらは読んでのお楽しみ。


 世間をひっくり返るほど騒がせた神戸少年殺害事件(1997年)の「酒鬼薔薇聖斗」と署名された犯行声明文が最後に紹介されている。当時、一部の心理学者が「愉快犯ではないのか」と推定したが、石川は断固これに反証を加える。通常、犯罪者は肉筆で声明文を記すことはなく、それは警察に突きとめられるのを困難にしようとするためだけではないと前置きした上で、


 たとえば、「コロスゾ」とか「KOROSUZO」とキイを押すことは容易だが、「殺すぞ」と対象(紙)に力をこめて書く(筆蝕する)際には、書いている間中、「殺す」と書いてよいか否かの内省を迫られることになり、無限回とも考えられる内省をくぐりぬけることは、犯人といえどもなかなか耐えがたいからである。肉筆で犯行声明文を書いていることは、犯行に対して確信が存在するのであり、愉快犯とは考えにくい。


 との結論を導き出す。こりゃあ、もうただ者じゃありませんね。「書」におけるトライアスロン(鉄人レース)を見ている気分になる。


 一読後、勢い余った私はコンビニに駆け込み「筆ペン」を買ってしまった。私に石川を読むよう促した先輩にそれを告げると「フデー野郎だ!」と見事な洒落で叱責を受けた。読み了えたのは大雨にたたられ日のことで、鞄の中に収めてあった本書にまで、雨はしっかりと痕跡を残して行った。そんなこんなも妙に忘れ難い。


 優れた書物には「眼(まなこ)を開かしめる」不思議な作用がある。石川の知性は筆のように、しなやかで、自由な佇(たたず)まいに富み、陰影自在に遊ぶ。

現代作家100人の字

1999-11-02

子供の詩


 眼に映らないものを大切にしたい。顔で笑って心で泣いている、そういう人の悲しみを汲(く)んで上げられる自分でありたい。一粒の種に、大樹と育つ可能性の全てが備わっている。だが、それは見えない。木枯らしに震える枝は丸裸に見える。しかし、内部では葉を育て、花を咲かせるための営みが確かに存在する。時来たりて満開の桜を見上げる時、人々の相貌も輝きを増す。果たしてこの時、根に思いを致す人がいるだろうか? 見えない所で、暗い場所で、はりめぐされた根は黙ってそれを支える。人の喜びをそんなふうに支えることができたら、なんて素敵な生き方だろう。


「風」 上園侑(ゆう)


 風も人間と同じだよ

 風は人間のように怒ったり

 泣いたりするんだよ

 なぜなら怒ると台風になり

 泣くと雨をはこんでくる

 でも風だって

 いつもこんなわけじゃない

 いつもは笑って青空にいるよ


   山口県下関市・熊野小5年(読売新聞 1999-11-02付)


 時には人を困らせる「風」も、こんなに強い味方がついてくれるのだから安心しきっているだろうな。「風」の心を知る君は、きっと、人の心もわかる大人になるだろう。

1999-11-01

もったいない/『落語的学問のすゝめ』桂文珍


 時代が飽食と呼ばれ久しく時を経たある頃、清貧と名の付いた本がベストセラーになった。「もったいない」と言う人が少なくなったと嘆く声をよく耳にしたものだ。環境問題に関心の高い人は、割り箸なんかに「もったいない」と思うんでしょうね。貴重な森林資源を一食のために使い捨てるとは不届き千万、えーい、斬り捨ててくれるわ! などと正義の怒りに震えながら、たぬきうどんを啜(すす)るのかしら。


「もったいない」との感覚は、もちろん、人それぞれで、育った環境によるところが大きいと思う。私の父なんぞは、蛍光灯を2本点(つ)けただけで「もったいないことをするな!」とドラ声を張り上げていた。そんなわけで、どうもこまめに照明を消す癖がついてしまい、チョット気恥ずかしい。


 若い時分は悪友が「フン、あんな女とは別れてしまったぜ」と言うのを聞く度に「ウワアもったいない! 俺にくれれば良かったのにー」と悔しさのあまりハンカチをキリリと噛んだものだ。


 田舎者の私は、駅前でポケット・ティッシュをもらう度に、なぜかお辞儀をしてしまう。「フン!」と無視して歩き去る都会人を目の当たりにした時は「ウッヒョーッ、もったいない! なぜ受け取らないんだ? あ、ティッシュ・メーカーに勤務しているのか」と理解に努めようとしたが、それにしてはティッシュ・メーカーに勤務する人が多過ぎた。私は手渡されるとどうしても感謝の念が先立ち、恭(うやうや)しく頂戴してしまうのだ。ポケット・ティッシュ巡礼行脚(あんぎゃ)の過去最高記録としては、1日で14個、獲得したことがある。合掌──。


 何でもかんでも「もったいない」と言うわけではない。東海村で起こった臨界事故を見て「わーっ、あんなに放射能が漏れてしまってるー、もったいない」とは誰も思わないだろう。価値を感じるものにしか使わない。それが使われなくなった背景には、“モノそのものから便利さ”への価値転換があったと見るべきだろう。私が子供時分には、デパート包装紙などはどこの家でも、綺麗に剥(は)がして取っておいたものだ。そんなことを思い返していると隔世の感がある。


 ほなら、なぜすべてのものに“霊”があるんだというとらえ方をしたのかていうと、昔はいまのように豊かな時代ではないですから、物を大事にしなければならない。それを教えるには理屈でいうよりも、恐怖とともに教え込むほうが簡単だったんでしょうね。

 その点、現代の車文化なんかを見てますと、1台何百万円もする車が2年とか3年で廃車にされている。これ、昔みたいに車にも霊があるというふうに考えていくと、とてもそんなことは怖くてできないですね。ですから、使い捨て文化というのは、霊というものが存在しないというのを確認したところで成り立っておるわけですね。


 関西大学の非常勤講師となった文珍の講義を編んだ好著。そうすると、私たちはモノと一緒に霊まで捨ててしまったのかも知れない。眼に映るものしか信じられない価値観が、大量のゴミと悪臭をもたらし、眼には見えない人の心や生命すら粗末に扱う結果を招いたのだろうか? 一寸の虫に五分の魂は、もう存在しない。

落語的学問のすゝめ