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2005-02-24

『アイ・アム・デビッド』

『アイ・アム・デビッド』を見た。上映館がこれほど少ないのは、どうしてなんだろう? 都内でも、新宿1ヶ所でしか上映してない。


 強制収容所で育った12歳の少年デビッドが脱走を図り、一路デンマークへと向かう旅。予告編を見た時、私はナチスの強制収容所だとばかり思い込んでいた。ところが実際は共産主義国家による強制収容所だった。第二次世界大戦の直後のブルガリアがその舞台。


 例の如く先に難点を挙げておこう。まず効果音が大き過ぎる。これは見る者に緊張感を与える狙いがあるのだろうが、単なる虚仮(こけ)脅しに感じてしまう。ストーリーの方は都合よく主人公を助ける人々が次々と現れ、旅の困難さが描けてない。そして致命的なのはラストシーン。妙に冷静な演技が、「アイ・アム・デビッド」という最後の科白(せりふ)を台無しにしてくれる。


 強制収容所のシーンがいい。予告編で私が惹かれたのも、黒を強調したシャープなこの映像だった。旅の途中でカットバックが挿入されのもグッドアイディア。地獄の中にあってはほんの少しの優しさを示すだけでも殺される羽目となる。しかし地獄にも正義は存在した。


 デンマークといえば、グルントヴィとその弟子コルによって創設された国民高等学校が知られている。その成果であろうか、ナチスの風がヨーロッパになびいた時もデンマークでは数多くのユダヤ人が迫害から守られた


 映画ではなぜデンマークへ向かうのかが知らされない。そして物語には、一つの伏線があった。これには、吃驚(びっくり)仰天! 思わず「そうだったのか!」と膝を打ち、身を乗り出したほど。


 物心がついた時から強制収容所で育った少年は笑顔すら失っていた。デンマークへの逃亡の最中(さなか)、幾度となく「誰も信用してはいけない」とのアドバイスが蘇る。だがデビッドは抗(あらが)い難い人間愛を知り、遂に心を開く。幸福への扉は一気に開き、常に思い詰めた表情をしていたデビッドの頬を喜びの涙が伝う。


 上映前に何度も流れていた歌が最後を飾る。やや甘いバラードと思いきや、この物語に打ってつけの歌詞だった。


 悪夢のような時代の中で、一人の少年を助けるために差し出された数本の手は、人間の善性を証明する一筋の光に他ならない。


【※Yahoo!ムービーのユーザーレビューによると、ラストシーンで流れる歌は、デンマーク出身のdamian riceというアーティストの作品らしい】

アイ・アム・デビッド


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2005-02-23

ライブドア叩き


 叩くのは、母さんのお肩だけにしてもらいたい。そんな思いにさせられるほど、昨今のライブドア社に対するバッシングは酷い。数日前から、まるで誰かがゴーサインを出したかのように、メディアが攻撃を始め、政治家が批判を加え、経済界から苦言が続出した。


 私は証券業界についての知識はからっきしだが、今回の問題は、ライブドア社の“お行儀が悪かった”という程度のものではないか? 現行法に抵触してないというのだから、これほど騒ぐ必要はないはずだ。


 民主党の岡田代表は、22日の記者会見で――


(現行法の)ルールに基づいて行われたことに、立法者の政治家が批判するのは見識がない。


 と批判。“野党”を“政権準備党”と言い換えることを提唱するおめでたい政治家でもわかる問題なのだ。


 ってなわけで、私は心情的に堀江社長を応援したい。経済界に一石を投じる若武者に拍手を送りたい気分だ。


 人相のよくないフジテレビの会長は、「今時の若いのはなってない」が口癖になっているその辺の親父連中と変わりがない。旧態依然とした世界にどっぷりと浸(つ)かっているただの老人だ。


 日本経団連の奥田碩会長(トヨタ自動車会長)は――


 変な本を書き過ぎた。金さえあれば何でもできるというのは日本の社会としてはまずい。


 と御託をのたまわった。これなんぞは、「内の村の掟に従わなければ、いつでも村八分にしてやるぞ」と脅しているのと一緒。大体、「変な本を書き過ぎた」とのことだが、何冊読んだかすら明言してないのだ。


 奥田会長は、堀江社長にケチをつける前に、自社の心配をした方がよくはないか? 以下、日経記事――


◎トヨタ50億円申告漏れ、20億円追徴課税


 トヨタ自動車(愛知県豊田市)が名古屋国税局の税務調査を受け、2002年3月期までの2年間で約50億円の申告漏れを指摘されていたことが8日、分かった。このうち約10億円は海外の子会社に支払う販売促進費を水増しするなどしていたとみられる。同国税局は子会社への「利益移転」にあたるとして重加算税を含め約20億円を追徴課税(更正処分)したもようだ。

 関係者によると、トヨタ自動車はシンガポールの子会社「トヨタ・モーター・アジア・パシフィック」に販売促進業務を委託している。同国税局はトヨタ自動車が支払った委託料が実際の業務内容と比べて多く、経費の水増しにあたると判断。子会社への資金支援のための「利益移転」にあたると認定したもようだ。(2003-10-08)


 また、トヨタは、郵政事業参入の噂が囁かれているので、自民党に尻尾を振っておこうって魂胆なのかも。


 21日の「きょうの出来事」(日本テレビ)では、小栗泉という女性キャスターが堀江社長に対し、失礼千万な質問を繰り返した。挙げ句の果てには堀江氏が答えている途中でCMを入れるという手の込みようだった。ま、誰かが書いた台本通りに仕事をしているだけの馬鹿女だろう。さながら、イジメに便乗する外野の如し。


 毎日新聞(2005-02-21付)では、「風雲児の新聞観について」と題して、山田孝男という記者が一文を掲載――


 野球と株に疎く、今までぼんやり眺めてきた私だが、彼が新聞を語りだしたことで見えてきたものがある。メディア業界の旧弊を突く彼の批判は鋭いが、自己膨張以外に行動規範がなく、適法なら何でもやるという彼の流儀に屈するわけには断じていかないということである。


 更に、この後、こんな風に書いている――


 新聞はしばしば独善に陥るが、だから記者が公益を探る営みは無意味だというような極論を受けいれるわけにはいかない。


 そして、戦後、ヤミ金融「光クラブ」を経営していた東大生の言葉を引用して、堀江社長に擬して、締め括られている。


 この記者は、完全な被害妄想だと言っておこう。「ぼんやり眺めて」「見えてきたもの」と出だしを曖昧にし、端(はな)っからへっぴり腰。普通は、ぼんやり眺めて見えるものは、ぼんやりした姿にしかならないよ(笑)。


 ところが、自分の仕事(新聞記者)に対して批判されるや否や、彼の態度は豹変する。この記者は狡賢(ずるがしこ)い人物だ。堀江社長のことは、最初に持ち上げてから(「彼の批判は鋭い」)、根拠を示さずして「自己膨張以外に行動規範がなく」と断罪してみせる。ところが、新聞記者の仕事に関しては、「しばしば独善に陥るが」と、先にへりくだってみせ、その後、胸をそっくり返して威張ってみせるのだ。


 タイトルの「風雲児」という言葉も、堀江氏を持ち上げているような印象を与えながら、自殺した「光クラブ」の社長(しかも、東大卒)にダブらせようとする狙い。


 堀江氏は、この一文を読んですらいないことだろう。山田記者の滅茶苦茶な記事は、会社に飼い馴らされたサラリーマンによる負け犬の遠吠えにしか聞こえない。


【※大前研一氏によれば、「要は記者が読み込めなかったということ」であり、「報道する側が『勉強不足』だとしたら、こうした動きに乗じてあれこれ言う役人などは、さながら『お調子者』です。この数、じつに多い」ということになる。今後の争点は、「あまり注目されていませんが、村上ファンドの持ち株のゆくえ、つまり証券取引法の『会社関係者の禁止行為』(第百六十六条)、俗に言うインサイダー取引に触れたか否か」だそうだ】


 2005-02-23


毎日新聞のインタビューを嗤(わら)う


 今日付の毎日新聞に堀江社長のインタビュー記事が掲載された。臺宏士という記者によるもの。これまた噴飯物。ジャーナリストという種類の人間は、礼儀知らず・世間知らずの代名詞になりつつある。


 メディア界では、公権力を監視する機能を担い、社会の不正追及や、隠された情報を明らかにするなど、国民の知る権利に応え、社会に問題を提起することがジャーナリズムの重要な役割だと考えられてきた。


 記者クラブという閉ざされた世界で、官から与えられた情報を垂れ流している連中がよく言うよ(笑)。自分達の作った新聞は、下請け・孫受けの新聞販売店や拡張員にやらせているクセしやがって。ホリエモンのことよりも、新聞拡張のサービス合戦にメスを入れるべきじゃないのか?


 新聞が社会の木鐸(ぼくたく)だった時代はとっくに去った。それでも、正義面(づら)を下げているジャーナリズムは、今や嘲笑の的だ。


 フジテレビの会長や、ニッポン放送の社長がいみじくも示したのは、会社が株主のものではない、という経営者側の古い思考回路だ。


 2005-03-05


突っ込みどころ満載


 毎日新聞やテレビは、突っ込みどころが満載だが、多過ぎて書けなかった(笑)。


 ま、ジャーナリストと呼ばれるような種類の仕事が、虚業であることがハッキリした。何だかんだ言ったところで、ホリエモンは実業家である。


 2005-04-05

2005-02-15

幼女殺害


 奈良県の幼女殺害事件の犯人が逮捕され、性犯罪の前歴がある人物に対してかまびすしい議論が沸騰した。


 メディアは都合よくアメリカの「ミーガン法」なるものを持ち出し、魔女狩りをそそのかした。ミーガン法に関しては以下のリンク先を参照されたい。

 法規制に私は断固反対だ。そもそもアメリカには犯罪者を支援するボランティアなどがいて、社会全体で犯罪者が更正するのを見守る文化がある。日本には全くない。ま、村八分にされるのがオチだろう。我が国ではどうしても犯罪者=自分達と異質な存在、という図式となる。


 そもそも、んなことやったって事件の防ぎようはないだろう。


 昨日起こった小学校での殺人事件に対しても同様。セキュリティ、セキュリティとオウム返しに繰り返すマスコミは馬鹿としか言いようがない。きっと誰かに責任を押しつけたくってしようがないのだろう。


 いわゆる少女趣味の連中に関しては様々なことが囁かれている。大人になり切れてない男性が、同年齢の女性に対して恐怖感を抱いて付き合うことができなくなっている。男としての自信を持てない連中の眼差しは少女に注がれる。あるいは潔癖症が昂じて大人の女性が不潔に見えるような手合いもいるようだ。挙げ句の果てには人間を通り越して人形へと嗜好が傾く。


 こんな薄気味悪いのは私の周りにいないが、結局、教育の問題に行き着いてしまう。家庭や地域、学校が協力してまともな大人を育てないとこうした事件はいつまでも続くことだろう。


 戦争に負けてアメリカから自由を押しつけられ、日本人は何も考えることなく経済至上主義を貫いてきた。そして今我々は自由が持ち合わせるリスクを学ぶ時期に差し掛かっているのではないだろうか。


 自由な社会は自由に犯罪を起こせる社会でもある。私は決して犯罪を認めるものではないが、結局そういうことなのだ。


 それでも事件を許せない人は、ジョージ・オーウェルが『一九八四年』で描いたような完璧な管理社会を目指せばいい。


 元犯罪者だからといって平然と他人の権利に踏み込もうとする人々は、自分の自由を損なうことに全く気づいてない。


 犠牲となった被害者は言葉も見つからないほど気の毒だと思う。もしも私の身内が同じ目に遭うようなことがあれば、私はあっさりと法律の柵を超えてみせるだろう。だが、それとこれとは別の話だ。


女児両親の談話(全文)


 私達は娘を失った悲しみ・無念さ、小林被告への怒りはもちろんのことですが、事件当初のカメラのフラッシュやヘリコプターの旋回音、新聞記事や投函のあった手紙の内容、取材時の空き缶や煙草のぽい捨てのマナーの悪さ等、私達はマスコミに対する不信感を拭いさることは出来ません。

 今回初公判が行われますが、私達にとっては一つの節目というよりも起訴され、判決が下されるまでの通過点と思っておりますし、事件を風化させない為にも地域・学校をはじめ多くの皆様が安心・安全への取り組みを進めており、決して誰も忘れることはありません。

 私達の気持ち、小林被告に対する思いはコメントいたしました気持ちと変わっておりません。私達の心境をご理解頂き、取材活動を控えて頂ければと思っております。

 また、私達は報道機関からの、直接の手紙の投函等に精神的苦痛を受けております。今後につきましては、奈良県警察本部県民サービス課を通して頂けます様お願い申し上げます。尚、コメントとして取り扱われるのであれば、全文を載せて頂けますようお願い致します。


 平成17年4月11日


【毎日新聞 2005-04-18付夕刊】


 メディアの連中にとって「他人の不幸は蜜の味」と見える。角砂糖に群がる蟻さながらに、舌なめずりをしながら被害者の家族にまとわりついているのだろう。良識すら持たぬ記者が書いた記事が伝える事実にどの程度の意味があるのだろうか?


 初公判を迎えるに際して被害女児の両親が訴えたのは、マスコミに対する不信感だった。傷ついた遺族の怒りが、行間から噴き出しているように感じてならない。メディアに従事すれば何をしても許されるとでも思い込んでいるのだろう。こんな下劣な奴等が同じペンを握って、教育荒廃を嘆き、世の中を憂えてみせるのだ。


 こうした報道被害を防ぐためには、メディア規制する他、打つ手がないんじゃないのか? 傲(おご)り高ぶったメディアの使徒達が説く“言論の自由”とは、大衆の下劣な好奇心を満たす自由であり、心に傷を持った人々を晒(さら)し者にする自由だ。更に煙草のぽい捨ての自由まで含まれる。


 唾棄すべき連中に“人でなし”の烙印を押してやりたい。


 2005-04-19

2005-02-12

『ミュンヘン』

 チト、期待し過ぎた。どうも、私はスピルバーグとウマが合わないようだ。何にも増して、効果音で驚かせるのは、よしてもらいたい。


 暗殺者達は普通の人々だった。たまたま、人殺しが仕事であるというだけだった。誰もが思い込む落差を取っ払ったのはお見事。


 イスラエルの女首相役の婆様が凄い。これほどの演技力を見た試しがない。


 時代考証も徹底しており、当時のニュース映像が挿入されている。ここまで、やるか? というほどの出来栄え。見て損はない。でも、行くなら、『ホテル・ルワンダ』の方がいいね。

ミュンヘン スペシャル・エディション


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