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2004-09-28

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

 一度見て、度肝を抜かれた。いずれの方向にせよ、人の心が動くことを感動というのであれば、確かな感動があった。だが、その一方で、二度と見ることはないだろう、とも思った。この衝撃は一度見れば十分なもので、何度も鑑賞する類いの作品ではない。


 所感を記そうと、ネット上の情報を物色していたところ、阿部和重がパンフレットに書いた一文に遭遇した。予想もつかない視点から物語を解き、映像の奥深くに込められたメッセージを鮮やかに読み取っていた。私は頭を殴られたようなショックを受けた。


 ネットで見つけた阿部のテキストは一部だったので、それからというもの、パンフレットを入手するまでに3ヶ月ほどを要した。


 そして、私はパンフレットを座右に置き、再びビデオを見た。阿部が汲み取ったものを見逃すまい、と。ビデオが終わって、パンフレットを初めて開いた。やっぱり負けた(笑)。


 二度目ではあったが、予想に反して、私は画面に釘づけとなった。カットの一つ一つが、しっかりと物語を構成していた。


 冒頭、シミのようなものが浮かび、図と地の区別がつかなくなる。


 ハンディカメラで撮影されていて、画面が常にブレている。ブレた分だけ見ている側に緊張感を強いる。あたかも人の視線に入り込んだような感覚にとらわれる。ライトも当てられず、極端な効果音やBGMもない。こうして、揺れる画面は自分の眼となり、観客は無理矢理、映画の中に引きずり込まれる。


 40分ほどが経過してリズムが奏でられ、主人公セルマが踊り出す。場面がミュージカルとなると、映像はピタリと揺れなくなる。現実は揺れ動き、空想は完成された世界だ。


 セルマは歌う。「もう見るべきものはない。何もかも見た」と。


 セルマは踊る。「ミュージカルでは恐ろしいことは起こらないわ」と。


 シナリオはメッセージを主張することなく、見る者に思索を強要する。


 空想シーンであるミュージカルと現実がラストで一致する。セルマは獣のような声で叫び歌う。「これは、最後の歌じゃない!」。


 現実の世界でセルマがステップを踏むと、彼女は宙に舞う。真っ直ぐな姿勢で。運命と戦い、病苦(主演女優の名前とダブって仕方がない)と戦い、世の中の矛盾と戦ったセルマは、遂に自由を手に入れた。


付記


 余談になるが、二度目の方が私は泣けた。特に、獄中のセルマと面会するジェフの姿は、私が知る限りでは、究極のラブシーンである。また、セルマの同僚がカトリーヌ・ドヌーヴであることも後から知った。大女優であることを気づかせないほどの抑制された名演である。また、ミュージカルの曲が好評を博しているようだが、私の趣味とは全く合わないものだ。それでも、お釣りがくるほど堪能できた。尚、パンフレットに掲載されている阿部和重の「反転する世界」は類い稀なレビューである。そっくり紹介したい気持ちに駆られるが、やはり、少々苦労はしても、直接、入手された方がよろしい。

ダンサー・イン・ザ・ダーク 映画覚書 Vol.1


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