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2004-06-27

反ブッシュ

 海外サイトである。左側の「ANIMATION」をクリックすると多数のフラッシュ画像がある。いずれも必見。湾岸戦争のものもあるから、ブッシュ親子を批判しているのだろう。いくつか見た限りでは、一方的にアメリカ軍を非難しているというよりも、戦争の不毛さを告発しているように見受けられる。

2004-06-23

政党政治を葬れ


 明日、24日は参議院選挙の公示となる。国会の泥仕合にウンザリした国民は、ネガティブな世論を形成し、風見鶏のように右を向いたり、左を向いたりしては唾を吐き掛けている。


 それにしても、昨今のメディアの偏向報道にはぞっとさせられる。ジャーナリズムの役割として、権力を牛耳っている政権与党に批判的にならざるを得ない姿勢は理解できる。それにしてもである。ここのところの与党批判は、まるで世論の形成を目的としたものが多く、あたかも世論に媚びを売っている節すら感じる。自分で操作した世論を用いては、わかりやすい映像を何度も何度も流しては叩いてみせる。


 まるで、不況に喘ぐ国民のマイナス感情を、年金未納問題や北朝鮮拉致問題に絡めて、鬱憤晴らしに興じているようにさえ見える。


 こうした日本の政治状況を変えるために、私は、政党政治を葬ることを提案したい。大体が、国会なんぞに議論など存在しないのだ。党利党略を主張するだけだもんね。議員一人ひとりが自由に発言できないこと自体がそもそもおかしいのだ。


 議論というのは、よりよき目的のために、互いが胸襟を開いて対話をすることだ。そうであるならば、「私の主張は引っ込めて、あなたの意見に賛成します」ぐらいの発言があって然るべきだ。だが、現在の国会運営では、絶対にそんなことはあり得ない。


 まずは手始めに、参議院の党派を解消してもらいたい。法案審議は全て秘密投票。議員は自分の良心に従って判断をする。国会の質問時間も全員平等にする。こうすると時間が大変だから、議員の数を一気に減らす。100人もいれば十分だろう。選挙は全国区のみ。都道府県単位で選出すると、自治体に足かせをはめられてしまうからね。


 次に、メディアはもっと踏み込んだ報道に徹する。まず、アナウンサーや司会、及び芸能人など、ブラウン管に映る人物は、必ず支持政党をハッキリと表明する。その上で議論をしてゆく。中には、代議士の話を聞いて、「当初、〇〇党を押しておりましたが、今日の番組に出て、××党に替えることにしました」なんて女優の発言などがあると面白い。その点では、アメリカを見習うべきだろう。


 議論なき国会を、イメージ選挙が支えている。もう、ウンザリだ。今国会で政府与党案による児童手当の拡充が決定した。小学校3年生までが対象となり、子育て支援に追い風を送った。民主党は昨年の選挙の際に「子育て支援」を掲げておきながら、この法案に反対した。批判だけを生命線とする共産党すら賛成したにもかかわらずだ。何はともあれ、与野党の対決姿勢を選挙前に示しておきたいというだけの理由で。凶酸(共産)党はこれをもって、「子育て支援策は我が党が実現した!」と街頭で叫ぶだろう。それだけを目的に賛成しているのだ。彼等はそもそも、予算案そのものに反対しているのだから、これほどの矛盾はない。これぞ、凶酸党のハイエナ・マジック。


 もうね、こんな政治には我慢ならない。政党のイメージ作りばかりが選考し、国民はたやすくイメージに左右される。メディアが誘(いざな)う目的地は、「衆愚」という終着駅に他ならない。


 折からの政党不信によって、参議院選挙の投票率は低いと予想されている。政治に関心の無い人は、投票に行かなくてよし。できることなら、国民全員が投票しないで欲しい。そうすれば、私の1票で国政が決まるから(笑)。

2004-06-20

軍事力の新しいかたち


 必要悪の最たるものとして軍事力がある。「なきゃないに越したことはないが、そうもいかんしなあ……」というのが多くの人の本音ではあるまいか。同じ暴力装置でも、警察が市民生活の安寧を守るのに対し、軍事力の場合は、国家を守るための防御、あるいは攻撃を目的とする。


 折しも、参議院選挙が近づいた今頃になって、民主党は掌(てのひら)を返したように主張を変えてみせた。イラクへの自衛隊派遣が議論されてた頃、民主党議員の面々は、メディアというメディアで「国連決議が必要だ!」と叫んでいた。ところが、いざ、国連決議の元で多国籍軍に参加しようとなると、これに反対というんだから空いた口が塞がらない。


 で、まず私の個人的なスタンスをハッキリさせておこう。イラクへの自衛隊派遣については元々、反対だった(過去形)。いくら仕事だとはいえ、まだまだ危険な外国へ同胞を送ることは忍びなかったからだ。しかし、行った以上は、それなりに頑張って欲しいというのが最近の心情である。


 更に書いておくと、青二才みたいなことを言うなと言われかねないが、私はそもそも自衛隊の存在自体に、あまり賛成ではない。どこからどう見たって、こりゃ憲法に反していますからな。でもまあ、存在する以上は意味のある仕事をして欲しいと思う。これぞ、現実主義。


 9.11テロに対する米国の意趣返しは国際的な支持を集めることはできなかった。テロ=無差別暴力が、弱者からの対抗措置という考えには、到底、賛同できないが、一国の大義が国際的な大義とはならなかったところに、イラク紛争の大いなる教訓があったと考える。


 そしてこのタイミングで、日本は多国籍軍に参加しようとしている。初のPKO参加の時ほど世論は盛り上がってないが、我が国が新しい岐路に立たされていることは間違いない。


 軍事力が必要悪であるとするならば、いっそのこと、国連の指揮下に軍事力を結集してはどうだろう? そう、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』の路線である。


 これだけ、情報や人や物が国家という枠組みを越えて流通しているのだから、最早、国益に縛られた発想は古い。そこからもう一歩、脱却して、世界益・人類益という視点に立たなければ、現在の米国のように判断を誤る可能性が大きくなってゆく。


 この際だから、自衛隊を国連にプレゼントして、“日本のための自衛隊”から“世界のための自衛隊”へと変身してくれると面白いのだが……。


 取り敢えず、米国の軍事力を上回る国連軍を作り上げ、各国の軍事費が平和のために利用されるようになることを願う。

2004-06-18

格安網戸


 先日、網戸を取りつけた。よく投函されているチラシがあって、“「大特価」、「価格破壊!」、「特別キャンペーン実施中」”という文字が躍っていた。


 念のために太郎先輩に訊いてみたところ、「そりゃ安い!」と言われたので頼んだ次第。


 公団・公社用の可動式アルミ網戸の場合、値段は以下の通り――

  • ベランダ用大寸 14800円→5000円
  • 南、北窓用中寸 13000円→4600円
  • 小窓台所用小寸 11500円→3900円
  • 突き出し小窓(洗面、トイレ、フロ) 14500円→5500円
  • 内ダオレ小窓(フロ) 7500円→3900円
  • 台所ヒラキ扉 38000円→15700円
  • 玄関用網戸 58000円→28800円

 いずれの品も3年間の保障つきで、ボーナス払いも可能。


 網戸はどこもかしこも付けりゃいいってもんじゃない。特に私の部屋の場合、北側の部屋の湿気が酷く、昨年なんぞは背広がカビだらけになった。こういうことを考慮すると、部屋の中に風の通り道をつくらなければならない。というわけで、南側のベランダと北側のベランダの2ヶ所に網戸を取りつけた。


 ここで注意しておかないといけないのは、網戸というのは基本的に左側に取り付けるってことだ。右側にも付けることは可能だが、隙間ができてしまう。私は不本意ながら、本棚を一つ移動する羽目となった。


 古い建物で、網戸用のレールが無い場合は、1100円でレールをつけてくれる。夏になると混雑するので早目にご注文を、とのこと。この会社、網戸だけで商売してるんだってさ。全く大したもんだ。職人の仕事も早く、媚びの一つも売らずに風の如く去って行った。こりゃ、好い買い物でした。ご注文は以下まで――


■(有)山中商会網戸販売 0120-448-876(受付時間7:00〜22:00まで)

 本社:東京都町田市小野路町4392 代表:042-736-0022

 営業所:東京・千葉・埼玉・神奈川・横浜・立川・川崎・山梨・静岡

2004-06-15

異なる二つの死


 5月27日、戦場カメラマンの橋田信介氏と助手の小川功太郎氏がイラクで殺害された。そして、3日後の6月1日、長崎で小学校6年生の女児が同級生に殺された。同じ他殺でありながら、余りにも異なる二つの死――。


 橋田氏は名うてのベテラン戦争ジャーナリスト。今回のイラク訪問は、米軍からの発砲によって、割れたガラスで左目を負傷したムハマド君(10歳)を支援するためだった。2度、手術を行ったものの視力がなく、痛みを訴えるムハマド君を日本で治療させようと計画していた。6月11日、手術は無事終了。愛くるしい顔のムハマド君と橋田夫人の対面も実現した。


 戦場カメラマンが戦地で死ぬのは致し方ないともいえる。それは、登山家が山で死ぬのと同じくらいの確率だろう。一方は報道し続ける限り、他方は登り続ける限り、死に神が手招きしている。


 戦地へ赴いた目的、夫人の気丈な振る舞い、3月に書き残されていた遺書、死後に実現した少年の手術――これらの全てが橋田氏の死に精彩を与えた。


 一方、長崎県の事件では、小学校6年生の女児が、ネットで「いい子ぶっている」と揶揄されたことが原因で、相手を学校内で殺害。椅子に座らせた上で、顔を押さえ、右方向からカッターで切りつけた。「首の傷は深さ約10cm、長さ約10cm。手の甲には、骨が見えるほど深い傷があったという。激しく切りつけたため、カッターナイフの先端が折れたらしく、ナイフは先端から5〜6cmが折れ、先端部分は現場に残されていた」(産経新聞)。その後、現場に15分間とどまり、自分のクラスに向かったとされる。


 救急隊員が「惨事ストレス」の症状を訴えたというのだから、凄惨な修羅場と化していたことだろう。だが、少女はこともなげに遂行した。


 長崎県では、昨年7月にも、中1男子による幼児殺害事件があり、教育関係者はショックを隠せない。


 いつにも増して朝日新聞の社説がくだらない御託を並べていた――


 学校は何らかの予兆をつかんで、事件を未然に防ぐ手立てはなかったのだろうか。そう考えると、残念でならない。(2004-06-02)


 学校側に罪をなすりつけて、気楽な他人事のような言い分は許し難いものがある。朝日新聞よ、お前なら防げたとでも言うのか? かような無責任な言論には、怒りが込み上げてならない。


 事件を防ぐ手立てはなかったのか? この発想は、事件の責任を周囲におっかぶせることで納得しようとする安易なものだ。無かったからこそ事件は起こったのだ。大切なことは、次の事件を防ぐことにある。


 そして、井上喜一防災担当相が「元気な女性が多くなってきたということですかな、総じてどこの社会も」と爆弾発言。会見後も「撤回・訂正はしない」とのたまわったそうだ。全く、この野郎の首を斬りたくなるわな。


 ショッキングな事件があると我々俗人は、何かと“理由”や“必然性”、あるいは“ストーリー性”を求めたがる。異質なものを受け容れ難いあまり、何とかオブラートで包もうと頑張る。しかし、これも無駄な行為だ。


 唐沢俊一がオタク的見地から、現実論を振りかざし、アジっている。曰く、「12歳だろうが10歳だろうが8歳だろうが、人を殺せるだけの体力があれば、殺す」。


 極論ではあるが、その辺に出回っている下らん精神論よりは、ずっと傾聴に値する。


 この他、私が参照したテキストは以下――

 東晋平氏の「あきれたのは、繁華街の街頭で幾人もの通行人をつかまえて『感想』を語らせて放送したものだ。むろん、その『感想』は語られた全部ではなく、番組側が恣意的に前後をカットした断片ばかりである。そういうものが、ニュース番組で放映される」との指摘も見逃せない。


 人々は刺激を求めてやまない。メディアは「需要があるから、我々が供給しているのだ」とうそぶく。血眼になって刺激的な情報を漁るマスコミは、細部を拡大し、誇張し、デフォルメし、風船を膨らませる。受け手と送り手の欲望が織り成す相乗効果はとどまることを知らない。「もっと刺激を!」――。


 子供は順応性が高いから、やる時はやるのだ。映画『シティ・オブ・ゴッド』を見れば一目瞭然。


 もう、こうなったら、「人を殺してはいけない」という教育をきちんとすべき段階に入っているんじゃないか? 教師と親と大人が、本気で決意して、「人殺しは許さない!」、「イジメも許さない!」と具体的に行動してゆくしかない。


 深さ10cm、長さ10cmにわたる首の傷に込められた憎悪を想像する。ガラス細工のような自我にとっては、何気ない一言すら、それほどの憎悪に取って代わるのだ。加害児童は後悔することすら困難だろう。後悔するほどの人間性を持ち合わせていれば、犯行に及ぶことはなかったはずだ。彼女にとっては、腕に止まった蚊をひねり潰すような感覚だったことだろう。相手が同じ人間だという想像力すら持ち合わせていなかったのだから。


 脆(もろ)くて、儚(はかな)い自我であればこそ、何かの弾みで、心に潜む闇が噴き出してしまう。


 殺された少女の“奪われた未来”と、殺した少女の“罪を背負った将来”を思う。


 今回の事件を考える上で、最も参考になったのは以下のテキストであった――

 同じ“死”ではあるが、異なる二つの“死”。光と闇ほどの違いが私を困惑させる。橋田氏の場合、自分の選択肢の中に“死”が盛り込まれていた。一方、被害児童は、自分の人生を予想だにしないタイミングで奪われてしまった。しかも、クラスメートの凶行という最悪の手口によって。


 今更、何をどう言い繕おうとも、私は事件を止めることができなかった。この事実から出発しない限り、いかなる言動も空しくなってしまう。


 被害者の家族には是非とも、山下京子さんの『彩花へ 「生きる力」をありがとう』(河出文庫)を読んでもらいたい。

2004-06-11

『パッション』

 タダ券があったので、最終日ギリギリで『パッション』を見てきた。ぱ・る・るプラザMACHIDAにて。この映画館、何をもったいぶってんだか、入場整理券を配ってから、わざわざ案内人を立てて、観客を数人ずつ入場させるという、馬鹿げた運営をしていた。おまけに画面の小さいこと! まるで、田舎の公民館を思わせるほどだった。


 映画を見た人が、ショック死したり、自首したり、何かと話題が多い。米国では、『ロード・オブ・ザ・リング』を上回る興行成績だそうな。


 前田有一氏がこきおろしていたので、さほど期待はしてなかった。「みんなのシネマレビュー」でも、平均評価は4.95点と低い。


 公式サイトによると、「メル・ギブソンが12年もの構想歳月を費やして映画化。2500万ドル(約27億円)という私財を投じ」て作成したとのこと。とてもじゃないが、12年間も考えて作られた映画とは思えない。きっと、“12年前に思いついた”という程度だろう。


「見ておいてよかった」というのが率直な所感である。何と言っても、『マタイ受難曲』が、よく理解できるようになった。恥ずかしながら、「バラバ」(第54〜66番を参照のこと)の意味を初めて知った。


 また、『デッドコースター』張りの残酷シーンも見ものである。


 見終えた今、敬虔なクリスチャンならどう感じるかを、是非、知りたいところ。


 映画や、小説、あるいは漫画などの表現が、ある完成された世界を描くことを理想としているのであれば、この映画は大したことがない。視点がイエスに近過ぎるのだ。それも、最初から最後まで。多分、臨場感を狙ったためだろうが、裏目に出ていると言わざるを得ない。


 残虐シーンが取り沙汰されているが、勘違いしちゃいけないのは、何もイエスだけが、非道な目に遭ったわけではないということだ。それが証拠に、イエスと一緒に罪人2名が、磔刑(たっけい)に処せられている(因みに、イエスに釘を打ち込む“手”はメル・ギブソンが担当している)。歴史の狭間では、もっと酷い目に遭ってる人は多数、存在することだろう。文明が未発達で、人権意識などあるはずもない時代にあって、公開処刑は民衆の憂さ晴らしになっていたのではないかと個人的に思う。まあ、現代社会のテレビや映画にとって替わる非日常みたいなものだろう。


 それ故、殊更イエスに対して被害者意識を抱いて同情するのは邪道であると断言しておこう。そもそも、十字軍遠征によって殺戮に明け暮れ、徹底した魔女狩りを行い、肌の色が黒いというだけで犬猫以下の仕打ちをしたのは、いずれもキリスト教徒であったのだから。


 また、常識豊かな人であれば、警吏の連中が、どうしてあれほど残酷なことを笑いながら行えるのだろうとの疑念を抱くかもしれない。だが、それは浅見である。人は皆、残虐性を持ち合わせているのだ。


 こういう心理学の実験結果がある。被験者の目の前には、電流のスイッチレバーがある。被験者からは見えない場所に電気イスがあり、人が座っていると説明される。で、このスイッチレバーを押すと、少し離れた場所から叫び声が上がる。被験者は、更に電流を上げるよう指示される。叫び声が1オクターブ高くなる。この時、被験者となった人々の100%が笑い声を漏らしたのだ。実際には電流は流れてなく、演技の叫び声を上げているだけだった。このように、人間は全く別の環境下に置かれれば、いくらでも残虐な行為を行うことができるのだ。戦時ともなれば、数多くの見本があることだろう。(スタンレー・ミルグラムが行った「アイヒマン実験」)


 まあ、そんなこんなで、この作品ではイエスを救世主として描くことに失敗していると感じた。イエスは、少しばかりの預言と奇蹟を行った凡人に見えた。ラストの復活のシーンも、颯爽としているだけで、不思議な感銘を受けるような代物ではない。


「バラバ」に次いで、よかったと思ったのは、十字架から降ろされたイエスの遺体を胸に掻き抱くマリアの姿だった。これぞ、ピエタ像。ジム・カヴィーゼルとマヤ・モルゲンステルンの二人が、本物のイエスとマリアに見えた。ミケランジェロはピエタ像を2体作成しているが、25歳の時の作品ではなく、未完成の遺作となった「ロンダニーニのピエタ」のイメージそのままだった。マリアがイエスを引き上げているような、イエスがマリアを背負っているような、妙なる均衡がそこにはあった。


 人類の罪を一身に背負うという覚悟は見上げたものだ。しかし、あの程度の拷問で、担えるような代物ではないだろう。神はイエスを見捨てた。イエスの最期に希望を見出すことはできない。何て気の毒な人なんだ、以上である。


 ただ、映画の内容はともかく、2000年もの長きにわたって欧米の人々の心をつかんできたのが、イエスの生きざまであったことは疑う余地がない。


パッション

2004-06-10

無料のメール転送サービス

 無料のメール転送サービス。フィルター機能がついているので、スパムメールが多くなった方などは利用すると便利。実際のアドレスが変わったとしても、転送先を変えるだけでいいので、このサービスを使うと、アドレスを変更しなくて済む。アドレスの種類は20以上用意されている。


 最近はメールマガジンの体裁をしたスパムが出回っている。登録してないにもかかわらず、「一括登録された」などとふざけたことを書いてある。解除手続きをしても、1週間経たない内にまたぞろ届いたりする。


 インターネットにおけるプライバシーは大変、侵害されやすい。メールアドレスを公開するのは自殺行為といっても過言ではない。ホームページなどを運営していて、やむを得ない方などは、こうしたサービスを利用し、個人情報を守るべきだ。


レンタルサーバーを変更すると……


 この度、レンタルサーバーを変えたが、メールアドレスが変わってしまうので、今まで購読していたメールマガジンがわからなくなってしまった。


 つくづく思ったのだが、こんな場合も、全てのメールマガジンを、転送メールのアドレスで登録しておけば、後から一々探す手間も省けるのだ。


 無料のWebメールでも用は足せそうだが、一々開くのが面倒臭い。転送メールを賢く使うのがベストだろう。

2004-06-08

下劣なテレビ朝日


 テレビ朝日は、既にフジテレビ以下の存在となったと言い切っておこう。「報道ステーション」では、年金支払い状況アンケートに答えない議員に対して、魔女狩り同然のことをしでかしている。何様のつもりなんだろうねえ。


 では、私からも、テレビ朝日に対してアンケートをお願いしたい。


「テレビ朝日は国旗掲揚に賛成ですか?」


「テレビ朝日は君が代を国歌にすることに賛成ですか?」


 どうだ、答えてみやがれ!


 ここ最近では、皇太子発言が話題となっているが、テレビ朝日は朝から晩まで、これでもかというほど、皇太子の発言を放映している。一見、皇太子の肩を持っているようでありながら、その実、皇室のゴタゴタをほくそ笑みながら、わずかな綻びを何度も何度も人目にさらそうとたくらんでいる。


 こうした姿勢は、政府与党の年金法案に対しても同様で、絶対に賛否両論を示すことがない。


 また、朝日系メディアの常套手段として、自民党に不利な状況となると、必ず世論調査を行う。


 田原総一郎ビートたけしといった大物を起用しながら、番組それ自体には、巧妙に政治的メッセージを盛り込んでいる。


 フジテレビという局は、多分に野次馬的な趣向が強く、軽んじられてきたが、今や、テレビ朝日はフジテレビ以下に成り下がり、その手口は下劣極まりないと断言できるだろう。