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2001-05-10

『死とどう向き合うか』アルフォンス・デーケン


「死生学」の権威が認める“尊厳死”に疑問


 ノリ太(英国でオンライン古書店を営む私の弟子)に薦められ、デーケンの本を始めて読んだ。「死生学」とは、死をどう捉え、どう理解するかを学ぶ学問。著者はドイツ生まれで現在、上智大学文学部教授。過去に、アメリカ文学賞(倫理部門)や菊池寛賞を受賞している。


 日常生活の中で死と向き合うことは殆どない。これについて語り合うことなども稀であろう。通夜や告別式などに行った際ですら、故人を偲(しの)ぶ程度で、自らの死について思いを馳せることも、まずない。


 誰にでも平等に訪れる死に対して、どうして人間はこれほどまでに無自覚で生きることができるのだろうか?


 考えるだけ無駄だと放棄しているのだろうか。それとも、迫り来る恐怖から目を逸(そ)らしているのだろうか。もしくは、只単に他人事で済ませているのだろうか。


 こうしたことを学問の対象として取り上げるのは重要だ。学ぶに値する内容だ。学びたくてウズウズしてくるほどだ。


 しかし、本書の安楽死のくだりを読み、大いなる疑問に当惑した。


 リビング・ウィル(尊厳死の宣言書)が掲載されているので引用しよう。


尊厳死の宣言書(リビング・ウィル Living will)

 私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫ってくる場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。

 なおこの宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。 従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

 1. 私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延すための延命措置は一切おことわりいたします。

 2.但し、この場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば、麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。

 3.私が数か月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。

 以上、私の宣言による要望を忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。(118p全文)


 デーケン氏は積極的安楽死は許されないが、消極的安楽死は認められるべきだと説く。


 苦痛の第一に挙げられるのは、痛みに対する恐怖であり、続いて大きいのは孤独に対する不安でしょう。


 と指摘しながらも、安楽死を認める決定的な理由は極めて薄弱である。


 尚且つ、前の章で自殺への警鐘を鳴らしているのだから、整合性に欠けると私は批判したい。


 時代の闇を払うためには健全な思想が求められる。グローバル化する社会においては、あらゆる差異を超えても尚、共感し得る価値観が必要ではないか。その根本の座標軸をどこに据えるか。私は「生命こそが最も尊厳なものである」という共通の価値観を育むことが不可欠であると考える。その私の立場において安楽死は認めるわけにいかない。


 安楽死を選択する判断に潜んでいるのは、デーケン氏が言うような「痛みに対する恐怖」と、更には、醜悪な姿をさらすことへの忌避があるように思う。または、医療技術に自分の身体が乗っ取られ、生の主導権を奪われるのではないかという恐れなどが考えられる。だが、そうした様々な理由によって死を選択することを正当化してしまえば、生命がそれらの理由よりも低い価値となってしまう。そりゃあ、いかん。


 消極的な安楽死が社会的に認知されるようになれば、当然、今度は積極的な安楽死を願う人間が数多く出てくることだろう。そうして人類は苦痛と戦うことをあきらめ、何かあれば安易に死を選ぶような手合いが現われるだろう。


 デーケン氏が信奉するキリスト教的な立場からいっても、疑問が残る。天地を創造した神によってつくられた人間の生命を人為的に操作することを、神は認め給うたのであろうか?(←変な日本語になっちゃった)


 社会や世界を覆う問題の根っこにあるのは「生命軽視」という風潮であろう。他を犠牲にして平然とする価値観が、ありとあらゆる局面に歪(ひず)みを生んでいる。仏教においては様々な教典が説かれているが、どのような教えであれ、戒律の第一項目には「不殺生(ふせっしょう)戒」というのが必ずある。生きとし生けるものから命を奪わない、という戒律。これこそ人類普遍の価値とすべきではなかろうか。


 生きることは闘争である。皮膚に傷ができると白血球がばい菌と戦って生命は健全に維持される。人生の晩秋の季節は様々な様相を呈するに違いない。思わぬ出来事に直面することも避けられないだろう。だが、最後の最後まで人間らしく戦いきって私は人生を全うしたい。


死とどう向き合うか

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