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2000-01-12

『母』松山善三、藤本潔


 母性が崩壊しつつある今日こそ読まれるべき作品である。


 母──この最も懐かしい代名詞が現代社会では急速に変貌しようとしている。


 母性愛とは、見返りを全く期待しない掛け値なしの愛情だった。どんなに碌(ろく)でもないことをしでかそうと、母は子を受け入れた。世間から白眼視され、友人たちから後ろ指さされるような局面になったとしても、母だけは味方をしてくれた。それは盲目的で愚かな女の愛情だと嗤う人がいるかも知れない。だが、自分の存在自体をそのまま受け入れてくれる母がいなければ、どうして人の道を歩むことが出来ようか?


 映画『母』のノベライゼーションである。実話だそうだ。私は映画を見ていないが充分、堪能できた。


 桁外れの母親が登場する。岩手と思われる方言が飛び交い、スピード感のある場面展開が爽快。出だしの兄弟喧嘩のシーンで笑わぬ人はいないはずだ。


「お母ちゃんは働きもんなんでなッス。お母ちゃんが骨休みしてるの、わだすはみたことねえ」。学校への道すがら娘の久子が兄弟たちに語る。朝一番早くから起床し、野良仕事に追われ、深夜まで家事にいそしむそんな母に運命の嵐が襲いかかる。


 祭りの際に行われた騎馬戦で父親が大怪我をしたのだった。脊椎を損傷した父親の身体は全身麻痺となる。


 父親が退院したその日のこと。母は5人の子を集め、こう宣言する。


「おら、おまえらのお母ちゃんをやめねばならん」と。父の介護をすれば、子供たちの面倒は見られなくなる。


「今日から、お母ちゃんはお父ちゃんの命ば守る……おまえらは、みんな仲よく助け合って、勝手にでかくなるんだ。勉強も掃除も洗濯も、みんな自分でやれよ……おら、おまえらのお母ちゃんを、今日かぎりでやめる。いいな、わがったな」


 これから28年間にわたって母親の介護は続いた。子供たちは全くかまってもらえずに育っていった。父親につきっきりの母は、子供たちの結婚式にさえ出ることはなかった。元はといえば血のつながりもない夫のために、捧げられた28年間。親にとっては一番嬉しいはずの子供の成長すら振り捨てて、一人の男のために尽くしに尽くし抜いた。


 母をしてそれほどまでの献身を貫かせたものは何だったのだろう? それは、母性愛という言葉でしか説明できないものだろう。母の愛情は最も弱い者に向けられる。無力な者を見て、慈しまずにはいられない母の心の為せる業(わざ)だったのではないだろうか──。


 父親の死後、母は自分の人生を取り戻すためにアメリカへ飛ぶ。


「自由の女神っちゅうのは、どんな顔してるのか、それがひと目見てえと思って」


 それは、結婚してからというもの村から一歩も出たことがなかった母親の本音であったに違いない。夫に束縛され、土地に束縛され、運命に束縛された一人の女性が、自由の象徴を我が眼で確かめに行く。


 帰国した母は語った――


「自由の女神ちゅうから、わだすはどこへでも飛んでゆく女神かと思ったら、おらとこの田んぼよりもちいせぇ島に、ボヤーッとつっ立っているだけでねぇの……面白くもねぇ。わだすと同じだ……」


 何と痛快な母の言葉だろう。何気ない母の一言はまさしく勝利宣言だった。己(おの)が人生を、自らが選んだ道を、どこまでも歩み通してゆく、そこにこそ人生の栄冠は輝くのであろう。悔いなき人生を勝ち取った母は、アメリカ国旗をマント替わりにし、ロックをBGMに麦を力強く踏み締める。


 母は母であるというだけで偉大であり、幸福であり、輝いているのかも知れない──。


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