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2001-04-10

『消えた女』マイクル・Z・リューイン


 ロバート・B・パーカーに厭(あ)きるようになれば、リューインを読む時期に差し掛かっているといってよい。就中(なかんずく)、パーカーが紡ぎ出す会話が好きで、ついついシリーズ物に手を伸ばしている人にとってはウッテツケだ。


A型の女』(早川文庫)に始まるアルバート・サムスン・シリーズの第5作。


 事務所の立ち退きが迫ったある日、友人を捜して欲しいという依頼を受ける。ナッシュビルを訪れたサムスン。調査の結果、目的の女性プリシラ・ピンは夫の元を去り、女癖の悪い実業家と駆け落ちしたということがわかる。依頼人は捜索をあきらめた。拭うことのできない小さな疑問を抱えたサムスンは再び依頼人と連絡を取ろうとしたが、今度は依頼人がいなくなっていた。3ヶ月後、駆け落ちした相手の実業家ビリー・ボイドが森の中から死体となって発見される。サムスンは、嫌疑をかけられたプリシラ・ピンの夫の弁護人と相談し、行方知れずとなった女性を、もう一度追う。


 私はリューインとは大変、相性が好くスイスイ読める。5ページに一度くらいの割合でニヤリとさせられる。訳の頂けない箇所(例えば1ページ目の2行目以降など)が目立つものの、原書の魅力が遥かに上回っている。ラストの仕掛けが少々凝り過ぎたきらいはあるが、二重三重の謎はそれなりに驚ける。まあ、私のような人生も半ばに差し掛かった読者にとって、謎解きは大事な要素ではないのだ。


 やや穿(うが)った見方をすればサムスンは平凡なサラリーマンと大差はない。冒頭から、人生につきまとう不安と焦燥が独白される。焦眉の急と迫った立ち退き、経済的な逼迫(ひっぱく)、乏しい仕事、42歳になった離婚歴を持つ男が吐く溜め息は深い。このような点では、市井の庶民が抱える哀感を巧みに描く藤沢周平と相通ずるところがあるようにも思える。羨ましいのは米国人気質ともいえるユーモアと皮肉に長(た)けた会話。


 例えばナッシュビルの女性保安官を訪ねた際のやり取り――


「でも、彼女の食事の時間のことを気にすることはないわ。ジェアンナ(保安官)は胃がとても丈夫なの。消化不良になったなんて聞いたこともないわ」

 最近は、わたしも同様だ。消化不良を起こすためには食物が必要だ。


 依頼人エリザベス・ステットラーに対してはこうだ――


「わたしは約束を守るのを職業上の誇りとしています」わたしはいった。この職業をつづけるかぎりは。


 また、こんなのもある――


「ミラー警部補だ」彼は、ギリシャ悲劇の合唱隊(コロス)が声をそろえて「疲れた」と朗誦(ろうしょう)するより雄弁に疲労していることを感じさせる声でいった。


 画廊の支配人を一目見て、


 この女性とポーカーをやるのは避けるべきだと直感した。その挙措(きょそ)と微笑はこの女性の頭の良さをはっきりと示していた。


 後半、サムスンは目の前にいる犯人から殺されそうになる。


 拳銃で狙われるのはウンザリだった。これで、今日二度目になる。


 世界をどのように受け入れるか、そこにその人の生き方が顕著に現れる。以前『A型の女』を評して「些事への固執は、自分の意志に基づく選択によって、人生をコントロールしていることを確認する作業なのだろう」と書いた。本書を読み終えて考えさせられたのは、サムスンの巧まざるユーモアの源がいずこにあるかとの一点であった。これを考えることで、人生を面白くする秘訣を解明できるような気がした。


 サムスンが行っていることは“人生を物語化”する営みといえないだろうか。豊かな形容は小さな驚きから生まれたものだ。見事な比喩は、知識や経験を統率し類型化する能力なければ不可能だ。比喩が面白いのは、比べられるものに飛躍があるからであり、柔軟な感受性の現れに他ならない。


 身の周りに起きた出来事を捉え直す。自分ならではの構成を施す。自分自身を客観視できるのは、我が人生の主導権を握っている自覚がある故だ。サムスンの言葉には、人生の手綱を締め直すような力が秘められているのではないか。


 真っ当な男が演じる探偵は決してスーパーマンではない。しかし「内に秘めたタフネス」はどの男性にとっても参考になる生き方を示唆してくれる。

消えた女

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