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2007-03-19

「Astaire」SUEMITSU&THE SUEMITH


 最近、注目しているミュージシャンは、「SUEMITSU&THE SUEMITH」ぐらいだね。原田真二の進化形といってよい。


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Best Angle for the Pianist-SUEMITSU&THE SUEMITH 05-08-

2007-03-15

2007-03-11

『心にナイフをしのばせて』奥野修司

 既に内容は、かなり知られていると思われるので、明かしてしまうことを許されよ。

 著者としての意図はそこにあったのだろうが、私はむしろ、家族心理を明かした貴重な証言として読んだ。


 事件そのものが家族を崩壊させたのか、あるいは、崩壊する要因のあった家族を加速させたのか――その辺りは微妙だ。


 証言中心の構成で、大半は被害者の妹の独白である。ただ、30年も前の事件であり、遺族が心を封印してきたこともあって、周辺取材を行った上で補強されている。


 興味深い内容で、人間心理の綾が見事に描かれている。著者が手を入れた文章でありながら、証言者の個性や息遣いが、しっかりと伝わってくる。家族であるが故のわがまま、衝突、身勝手、反発、妥協の数々が、実に生き生きと浮かんでくる。


 加害者が弁護士となっていたことは、本書の最後の最後に出てくる。書かれているのは、わずか20ページ余りである。このことからも、予想外の展開となったことが窺える。


 この本を読むに当たっては慎重な姿勢が求められる。人間は、生(=性)と死(=暴力)に関する情報に対して、興奮を覚える性質がある。広告などで使われるサブリミナル効果も、いずれかを象徴する情報が盛り込まれている。


 そもそも著者自身が、猟奇的な殺人事件でなければ取り上げることもなかったはずだ。つまり、「高校の同級生によって殺され、頭部を切断された」という情報を知った時点で、我々は残虐極まりないストーリーを勝手に描いて、興奮を求めてしまうのだ。


 惨殺されたから、家族が崩壊したのか――そうとは言い切れまい。大体、「普通の殺人」という言葉が成立するとも思えない。交通事故死にしても同様であろう。あるいは、子供の夭折(ようせつ)によって、同じ軌跡を描く家族もあっておかしくない。


 それ故、「あとがき」に記された著者の結論に私は与(くみ)しない。


 被害者の妹が結婚し、二人の娘が中学生となった頃、神戸で酒鬼薔薇事件が起こる。そして、他人の不幸に群がる銀蝿のようなマスコミが自宅を訪れる。留守宅には、封もしてない取材依頼が置かれていて、これを目にした娘が、初めて母親の兄が殺害されたことを知る。母親から全てを打ち明けられた娘は、普通に学校へ通えなくなった。


 奥野氏の行為は、これと全く同じ類いのものである。そもそも、加害者が弁護士となっていることを、わざわざ被害者に教える必要がないのだ。遺族に寄り添うことと、ジャーナリストとしての仕事は、全く別のものであるべきだ。


 結果的に、加害者が金持ちになり、被害者が貧乏になったという話を、猟奇殺人によって麗々しく飾り立て、被害家族の不幸をかき回して膨(ふく)らませているのだ。


 著者が、「過去に犯罪を犯した少年は、更生してはならない」ことを主張し、証明しなければ、単純な感情によって社会的制裁を求めるような結果にしかならないことを危惧する。


心にナイフをしのばせて 心にナイフをしのばせて (文春文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2007-03-10

ニュース拾い読み・書き捨て 33


袴田事件 元裁判官「心証は無罪だった」


 静岡県で66年に一家4人が殺害された「袴田事件」で、一審の静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官が9日午後、「心証は無罪だった」と明らかにした。

 この事件は66年6月、静岡・清水市(現静岡市)でみそ製造会社専務・橋本藤雄さん一家4人が殺害され、2か月後に元プロボクサー・袴田巌死刑囚(70)が逮捕されたもの。


 検察側は、袴田死刑囚がアパートの家賃欲しさに刃渡り12センチの「くり小刀」で4人を刺殺したと主張した。一審の静岡地裁は68年9月、この主張を認めて袴田死刑囚に死刑判決を言い渡し、80年に袴田死刑囚の死刑は確定した。


 一審で死刑判決を下した3人のうちの1人、熊本典道元裁判官(69)は、当時、有罪との確信がなかったが、ほかの2人に従い、死刑判決を下したという。熊本元裁判官は「少なくとも、今まで出ている証拠で有罪にするのはムチャだと。結局、私が裁判長を説得できなかったのは私の力不足。僕自身の責任でもあると、今でも思っている」と語った。


 袴田事件には、冤罪(えんざい)をうかがわせる疑問点が数多く残されていた。凶器とされたのは刃渡り12センチのくり小刀だったが、被害者には15センチ以上の深い傷が残されていた。逃走経路とされる留め金がついた裏木戸は、弁護側の実験では留め金がついたまま扉をくぐり抜けることはできなかった。また、くぐり抜けられるとした警察の検証では、留め金を外していた可能性が高いこともわかった。


 さらに、みそ工場のタンクから見つかった犯人のものとされる血のついた衣服は「袴田死刑囚犯人説」の決定的な証拠とされた。しかし、血のついている位置が不自然で、袴田死刑囚の体格にも合わず、弁護側は警察による証拠のねつ造だと主張している。


 弁護側は裁判のやり直しを求めたが、静岡地裁と東京高裁に棄却され、現在、最高裁に特別抗告している。


 熊本元裁判官は「あの判決書きの表現は後からつけた理屈です。書いた本人がそう言って四十何年か悩んでいる」「私は言ってみれば(死刑判決を出した)殺人未遂犯ですよ。片棒を担ぎかけた。彼に会ったら黙っているしかない」と述べた。


 ボクシング元世界チャンピオン・輪島功一さんらは、ボクサーへの偏見が袴田事件にはあるとして支援を続けている。輪島さんは去年12月、「これは冤罪だと。(袴田死刑囚に)寿命のあるうちに外に出てきてもらって、みんなでボクシングを観戦して『俺、頑張って良かった』と思ってもらいたい」と話している。


 再び裁判への扉は開かれるのか。袴田死刑囚は10日、拘置所の中で71回目の誕生日を迎える。


【日テレニュース 2007-03-09】

 一見、いいニュースに見える。熊本氏の善良な心が、苦悩を深いものとしていたことは疑う余地がないだろう。記者会見で流した涙にも嘘はなかったはずだ。無罪を信じて戦っている人々に、大いなる追い風を送る行為だった。私のような一般人には想像もつかない勇気を必要としたことだろう。


 しかし、である。良心の呵責に苛まれる40年もの間、罪もない人間が獄につながれていたことを踏まえると、私はこう言いたい――「だから、何なんだ。それが、どうした」と。


 自分に嘘をつきながら数十年もの間、チマチマと苦悩してきた人間の良心なんぞは、所詮、偽善に過ぎない。なぜ、命を懸けて行動しなかったのか。どうして、もっと早く立ち上がらなかったのか。


 こんなフラフラした人間が下す審判とは一体、何なのか。「法の下の平等」なんぞは幻想に過ぎない。警察は、無実の庶民を犯罪者に仕立て上げ、巨悪にどっぷりと浸(つ)かっている連中は野放しにしているのだ。


 アメリカで市民が銃器を所持するのは、我が身は自分自身で守るという自衛意識からだが、最終的には警察と戦う覚悟が込められている。私は銃器社会に賛同する者ではないが、その精神には共感を覚える。


 権力の名を借りた不正や暴力が横行すれば、市民も暴力によって対抗するしか術(すべ)がなくなるだろう。


 私が見たニュース番組に限れば、いずれも“冷静に”論じているキャスターばかりだった。所詮、他人事だ。自分の足さえ踏まれなければよしとするような馬鹿者ばかりだ。私はブラウン管に向かって唾を吐いた。

『街が泣いてた』伊丹哲也 & Side By Side

 いやあ、まさか動画があるたあ、思わなかった。YouTube恐るべし! 第19回ポプコンでグランプリとなった名曲。

2007-03-09

『ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々』玄侑宗久


 ラジオから流れる朗読に耳を奪われた――


 汗っかきほど蚊が寄ってくる。横一列に並んで坐っていると、色白で汗っかきの先輩のほうに蚊が寄っていくのが見えることがある。しかしむろん、全ての蚊がそちらに行くわけではない。「私の血は、きっとまずいよ」なんて念じてみても、必ず私に向かってくる奴もいる。

 坐禅中だからもちろん動けない。頭や顔や首に来られたら全く無力なもので、どんなに痒くともなすすべはない。ただひたすら彼女たちの排卵に協力するしかないのである。

 しかし刺される場所によっては、こちらにも反撃のチャンスが訪れることがある。つまり手首より上の、肘くらいまでの場所を刺してきたら、こちらも座視してばかりはいられない。着物と麻衣の上から刺すわけだが、目の粗い麻衣の布地に彼女たちは嘴(くちばし)というか針を挿入する。その針が皮膚に届いた瞬間を狙い、私は人に気づかれないほど微妙に、腕を動かすのである。可哀想に彼女の口の針は、あえなく折れてしまう。

 私って、残酷だろうか。しかし大部分の蚊は無事に血を吸い、思う存分腹を膨らませ、時には飛べないほどに太って私を後にするのである。種の保存の観点からも、多少の犠牲はやむをえないのではないだろうか。

 ともあれそういうわけで、夏の坐禅はあまりにも忙しい。とても慈悲どころではなくなるのである。


 取るに足らない日常のひとこまが、飄々とした文章で見事にスケッチされていた。おかしみと共に、はかなさも感じられた。私は早速、本書を求めた。


 著者は禅寺の僧侶である。修行の風景が、感情というスパイスを効かせた文章で切り取られ、気がつくとクスリとしながら読んでいる。どのページを開いても、居丈高に講釈を垂れるような姿勢はなく、親近感が湧いてくる。


 だが、読み進む内に、何かシコリのようなものを覚えた。警策が振るわれるシーンを何度か読んで、やっとそれがわかった。


 修行という名目で、時には血だらけになるまで、警策で殴られることもあるそうだ。これは、「日本人の悪しき隷属性」そのものであろう。位階に支配された狭い世界で、戦々恐々としている姿は、醜悪な日本人そのものだ。


 この本は大変面白いのだが、読み終えて禅寺に入門したいと思う人は、まずいないはずだ。寺の中でしか通用しない論理が、若い僧侶を虐げている――そんな様相が浮き彫りになってくる。


 神や仏が説いた教えは、本来、社会に向かって放たれたメッセージであったはずだ。つまらぬ形式の残骸を修行だと錯覚しているから、「葬式仏教」と人々から嗤(わら)われるに至ったのだろう。


 私の率直な考えでは、禅寺に入るよりも自衛隊に入った方が、はるかに生産的だ。

ベラボーな生活―禅道場の「非常識」な日々

2007-03-03

ブルー・ワールド・ジャパン その二


 今日、また電話営業あり。一昨年暮れの電話では、八王子市の千人町にあったはずだが、今度は横山町だという。程度の低いアルバイトを一刀両断にしておいた。


「こちら、KDDIですが」

「本当に、KDDIの人間なんだろうな?」

「あッ、すいません。代理店のブルー・ワールド・ジャパンといいます」

「営業目的を述べよ」

「お客様の電話料金が安くなるお知らせです」

「間違いなく安くなるんだろーな! どんな使用状況であっても安くなるんだな? 後から条件を付けるなら、そりゃ詐欺になるんだぞ!」(ドラ声)

「(マニュアルを読み続ける)エート、今回ですね……」

「俺の話に返事をするのが先だろうよ! 大体、こっちはIP電話なんだよ。それ以上、本当に安くなるんだろうな? ならなかったら、会社に火を点けにいくぞ!」

「申しわけありません。今回は、インターネットをご利用されてないお客様へのご案内でした」


 その後、懇切丁寧に今のアルバイトを辞めるように進言しておいた(笑)。