古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-02-26

御岳トンネル


 新記録樹立。昨日、御岳(みたけ)トンネルまで辿り着いた。この地図を見て頂きたい。左側に、ようやく奥多摩湖が見える。(御岳トンネルの詳細は、地図を拡大して参照されたい)


 実は秘策があったのだ(ニヤリ)。今までは、ここを左折していた。ところが、このコース、アップダウンが凄いのだ。そこで、地図を見直したところ、高尾街道を直進し、滝山街道を左折するコースへと変更した。


 道路が狭くて難儀したが、アップダウンは確かに少なかった。


 途中、梅郷(ばいごう)に差し掛かると、咲き始めた何本かの梅の木と出くわした。ちょいと寄り道をして、梅の公園に立ち寄った。こっちは、あと2週間ほどかかりそうだ。3月1日からは入園料を200円とられる。いっぺん見てみたいもんだね。


 この辺りから先には、短い橋がいくつかあるのだが、下を覗くと、高低差20mはあろうかという谷川が流れている。


 歩道も車道も狭く、トラックがビュンビュン走ってゆくので注意が必要。また、15:00ぐらいになると、日が沈むので、帰る時間も計算しておきたい。


 自然の景観が何がしかの感動を与えるのは、この光景は二度と見られないという、かけがえのなさに裏打ちされているためだ。同じ日であっても、光の角度や天候次第で全く異なる顔を見せてくれる。


 復路はヘトヘト。何度か身体が燃料切れとなり、その度にシュークリームとエクレアを頬張った。古本屋に寄って、家に着いたのが18:30。飯を食う気力も残ってなかった。

2006-02-24

預貯金を下ろそう!


 バブルの崩壊以降、銀行の不良債権処理ために、金利は雀の涙以下に抑えられている。かような状況では、預貯金するだけ損をすることになる。最近は銀行も羽振りがいいようだが、預金者に利益を還元するような姿勢は、これっぽっちも見受けられない。

量的緩和」によるものだが、金利政策を見る限りでは、完全なデフレ状態といってよし。


 普通預金の利子が現在、0.002%。100万円に対して年利2000円だ。定期預金だと0.003%。1000円アップだな。こんな金利で銀行に金を貸し付けているんだから、よっぽどのお人好しとしか言いようがない。20回ほどATMを利用すれば、損をする勘定だ。


 その金を、2.8%(三井住友:住宅ローン)で貸してるんだから、実に汚い商売だ。


 どうせ、預けるなら、投資信託にした方がいい。リスクもあるが、ネットで調べれば、それなりに理解できる。自信のない方には、さわかみファンドがお薦め。

 資産運用に興味があれば、株式投資をすればいい。心配性な方は、トヨタ自動車日産自動車でも買っておけばよし。購入は、どちらも100株単位から。ま、アメリカで叩かれるようなことがない限りは値を上げてゆくだろう。


 いずれにしても、営業マンの言い分を鵜呑みにしてはいけない。彼等は、手数料を掠(かす)め取って儲けているのだから。他人に煽(あお)られて、その気になる人物が一番危ない。

2006-02-23

日本ファースト証券

「菅原」と名乗る人物から、電話営業があった。「トヨタの株式をお勧めさせて頂いております」だってさ。全くもって開いた口が塞がらない。こんな有名かつ、名の通った企業の株を勧めるとは……。それこそ、素人でもない限り、引っ掛かることはないだろう。


「内の電話番号を、どうやって調べたんだ?」

「ハイ、えーと、こちらですね、八王子市の住民名簿です」

「そんなもの、一体どこで発行してるんだ?」

「エー、詳しいことはわかりません」

「わかりません、じゃねえんだよ。そっちで説明する義務があるだろうが!」


「ところで、お宅は勤務して何年になるんだ?」

「私、まだ2年です」


 ということは、まだ勤め始めたばかりの新入社員の可能性が大(笑)。


 インチキ営業であるのは明らか。少し質問をぶつけてみると、ネット取引ができない上、手数料は1%も取るという。


「オイ、こっちはな、株で食ってるんだぞ!」

「すみません、じゃあ、全く必要ありませんね」


 と言い残し、向こうから電話を切ってくれたよ。本当は、古本でも食えないんだけどね(笑)。

2006-02-22

有限会社メディアマトリックス


■住所 〒150-0036 東京都渋谷区南平台町15-10MAC渋谷ビル8F

■電話番号 03-5456-5290

■FAX番号 03-5456-5291

■e-mail info@m-matrix.jp

■設立年月日 2004年2月

■資本金 300万円

■代表者 石橋英二

■主要取引先銀行 三井住友銀行 中野支店

■事業内容 モバイルメディア事業


 知らない内に、スパムメールが来るようになった。「ダブルチャンス!」とかいう、くじメール。


 http://pc.wchance.jp/p/company.jsp


 検索したところ、上記の情報が判明したので、明日、猛烈な抗議を試みる予定(笑)。結果をお楽しみに。




 昨日、電話したところ、「担当の者がおりません」と言われ、名前を聞くと、「石橋です」。何だ、社長じゃねえかよ(笑)。


 今日、再度かけたところ、またぞろ外出中。アドレスを伝えて、「おう、デタラメな仕事やってんじゃねえぞ! あと1回でも送ってきたら、直接、会社に乗り込むからな!」と、紳士には似つかわしくない言葉で言っておいた。


 また、メールが届いたら、本当に行く予定である。金属バットを持って。


 2006-02-24

2006-02-14

『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』、『自分の中に毒を持て』岡本太郎

 岡本太郎を20代で読んでいれば、私の人生は、もっと違ったものになっていたことだろう。今、深い感動と共に、悔恨の念が噴き上げてくる。


 誤解される人の姿は美しい。

 人は誤解を恐れる。だが本当に生きる者は当然誤解される。誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ。


【『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』岡本敏子(小学館文庫、1999年)】


 彼はこう言っていた。

「誰でも、『誤解されたくない』と言うだろう。『私はそんな人間じゃありません』なんて憤然としたり、『あいつはオレを誤解している』と恨みがましくめそめそしたり。

 だけど、じゃあ自分の知っている自分って、いったい何なんだい? どれだけ自分が解っている?

 せいぜい、自分をこう見てもらいたいという、願望のイメージなんだよ。そんなものは叩きつぶしてしまわなければ、社会とは闘えない。

 自分がどう見られているかじゃなくて、自分はこれをやりたい。やる。やりたいこと、やったことが自分なんだ」


【同書】


芸術は爆発だ!―岡本太郎痛快語録 (小学館文庫)


 人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。

 人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。

 今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。

 ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。

 それでは駄目だ。社会的状況や世間体とも闘う。アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない。これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。

 自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。そんな生き方は安易で、甘えがある。ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければ駄目だ。

 自分らしくある必要はない。むしろ、“人間らしく”生きる道を考えてほしい。

“忠実”という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。忠実の“忠”とは〈まめやか、まごころを尽くす〉ということだ。自分に対してまごころを尽くすというのは、自分にきびしく、残酷に挑むことだ。

 ところが、とにかく忠君愛国のように、主君はたとえ間違っていても、主君である以上それに殉ずるとか、義理だの、仇討ちだの、狭い、盲目的な忠誠心ととらわれることが多い。

 だからぼくは、忠実なんて言葉はあまり使ってもらいたくない。

“実”にしたって、何が実であるか、なんてことは抽象的で誰にもわかるもんじゃない。意識する“実”はほんとうの意味での“実”じゃない。

“実”というのはそういう型にはめた意識を超えて、運命に己を賭けることなんだ。

 自分に忠実と称して狭い枠のなかに自分を守って、カッコよく生きようとするのは自分自身に甘えているにすぎない。

 それは人生に甘えることでもある。もし、そんなふうにカッコウにとらわわれそうになったら、自分を叩きつぶしてやる。そうすれば逆に自分が猛烈にひらけ、モリモリ生きていける。

 つまり自分自身の最大の敵は他人ではなく自分自身というわけだ。自分をとりまく状況に甘えて自分をごましてしまう、そういう誘惑はしょっちゅうある。だから自分をつっぱなして自分と闘えば、逆にほんとうの意味での生き方ができる。

 誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから、きびしさを避けて楽な方の生き方をしようとする。

 ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。

 安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。

 たとえ、結果が思うようにいかなくたっていい。結果が悪くても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。

 人生というのはそういうきびしさをもって生きるからこそ面白いんだ。


【『自分の中に毒を持て』岡本太郎青春出版社、2002年)】

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)

2006-02-07

『ホテル・ルワンダ』

『ホテル・ルワンダ』を見てきた。いやはや、立川のシネマシティ/City2は凄い。これほど、スクリーンを大きく感じたのは生まれて初めてのこと。前から4列目に陣取ったのだが、真正面にスクリーンがある。音響もパーフェクト。


 インターネットでの署名活動によって、やっと公開にこぎつけた作品。1994年にアフリカのルワンダで100万人が殺戮された実話に基づいている。


「力」とは一体、何なのか――映画館を出た今も頭の中を去来する。街中で起きているチンピラ同士の喧嘩なんぞとは桁違いの軍隊による暴力。そして、それをコントロールする権力。更に、大量虐殺を放置したり、放置させたりする国際間のパワー・オブ・バランス。


 元々同じ種族でありながら、ベルギー人によって、“鼻の形の違い”でツチ族フツ族に分けられ、いがみ合い、殺し合うアフリカの民。相手の種(しゅ)を絶つために、子供まで殺す徹底ぶりだ。


 政変が起こるまで、金の力で成り上がった主人公は、家族を守るために必死の行動をとる。それだけの内容で、私は全く感動を覚えなかった。それどころか、「自分の家族さえ助かればいいのか?」と嫌な気持ちにさせられたほどだ。


「これが、私のいる世界なのか?」――この一点を思い知るために見るべき作品だ、と私は思う。


 見ている最中から、猛烈な無力感に苛(さいな)まれる。私に何ができるのだ? どうせ、何もできない。否、しようともしないだろう。


 それでも、見るべきなのだ。中国から廉価で輸入された鉈(なた)で殺される人々を。虫けらみたいにビストルで撃たれる人々を。殺される前に陵辱される女性達を……。


 何もしなくていい。ただ、罪もなく殺されていった100万の人々の無念を知れ。

ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション


2006-02-03

ニュース拾い読み・書き捨て 26


 読売新聞多摩版の「王がいた黄金時代」と題した記事。早稲田実業時代の王貞治をスケッチしている。


 私は昔から、スポットライトが似合う長嶋茂雄よりも、どこかストイックな王貞治に惹かれてきた。


 高校時代から抜きん出た素質があったようで、当時のチームメートが、「打撃練習の時、セカンドやファーストを守るのが怖かった」と語るほど打球は鋭かった。


 勝ち続けたときも、決しておごらなかった。「負けたチームの気持ちになれ」が口癖だったという。王が甲子園に行けなかったのは一度だけ。最後の夏だった。都大会の結晶で明治高校(現・明大明治)に敗れた。王は、甲子園に出発する明治高に花束を持って行った。宮井(早稲田実業野球部監督)は、王をこう語った。「人格を兼ね備えた男」。


 王貞治が中学の時のことである。試合に勝って皆で大喜びをした。家へ帰ると、試合を見に来ていた兄がこう言った。「お前は負けた相手チームのことを考えたことがあるのか?」と。それ以降、貞治少年は勝利に酔い痴れる真似をしなくなった。


 私も中学時代は野球に明け暮れた。2年でレギュラーとなり、3年の時には札幌で優勝し、全道大会でも優勝候補だったが、敢えなく準々決勝で敗れた。2年の時、監督が変わった。この先生は早稲田野球が好きで、ユニフォームまで早稲田と同じものに変えてしまった。上記のエピソードを教えられ、徹底的にポーカーフェイスを叩き込まれた。試合中に笑うことは禁じられた。「勝負というものは、そういうものだ」と。


 そんなこともあって、私はどうしてもサッカーというスポーツが好きになれない。ゴールを決めた途端、狂喜乱舞する姿がこの上なく愚かなものに見えて仕方がない。監督までがガッツポーズをするのは、どう考えてもおかしい。


 剣道の場合、ガッツポーズをすると一本が取り消しになるそうだ。まあ、武道(殺し合い)とスポーツ(狩猟)を同列に論ずるわけにもいかないが……。


 ガッツポーズに関して、時津賢児氏がこんなことを書いている――


 今ではどこの国の選手もガッツポーズをやる。だが、その行為の主体的な意味は一様ではない。欧米人は他者との衝突的関係の中で自分を捉えるから、何事につけはっきり自己表現して生きるように教育されている。だから、彼らが勝利の喜びをあからさまな仕草で示すのは、モードでも何でもない。日々の生活様式そのままなのだ。アメリカの根強い人種差別の社会に生きる黒人のガッツポーズには、白人社会に対する示威の意味もある。新興国の選手は国家の重みを背負っているし、国際紛争中の国を代表する選手のガッツポーズには、隣国に対する示威の意味もある。日本人のガッツポーズとはニュアンスも中味も異なる。このように似たようなポーズをしても、主体性の内容には差がある。


 フムフム、そういうものか。