古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2000-01-28

『街の古本屋入門 売るとき、買うときの必読書』志多三郎


 裏表紙の顔がいい。腕っぷしの強そうな面構えだ。しかしながら、文章は人なつっこい上に洒脱。遠慮がちに吐き出される小言には落語の小気味よさがある。


 本と聞いた瞬間、あなたが想像するのは新刊書籍であろうか。それとも、いくらか手垢のついた古本であろうか。読書量が増えてくると、本の値段が随分と高く感じる時がある。そこから古本屋への道が忽然(こつぜん)と開かれる。私の場合は19歳の頃だった。探しあぐねていた本を古書店で発見した時の感動といったら、「母と子の涙の再会」に匹敵するほどだった。古書店巡りの醍醐味は「邂逅(かいこう)」と「遭遇」に尽きる。


 古書店主による古書店の手引きである。開業から経営、本を売る場合の注意事項まで書かれている。まあ、古本屋が好きな方であれば、どなたでも充分楽しめる内容だ。


 第2章の(2)で「理論」的な問題、と題してこのように書かれている。

 

 表題を見て、え、古本屋にも理論なんてあるのかと疑問を持たれる人の感覚は正しい。古本屋は、ある意味では新刊書店より出版社の性格に近いものがあると第一章で書いたが、根本的には資源再利用の域を出ない商売であり、新しい意味附与がときに要求されることはあるにしても、一般的には創造・創作からはほど遠い商売である。だから古本屋には、どんなルネッサンスもなければどんなシュトゥルム・ウント・ドランクもない。個人的な営為にのみ終始している面から見れば、どんな栄誉もなければ、またどんな鉄槌もない。新しい天地を求めて古本屋になる者も、夢破れて古本屋になる者も、その間の事情に異同はない。淡々と続く散漫な日常があるだけであり、いくらかの小銭を儲けた損したが連綿と続くしがないたつきである。

 なんだ、それならそのへんの会社員とさほど変わらないではないか、とおもわれる人の感覚もまた正しい。


 これには笑った。オンライン古書店を開業した私にとっては、身につまされる記述だった。飄々たる筆致でこうも見事に書かれてしまうとぐうの音も出ない。だが、ここで気づくのである、只者ではない著者の読書量と蘊蓄(うんちく)に。


 店主から見る古本屋と、客のそれでは随分と違うことがよくわかる。例えば、立ち読みを拒否する権利を店主は持つ、という。商品とはいえ、基本的には店主の蔵書である。故に、あっちパラパラ、こっちパラパラというのは極めて迷惑とのこと。これには随分と反省させられた。


 著者は古書業界を通して、巧みに時代の変遷を捉えている。古き良き時代の出来事が折に触れて書かれているが、最近と思われる内容で明るいものはあまり見受けられない。良い本は少なくなって来ているようだ。


 時に私も根付けに迷うことがままあるのだが、著者はこう記す。

 

 結論的にいえば、古本一般の売価は、定価と仕入れ値とを函数とし、さらに店主の思想の表出たる係数を乗じたものといってよいだろう。店主の思想といえば大仰(おおぎょう)にとられようが、変動せざるを得ない相場に対する直感力であり、不易流行への批判力であり、社会情勢への認識力である。眼鏡をずり上げながら鉛筆片手にちょいちょいと売価をつけていくのが古本屋の一つのイメージとしてあるのだろうけど、そのちょいちょいの陰には、客の背後にある現代社会をにらんでいる目がある。


 これには快哉を上げた。まさしくその通りなのである。勝負、丁か半か! といった裂帛(れっぱく)の気合いが入る瞬間でもある。


 本書を読んで私は大変、意を強くした。偉大な先達に道を指し示してもらったように思えた。この仕事は儲けが少ないにもかかわらず、病みつきになりそうな奥の深さが何とも言えない。


街の古本屋入門 売るとき、買うときの必読書

2000-01-25

『雪のひとひら』ポール・ギャリコ


 天から舞い降りてきた雪のひとひらの一生を描いた物語である。


 平凡な女性の平凡な一生である。その意味で、雪のひとひらはあらゆる女性の象徴といえよう。


 雪から雫(しずく)へと変化した雪のひとひらは、人生という名の川の流れに身を委ねる。出会い、結婚、子供たちの成長、離別──誰にでもある人生の一コマを、美しい風景の中にクッキリと浮かび上がらせている。


 何度か訪れる人生の危機──その度に雪のひとひらは自分をつくり出した何者かに向かって問い、訴え、祈りを捧げる。


 女性ならではの孤独と不安をすくい取る筆致がこの上なく優しい。


 栄光とも、悲惨とも無縁であった女の一生。子を生み、子を育て、子等が去ってゆく女の一生。尽くすことばかり多く、酬(むく)われることの少ない女の一生。果たしてそれが幸福と言えるのであろうか──女性であれば誰もが抱く煩悶に著者が与えた解答は、神の祝福であった。


雪のひとひら

2000-01-24

『さらば、山のカモメよ』丸山健二


 青春時代が放つ、あの熱はどこから湧いてきてどこへ去ってゆくのか──。


 丸山にしては極めて珍しい軽快な文章の小説である。エッセイで紹介されていた事柄が随分出て来るということは、かなりの割合で事実に基づいて書かれたのだろう。等身大の丸山が感じられる。


 30代後半の主人公を取り巻く日常が描かれている。信州の過疎地で知り合う人間は、いずれも世間に違和感を抱く者ばかりで、一筋縄ではいかない連中である。彼等は熱に浮かされたようにオートバイに跨(またが)り、他人の夫婦問題に口を挟み、それぞれが抱える仕事に悩み、一つの季節を通過した。


 プロローグとエピローグで信州の山奥に突如現れたカモメの話が出て来る。カモメに擬されたのは「ヨウさん」という男である。これがまた女々しい男で、主人公とのやりとりが頗(すこぶ)る面白い。ヨウさんの口癖は《愛》と《美しい》のふたつで機嫌がいいとポンポン飛び出す。そのたびに主人公はこう言う。


 男のくせに、よくもまあそんな甘ったるい言葉を平気で口走れるもんだ。


 ヨウさんは必要以上に形に拘った。何を始めるにもまず形が先にあり、その形に自分を無理矢理はめこもうとした。そして、その形からどうしてもはみ出し、生々しい現実に片足を突っこんでしまいそうになると、得意の《見えないふり》をするのだった。私に言わせると、実にくだらない代物だった。少女たちをうっとりさせる程度の安っぽい夢のかたまりであり、もしくは、クルマの広告写真などに使われる絵空事であって、彼が考えている幸福とは、そのイメージに自分を近づけることでしかなかった。


 そんなヨウさんに離婚の危機が訪れる。ヨウさんの妻が浮気をしていたのだ。主人公はヨウさんをまず励まし、次に叱咤し、そして罵倒し、最後に嘲笑する。妻の実家へ行き啖呵を切ってくるよう促す主人公は一計を案じて、テープレコーダーをヨウさんのポケットに忍ばせる。目的の一つは証拠を残すためであり、もう一つの意味はこうだった。


 私はヨウさんを疑っていたのだ。本当に話をつけてこられるかどうか怪しんでいた。テープレコーダーは私の代わりとしての見張り役だった。それを持たされたことによって彼は、河原かどこかをひとまわりして戻ってくることができなくなった。


 ヨウさんはかきむしられた顔を血だらけにして戻ってくる。主人公はそれを見て、トイレに駆け込むなり、口にトイレット・ペーパーを丸めて押し込み、笑いを堪(こら)える。


 全てがこんな調子で描かれる。綺麗事だけの友情物語ではない。主人公の小説家は、周囲の人間と自分に対して、辛辣な視線を注ぎ、辛辣な言葉を投げつけ、辛辣な態度をとる。だが、何ともいえないユーモアに満ちているのだ。


 ヨウさんはよそよそしい口調で、こんなことを言った。

「ぼくはあの人に失望しましたよ」

「よく失望する男だなあ」と私は言った。「たまには自分に失望したらどうなんだ」


 おかしな人間達のおかしな素行がたくさん出てくる。樹安亭というロッジで仕入れてきた話を


 妻に話してやると、彼女もゲラゲラと笑った。

「みんな面白い人たちね」

「まともなのはおれだけだ」と私は言った。

「一番変ってるわよ」


 この作品には、いつもの求道者的な張り詰めた文体は出てこない。あの、氷に覆われた懸崖をよじ登るような濃密な息苦しさも覚えない。日常をモチーフにしたことが、いつもの山中を走り込んでいるような軽快さを生んだのだろう。


 だが、エピローグで再び山を訪れたカモメを登場させ、きっちりと効果的に物語を締め括ってみせるところはさすがだ。

さらば、山のカモメよ

2000-01-20

『ルネッサンスパブリッシャー宣言』松本功


 出版界に一石を投じる内容だ。著者が起こした波紋は、売ることに汲々として来た業界の迷妄を醒ますに十分なものがある。


 冒頭で「基礎の本」に対する危機感を表明。「基礎の本」とは、新書の巻末などで参考文献として挙げられているような本を指す。確かに浮かんでは消えゆく泡沫の如き出典数を、敷地の狭いその辺の本屋などではカヴァーしきれる筈がない。また、漫画やグラビア誌の極彩色が氾濫する店内で、活字が整然と並んでいる本に若い人は見向きもしないだろう。学校の図書館が生徒を何とかつかまえようとして、漫画を置くような時勢なのだから当然と言えるかも知れない。著者は巧みな比喩を用いてこう記す。


 たとえば、網野善彦さんの日本中世史の研究がなければ、隆慶一郎氏の時代小説はありえなかったと思う。


 こう言われると他人事じゃ済ませられなくなって来ますわな。いわば、その時代の文化を最も奥深いところで支えているのが「基礎の本」というわけだ。つまり、ミステリなんぞも「基礎の本」という根っこに支えられて咲いた花だったのだ。そうすると、私なんぞは随分と間接的な恩恵に浴していることになる。


 著者は更に学問のあり方に論及し、デジタル・テキストの可能性、オンデマンド出版の効果など、具体的な提案を欠かさない。


 止むに止まれぬ情熱が行間から立ち上がって来る。出版現場で培われた目配りが要所要所をピタリと抑え、闊達な意見に拍車を掛ける。本を愛するが故の危機感、知を求めるがためのユニークな発想──これらを支えているのは、出版界の古い頚木(くびき)から「基礎の本」を解き放ち、市民からよく見える位置に舞台を提供したいとの志であり、それは“出版人魂”とでも名づける他ない著者の精神から生まれたものであろう。


 20世紀は、紙の本の時代でもあったわけだが、21世紀は、同じようには紙の本の時代ではあり得ないだろう。


 デジタル・テキストの台頭を踏まえて、著者はこう予測する。そして、質の高いデジタル・コンテンツを育むために「投げ銭(なげせん)システム」《大道芸を見た人々が小銭を寄付する感覚で、ネット上の小口決済を可能にするシステム》の導入を唱える。


 これは市民が文化を育むという壮大なロマンに富んだ実験である。私自身、ホームページを立ち上げてから、この運動に賛同している。


 しかし、しかしである。この本を読み進めている内に、私の心には澱(おり)のようなものが付着し、最後まで拭い去ることが出来なかった。


 その一つは、物心ついた時からテレビ、ラジオなど無料で情報を得ている人々が、今更、文化育成のために、不況で冷え切った懐(ふところ)に手を差し込むだろうか、という疑問である。企業が欲しがるような情報であれば別なのだろうが、個人が金を払ってまで読みたがるような情報というのも、チョット想像しにくい。これが実現するには、日本人の精神に革命が起こらずしては、千里の道のように思えてしまう。現今の起業家への援助や福祉予算などを鑑みても寒々しい限りである。こうしたところに変化の予兆が見えない内は大いなる困難が立ちはだかるように思えてならない。まず、大前提としては通話料金が格安になるということが挙げられるのではないだろうか。市内通話が無料にでもなれば、3分10円くらいのチップは期待出来ようか。コンテンツに関しては、様々なサイトを集めて、衛星放送のような“チャンネル”を設けた方が喜捨しやすくなるようにも思える。


 本に対する考え方は人それぞれで良いと思うのだが、私にとって書物の存在は、只単に一片の情報という代物ではなく、愛着を感じて止まない「モノ」なのである。本は読むモノであると同時に、開くモノなのだ。時によっては、頬ずりする対象にまでなる。


 私は何も、デジタル・テキストの可能性を否定する心算は毛頭ない。コピーの簡便さ、検索の便利さなどはこの上ない。送受信も自由自在だ。


 ただ、本を買った時のあの満足感がデジタル・テキストから得られるであろうか。探し求めていた本を古書店で発見した時に手を伸ばすあの感覚は望むべくもないだろう。


 今、考えなくてはならない意見が満載された本書が、一人でも多くの方々に読まれ、議論百出すれば変化は期待出来るだろう。


 巻頭で著者は「知の方向転換に伴い、出版社も世間に溶け出す(主意)」と述べている。業界人スープと素人御飯が混じり合い、“おじや”の妙味が生み出されるようなデジタル文化の登場。それは、通信ケーブルを媒体とした瞬時の交流が実現した今、西洋ルネサンス期の大航海時代を席巻する激動と、新しい価値を誕生させるに違いない。


ルネッサンスパブリッシャー宣言―21世紀、出版はどうなるんだろう。

2000-01-12

『母』松山善三、藤本潔


 母性が崩壊しつつある今日こそ読まれるべき作品である。


 母──この最も懐かしい代名詞が現代社会では急速に変貌しようとしている。


 母性愛とは、見返りを全く期待しない掛け値なしの愛情だった。どんなに碌(ろく)でもないことをしでかそうと、母は子を受け入れた。世間から白眼視され、友人たちから後ろ指さされるような局面になったとしても、母だけは味方をしてくれた。それは盲目的で愚かな女の愛情だと嗤う人がいるかも知れない。だが、自分の存在自体をそのまま受け入れてくれる母がいなければ、どうして人の道を歩むことが出来ようか?


 映画『母』のノベライゼーションである。実話だそうだ。私は映画を見ていないが充分、堪能できた。


 桁外れの母親が登場する。岩手と思われる方言が飛び交い、スピード感のある場面展開が爽快。出だしの兄弟喧嘩のシーンで笑わぬ人はいないはずだ。


「お母ちゃんは働きもんなんでなッス。お母ちゃんが骨休みしてるの、わだすはみたことねえ」。学校への道すがら娘の久子が兄弟たちに語る。朝一番早くから起床し、野良仕事に追われ、深夜まで家事にいそしむそんな母に運命の嵐が襲いかかる。


 祭りの際に行われた騎馬戦で父親が大怪我をしたのだった。脊椎を損傷した父親の身体は全身麻痺となる。


 父親が退院したその日のこと。母は5人の子を集め、こう宣言する。


「おら、おまえらのお母ちゃんをやめねばならん」と。父の介護をすれば、子供たちの面倒は見られなくなる。


「今日から、お母ちゃんはお父ちゃんの命ば守る……おまえらは、みんな仲よく助け合って、勝手にでかくなるんだ。勉強も掃除も洗濯も、みんな自分でやれよ……おら、おまえらのお母ちゃんを、今日かぎりでやめる。いいな、わがったな」


 これから28年間にわたって母親の介護は続いた。子供たちは全くかまってもらえずに育っていった。父親につきっきりの母は、子供たちの結婚式にさえ出ることはなかった。元はといえば血のつながりもない夫のために、捧げられた28年間。親にとっては一番嬉しいはずの子供の成長すら振り捨てて、一人の男のために尽くしに尽くし抜いた。


 母をしてそれほどまでの献身を貫かせたものは何だったのだろう? それは、母性愛という言葉でしか説明できないものだろう。母の愛情は最も弱い者に向けられる。無力な者を見て、慈しまずにはいられない母の心の為せる業(わざ)だったのではないだろうか──。


 父親の死後、母は自分の人生を取り戻すためにアメリカへ飛ぶ。


「自由の女神っちゅうのは、どんな顔してるのか、それがひと目見てえと思って」


 それは、結婚してからというもの村から一歩も出たことがなかった母親の本音であったに違いない。夫に束縛され、土地に束縛され、運命に束縛された一人の女性が、自由の象徴を我が眼で確かめに行く。


 帰国した母は語った――


「自由の女神ちゅうから、わだすはどこへでも飛んでゆく女神かと思ったら、おらとこの田んぼよりもちいせぇ島に、ボヤーッとつっ立っているだけでねぇの……面白くもねぇ。わだすと同じだ……」


 何と痛快な母の言葉だろう。何気ない母の一言はまさしく勝利宣言だった。己(おの)が人生を、自らが選んだ道を、どこまでも歩み通してゆく、そこにこそ人生の栄冠は輝くのであろう。悔いなき人生を勝ち取った母は、アメリカ国旗をマント替わりにし、ロックをBGMに麦を力強く踏み締める。


 母は母であるというだけで偉大であり、幸福であり、輝いているのかも知れない──。


2000-01-11

『Cの福音』楡周平


 大藪春彦の衣鉢(いはつ)を継ぐ作家、と言っていいだろう。デビュー作にしてこれだけ読ませる作品に仕上げた力量はお見事。今後、どう化けるかに期待。


「C」とはコカインを指す。主人公・朝倉恭介が両親を飛行機事故で失い、多額の賠償金が入ってくる。大学進学が決まり、ミリタリー・スクールの卒業を間近に控えていたある日のことだった。大学へは行ったものの、満たされない心を抱えた恭介は格闘技を教える町道場に通う。道場の主は元米軍特殊部隊グリーンベレーの軍曹で、実戦さながらの稽古を教えていた。ある時、恭介を暴漢が襲った。煮えたぎる衝動に酔いしれ、恭介は暴漢二人を殺害してしまう。目撃者がいなかったため当然のように無罪となった。だが、内定していた就職先からは拒否される結果となってしまった。真っ当な人生を真っ当に送ることを彼は望んでいなかった。恭介はファルージオのもとを訪れる。ファルージオは暗黒街の顔役だった──。こうして恭介は、コカイン未開拓の地・日本の窓口となるために東京へ飛んだ。


 筋運びはこんなところで、特別目新しいトリックもない。輸出入の途中にブツを紛れ込ませる手口は「ほう!」と思ったが、それによって作品全体の見方が変わるほどではない。取引に電子メールを使うのが珍しいくらいなもので、郷原宏の解説は持ち上げ過ぎ。よくもまあ、これほど歯の浮くようなことを書けるもんだなあ、と別の意味で感心した。私は逆に、電子メールを使わない人にはわかりにくいのでは、との印象を受けた。


 単なる娯楽作品で終わっていないのは、主人公が国際的な犯罪組織に加担することすることを選択した根拠に説得力があるからだろう。


 プライベートな旅行での事故によるものだとして、父親の会社は規定通りの退職金と見舞金を支払い、1ヶ月以内にマンションを出るよう恭介に促した。


 航空会社との補償交渉が始まるや否や、多くの法律事務所から交渉の代理窓口を請け合うと言い寄られる。300万ドルの賠償金が確定すると、法律事務所は30パーセントの額を成功報酬として要求した。


 更に、その事実を知った遠縁の男が金の無心に訪れた──


 恭介は、世の中で「まとも」とか「正義」とか言われているものの正体がいかに得体の知れないものであるか、そしてこの世の中が実のところそうした人間たちによってのみ動かされているという現実を、早くも18歳にして垣間見ることになったのである。


 彼に悪への道を選択させたのは社会の現実だった。最も多感な時期に人生最大の悲哀を知った青年が涙を流すことさえ許さなかった世間に対して恭介は攻撃を開始する。彼に魅力を感じてしまうのは、誤った世の中で生き延びるための正当性が窺えるからであろう。スマートに仕事をこなす彼に邪悪の陰は見られない。


 誤った価値観の世界においてのみコカインは福音たり得るのだろう。


Cの福音

2000-01-08

『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年』佐野眞一

    • 『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年』佐野眞一

 人間と動物の違いは様々あるだろうが、人間は教育によって“変わる”ことが出来る。動物の場合は血統がモノをいう。昨今の教育現場では刃物が飛び出す始末で恐ろしいことこの上ないが、昭和20年代、まだ教師と子供たちが信じ合えた頃に誕生した綴り方文集の傑作『山びこ学校』(青銅社、1951年/角川文庫、1992年/岩波文庫、1995年)。教育の効果は時間が経つほどに発揮されるものであろう。これは、戦後教育に燦然と輝く「山びこ学校」の40年の足跡を辿った労作である。


 まず驚かされたのは無着が山元中学校に赴任したのが21歳の時であったことだ。師範学校を卒業し、僻村に赴く彼の胸には、希望と不安が去来したことだろう。だが、この若き熱血教師の情熱が子供たちの中に眠る可能性を引きずり出したのだ。


 現実は厳しかった。貧しい家の働き手となっている子供たちは、学校に通うことすらままならなかった。「空腹」を「そらはら」と読み、「空気の入った腹のこと」と意味を記す中学生。8+5の解答を11とする者が教室の半数近くを占めた。赴任1年後、無着は日記に記した。


 どうしても、どうしても必要なだけの、どこに行ってもなくてはならないだけの、

 よむちから、かくちから、つづるちから、はなすちから、きくちから、かぞえるちから、そんなちからを、

 みんな、全部の人が持ってくれ、と祈りながら、いや泣きながら、赤鉛筆をけずっているのだよ。

 ぽろぽろこぼれていく、けずりくずのひとひらに、希望をこめて。


 幾度となく挫折の壁が立ちはだかったに違いない。しかし、喘ぐような日々の中で彼は希望を捨てなかった。希望とは、子供の「育つ可能性」を信じることに他ならない。添削で短くなった赤鉛筆を削る音に身を苛(さいな)まれ、けずりくずに希望をこめる。心は揺れながらも、彼は子供を信じた。


 無着は生活綴り方、今でいう作文に力を注ぐ。赴任9ヶ月後であった。そして文集「きかんしゃ」第1号が半年を経て完成。以後、第14号まで刊行された。これらの中から抜粋されたもので編まれたのが『山びこ学校』だった。作文といっても、詩や散文のみならず、生活レポートなどがあり、算数や社会科を充分意識したものだった。


『山びこ学校』の白眉といって良い江口江一の「母の死とその後」が文部大臣賞を射止める。このことが伏流となって『山びこ学校』は爆発的な売れ行きを示した。後に映画化。無着はマスコミから一気に担ぎ上げられる。


 有名の二字は必ずしも幸福を招かなかった。否、災いをもたらしたといっても言い過ぎではなかった。左右両陣営が利用しようとする。貧しい生活をありのままに綴った子供たちの親からは「孫末代までの恥さらしだ」(241p)と罵られる。20代半ばの無着は遂に村を去り、東京山の手の明星学園に移る。それからはマスコミに登場する機会も増え、タレント教師のハシリとして活躍。『山びこ学校』の子供たちとの交流は殆どなかったという。


 40年という時間を経て、不遇な人生を送られた方も多かったようだ。貧困が彼等の人生のブレーキとなった感はどうしても否めない。だが、彼等の胸中には若き日の無着の言葉が残っていた。「(正しいことは正しいという、との言葉を贈られた一人)そういう生き方はいいなあ、どんなに貧乏してもそうして生きていきたいと思った。あの言葉だけはあとあとまで忘れなかった。あの言葉のおかげで、なんとか今日まで生きてこられたような気がする」(167p)。


 少年時代の美しい心を保つには、余りにも世の中は厳しい。しかし、貧しさに負けることなく、彼等が学んだ事実はいまだ多くの人の胸を震わせる。


 昭和初期には、娘の身売りが全国でも最も多く、東京の娼妓の6分の1を山形出身者が占めたという。『山びこ学校』の級長であった藤三郎は幼少時から「あの娘は、明日で保険が切れるという日にちゃんと死んでくれた。保険が切れれば入院費を払わなくちゃならない。親孝行な娘だった」と母親から姉の話を聞かされてきた。


 過酷な労働は子供の身体上に現れていた。文部大臣賞の授賞式に壇上に上がった江口江一は中学3年でありながら、小学生部門で受賞した小学4年の子供より5センチも身長が低かった。山元村の子供たちは二宮金次郎の像を見て笑い飛ばしたという。「あればっかりのタキギを背負ったんじゃ、いくらでも本が読めらあ」と。少年たちは「頭を遙かに越える高さから、足のふくらはぎくらいにまで達するたきぎ」を背負うのが日常だった。


 そうした生活苦が極まりない中で彼等は心を通わせた。江口江一が母親の死後、1ヶ月半学校に登校出来なくなる。一家の大黒柱となった彼は、タキギ運びと煙草のしに明け暮れる。無着は仕事の計画表を作って学校に持って来るように言う。それを見ると、その月もよくて2日間しか学校には来られない。級長の藤三郎にそれを見せ「なんとかならんのか」と無着は言う。


「できる。おらだの組はできる。江一が学校にこれるようになんかなんぼもできる」


 藤三郎の言葉を聞き、母の死後ずっと泣くのを我慢していた江一の瞳から大粒の涙がこぼれた。


 映画プロデューサーが江一の家を訪れた際、入口付近に咲いた白い葉ぼたんの花が咲いていた。彼がそれを褒めると、江一は黙ってその一株を掘ってよこしたそうだ。その江口江一は31歳で絶命する。『山びこ』の寵児ともいうべき彼は、最期まで変わらなかった一人であったのかも知れない。刻苦精励、奮闘努力を絵に描いたような人生を全うした。


 綺麗事では済まない生々しい現実が侘びしさを誘う。「山びこ」の子供たちの人生は決してバラ色には輝かなかった。しかし、現実がそうであったとしても『山びこ学校』は読み継がれるであろう。酷烈な環境で学び得た彼等の生き様は、無数の読者に限りない希望を与え続けることだろう。己(おの)が人生にそうした一瞬があるだけでも彼等は幸せだと思う。

遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年


遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (文春文庫) 遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年 (新潮文庫)

(※上段は単行本、下段は両方とも文庫本)