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2008-04-27

『人生を掃除する人しない人』桜井章一、鍵山秀三郎

生活感覚――鍵山秀三郎


 生活感覚のない人間は、ロボットより悪い。ロボットのほうがまだいいと思います。

 なぜこんなことになったか。いろいろ原因はありますが、やはり企業の利益至上主義でしょう。これがすべて学校の教育までをもとり込んでしまったわけです。

 学校までが利益至上主義のなかにとり込まれていますから、感性とか「感じる」とかいう世界は邪魔になってしまう。そんなものはないほうがいいということで、おろそかにされてきたわけです。その結果がいまの状況になっていると思います。

 私は自分が企業を経営していながら、この企業の考え方が本当に世の中を悪くしたというふうに、つくづく思うんです。

 私の会社も一部上場会社ですから、事業計画も決算も公表します。だけど、掲げた目標を必ずしも達成できるとはいえません。

 達成しなくても、誰にもペナルティはつけません。達成しなくても会社はつぶれないんですから。もちろん、いろいろと無理をすれば達成できるんです。だけど、それを達成したいというのは、私の個人欲であり、私の名誉心に過ぎないんです。

 現に、達成しなかったから社員が食えないかというと、食えてるんです。誰が困っていますか、誰も困っていない。それを、残念ながら多くの企業は、しゃにむに達成させていくから、世の中はこんなことになったんじゃないんですか。

 もちろん、会社ですから、売上を上げて、利益を上げていくことは大事な使命です。しかし、それだけですか、と私はいいたいんです。いまはみんな、それだけでしょう。しかも、そのためには何をしてもかまわないという具合になっているわけです。

 利益は大事ではあるけれど、それを達成させるための手段や方法は問わないんですかと、それを問わずにやってきたところに、いまの日本の悲劇がたくさん起きてるわけです。

 たとえば、世界的にも知られる某大企業が史上最高の利益を出しました。では、その下請け、孫請け、その下の下はというと、そのほとんどが窮地に追い込まれているんです。その大企業がいろいろと過酷な条件を課して、自分のところだけよければいいというので、下請けやその下請けに赤字が出るほどの苦労をさせたわけです。

 あるいは、数字の上では赤字でなくても、精神の上で追いつめられていきます。そうやって人の心が荒れる。そして家庭崩壊、児童虐待、その他いろいろな世の中の犯罪が起きる。そういう数値に表せないマイナスを累積したら、利益の何倍もの損失を生み出してると思います。

 そんな会社が、いくら史上最高の利益を出そうが、私は尊敬することはできません。


耳――桜井章一


 このあいだも、電車でまわりにおかまいなしにヘッドホンステレオをチャカチャカ大きな音で聴いている若者を怒鳴りつけたんですが、やはり「耳」だと思うんです。いまの子は「耳」が働かない。「聞く」ということはとても大切です。目で見るよりも聞くことのほうが大切な場面がたくさんあります。

 たとえば僕なんか、麻雀をやると、目で見るより、うしろを向いて聞いているほうが、場のみんなの様子が見えます。だから、うしろを向いて打つこともあります。

 僕のところは「牌(ぱい)の音」という道場なんですが、なぜそんな名前をつけたかというと、つまり、みんなに音を大切にしてもらいたいと思うからです。音ひとつで、相手が狂っているか、悩んでいるか、ズルくなってるか、わかるもんです。それを目で見ようとすると必ず見落とします。

 それほど耳は大切です。それをヘッドホンステレオの、あんな音の洪水のなかにいたら、耳が壊れてしまいます。

 同じ音でも、水の音や川のせせらぎの音、そういったものには僕もまったく違和感を感じませんが、人工的な音には、僕の場合、拒否反応が起きます。あれは毒ですから。

 だから僕はいまの流行の音楽はなるべく聴かないようにしています。拒否反応です。ああいうのを聴いていると、僕は病気になってしまいます。


癒し――鍵山秀三郎


「癒し」などといいますが、だいたい癒しをもとめるというところへ行くこと自体が、私は間違いだと思います。どうして癒しなんてものが必要なんでしょう。

 心にゆとりのある人は、癒しなんか求めません。必要がないからです。では、ゆとりとはどういうところから生まれてくるかというと、やはり人に親切にするということでゆとりが生まれるんです。それがいまの人は、人に親切にするということがないから、ゆとりがない。だから癒しを求めると。こういう悪循環なんです。

 それからもうひとつ、ゆとりを生む要素は、将来に楽しみをもつということです。小さくてもいいんです。どんな小さな楽しみでも、将来に楽しみを先にもっている人はゆとりがあるんです。そして、そういう人は癒しなどは求めないものです。

 ところが、いまは将来に楽しみがないし、人に対して親切にもできないから、それはもう、心のなかはガサガサになってしまっています。だから「癒し」という潤いを外に求めるということです。癒しを求めるというのは、卑しいことであり、自分が未熟であるということを証明しているようなものです。

 もっといえば、癒しを求めるというのは、自分のことしか考えてないということでもあります。要するに自己中心です。そうなっていけば、いいことを考えないし、人のいいところも見えない。人の欠点ばっかりを見るわけです。

 癒しというのは人に与えられるものじゃなくて、自分で感ずるものです。たとえば、朝から、どしゃ降りのなかでずぶ濡れになって一日ゴミ拾いして、全身ずぶ濡れになって家へ帰って、服を脱いで、風呂へ入ってごらんなさい。ほっとしますから。癒しというのは、そういうもんなんです。だから、努力をして何かを越えなければ感じることはできないんです。そこを越えたことのない人が「癒し」だなんて、おこがましいんじゃないでしょうか。


 20年間無敗の雀鬼と、東証一部上場のイエローハット(カー用品国内2位)社長による共著。これはね、凄いよ。どっちがどっちだか、わからなくなるほど、主張が一致しているのだ。全く畑違いの二人が、人生という歩みを経て同じ思想になっていることが、実に興味深い。ただの一度も本を閉じることなく読み終えた。


人生を掃除する人しない人 達人二人、目からウロコの超実践哲学

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