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2001-05-03

『ミッドナイト・サン 新・北欧紀行』丸山健二


殴られる心地好さ


 私は軽井沢の地にいた。新世紀初のゴールデン・ウィークを、余りにも有名となった避暑地で優雅に過ごす予定だった。2日に出発。クルマで向かう途中、怪しげな顔を見せていた雲がパラパラと雨を落としてきた。面子が悪過ぎた。古書店仲間だったのだ。道中、古書店でも巡りながら行きましょう、ということだったので、「あんまり荷物になっても仕様がないし、適当にみつくろってくるか」程度に思っていたのが、そもそもの過ちだったのだ。1軒目、2軒目は、まだバカンス気分だった。3軒目あたりから、妙な熱気が身体を包み込んだ。この時点で私を含めた4人の旅の目的が道楽ではなくなったように思う。買う度にはしゃぐ姿は、とても大人のものではなかった。単なる仕事にしては執念が深過ぎた。


 結局、一泊二日の旅で数十件の古本屋を回り、私は67冊もの荷物を持つ羽目となっていた。多目に持ってきたはずの所持金は1000円札一枚となっていた。「宵越しの金は持たねえ流儀よ」と心で呟いたが、下唇には歯型がクッキリとついていた。しかし、私にはまだ伝家の宝刀が残されていた。「俺は、まだ普通だ。オヨヨの山崎君と較べれば……」と自分を慰めることができるのだから。とある書店で山崎君は持ち出した本の値段を訊いた。1万円足りなかった。こんな買い方は普通の人間はできねえぜ、全く! イカシタ古書店主とイカレタ古書店主は紙一重だった。その点、月影の大塚さんなんぞは買い方が上手い。クルマの後部座席で、山崎君と2人で大塚さんが買った袋の中を覗いた。「上手いのを抜いてくるねえ」と私が言うと、山崎君はすかさず「失敗しても傷が浅く済む買い方ですね」と応じた。西荻窪で「ハートランド」というブックカフェを構える斉木さんは相性が悪かったようで収穫は少なかったようだ。


 持ってはいたのだが、丸山健二の『ミッドナイト・サン』を買った。皆を待つ間、パラパラとめくってみた。本の状態は非常に悪かったのだが、読むには差し支えなかった。


 暗く、重く、うんざりさせられる日々とすっぱり手を切りたいと願うなら、旅に出るがいいだろう。これが一番だ。もしくは、さんざんあがいて、音をあげて、苦しんだ挙句に万策尽きたと思ったなら、さっさと旅に出るがいい。


 この冒頭を読み、私は自分を呪った。軽井沢まで来て本を買う姿は旅とは懸け離れ、日常そのものだった。


 丸山は、旅が逃避行為であることを認めた上でこう書く――


 少なくとも、家に閉じこもって無為のうちに過すことよりはましなはずだ。弁解の言葉に埋まって動かないよりも、ともかく出ることだ。未知なる時間と空間のなかをくぐり抜けて行くうちには、おそらくどうになかなるだろう。よしんばどうにもならなかったとしても、移動しているあいだはまばゆい光輝に包まれる瞬間がきっとあるだろう。きょうはなくてもあしたには得られるかもしれないという期待につきまとわれるだけでも意味があるだろう。


 30代の丸山はなかなか威勢が好い。「アナーキズムは思想ではなく哲学である」などと面倒なことはいわない。充実した体力のせいであろうか。エッセイの文章はどこか余裕がある。最新作の『逃げ歌(講談社:上下)』などは、とても読めた代物じゃない。落ちた体力を総動員してペンにしがみついているような印象しか受けなかった。あるいは、庭仕事に精魂を傾け過ぎて、ペンを握る力が残ってなかったのかも知れない。


 タイトルは、ラオネル・ハンプトンの名曲からとったようだ。ノルウェーを中心にクルマで走破する5500kmの旅。丸山がしかと見据えた土地や人々がスケッチされている。もやもやした鬱屈を抱え、それを排気ガスと一緒に吐き出す旅だ。


 がむしゃらに前へ進みゆく者の言葉が清々しい。丸山の言葉には“殴られる心地好さ”がある。

ミッドナイト・サン 新北欧紀行

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