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2001-08-30

高崎隆治


 戦時史研究家・高崎隆治氏の卓見。


(我が)国の対外政策は、時間による自然消滅を期待するか、さもなくば従来型の経済支援という姑息な手段を用いるかのいずれかに頼る以外、有効な手だてを持たないのが現実である。

 かつて世界はこの国を評して「東洋の孤児」と名づけた。「孤児」はやがて、「東洋平和」「アジア解放」を叫びながら侵略に踏み出し、アジア諸国に多大の犠牲を強いたわけだが、いってみればそれは世界を敵にまわしたことの必然的結果であった。

 戦後日本の再出発は、その反省の上に立ち、国連憲章を守り平和国家への道を歩いた。いや、歩くはずであった。にもかかわらず、いま、アジア諸国に不信と反感を噴出させる結果を招いたのは、たんにこの国の政策上の過誤といってすまされない重大な意味をもっている。

 つまり、「平和」とは、状況以前の人間の内面の問題で、アジア諸国の人々の心情を掻き乱す言動は、「平和」などとは対局のものであることを知らなければならないのである。

 最新の情報によればアメリカのジャーナリズムにも、孤立化を深めつつある日本との同盟関係は意味をもたないという論調が出はじめているという。

 かつて私は、ある雑誌に、戦後の日本は危うい綱渡りを演じながらここまでやってきたと書いた。その「危うさ」とは、歴史認識をあいまいにしているこの国の政治姿勢のことだが、それはやがてどこかで必ず破綻するにちがいない十分な条件であった。教科書問題や靖国問題はまさにその象徴といえる。

 ところで構造改革という言葉は、すでに何年も前から使われているが、そこには精神の改革も含まれるという話は聞いたことがない。精神の構造改革は、半世紀前の原点に立ち戻って過去を確認することから始まるが、政治上の基本的最重要課題がなんであるかはそれによってたちどころに明白となる。なにが明白になるかといえば、これまでの平和主義も国際貢献もたてまえだけで、本質は自らを利するためのものであったということである。

 言い方として、いささかこれはきびしすぎるかもしれない。だが、戦争責任はむろんのこと、戦後責任まで抜きにしては、アジア諸国の不信や反感は永久に拭いきれないであろう。慰安婦問題にしても南京事件についても、政府がその事実や責任に関して、真剣に研究・調査に取り組んだことはこれまでにただの一度もない。

 一説によれば、戦争責任のような重大問題が、資料的に明らかになるには少なくとも50年、60年の歳月が必要だという。しかしそれは西欧のことであって、アジアの諸民族とは異なる考え方や感覚に基づいた見解である。とりわけ日本の場合は、時間の経過とともに資料的証拠は隠匿され消滅する。当局が問題を回避しつづける理由の一つはそこにある。

 もはや、靖国問題も教科書問題も、国内の問題ではなく国際問題であることをわれわれは確認しなければならない。

2001-08-27

目撃された人々 6


 その瞬間、私の背後で脱兎の如く動いた人間がいた。神田の古書即売会。場所が場所だけに「やられたか?」との疑問が黒雲のように湧いてくる。その人物は一瞬にして1冊の本を抜き取った。フェンシングの突きのような無駄のなさと、猛禽類の急降下を思わせる素早さであった。振り返ると、そこに唐沢俊一がいた。「あ、唐沢さんじゃないッスかー。あのねー、私も札幌なんスよー」と言って脇腹をヒジで突っついてやろうかと思ったが、彼の顔は真剣勝負に挑む武士のような面持ちであったため遠慮しておいた。


 その後もチロチロと目を配りながら「あ、まだいるな」なんて確認したりした。変なんだよね彼の動きが。もう、なんて言うんだろうねー、自分の居場所と化してしまっているんだよなー。私なんぞは端から順番にじぃーーーっと見てゆくのが常なんだが、唐沢氏は、まず一歩目の踏み込みが異様に長いのである。なあんか節足動物を見ているようであった。あの長髪はひょっとすると触覚なのかも知れない。


 見るべきところはしっかり見た、とばかりに彼は風のように去っていった。


 レジへ行くと、あたふたとオヨヨ書林の山崎店主が仕事をしていた。山崎君は、いつものように猫背気味でウロウロし、いつにも増して全身から“貧乏ゆすり”のような波動を放っていた。彼から覚束ない手つきで渡された釣り銭が、間違っているような気がしてならない。

2001-08-26

『ゆきゆきて神軍 製作ノート+採録シナリオ』原一男・疾走プロダクション編


とんだ馬脚を露呈した悪趣味極まる暴露本


 全編これ愚痴一色である。奥崎謙三に対する原監督の恨みつらみが、これでもかと書き連ねられている。客観的に見れば、映画『ゆきゆきて、神軍』の言い訳と受け取れる。監督にとっては余りにも不本意な作品だったのだろう。本当だったら、こうしたかったのだ、という後悔の念がひしひしと伝わってくる。その理由の大半を奥崎本人におっかぶせているところが何とも情けない。映画監督であれば、映画で勝負すべではないのか。それをウジウジと泣き言を並べ立てるなんてえのは、実に男らしくない所業である。


 映画『ゆきゆきて、神軍』の真相は、カメラを意識した奥崎がサービス精神旺盛に過剰な演技をしてみせた、ということらしい。奥崎は最初の内は下手に出ておいて、徐々に監督を見下すような発言をするようになる。どうやら、奥崎のことを“先生”と呼ばなかったことが気に入らなかったようだ。相手が相手だけに原監督もかなりの忍従を強いられた。アナーキーな道化師にしてやられたってえわけだ。


 驚くべき事実が記されている。残留隊隊長であった古清水の殺害シーンを撮影するよう、奥崎が監督に頼み込んだというのだ。これに対して原夫人が「それだけはやめて欲しい」と涙ながらに訴え、事なきを得る(その後、小清水の息子を射殺未遂)。監督としての葛藤が書かれているが、この業界のモラルの無さがよく窺える。彼等は“絵”にさえなれば、どんなことでも望むのだ。センセショーナルな話題を世間に提供した上で、あわよくば一攫千金を狙っているに違いない。賛否両論が沸騰すればするほど、“名前”の認知度も高まることだろう。


 下らない連中の下司なまでの人間模様。ここには信念もなければ、思想の片鱗も窺えない。人々の欲望にどうやって火をつけようかという魂胆しか見られないのだ。


 生の映像であっても、編集されることによって、いくらでも美化することができるという教訓を得ることができた。後味は最悪だが、真偽に対する嗅覚を鋭敏にするためには、それ相応の教科書といえなくもない。

ドキュメントゆきゆきて、神軍

2001-08-21

アフリカへの憧れ


 人類発祥の地とされるアフリカ。いまだ貧しき民が多く、政変に揺れる国も少なくないが、ドラムの響きや子供達の明るい表情に、日本以上の豊かな何かを感じることが多い。アフリカには“人間の輝き”がある。


 夜明けが前がもっとも暗いように、闘いも、終末に近づいたときに、もっともはげしくなる。


【K・エンクルマ『自由のための自由』理論社】


 20世紀のアフリカは揺れに揺れた。相次ぐ内戦・押し寄せる飢餓・大量の難民。独立国家の旗が次々と翻る。しかし、アパルトヘイト(人種隔離政策)の壁は厚かった。


 自由が銀の皿にのせられて、植民地国にわたされるようなことはありえない。自由は、はげしい、力強い闘いののちに、はじめてかちとられるのである。


【K・エンクルマ『わが祖国への自伝』理論社】


「この世に地獄があるとしたら、それは南アフリカの牢獄だ」。その牢獄で戦い続けた人間がいた。獄窓10000日を経てネルソン・マンデラは、尚も戦った。


 きみはつくりだす

 戦いの斧から 星々(ほしぼし)を

 子供たちの悲しみから 平和を


【『アジア・アフリカ詩集』土曜美術社】


 それにしてもアフリカの人間は美しい。色鮮やかな衣服、少女の耳に光るピアスは品が好いことこの上ない。眩しいばかりの笑顔には卑屈の陰がない。


 アフリカでは、椅子のない教室もある。自分の家から腰掛けを担いで通う少年もいる。床に座る子もいる。草原で学ぶ光景も珍しくない。それでも、一番欲しいものを訊ねられ「自由」と答える。


 1960年代に「21世紀はアフリカの世紀になる」と展望したアジアの詩人はこう語った。「奪われても、奪われても、命の陽気な鼓動を失わなかったアフリカのエネルギーに、強さに、英知に、世界が学ぶ時が来た」。


 以下にアフリカの英知ともいうべき言葉を紹介する――


 強くなることは わたしの夢

 強くなることは 武器

 強くなることは 叫び


【『アジア・アフリカ詩集』土曜美術社】


 考えよ! 懸命に勉強せよ!

 たゆみない努力をもって励め!

 今日ほど思想家を必要としている時はないのだ。偉大な思想をもつ思想家を!


【ガーナ大学の創設にあたって/エンクルマ大統領】


 わたしはドラムになりたい

「生」の力たちの歌をこだまするドラムに


【『アジア・アフリカ詩集』土曜美術社】


 一人のアフリカ人である私は、いま……平和と自由の声をもって、全世界に、新しい時代の夜明けを告げようとしているのであります……私たちは数知れぬ迫害と苦難のために鋼鉄のように鍛えられ、不屈の勇気の城塞となり、私たちのクサリを粉砕するために、鉄のような意志をかためているのであります。


【『我が祖国への自伝』理論社】


 ガーナが能力と実力を 示すのは/その色彩や花においてではなく/その不思議な 魂の息吹である/その生命の 喜ぴであり/その惜しみなく与える/私心のない役割においてである。


【「ガーナは招く あがない主クワメ・エンクルマに棒ぐ」フリーダムウェイズ編『黒い巨人 W・E・B・デュボイス』山口書店】


 豊かな精神性は言葉に現われる。日本の青少年のボキャブラリーの少なさは実に無慙(むざん)という他ない。飽食の国からアフリカの精神を仰ぎ見て、己の貧しさを知る。

2001-08-20

『ゆきゆきて、神軍』原一男監督

 実写フィルムである。ナレーション・BGMは無し。


 物腰の低い62歳の男が現われる――奥崎謙三。顔の相に何かが滲み出ている。続いて結婚式会場へ場面が一転。仲人として祝辞を述べる奥崎。うち並ぶ親族を前に自らが犯してきた罪を語り、反体制活動が新郎との縁になったと述べる。


 字幕スーパーが躍る――


 奥崎謙三事件録

  昭和31年 不動産業者を傷害致死 懲役10年

  昭和44年 新年皇居参賀で天皇にパチンコ玉を発射 懲役1年6ヶ月

  昭和51年 天皇ポルノビラをまく 懲役1年2ヶ月

  昭和56年 田中角栄殺人予備罪で逮捕 不起訴


 何が出て来るかわからない、そんな緊張を強いられる。この温厚そうな仮面の下で、何が燃えているのだろう。彼をしてアナーキーな行動に駆り立てている衝動はどこから湧いてくるのだろう。


 亡き戦友の母を訪ね、戦地であったニューギニアへ一緒に行く約束を交わす。墓前へ飯盒(はんごう)の御飯を捧げる。ぬかずいたままの姿勢で心に去来するのは、戦地での非道であろうか。はたまた、生き延びてしまったことを詫びつつ、鎮魂の祈りを傾けたのだろうか。


 奥崎はニューギニアで日本軍によって行われた残虐行為の真相を明らかにしようと、当時の上官を訪ねる。現地の日本軍が終戦を知ったのが8月18日。そして、9月の半ばになって数名の兵隊が処刑される。


 訪ねられた老人達は、戸惑い、狼狽し、ある時は泣き出す。隠せぬ動揺が処刑の名目が不当なものであったことを示して余りある。


 と、奥崎が叫び声を上げた。暗い画面の向こうで馬乗りになったまま、執拗に殴りつける。近隣の男達に止められ、警察が来ても平然と構えている。わずかな裂け目からテロリストの顔が噴出した。奥崎は映画の中でも語っているが、自分が正義と信じた行動に対しては、暴力という手段を行使することを正当化する。


 最後に訪ねたのは、冒頭のシーンに現われる男である。男は断固とした口調で「言えない。それだけは、絶対に言えない」と繰り返していた。奥崎は土足のまま走り寄り、革靴で蹴りつける。


 奥崎が繰り出すパンチは肩が入っていないし、蹴りも体重が乗ってない。そうでありながら、本気になって襲い掛かる気迫が相手を打ちのめす。私は終始、高鳴る鼓動を抑えることができなかった。


 真相が判明する。ここに至り、上官達が口をつぐんでいた理由も明らかとなる。彼等は人道にもとる行為を犯してしまったのだ。これは映画を見てない方のために、書くことを控えておこう。


 奥崎はこの後、主犯格の上官の息子を射殺しようとする。息子は重傷を負ったものの一命を取り留める。懲役12年の実刑判決が下る。服役中に妻・奥崎シズミが死亡。


 奥崎謙三のやり方は絶対に間違っている。だが、一匹の狼となって自分が信じた道を真っ直ぐに走り続ける姿勢が心を打つ。何者をも頼ることなく、国家権力をも恐れず、40年前の友の無念を晴らそうと戦い続ける。青年のような、その心と行動が胸に迫ってくるのだ。


▼この映画に関しては、賛否両論が余りにも多いため、引き続き、原一男監督が書いた『ゆきゆきて神軍 製作ノート+採録シナリオ』と、続編のビデオを見る予定。尚、ビデオは廃盤となったようだが、DVD化されているようなので、レンタル・ビデオ店にリクエストすれば取り寄せは可能だろう。

ゆきゆきて、神軍


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2001-08-19

韓国の立場


 歴史に「if(もし)」はあり得ないが、韓国から日本が侵略されたとするとどうなるだろう?


 恫喝、奸計(かんけい)、暗殺、大量虐殺――その挙げ句、日本は韓国に“併合”され、日本という国家は無くなり、韓国人に“統治”される。


「私ドモハ、大韓帝国臣民デアリマス」と職場でも学校でも暗誦させられ、嫌がれば、容赦なく殴り飛ばされる。


「我々に服従するか、さもなければ死ね!」


 姓も強制的に“金(キム)”や“李(イー)”“朴(パク)”などに変えさせられてしまう。韓国人の“祖”を強制的に拝ませられる。


“国語”が日本語から韓国語になる。子供達も、学校で日本語を使うと、厳しく屈辱的な罰をくらう。


 先祖伝来の土地も詐欺まがいの手口で奪い取られて、小作人にされ、作った米は持ち去られる。「日本人は粟(あわ)でも食ってろ」と言われるが、その粟飯ですら三度三度は食べられない。ふるさとを捨てて“在韓日本人”になると、子供や孫まで徹底的に差別される。


 可愛い娘が、恋人が、突然、拉致(らち)され、騙され“従軍慰安婦”にされる。男は強制連行されて、鉱山などで奴隷のごとく酷使される。


 かような状況下でじっとおとなしくしていられる人間がいるであろうか?


 だが、抵抗しようものなら逮捕され、鉄棒で殴打され、爪を剥がされ、ありとあらゆる拷問が待っていた。


“憲兵”は、裁判もせず、勝手に刑罰を加えてよいことになっていた。


 これは日本が韓国に対して行った歴史的な事実の一部に過ぎない。


 その上、戦後になっても、深刻な反省もなく、心に届く謝罪もしなかった。それどころか「あんたの国に『よかれ』と思ってやったんだ」とか「我が国が植民地にしたおかげで、鉄道ができ、港ができ、『近代化』したんじゃないか」などと言う。


 言うまでもなく韓国に日本が造った施設は、全て“日本の企業を富ませるため”であった。


 韓国から人も資源も土地も富も搾り取ることによって、初めて近代日本は“発展”した。これが歴史の真相である。


「日本に誇りが持てなくなるから」などという理由によって、若い世代に歴史の真実を教えようとしない。だが、真実から目を背けないと保てない“誇り”とは何であろうか。それは“虚勢”や“独りよがり”に他ならない。

2001-08-17

ニュース拾い読み・書き捨て 9


被害者イジメの俗悪週刊誌


▼沖縄県で起きた米兵による女性暴行事件で、被害者の女性が沖縄弁護士の人権擁護委員会に人権救済の申し立てをした(7月28日)▼内容は、一部週刊誌の報道によってプライバシーを侵害されたというもの▼ある週刊誌の女性記者は被害者の職場に電話をかけ、「夜中にチャラチャラする女が問題」「お金が目当てでしょう」などと発言したという▼かような女性記者を同じ目に遭わせてやりたいと思うがどうだろう▼また他にも「あまりに無防備だったのだろうか(『週刊新潮』7月19日号)」などと、あたかも被害者に落ち度があったかのような報じ方をしている。このようなクソとミソの判別もつかない記者はどのような事件であっても、被害者を小馬鹿にした記事を書くのだろう。防備を怠っていなければ、不意の暴力を防げたとでも言うのであろうか▼同誌は手記についても 「うすっぺら」「自己弁護」などと批判している(8月16・23日号)。こうした記者どもの妻や娘が、残虐な暴力行為の犠牲となるよう願ってやまない▼更に、こうした下劣な雑誌を購入する人間が、意識するとせざるとに関わらず、同記事を黙認する結果となることを明記しておく。▼私は提案したい。 書店で『週刊新潮』を目にしたら、直ちに唾を吐きかけることを!

死者1000人超す?


▼8月14日付朝日新聞夕刊より。「揺さぶられっこ症候群(Shaken Baby Syndrome=SBS)」が米国で大きな問題となっている。赤ちゃんを泣き止ませようとして、つい揺すってしまうのが原因。SBSの多くは脳障害を負ったり、死亡するケースも珍しくないという。米国では既に虐待のひとつとされている。日本では、まだ認知されているといえず、潜在的な被害は少なくないと見られている▼SBSの多くは1歳までに起こり、約4分の1は死亡。助かっても約半数は障害が残る。米国内でのSBSによる死亡は1000〜1400人にのぼる▼米ペンシルベニア州のミルトン・ハーシー医療センターのマーク・ディアス医師は次のように語る▼「多くの親は、たたくより揺する方がましだと思うようだが、揺することはたたくことより危険。絶対に揺すってはいけない。泣いたら、放って外に出るほうがまし」▼掲載されている写真の患者は15歳。ベビーシッターによりSBSとなった模様。脳内出血を起こし、医師からは「生きたとしても、歩くことも話すこともできない」との宣告。ベビーシッターは取り調べの3日前に自殺。夫の生活は乱れ、酒と薬物を乱用するようになり、昨年10月に死亡。尚、現在15歳となった少年はいまだに話すこともできないし、歩くこともできない▼首がすわる3ヶ月までは「高い、高い」も危険▼SBSは小児科医の間でも一部にしか知られていない▼正確な知識が、速やかに広まることを祈る。


つくる会西尾幹二会長の反論


▼朝日新聞(8月17日付)より▼以下は西尾会長の声明▼「(各教委・自治体が)外国の脅迫、一部マスコミの偏向キャンペーン、組織的な電話ファックス攻勢におびえ、トラブルにまきこまれたくないという動機で、扶桑社版を差別的に扱った」▼この手の人物は、上坂冬子という老女などもそうだが、被害者意識が人並み以上に強く、わずかな加害者意識はポケットの奥に突っ込んでいるようなのが多い▼「差別的に扱った」なんてぬかしてやがるが、元々、差別的な教科書なのだから、差別×差別は、マイナス×マイナスと同様プラスの結果になるような気もする▼都合のいい歴史健忘症は、自国が為した悪業に無頓着となり、 悪に目をつぶる史観は、当然ながら善を見失うであろう▼だが、実際には右vs左の構図となってしまっているのも確かだ▼同記事の左隣には、デカデカと「教師の声 封印」との見出し。その教師の殆どは共産党員かも知れない▼熱し易く冷め易い島国の国民性は、何に対しても両極端になりがち。一部マスコミとは朝日新聞に他ならない▼私が興味を覚えるのは、扶桑社版教科書の市販本70万部を購入した人達の、購入動機と読後の所感である▼前にも書いた通り、このような自虐史観などという欺瞞がまかり通るようになったのは、聖戦と動機付けられ、“一億火の玉”となって戦った人殺し達が沈黙しているのが最大の原因と私は考える▼更に、身内に甘い日本的なデタラメさが輪をかける結果となっている。

2001-08-15

目撃された人々 5


 カスタネットのような音がけたたましく鳴り響いた。振り向くと、階段を下りてくる馬鹿ムスメのサンダルの音だった。時折、目にする光景だ。ハイヒールのようなサンダルが大半である。馬鹿ムスメを睨みつけても、どこ吹く風といった様子。「悪いのはワタシじゃなくて、サ・ン・ダ・ルよ〜ん」とその眼が語っている。私の頭の中では「ふざけるな」の5文字が2万ポイントほどの超極太ゴシック体で明滅する。こうした場合、私のような紳士ですら、履いているサンダルで小娘の脳天をあらん限りの力で殴りつけたくなる。当然、ヒールの部分でだ。


 私は普段、スリッパの足音ですら我慢に堪えない。大体が運動神経のよくない連中が、ドタドタと音を立てて歩き回る。多分、脳からの指令が足の裏にまで正確に伝わらないのであろう。それとも床に対して何か怨みでもあるのだろうか。


 ヨーロッパでは食事の際のマナーとして、ナイフとフォークの音を立てないよう、幼い頃から育てられるという。こうしてパブリック(公)の精神が培われてゆくのだろう。


 それに対して日本人はどうだろう? ツアーとおぼしき連中が一塊(ひとかたまり)になって、大声で日本語をまくし立てるのは有名だ。島国根性は仲間がいると安心のあまり、堰(せき)を切ったように我が物顔で放言する。


 私が外で呑まないようにしているのは、アルコールに弱く直ぐに寝てしまうということもあるが、最大の理由は周囲の騒音に耐えられないからだ。


 年若く、愚かな女どもからサンダルを奪うことは難しいだろう。そこで私は考えた。マゾっ気のある中年オヤジを階段に横たえてはどうだろう? 踏まれる度に「あふッ」と快感に浸る中年オヤジ。サンダルの音の消音効果としてはこれ以上のものは望むべくもないだろう。

2001-08-14

ものの見方〜谷川浩司


 明豊対聖光学院。結果は20-0で聖光学院が大敗を喫した。実は、わたくし、工藤の家でこの試合を見ていた。私が受けた印象は「緊張し過ぎたのかな?」程度であった。翌日(8月12日付)の朝日新聞に驚くべき記事が掲載されていたのでご紹介しよう。題して「君といる夏 甲子園」。谷川浩司(プロ棋士)の談話。


 勝負には厳しさと同時に潔さが大切なんです。

 将棋は自分で負けを認めねばならないゲームです。「負けました」と言って頭を下げるのが正しい投了の仕方。つらい瞬間です。でも、「負けました」とはっきり言える人はプロでも強くなる。これをいい加減にしている人は上に行けません。

 ベテランが息子みたいな棋士と対局して敗れたときは正直、頭を下げるのはつらい。ですが、これができないと勝負の世界ではやっていけない。

 高校野球でも敗者は相手の校歌など聞きたくないはず。グラウンドからすぐにでも逃げ出したい心境でしょう。しかし、我慢して聞くことが次につながるんです。私も棋士になってから500回は頭を下げました。(中略)

 4150校のうち頂点に立てるのは1校だけ。あとはすべて負けます。将棋でも野球でも負けることで免疫が得られる。社会に出たらいろいろな競争が待ち受けているはずですから、早いうちから少しずつ挫折を経験することは必要なのではないでしょうか。

 その意味で、聖光学院の応援団が最後まで懸命に応援していたのが印象的に残りました。立派だと思いました。


 一流の人物の目のつけ所は、こうも違うものか(ため息)。

2001-08-13

『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン


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【亡くなる4年前の写真。34歳】


 このあどけない風貌の男の内側で、修羅の炎が燃え盛っていた。


 副題は「伝説の登山家マロリー発見記」。著者に名を連ねるのはヨッヘン・ヘムレブ、ラリー・A・ジョンソン、エリック・R・サイモンスン。この3人がエヴェレストに登り、マロリーを発見したチームの主要人物。


 ニュース性が高い内容だけに、やや面白みに欠けるのは仕方がないだろう。夢枕獏の『神々の山嶺』(集英社)を読んだ方であれば、手に取らざるを得なくなるはずだ。表紙に配された2枚の写真。マロリーの肖像とエヴェレストにしがみつくような姿勢で真っ白な彫像を思わせる遺体。巻頭の写真をよくよく見ると、地面の傾斜角度は、ほぼ45度。右足首があらぬ方向を向き、完全に折れてしまっている。


各章の頭にマロリーの言葉が掲げられている――


 打ち負かされて降りてくる自分の姿など、とても想像できない……


 それがどんなに私の心をとらえているか、とうてい説明しきれない……


 大胆な想像力で夢に描いたものより遥か高みの空に、エヴェレストの山頂が現われた


 もう一度、そしてこれが最後――そういう覚悟で、私たちはロンブク氷河を上へ上へ前進していく。待っているものは勝利か、それとも決定的敗北か


 マロリーの人とナリが窺えて興味深い。


 エヴェレストの山頂がエドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによって制覇されたのは1953年5月。これに先立つこと約30年、1924年にジョージ・マロリーは山頂近くでその姿を確認されたまま行方不明となった。当時の写真を見て驚かされるのはその服装である。ツイード・ジャケットにゲートルを巻いた程度の軽装で、現在であれば、富士山にも登れないような格好をしているのだ。世界で最も天に近い地を踏んでみせる!――男達の顔はそんな不敵な匂いを放っている。


「マロリーは登頂に成功したのか否か?」という最大の関心事には、遺体があった位置などから、かなり真実性を帯びた推測がなされている。これは読んでのお楽しみ。


「なぜ、山に登るのか?」

「そこに山があるからだ」


 実はこれ、意訳。正確にはこうだ。


「なぜ、エヴェレストに登るのか?」(記者からのしつこい質問)

「そこに、それ(人類未踏の最高峰)があるからだ」


 この名言を吐いた男の亡き骸は、発見されるまでの75年間にわたって、山頂を目指していた姿だ。最後の最後まで戦い続けた男の執念は、死にゆくその瞬間まで絶対にあきらめようとしなかった。エヴェレスト北面8160mで彼は死後も戦い続けていたのだ。滑落姿勢を保ち、エヴェレストの大地に指の爪を立てたままで――。「生きるとはこういうことだ! 私を見よ!」。マロリーの死に様は、生ある全ての人の背筋を正さずにはおかない。この姿を一度(ひとたび)見れば、誰もが生き方を変えざるを得なくなるはずだ。


 それは単なる遺体ではなく、不屈の魂そのものだった。マロリーの精神は、エヴェレストの山頂よりも遥かな高みから、山男たちを見守っていることだろう。

そして謎は残った―伝説の登山家マロリー発見記


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2001-08-12

軍事費のほんの一部を使うだけで世界は一変する


 ある試算によると、世界で使われる年間の軍事費は約1兆ドル(122兆円)。これをちょっと負けてくれるだけで、何ができるか?


 読み書きできない子供2億7500万人に文字を教えるために必要な額が80億ドル。これが軍事費の3日分に相当。


 ユニセフ(国連児童基金)は、世界の子供を飢餓や疫病、 徴兵から救うために2億700万ドルの資金を要請しているが、これは軍事費の2時間分にもならない。


 未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士によれば、10年間、世界の軍事費の4分の1を回していくだけで、貧困・人口問題などの地球的問題群のほとんどが改善されるという。


 また、たった0.25%、つまり22時間分の軍事費だけで、25万人の子供の失明を防ぎ、その上、予防接種によって6億700万人の子供を死から救える。


 つまり、地球上の大きな問題の殆どは、やる気があれば、どうにかできるのだが、そんなことには使いたくないという世界で我々は生きているのだ。また、そうした思想の政府を支えているともいえる。人間の理性は完全に麻痺している状態だ。


 あなたや私に核が必要であろうか?  否。それを必要としているのは国家である。これこそ国家悪だ。お互いに核を突き合せた緊張状態の傘下に入ることを安全保障と名づける。全くもって笑止千万。

2001-08-06

大将軍アレキサンダー


 アレキサンダーが、宿敵であるペルシャ王の軍勢に打ち勝った直後のエピソード。


 アレキサンダーは何と敵の王の母親のもとに、すぐさま部下を送って丁重な伝言を届けたという。それは、子息である王が無事に生きていることを伝え、母親を安心させる内容であった。敵をも味方に変えゆく人格が神々しい。


 さらにその翌日のこと。アレキサンダーは一人の護衛官だけを連れて、適の王の母親を自ら訪ねた。二人が同じ服装をしているので、どちらがアレキサンダーかわからなかった母親は、護衛官の方に歩み寄り、ひざまずいて礼をした。間違いに気づいた母は、失態を恥じて身を引いてしまう。しかし、アレキサンダーは、その母に悠然と声を掛けた。


「お間違えになられたわけではありません。なぜなら、この男もまたアレキサンダーなのですから」


 母親への配慮もさることながら、共に戦った同志を思うこの一念が眩しい。皆、将軍、皆、英雄との心。気宇壮大なエピソードに心が震えてならない。 紀元前4世紀の話である。彼の人格が二千数百年を経て、私の心を直撃する。卒に将たるは易く、将に将たるは難(かた)しという。彼こそは将の中の大将軍といえよう。


 映画『スパルタカス』の名場面を思わせる鮮やかさは、生涯忘れることができないだろう。

2001-08-01

目撃された人々 4


 今日、目撃したのは小学生の二人組。透明なビニール・バッグの中身がバスタオルだったことから、多分、プールへ向かう途中だと思われた。1年生か2年生であろうこの二人、真っ直ぐ歩くことがない。肩をぶつけ合ったり、指で突き合ったりしながら、離れてはくっつきを繰り返し、蛇行しながらアスファルトの路上をさまよっていた。


 数年前に見かけた千葉の小学生のことを思い出す。あれは、間違いなく1年生だったろう。身長の3分の1ほどをランドセルが占めていた。そのクセしやがって、少年二人は肩を組みながら歩いていた。背が低過ぎて肩を組んでるように見えないのがご愛嬌。まるでコブラツイストを互いに掛け合っているかの如き姿であった。しかし私にはわかる。 肩を組んで歩くのは友情の印なのだ。


 夜、暑い中をアベックとおぼしき男女が団地の脇を歩いていた。このクソ暑い中、男の方は上着を着用してやがる。それでいて男の腕は、彼女の腰に回されていた。暑苦しくてしようがねえんだよ、馬鹿野郎! 男の背中めがけてライダーキックを入れてやりたい衝動に駆られた。これは決して羨ましいとか、自分もあやかりたいとか、嫉ましいなどといった感情からではないことを言明しておく。


 でも、どうせ暑いなら一人よりは二人の方がいいかも知れない。