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2001-02-28

『二重言語国家・日本』石川九楊


 ある種の手品を見ているような気にさせられる本である。出るはずのない場所から鳩が現れたり、こちらが持っている札をピタリと当てられた瞬間に立ち上がって来る驚愕を随所で感じてしまう。手品に使われる道具は――漢字のみである。著者はタネを明かしてみせるのだが、どうも騙(だま)されている感を拭えない。スッキリした思考、明晰な文体が、スッと脳味噌に入り込む。疑問を抱く余地が見当たらないのである。手足を縛られたままマッサージを受けているような抗(あらが)い難い魅力がある。


 近代以降、「日本とは何か」「日本人とは何か」と問う思考が顕著であることを挙げ、その原因を「それは問う側が、日本人であること、日本文化に対して、異和をもつからである」(5p)としている。更にそこから「日本人であることに異和をもつということは、日本語に対して、日本人は、いくらかしっくりこない部分、奥歯に物が挟まったほどに異和感を抱いているということ」(同頁)と指摘。中国で生まれた漢語と弧島で発生した和語が絡み合う言語は、音写文字の平仮名と表意文字の漢字が羅列する異和感と、漢語をテニヲハが支える構造的な異和感がつきまとい、これを二重に分裂した言語の統一体=二重言語と著者は名づける。


 ここから著者は、言葉によって人間が支配されている有り様を、文化、歴史、伝統、風習、社会事象を通し、これでもかといわんばかりに列挙してみせる。鮮やかな手並みは読む者をして沈黙の淵に追いやり、頁を繰るごとに無知の穴が埋められる爽快感に満たされる。


 ソシュールの「文字は言語を表記するものだ」という説を日本語には適用できないとし、「その学問がいっこうに人間や社会の現実を解き明かすことにならぬのは、意識と言葉の深みへの考察を欠いているからである」と斬り付ける。更に返す刀で言葉の姿をこう記してみせる。


 発語は人類史を垂直に立てた底知れぬ深みを宿している。

 言葉は、おそらく、忘れた言葉を想い出す時のように立ち上がってくる。

 たとえば人の名をど忘れして、想い出せない時がある。その時、もやもやした「しこり」や「さわり」のようなものが胸中に浮かぶ。想い出さなければ、気持が悪くてしかたのない「もやもや」としたもの――それが言葉の原系とも呼ぶべきものであり、その「もやもや」が、脳ではなく身体のどこかに浮かぶところの名状しがたい感覚であるところに、言語や思考というものが、全身体的なもの以外にありえぬことを証している。(14p)


 私が今、所感を記そうとしながら、中々上手い文章にできない状況を代弁してくれるような一文である(笑)。まあ、この「もやもや」をご理解願いたい。


 音楽、演劇、落語、絵画から国家に至るまでを“漢字”によって解いてみせる著者は、漢字の世界から派遣された手品師に違いない。

二重言語国家・日本

2001-02-27

ゲーテ


「今日を生きた」――こう言える日が人生で何日あるだろうか。仕事に追われ、家事に追われ、生活に追われる。不本意な一日があっという間に過ぎ去り、人生から容赦なく時間が奪われてゆく。人の一生が一日一日の積み重ねであるとすれば、今日一日の生き様に人生があるといってよい。とは力んでみるものの、寝不足で朦朧とする目覚めに始まり、酒盃を煽りつつ今日を振り返ることもなく、まどろんでしまう。酔生夢死とはよくいったもんだ。駄目だね、これじゃ。


 残尿感のようなものがつきまとう人生は不幸この上ない。人生の折々の季節に、やり残したことはないだろうか。吾が輩は“青春の夏”が過ぎ、初秋にかかろうとする年齢となったが、目に見えぬ不安が群雲のように感ぜられることがある。それは為すべき変化を為し遂げていないもどかしさに似ている。


 生きているあいだ 何事も先へのばすな、

 きみの生は行為また行為であれ


【『ゲーテ全集8 ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』登張正實〈とばり・まさみ〉訳(潮出版社、2003年)】


 痺れる一言である。折からの心理学ブームのせいでこれに反論される方も多いだろう。何もせずリラックスする時間が大切だとか、そんなことやってると強迫神経症になっちまうとか、ストレスがたまる一方だなどという批判もあるだろう。しかし、私はそうは思わない。


 限られた人生を充実の輝きで満たすためには自ら行動するしかない。やらされているだけでは駄目だ。自分が選び取った行動を積み上げてゆくのだ。失敗したって構うものか。他人の人生を生きているわけではないのだから。


 理想を失い、自分すら見失いかねない時代である。なりふり構わず、体当たりで挑戦、また挑戦するぐらいの気概があって丁度いい。


 若人よ、考える前に跳べ!

ゲーテ全集〈8〉小説―ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代

2001-02-19

ある冬の断面


 太陽の軌道が低い季節になると、ここ東京では抜けるような青空が見えるにもかかわらず、ビルの影が街を覆い隠す。高台を走る電車に乗ると、林立する高層ビルの背が陽光を浴びて眩しい。都会では、目に映る本物の太陽ですらバーチャルな存在だ。惜し気もなく発せられる光は届かず、温もりすら感じることができない。影に追いやられた人間どもは、真っ昼間から蛍光灯の下であくせく働き、空調機は快適な温度を保つために二酸化炭素をまき散らす。都会の空は辺りを圧する建物に遮(さえぎ)られて3分の1も見えない。眼に映るのはビル影を無言で歩き回る無表情のサラリーマンたち。


 彼等が幸運にも定時で帰路へ向かう頃、同じく一日の努めを終えた太陽はとっくにビルの向こうに沈んでいる。いや、今日に限って言えば沈みっ放しだったかも知れない。この街では人々の顔が夕焼け色に染まることは断じてない。政治に無関心になって久しい人々は、今夜のテレビ番組の選択に余念がない。誰の人生を生きているのか忘れ果てた連中を、ひときわ高いビルからこっそり顔を覗かせた左半分の月が見つめる。


 冬の太陽が、ここからは見えぬ海にゆっくりと沈む頃、ネオンが輝き出す。暮色は人間を暗く染め、風景の一部に塗り込めようとしている。ネオンの光が人間の顔を一層暗くする。ネオンよりも輝く魂の持ち主は一人も見当たらない。「今頃気づいても遅し」と言わんばかりに電飾看板が明滅し、一層華やかな光を発する。「もっと光を」ゲーテがいまわの際に放った言葉が浮かぶ。しかし、彼が欲したのは、原子炉の熱エネルギーがタービンをフル回転させて発する電力が生んだものではあるまい。地軸の傾きと、折からの不況と、空々しい蛍光灯が一致団結して寒さを盛り上げる。


 夜の光は邪(よこしま)だ。疲れ切った表情をより醜悪なものにし、浅いシワに深い影を落とし、生気のない顔色を青白く染める。生き生きと動き出すのは、ポケットの中でナイフを握り締める少年達と、白い粉の売り買いに奔走する致死をも恐れぬ若者達。


 大型光学赤外線望遠鏡「すばる」が撮影した100億光年彼方の星の光は届くべくもなく、月光がサーチライトのように一隅を照らす。


「陽光を浴びずして咲く花はない」と地球の裏で太陽が叫ぶ。

2001-02-13

「走る階級」BORO


 昔はよく音楽を聴いた。寝る前などは必ずと言って好いほどLPレコードに耳を澄ませたものだ。思春期の多感な生命は、音楽や書物によって信じられないほどの振幅を示した。自分がドラ声のせいか、声の大きな歌い手が好きだ。最近だと、新井英一伊藤多喜雄。少し前だと、山田晃士(やまだ・こうし)、JACK KNIFEのリード・ヴォーカル、和気孝典(わき・たかのり)といったところだ。吉川晃司も昔から好きなんだよなー(私は自分より胸囲が大きい人間を無条件で尊敬するという癖がある。因みに私は98センチ)。海外だと、ミック・ジャガーボビー・ウーマックなど。当然ながらゴスペル、ブラック・ミュージックを好む。


 そんな私が10代の頃から愛聴しているのがBOROだ。ヒット曲は『大阪で生まれた女』と『ネグレスコ・ホテル』のわずかに2曲。『大阪で生まれた女』は、私の場合、専らショーケンが歌ったモノを聴いていた。ある日、ブラウン管で初めて目にした。直立不動でギターを抱えた姿に「随分、無骨な男だな」という程度の印象しか残らなかった。それから数年後、FM放送で『罪』と『愛』という2枚のアルバムに収められた曲が数日間に亘って紹介されいた。「これだ!」って思ったね。運命を予期させる一瞬の出会いだった。野太い声、黒人顔負けのスキャット。生活の臭いの強い歌詞は貧困と孤独を赤裸々に謳い上げる。また、ある時は、異国の物語風に洒落っ気のあるドラマをスケッチする。ヒットしそうにもないB級感覚がたまらない。恋愛を絵空事の美しさで覆い隠した今時のヒット曲とは、性根の据え方が違う。


 セカンド・アルバム(廃盤:タイトルも判明せず。私が所有しているモノは見本盤)に収められた「走る階級」という歌詞を紹介しよう。


「走る階級」

 親父はあの朝

 アルミの弁当箱を乗せて

 自転車で町工場へと向かった


 朝の八時になれば

 サイレンがせかす人の暮らしを

 母親は子供たちを外へ追い出した


 太田のお爺ちゃんが

 孫のタカ坊を乳母車に乗せ

 干からびた思い出を語りにくる


 少女はシルクのドレスに包まれて

 それは優雅なもの

 光る妖精のような少女は


 垣根の向こう 芝生の上で今日も走っている

 でも あの子は優雅に走る階級


 ロバのパン屋は

 一日一度広場に来るけど

 ねだれない暮しは知っていた


 泣かずにはいられない

 多くの夜を過ごして

 人は人 夢を持てと教えられた


 それでも毎日が 楽しかったのは

 あの少女のおかげ

 いつも通り過ぎるだけの少女の家


 ある日 少女は シルバー・グレーのジャガーに乗せられて

 俺の前を優雅に走り去った


 俺のいる階級は ただガムシャラに走る階級

 でも あの子は優雅に走る階級


 ミディアム・テンポのナンバーである。出だしのブルース・ハープがもどかしい心情を切々と掻き鳴らす。自立に向かって揺れ動く少年の屈折した情感は、感謝と卑下の間をさまよっていた。憧れと現実、抑えられない思いとそれを抑え付ける社会。金持ちの家の庭に咲いた美しい花を覗き見るような心境だったのだろうか。自分がいる場所からそれは確かに見える。だが、決して手が届かない世界に咲いた花だった。遠くから見るだけで満足しようとする心が、哀しさを一層、際立たせる。夢とは程遠い距離に身を置きながら、少年にとっては黙って生きてゆくことにさえ、必死さを要求された。


 そんな時代が少し前までは確かにあった。生活の不如意などという言葉は飽食の時流によって遠い過去へ流されてしまった。


 曲を聴くとわかるが、卑屈な叫びでありながらも「ガムシャラ」に生きる者の覚悟を、自分自身に言い聞かせる姿勢を感じるのは、少し贔屓(ひいき)が過ぎるであろうか。


追記


 入手可能となった! 朗報である。興味がある方は直ちに買うべし!


ゴールデン☆ベスト

『ゴールデン☆ベスト BORO


2005-11-27

2001-02-12

『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー

    • 『ボーン・コレクター』

 持ち歩くことを自ら禁じた。なぜなら、何一つ手につかなくなることがハッキリしていたからだ。寝しなに読むよう心掛けた。その結果、私は4日間にわたり睡眠不足を余儀なくされた。普段は12時30分に寝るのだが、本書を開くや否や覚醒状態となり、私の強靭なる意志をもって本を閉じても、常に深夜の2時を回っていた。読み終えた瞬間は――2時17分。押し寄せる昂奮で、しばし眠れなくなった。


 噂に違わぬ剛速球だった。レクター教授の向こうを張る見事なキャラクターの登場だ。彼の名はリンカーン・ライム。ニューヨーク市警の元科学捜査本部長にして、“世界最高の犯罪学者”と呼ばれた男である。彼の元に異常な殺人事件が知らされる。犯人は人間の骨を偏愛する殺人鬼だった。犯行現場には必ず微(かす)かなメッセージとおぼしき証拠物件が残されていた。警察から捜査の手助けを依頼されたライムは、警邏(けいら)化の女性巡査、アメリア・サックスを助手にして捜査を展開する。


 ライムは四肢が完全に麻痺している重度の障害者だった。数年前の事故によるもので、それ以降、捜査の第一線を退かざるを得なくなる。動くのは頸(くび)から上と左手の小指のみ。


「ケッ、どうせ全知全能の主人公が居ながらにして謎解きをするんだろうが!」などと邪推するのは私だけではないだろう。「まあ、その内、読もう」ぐらいにしか思っていなかったのは確かだ。ところがドッコイ! 見事に裏切られた。嬉しいね〜。


 この作品の正しい読み方を教えよう。普通のミステリやサスペンスと同様に読んではならない。出来過ぎだ! とか、んなことあるわけねえだろ! と思った瞬間、あなたの負けだと考えて頂こう。 これは、“主人公が四肢麻痺という設定”で、どのようにして最後まで飽きさせることなく読者を楽しませるか――という著者の挑戦なのだ。さて、あなたの想像と著者のストーリー・テリングとどちらに軍配が上がるだろうか? 因みに私は完敗した、とだけ記しておこう。


 ほぼ全身が麻痺しているライムが“悪態吐(つ)きの名人”であるところが、まず、意表を衝いている。介護士のトムに対する罵倒はなかなかの見物。そんな反面、彼は自ら安楽死を望んでいた。サックスも同様で心に傷を負っていた。望んでいた転属先がやっと決まり、これからという時に彼女はライムによって起用される。憤懣やる方ないサックスと、そのようなことは全く意に介さないライム。登場人物は皆一様にクセがあるのも好ましい。


 骨の鳴る音に取り憑かれた殺人鬼は次々と犯行に及ぶ。サックスを手足の如く使い、携帯電話で指示を出すライム。事件を追うごとに深まる二人の絆。微量の土、首筋に付着した指紋といった証拠からボーン・コレクターをプロファイリングによって特定してゆく過程が見所。決して読みにくくならないのは巧みな筆さばきの為せる業(わざ)。


 犯人逮捕まで、あとわずかとなった時点でライムは安楽死の選択を自ら決める。雄弁な彼を止めることはアメリア・サックスをしてもかなわなかった。


 そして全てがもつれ、絡み合いながら終局へとなだれ込む。圧巻のラストは殺人鬼、ボーン・コレクターとライムの直接対決。四肢が動かぬライムはどう立ち向かうのか。それを知りたくば買え、読め、堪能せよ! ハード・カバー1900円は安いもんだ。

ボーン・コレクター〈上〉 (文春文庫) ボーン・コレクター〈下〉 (文春文庫)