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1999-11-01

もったいない/『落語的学問のすゝめ』桂文珍


 時代が飽食と呼ばれ久しく時を経たある頃、清貧と名の付いた本がベストセラーになった。「もったいない」と言う人が少なくなったと嘆く声をよく耳にしたものだ。環境問題に関心の高い人は、割り箸なんかに「もったいない」と思うんでしょうね。貴重な森林資源を一食のために使い捨てるとは不届き千万、えーい、斬り捨ててくれるわ! などと正義の怒りに震えながら、たぬきうどんを啜(すす)るのかしら。


「もったいない」との感覚は、もちろん、人それぞれで、育った環境によるところが大きいと思う。私の父なんぞは、蛍光灯を2本点(つ)けただけで「もったいないことをするな!」とドラ声を張り上げていた。そんなわけで、どうもこまめに照明を消す癖がついてしまい、チョット気恥ずかしい。


 若い時分は悪友が「フン、あんな女とは別れてしまったぜ」と言うのを聞く度に「ウワアもったいない! 俺にくれれば良かったのにー」と悔しさのあまりハンカチをキリリと噛んだものだ。


 田舎者の私は、駅前でポケット・ティッシュをもらう度に、なぜかお辞儀をしてしまう。「フン!」と無視して歩き去る都会人を目の当たりにした時は「ウッヒョーッ、もったいない! なぜ受け取らないんだ? あ、ティッシュ・メーカーに勤務しているのか」と理解に努めようとしたが、それにしてはティッシュ・メーカーに勤務する人が多過ぎた。私は手渡されるとどうしても感謝の念が先立ち、恭(うやうや)しく頂戴してしまうのだ。ポケット・ティッシュ巡礼行脚(あんぎゃ)の過去最高記録としては、1日で14個、獲得したことがある。合掌──。


 何でもかんでも「もったいない」と言うわけではない。東海村で起こった臨界事故を見て「わーっ、あんなに放射能が漏れてしまってるー、もったいない」とは誰も思わないだろう。価値を感じるものにしか使わない。それが使われなくなった背景には、“モノそのものから便利さ”への価値転換があったと見るべきだろう。私が子供時分には、デパート包装紙などはどこの家でも、綺麗に剥(は)がして取っておいたものだ。そんなことを思い返していると隔世の感がある。


 ほなら、なぜすべてのものに“霊”があるんだというとらえ方をしたのかていうと、昔はいまのように豊かな時代ではないですから、物を大事にしなければならない。それを教えるには理屈でいうよりも、恐怖とともに教え込むほうが簡単だったんでしょうね。

 その点、現代の車文化なんかを見てますと、1台何百万円もする車が2年とか3年で廃車にされている。これ、昔みたいに車にも霊があるというふうに考えていくと、とてもそんなことは怖くてできないですね。ですから、使い捨て文化というのは、霊というものが存在しないというのを確認したところで成り立っておるわけですね。


 関西大学の非常勤講師となった文珍の講義を編んだ好著。そうすると、私たちはモノと一緒に霊まで捨ててしまったのかも知れない。眼に映るものしか信じられない価値観が、大量のゴミと悪臭をもたらし、眼には見えない人の心や生命すら粗末に扱う結果を招いたのだろうか? 一寸の虫に五分の魂は、もう存在しない。

落語的学問のすゝめ

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