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1999-12-24

『穴と海』丸山健二


 初期の短編集である。利沢行夫の解説によれば丸山にとっては3冊目の作品とのこと。昭和44年文藝春秋から発刊されたというから、著者25歳前後の作品である。表題作以下6編が収められている。


 丸山はエッセイ集『イヌワシ讃歌』(文藝春秋)で映画『灰とダイヤモンド』を絶賛しているが、そんな彼の嗜好を強く感じさせる短編の数々であった。


 静謐(せいひつ)感が伴う背景、会話の妙、暴力の匂い──。リアリティを追求するペン先は浮ついた描写を拒否し、人間が持つ心の闇をしかと睨(にら)み据える。効果的な落差が読み手を落ち着かなくさせる。どうにも尻が落ち着かない物語ばかりだ。


 利沢が表題作『穴と海』を取り上げ「丸山健二の“根”がどこに存するかを理解するうえで、これは重要な作品である」と指摘している。


 少年が山中のある場所に穴を掘る。自分がそっくり入れるほどの穴を独力で掘り下げ、ススキの束でもって開口部を覆い完成する。穴の中で少年は眠り込んでしまう。目を醒ますと既に夜だった。慌てて家路へ急ぐのだが、昼間とは全く違う姿の森林が少年の行く手を阻む。のし掛かって来るような巨大な闇を前にして、少年は家へ帰るのを諦め、自分がつくった穴へ戻り、再び寝入る──。


 これだけの物語である。少年が目的を抱いて穴を掘る作業、彼を取り巻く風と陽の光、蟻とススキに象徴される自然の息遣い。それらの描写が渾然一体となって、目的を成し遂げた安堵感に結びつく。


 利沢は、丸山作品に顕著なものとして「自然との交感」を挙げ、それは体験の虚構化ではなくアイデンティティの確認であるとし、自然の中でやすらぎを覚えるもののそこを永住の場所とはしていないと洞察している。


 確かに丸山が近隣との人間関係を拒否しているところや、大自然の懐をオートバイですっ飛ばすことなどは、そう言えなくもない。だが、それだけではしっくり来ない何かを私は感じるのだ。


 穴といえば、忘れてならないのは丸山が少年時に「心にボカッと風穴が空いた」体験だろう。更に丸山は「自分が小説家になったのは、普通の人よりも何かが欠けているからだ」と何度も述べている。


 少年が真っ暗な森林に遮(さえぎ)られて穴に戻る。この後、空腹に堪えかねて自分以外の家族で夕餉(ゆうげ)を囲む空想に悩まされる。だが、それから少年は、足の甲にこびりついた赤土を爪ではがし、その行為を面白がる。そして、ラストで「少年は長い老人のような溜息をもらしたあとで、寝入ってしまったのだ」(44p)。


 普通の少年ならば眠れないだろう。夜が孤独感を煽り立て、帰宅して怒られるであろうことを考え、まんじりともせずに朝を迎えるのではないだろうか。予想を覆す結末が如何にも丸山らしい。


 私はこんなことを思った。何が出て来るかわからぬ森林の巨大な闇は、丸山の心に空いた風穴ではなかったか。そして、少年が掘った穴とは、丸山が今日までペン先で掘り続けて来た穴ではないのか、と。


 丸山は最近、出演したテレビ番組で「自分が死んだ時に棺桶に入れる一冊を書き残したい」と、のたまわった。彼にとって居心地の好い穴はまだ完成していないようだ。

穴と海

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