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2007-01-08

家族が交通事故の犠牲となる前に/『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳

    • 家族が交通事故の犠牲となる前に

 警察庁の資料によると交通事故による死者数は、平成8年(1996年)以降、1万人を下回り、確実に減少しつつある。それでも昨年は6352人(概数)もの方々が尊い命を犠牲にしている。


 この10年間だと、8万2279人の方が亡くなっている。事故とはいえ、8万2279人が殺され、8万2279人のドライバーが殺したことになる。犠牲者のご家族や友人の哀しみは計り知れない。


 スタンレー・ミルグラムの「六次の隔たり」に当てはめると、交通事故の犠牲者は、二次の隔たりぐらいで必ずいることだろう。私の周囲でも、高校の同級生が10代で死亡しており、他にもお二方を喪っている。


 駒沢氏は昨年、逝去された。引退した後も、全国を飛び回っていた。テレビのインタビューに対し、わなわなと口を震わせながら、「だって、(被害者が)可哀想だろう」と答えていた姿が忘れられない。


 交通事故の悲惨は死亡したことだけにとどまらない。「死人に口なし」と言わんばかりに、加害者が平然と嘘をつき、裁判は加害者の証言を元に進められる。


 死刑賛成論者はこの本を読むがいい。裁判所や警察、保険業界がどれだけデタラメで、インチキに満ちているかを知ることができよう。


 事故とは、人と車と環境の合作である。そのうち、衝突とは純粋に物理現象であり、偶然や例外の入り込む余地はない。結果があれば必ず原因がある。

 結果が四角であれば原因は必ず四角であり、丸いものではありえない。人の五感を経由した材料に頼るな、その安易さが技術力進歩を阻害し、誤らせる。情報の材料は必ず、どこかにある。

 人は誤りを犯すが、物は誤ることができない。


 これが駒沢氏の信念だった。更に、弁護士を対象とした研修会では、こう語っている――


 私の場合には、いわゆる人証、人の説明、これはいっさい使いません。なぜならば、人は間違いを犯すことがあるからです。けれどもモノは絶対に誤らない。モノは誤ることができないのです。だから、できるかぎりモノから聞く。モノのキズというのは、非常に雄弁にぶつかった瞬間のかたちを説明してくれているのです。

 言葉を話せなくなった弱者に代わって、ものを言ってくれるのは、事故の痕跡しかありません。もし皆さんがご相談をお受けになった段階で間に合えば、事故車でも衣類でも持ち物ひとつでもいいから、その現場にあったものを保存するようにアドバイスしてください。いたずらにうろたえたり、嘆き悲しんだりしているだけでは、絶対に事故は解決できません。「泣くのは明日からにしなさい。今日は我慢して現場へ行って写真を撮ってきなさい」と、ちょっと厳しく残酷なようですけれども、とにかく証拠保全に全力を傾けていただきたいと思います。


 駒沢氏は、ブレーキ痕や細かい傷、そして、被害者の衣類などから、事故状況を探り当てる。その駒沢氏の正確無比な鑑定書をもってしても、裁判に負けることがあるのだ。


 本書を読めば、日本はとてもじゃないが法治国家と呼べないことに気づくだろう。鳴りを潜めた「耐震偽装問題」も同様だが、被害者が泣き寝入りして解決する問題が多過ぎる。


 家族が交通事故の犠牲となる前に、必ず読んでおくべき本である。

交通事故鑑定人―鑑定歴五〇年・駒沢幹也の事件ファイル (角川oneテーマ21)