古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2000-08-10

ボールペン


 こんな商売をするようになり読書量がぐっと減った。それは、読み物から売り物への変遷に伴い「本」を見る目つきが変わってしまった証左なのかも知れない。時間がないのも確かだが、それ以上に「読む」という意欲が湧いて来ない昨今である。


 その点、本書は一日一ページの日記形式なので、如何に時間がなくとも区切りよく読むことが可能だ。寝しなに少しずつ読んでいる。初めて読んだ時ほどの昂奮には欠けるが「読む」に値する一書であることは論を俟(ま)たない。


 私はボールペンだ。

 書くために生きるのか、生きるために書きつづけるのか、その辺のことが未だにわかっていない小説家、そんな男に愛用されている水性のボールペンだ。


 丸山は率直に「書くスタンス」を表明している。


 彼は今、数々の物象と命ある者とが巧みに構成する山国の町、まほろ町をつぶさに観察し、また、風がそよとも吹かない日でも強風のなかの案山子(かかし)のように全身を震わせ、魂さえも震わせてしまう少年と、彼が飼うことになった野鳥を通して、自己のうちには見出せない精神の軌跡と普遍の答を捜そうともくろんでいる。


 丸山の心象風景から生み出された物語は、目に映る表面的な営為を全く別の視点から描き出し、根源に潜む善悪を暴き出す。


 まほろ町で最も巧みに構成されているのは、万人がその美しさを認めざるを得ない「オオルリ」と、誰もが目を背け、哀れんでしまう「世一」の組み合わせだろう。少年「世一」のキャラクターは秀逸である。想像力の飛翔が斯くの如き主人公を誕生させた。世一はあらゆる人の営みが持つ本質を感知し、調和の方向へ、真実の高みへと誘(いざな)う。一見、トリックスター的な要素を湛えつつ、骨太な物語の柱としてそびえ立っている。


千日の瑠璃〈上〉 (文春文庫) 千日の瑠璃〈下〉 (文春文庫)