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2008-05-31

NTTコミュニケーションズ


 ここのところ電話営業が多い。NTTコミュニケーションズを名乗っているが、下請け企業だろう。必ず「電話料金がお安くなります」と明るい声で言う。私は「間違いなく安くなるんだろうな? だったら契約しようじゃねえか! で、内は光電話なんだけど、どれぐらい安くなるんだ?」とドラ声を張り上げると、「あっ、間違えました。すみません」と電話が切れる(笑)。どうやら、NTTコミュニケーションズは、インターネットの光回線から光電話に営業目的をシフトしているようだ。


 この手の下請け会社は、一時的なブームに乗っかる代理店に過ぎず、実体がどうなっているのかが不明。テレアポをしているのは罪のないアルバイトの連中だが、営業手法がどうしようもなく稚拙。

INAX


 数日前に営業の電話があった。若い女性がテレアポ・マニュアルを読み続ける。一区切りついたところで、「法改正によって、最初に営業目的を告げなくてはならないことを知ってる?」と訊いた途端、電話が切れていた。INAXのテレフォンアポインターは非常にレベルが低い。

『世界反米ジョーク集』早坂隆


 ジョークに期待しない方がよい。品もないし、面白くもない。大事なのは「世界中でジョークにされているアメリカ」という事実だ。


 タイトルと内容がそぐわない。軽い気持ちで手に取らせて、アメリカの現実を教えようとしたのかも知れない。「アメリカが世界で何をしているのか」がコンパクトにまとめられている。是非とも若い人に読んでもらいたい。


 2003年に勃発したイラク戦争のキーワードの一つが大量破壊兵器(WMD、Weapons of Mass Destruction)だったが、そもそもイラクに大規模な軍事援助を行ってきたのが誰あろうアメリカだ。1979年にイランではホメイニ師が親米的なシャー体制を打倒するイスラム革命が勃発したが、その後のイランに対峙する役目をイラクに担わせるため、アメリカはイラクを軍事的、経済的に支援した。輸出した品目の中には、炭疽菌やボツリヌス菌のような生物兵器化学兵器の素材と成り得るものまで含まれていた。「非軍事品」という名目で、商務省が輸出許可を出していたのである。また、アフガニスタンタリバン政権が保有していた武器も同様で、これはかつて対ソ用にアメリカが援助したものだった。


 既に多くの人々が知る事実だが、アメリカによって戦争がどのように演出されているかが、よくわかる。クリントン政権によって、アメリカ産業はハードからソフトへの大転換がなされた。製造業が大幅に圧縮され、基幹産業は軍需産業となった。コソボ空爆は「爆弾の在庫処分」が目的だったとされている。戦争を起こして相手国を破壊し尽くし、再建は米国企業で行うといった手法で、アメリカ経済は成り立っている。アメリカ流のスクラップ・アンド・ビルドといってよい。歴史を振り返れば、アメリカが戦争に手を染めると、必ず日本の景気もよくなっていることに気づく。


 混乱の極みにあった占領統治が続く中で、内部告発から明るみとなった米兵によるイラク人捕虜への虐待事件は、戦後処理における局面を最悪の事態へと推移させた。アブグレイブ(Avu Ghraib)収容所を始めとするイラク各地の収容所で日常的に行われていたとされる捕虜虐待は全世界に衝撃を与え、特にイスラム世界では激しい対米憎悪を生む契機となった。(中略)

 これらの収容所で勾留されていたのは大半が民間人である。その多くが掃討作戦中に正当な理由もなく拘禁された人たちだった。その中には女性や子どもも多数含まれていた。

 イスラム教徒にとって他人に裸を見せることは最大の恥辱であるが、こうした虐待が連日行なわれたという。軍用犬に皮膚や肉を食いちぎられ、溜めてあった他人の尿の中に顔を突っ込まれる、肛門に蛍光スティックやほうきを挿入される。男同士での性行為を強要される、電極を付けられて台の上に立たされ「台から落ちたら感電死する」と脅される。兵士たちは自らが演出した残虐行為の前でにこやかな笑顔を浮かべて写真を撮り、それを仲間や家族に送っていた。目を背けたくなるようなシーンと共に写る兵士たちの笑顔に、世界は唖然とした。

『ロサンゼルス・タイムス』によれば憲兵による「虐待コンテスト」が行われ、どれだけ多くの拘束者を泣かせることができたかが競われていたという。軍用犬を使っての拷問は、ラムズフェルド国防長官の認可の下で行われていたとされている。

「敵」は「モノ」になる。ここに覇権国家の恐ろしさがある。憎悪はアイデンティティによって支えられている。いつの日か必ず手痛いしっぺ返しに遭うことだろう。


 ジョークの世界では、20世紀後半の主役はソ連だった。スターリンやフルシチョフは絶好の笑いの標的となり、ヨーロッパを中心として世界各国で楽しまれた。それが21世紀を迎えた今、主役はアメリカへと移行した。反米ジョークによってアメリカは世界中の人々に笑われている。


 アメリカが揶揄されている現実は、既に崩壊の兆しといってよい。「裸の王様」であることに世界の人々は気づき始めた。


 先住民族虐殺と共にアメリカにとっての歴史的弱点となっているのが黒人問題である。1776年にアメリカは建国されたが、以降、奴隷制は「南部の経済発展のために不可欠」として維持され続けた。平等を謳った独立宣言の起草者であるトーマス・ジェファーソンが、実はヴァージニアの奴隷保有者だったという事実は象徴的である。


 これが本書の中で最高傑作と思われるジョークだ。

世界反米ジョーク集 (中公新書ラクレ)

2008-05-30

Britain's Got Talent(ブリテンズ・ゴット・タレント)


 直訳すると「イギリスにある才能」というテレビ番組。手っ取り早く言うと「素人のど自慢イギリス版」。SNSConnie Talbot(コニー・タルボット)の動画が紹介されていた。実は以前見たことがあったが、如何せん歌を聴くまでに至っていなかった。コニーちゃんは当時6歳。優勝者はエリザベス女王の前で歌う権利が与えられるこの番組で、コニーちゃんは決勝にまで進出し、後にCDデビューも飾っている。この時、優勝したのはPaul Pottsポール・ポッツ)という冴えない携帯セールスマンだった。いずれも「歌の力」を見事に引き出す映像だ。辛口審査員の表情が変わり、聴衆が狂気する瞬間を見事に切り取っている。どちらの歌も聴いているだけで、わけもなく涙が出てくる。尚、ポール・ポッツのCDは全英チャートで1位を獲得。世界40ヶ国で150万枚のセールスを記録した。


コニー・タルボット

Over the Rainbow


ポール・ポッツ

ワン・チャンス

 これが女王様の前でやったものか?

『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』佐藤優


「国士」という古臭い言葉を思い出した。日露外交の最先端で働く外務官僚が、なぜ逮捕され服役するに至ったのか? 外務省組織の力学と、外交のディープな世界が赤裸々に綴られている。


 取り調べの段階で、西村氏の目が挑戦的に光った。

「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」

「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ」

「そこまでわかってるんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」

 西村検事は「国策捜査」ということばを使った。これは意外だった。この検事が本格的に私との試合を始めたということを感じた。逮捕3日目、5月16日のことだ。


 佐藤優氏の驚くべき記憶力は有名。政治記者から教わった「指折り法」(内容を指で折って記憶する)と、時計を見る、水を飲むなどといった相手の行動をアクセントにする「インデックス法」を駆使している。


 国益を巡る情報戦、検事との攻防など、エスピオナージュとして読むことも十分可能だ。ジョン・ル・カレやフリーマントルが好きな人であれば一気に読める。


 盟友の鈴木宗男氏が逮捕された時、佐藤氏は48時間のハンストを決行する。また、罪状を認めれば執行猶予がつくことが明らかであるにもかかわらず拒絶する。佐藤氏は情報公開された暁を想定し、「歴史の審判を仰ぐ」ことを獄中闘争の目標とした。


「鈴木さんへの義理はもう十分果たしたよ。あなたが他の外務省の人たちや業者と違って、最後まで鈴木先生と切れなかったのは、対露平和条約交渉の盟友だったからだ。あなたは友だちを裏切らないし、盟友を見捨てない。そういう人だ。でももう十分鈴木さんへの義理は尽くしたし、鈴木先生もそれはわかっているよ。もっと自分のことを考えないと。それから、あなたがいつまでもこんな中にいるとそれは社会的損失だよ。外交のことでも国策捜査のことでも、どんどん書いて問題提起をしていけばいいじゃないか」


 当初の取り調べでは「鈴木」と呼び捨てにしていた検事も、佐藤氏の話を聞き、「鈴木さん」「鈴木先生」と敬称をつけるようになる。本書には示されてないが、佐藤氏はとにかくタフな人物だ。しかも、語り口はソフトでありながら、内容は明晰。検事が舌を巻いたであろうことは、容易に想像できる。周囲の外務官僚が次々と篭絡(ろうらく)される中にあって、佐藤氏は最後まで心を枉(ま)げなかった。


 歴史が大きく動く時、歪みや裂け目が生じる。著者はそれを「国家の罠」と表現した。そこに、自分の仕事振りが認められなかった恨みつらみはない。国益のために身を捧げた人物が、国家によって犯罪者に仕上げられる。そんな矛盾をも飲み込んでしまうことが、佐藤氏にとっての国益なのだろう。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

2008-05-29

『日本の税金』三木義一


 今後の政治テーマとして税金がピックアップされてくることもあり、読んでみた。著者は立命館大学の教授。文章がわかりやすく、質の高い市民講座を受けているような印象を受けた。税法の複雑性と不公平性がよく理解できる。ガソリン暫定税率にも触れており、「姑息だ」とバッサリ斬り捨てている。「税制改正が法律改正であり、憲法問題である」との指摘に目から鱗が落ちる思いがした。


 社会が二極化に進む中で、平均値の意味がなくなりつつある。不公平感を少なくするには、抜本的な税制改革しかない。所得の再分配という観点から、社会を再構築するほどの気構えが政治家になければ、二極化は加速度を増す。そもそも二極化とは、所得が一部の人に集中することを意味している。これを再分配するに当たっては、雇用を創出できる事業が望ましいと思う。こうした背景があるわけだから、プライマリーバランスの黒字化よりも社会保障を充実させるのが先だろう。


 尚、赤字財政について勘違いしている人が多いが、単純に考えれば国が赤字ということは、民間が黒字という意味になる。今、一世帯あたり1650万円ほどの財政赤字となっている。これは、一世帯あたりが国に貸している金額だ。つまり、日本という国家が潰れない限り、デフォルト(債務不履行)することはあり得ない。なぜなら、国家は紙幣を印刷することができるからだ。だから、一家の支出に例えることは適切ではない。アメリカを見れば一目瞭然である。アメリカが貿易赤字ということは世界が貿易黒字ということになる。また、ドルという基軸通貨によってアメリカは覇権を構築しているのだ。ブッシュ大統領から名指しで「悪の枢軸」と言われた北朝鮮、イラク、イランの3ヶ国は、いずれも石油決済をドルからユーロに変えようと目論んでいた。現在、外貨準備高としてのドルを一番保有しているのは中国であり、その後に日本が続いている。この2ヶ国でドルを売りに出せばアメリカは崩壊する。その代わり、中国と日本も崩壊する。日本は立場上、絶対にドルを売ることができない。


 多くの人的控除が用意されているが、この中でまず注目しなければならないのは「基礎控除」である。これは、憲法25条で保障されている生存権の反映である。生存権は一般に生活保護等の国の積極的な行為を求める権利として理解されているが、この権利は同時に、一生懸命働いて健康で文化的な最低限の生活が可能な所得を得た場合に、それに課税されない、という権利も保障しているのである。この権利を具体化したのが、所得税法の基礎控除である。すべての納税者に保障されているのである。これが本来の意味での課税最低限である。

 しかし、この金額がわずかに38万円(2003年現在)というのはあまりにも低すぎないだろうか。1965年当時はこの基礎控除は13万円で生活扶助額より高額だったが、生活扶助が毎年改正されるのに対して、基礎控除の引き上げは数年に一度しか行われなかった。そのため、ついに1977年から社会給付と逆転しはじめ、今日では生活扶助基準額の50〜60%にすぎなくなっているのである。所得税の改革を考えるのであれば、何よりもまずこの点なのである。ドイツでは憲法裁判所が1992年に課税最低限と生活扶助基準の一致の必要性を認め、生活扶助費を大幅に下回っていたドイツ所得税の課税最低限を違憲と判断し、そのためドイツは1996年改正で基礎控除を倍増したことにも留意すべきである。


 雑損控除は災害・盗難・横領に対象が限定されている。災害にあった場合は当然として、横領の場合は控除されるのに、詐欺にあった場合は控除の対象にならないことが、従来から疑問視されている。詐欺にあったのは本人の責任ということかもしれないが、両者の差は紙一重で、実際には詐欺被害者の方が悲惨である場合が多い。


 累進税率が高すぎると批判する評論家などが、このような誤解をしたままテレビ等で解説をする場面に出くわしたが、その計算方法はいわゆる「単純累進税率」で、世界の所得税が採用している「超過累進税率」ではない。超過累進税率というのは、課税総所得金額が1000万円の場合、最初の330万円の部分は10%なので33万円となり、次の900万円までの570万円の部分(900-330)は20%なので114万円となり、900万円を超え1000万円までの100万円部分に 30%を適用し、税額はこれらの合計である177万円とする計算方法である。


 このような税負担を感じることを「痛税感」とか「税痛感」というが、わが国の消費税は市民にもっとも強い「税痛感」を自覚させ、子供にも消費税の名前を知らしめた。なぜ、そうなったのだろう。消費のたびごとに負担しているからか、それとも消費税が高いからか。

 もし、ビールを買うとき、値段が180円と表示しているので180円渡したら、「180円に酒税140円と消費税16円の合計336円いただきます」といわれたら、あなたもビールの酒税がこんなにも高いのかを自覚し「税の痛み」を感じるはずである。


 実に個人業者の8割、法人を含めても6割の業者が免税業者なのである。にもかかわらず、消費者はあらゆる取引に際しておとなしく消費税分として負担してきているのである。


 数年前まで資産家が自分の子供をアメリカに数年住まわせることがしばしばみられた。留学のためではない。租税回避のためであった。(日本の贈与税は受贈者に課税する方式で、アメリカは贈与した者に納税義務があるため)


 1950年代の大蔵省(現・財務省)関係者の解説(例えば、三好寛『酒の税率』醸界タイムス社、1956年、70頁以下)によれば、ビールはその大半が家庭以外の料理店等で消費されており、そうした料理店に出入りできる層は社会的に裕福であることが高税率の根拠とされてきた。(高級酒という位置づけ)

 日本の税制には以上述べてきたような問題がある。今後の税制改正で、こうした問題がどう解決されていくのだろうか。毎年の税制改革に対するマスコミの取り上げ方は、税の財政面や経済面への効果ばかりに着目し、税制改正が法律改正であり、憲法問題であることを全く意識していない。そのため、技術的な問題に目を奪われ、税制改革がもたらす私たちの生活への影響が憲法の理念からみて望ましいことなのかどうか、ほとんど検討されてこなかった。その背景には、裁判所が租税立法に広範な立法裁量を認めてきたため、不公正な税制が放置されてきたことも影響しているかもしれない。

日本の税金 (岩波新書)

2008-05-28

橋下知事 vs 黒岩キャスターの論争 2008年2月


 フジテレビの番組だろう。黒岩キャスターというのは、ジャーナリズムという座布団の上で踏ん反り返っているような手合いだ。とにかく礼儀知らずで生意気。にやけた表情もいけ好かない。橋下氏は、メディアとの対決色を鮮明にすることで、自分の政策を示すという戦術にしているのだろう。

『獄窓記』山本譲司


 予想していたとはいえ、やはり『累犯障害者 獄の中の不条理』の後に読んでしまうと、インパクトの弱さが否めない。それでも、文章の上手さでぐいぐい読ませる。先に読んでいれば、それなりの衝撃を受けたことだろう。


 自伝的色彩が強く、菅直人氏の秘書になる件(くだり)から、秘書給与流用事件で実刑判決を受け、出獄されるまでの経緯が描かれている。山本氏の実刑判決は弁護士ですら想定していなかった。それでも、敢えて控訴をしなかったのは、政治家としての責任感からだった。潔い生き方である。


 本書で注目すべきは、辻元清美議員の秘書給与疑惑である。覚えている人も多いだろうが、当初辻元氏は声高に「山本譲司さんと一緒にしないで欲しい」と強気の態度で臨んだ。実はこの二人、早稲田の同期生という縁があった。辻元氏はなりふり構わず、山本氏を貶(おとし)める戦法で「自分は違う」と強弁した。挙げ句の果てには「あの人(山本氏)の場合は、秘書給与を私的に流用していたが、私は違う。個人的な費用に使ったことはない」と言い出した。この時、「カツラ代」という言葉が飛び出したのだ。しかし、山本氏が秘書給与を私的に使った事実は全くなかった。


 獄中にあった山本氏は弁護士を通して反論を公表する。後に辻元氏は予算委員会参考人招致の際に、山本氏への謝罪を述べたが、弁護士同士が約束したものとは異なっていた。人気のみを頼りに突っ走る辻元氏のあざとさが浮かび上がってくる。


 黒羽刑務所に移送された山本氏は、「刑務所の掃き溜め」と言われる寮内工場の配役となる。心身に障害のある収容者が集まる場所だ。そこで、ヘルパーさながらに収容者の面倒をみる。垂れ流された糞尿や吐瀉物(としゃぶつ)の清掃が日常活動だ。


 少し気になったのだが、山本氏はカッとしやすい性格でありながら、直ぐ反省するような傾向が窺える。文章に比べると話し方が軽薄に見えるのも、同じ理由からだろう。


 それにしても、障害者が置かれている惨状は目に余る。


「山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、俺たち障害者は、生まれながらにして罰を受けているようなもんだってね。だから、罰を受ける場所は、どこだっていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていいんだ」

「馬鹿なこと言うなよ。ここには、自由がないじゃないか」

「確かに、自由はない。でも、不自由もないよ。俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。誕生会やクリスマスもあるし、バレンタインデーにはチョコレートももらえる。それに、黙ってたって、山本さんみたいな人たちが面倒をみてくれるしね。着替えも手伝ってくれるし、入浴の時は、体を洗ってくれて、タオルも絞ってくれる。こんな恵まれた生活は、生まれて以来、初めてだよ。ここは、俺たち障害者、いや、障害者だけじゃなくて、恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ」


 フランス・ドゥ・ヴァール著『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』によれば、類人猿社会ですら障害を持った者に対しては、優しさを示すという。人間は合理性を追求する一方で、自分の中に不合理な葛藤を抱えている。強者だけが生き延びるのが適者生存と思いがちだが、群れというネットワークで考えると弱者を切り捨てるのは「社会の弱さ」を示している。


 どのような問題も他人事で済ませられれば、思い悩むこともない。思考は停止させた方が楽なのだ。私の胸の中で、ナチス支配下にあったマルチン・ニーメラー牧師の言葉が谺(こだま)する。


 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。

 それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。


【『現代政治の思想と行動』丸山眞男】


獄窓記 獄窓記 (新潮文庫 や 60-1)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-05-27

『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』福田ますみ


 今時は教員になんかなるもんじゃないね。一読すると、本気でそう思うようになる。所謂、モンスターペアレントの実態を描いたルポ。ただし、その辺のバカ親と違うのは、この事件がマスコミを始めとするメディアで取り上げられ、原告弁護団に550人もの弁護士が名を連ねたことだった。


 児童の両親は明らかに反社会性人格障害である。何から何まで嘘ずくめだ。その一つ一つが明らかになってゆく。著者は、必要以上に被害教員にべったりと寄り添うわけでもなく、きちんと距離をとって事件を見つめている。


 発端は、校長と教頭が保身を図った妥協案を示したことだった。連日学校に押し掛ける両親に対し、「取り敢えず、いじめの事実を認めた上で速やかに謝罪する」ことを教員に強要した。


 そして、イエロージャーナリズムがこれを嗅ぎつける。「週刊文春」の西岡研介記者。彼もまた、被害者の一方的な話を鵜呑みにし、学校に押し掛けては校長を恫喝し、川上(訴えられた教師)の自宅前で張り込んだ。西岡が書いた記事には、特大の顔写真と実名、更には自宅の写真と小学校の全景写真までもが掲載された。そして、ワイドショーが後追いする。


 教員は 朝日新聞の西部本社報道センターの市川雄輝という記者の取材を受ける。しかし、翌日の紙面には被害者側の言い分に沿った記事が掲載された。


 毎日新聞の栗田亨記者も、教諭によるひどい体罰やいじめを信じて疑わなかった一人である。


 私は地元記者に話を聞くために、この事件を熱心に追いかけているという西日本新聞の野中貴子に連絡を取った。

「周辺取材をしてみると、どうも、報道されていることとはギャップがあるんですけどね」

 私が疑問を口にすると、にわかに気色ばんで、

「そういう取材をするから、さらに浅川さんを傷つけるんです!」

 そして、

「浅川さんの言うことは絶対正しい。体罰やいじめは100%真実です」

 と断言した。


 まさにメディアスクラムといっていい状況である。更に致命的なことに、被害を受けたとされる児童がPTSDと診断された。


 裕二(被害者とされた児童)の主治医で、被害者精神医学の専門医である久留米大学医学部精神神経科学教室の講師・前田正治は、現在の病状をこう診断し、さらに、自身がかつて診断した例と比較して次のように付け加えた。


《「強姦された女性やアメリカの潜水艦と衝突して沈没した『えひめ丸』に乗っていた高校生たちよりも酷い状態にある。これだけ酷い状態にあるということは、原告裕二が被告川上から受けた暴力等について、まだ本当のことを話していないと思われる。学校に行かせることは、毎日犯行現場に行かせることになり、原告裕二の心身の状況からすると極めて危険である。」》


 その上、原告弁護団は550人もの弁護士が名を連ねた(弁護団長は大谷辰雄弁護士)。


 営業マンに丸め込まれやすい人物や、電話勧誘を速やかに断れない人は、同じ落とし穴に陥る可能性がある。上司に意見できない人も同様だ。


 マスコミで報じられるようになった途端、教員は近隣住民からも白い眼で見られるようになる。また、当初はいつでも裁判で証言すると言っていた父兄が、いざ本番となると尻込みをして協力する者は誰一人いなかった。これが、日本の「ムラ社会」の実態だ。右を見て左を見てから、身の振り方を決める。出過ぎた真似は絶対にしない。横並びを好むクズどもだ。


 新潮ドキュメント賞は好著が多い。

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)

2008-05-26

日高晤郎の『日と月と刀』評


 STVラジオの人気番組で紹介されていた。星は4.5だが、句点がないことと、オノマトペの使用を批判している。ポッドキャストを聴けるのは今週中か。ポッドキャスト→私の本棚。

2008-05-25

沖田事件国家賠償訴訟


 電車内で携帯電話を使用していた女性に注意をしたところ、痴漢とでっち上げられ現行犯逮捕。被害男性が実名で裁判の経緯を綴っている。

『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル


 タイトルは「リスクの向こう側」という意味か。既に引退した登山家も多いが、これっぽっちも老いを感じさせない。メラメラと燃え続ける何かがある。語られているのは「過去の物語」ではなく、まさに「思想」だ。


 世界屈指のクライマーのインタビュー集。それぞれの人物の事跡も紹介されている。何気なく語られる言葉は、いずれも味わい深いものだ。


 クライミングの真の技術とは生き延びることだ。それが最も難しくなるのは、従来行動の限度と考えられていたところまで到達してしまい、さらにもう一度踏み出そうとするときである。だれも行ったことのないところ、だれも行きたいと思わないところ――あるいは自分がしようとすることをだれも理解してくれなようなところへ乗り出すときである。そういった未知の領域では、感覚と経験は「踏みならされた」世界で得られるよりもはるかに強烈である。


ラインホルト・メスナー『生還――八千メートル峰全十四座』】


 良い岩壁の良いルートは芸術作品です。人生のようなものです。私たちは人生を送り、やがてその人生は消え失せますが、何かが残ります。残るのはルートです。

【ラインホルト・メスナー】


 ――隊長自ら手本を示したのですか。


 ああ、率先して手本を見せるのがいいと信じている。結果を出したければ、口だけじゃなくて自らやらなければいけない。ガッシャブルム4峰では8日間、ポーターより重い荷物を背負って毎日何往復もした。私が率先してやったので、隊員たちも同じようにやらざるを得なかった。ポーターにも他の連中にも良いお手本を示したというわけだ。

【リカルド・カシン】


 ――楽しみましたか


 楽しみましたよ。でも、7600メートルを越えるともう楽しんでなんかいられませんね。体力も元気も、低いところのようには保てないのです。3000〜4000メートルのアルプス登山のほうがずっと楽しい。ヨーロッパ・アルプスなら頂上に着いたら岩の上に寝ころがって昼寝することができますが、ヒマラヤではそんな話は聞いたことがない。すぐに下りてきてしまいます。長居しすぎたら下りてこられなくなることがわかっていますからね。

【エドマンド・ヒラリー卿】


 それにヘリコプターで救助してもらうわけにもいきません。ヘリコプターは最高の条件下でも5800メートルまでしか飛べないからです。

【クルト・ディームベルガー】


 ――ゆっくりしたペースですか。


 ええ、私はゆっくり歩きます。山岳ガイドの古い金言に、「ゆっくり行く者はしっかりと遠くまで行ける」というのがあります。とても古い諺で、子供のころに初めて聞きました。高所ではゆっくり行ったほうがいいと思います。私にはそれが向いている。

【クルト・ディームベルガー】


 ――ひとりで登るほうが好きでしたか。


 冒険家には孤独は本質的な条件だ。いつもひとりでやったわけではないけれど、山にしても世界をまわるにしても、なるべくひとりで行くのを好んだね。孤独の価値は大きい。感受性を鋭くし、感情を増幅させるからだ。

【ヴァルテル・ボナッティ】


ビヨンド・リスク―世界のクライマー17人が語る冒険の思想

2008-05-24

『青い空』海老沢泰久

 土曜日一日で600ページまで読んで、100ページだけ残しておいた。読み終えるのが惜しかったからだ。歴史小説をこれほど堪能したのは飯嶋和一以来か。傑作と言っておこう。


 日本の宗教史を縦糸に、幕末の日本を横糸にして編まれた見事な物語。ちょうど巻半ばで登場する勝海舟と主人公とのやり取りが圧巻。あまりにも鮮やかな輪郭に、活字の間から勝海舟が立ち上がってくるほどの臨場感を覚える。勝の小気味いい江戸っ子言葉と併せて、私が住んでいた江東区界隈の地名がたくさん出てきて、何とも言えない親しみを感じた。


 やはり、歴史を学ぶことが大切だ。歴史の底に流れ通う“人々の苦しみ”に思いを馳せる時、必然的な“未来の果”が浮かんでくる。


 徳川幕府が行った寺請制度(=檀家制度)は、キリシタンと日蓮不受不施派の弾圧が目的だった。続いて、四代将軍徳川家綱が諸宗寺院法度を発令し、布教を禁じた。こうして、葬式仏教が誕生する。江戸時代は全国各地に関所が設けられているため、寺請証文がなければ旅をすることもかなわなかった。


 以後、すべての百姓と町人はこの寺請証文を毎年奉行所に提出しなければならなくなり、提出しない者はキリシタンと疑われた。武士の場合は藩主が監督したが、自分が仏教徒であることをつねに知らしめておかなければならないことは百姓町人と同様で、信心を証明する寺参りは彼らにも欠かせないものになる。そのため、これ以後は、すべての日本人が、信仰心とはかかわりなく、必ずいずれかの寺院の檀家にならなければならなくなったのである。

 それにともない、葬儀の形も変化した。それ以前は、必ずしも僧侶が立ち会ったわけではなく、親類縁者が集まって村の墓地に埋葬し、旅の僧などが村を訪れたときに経を上げてもらうというのが一般的だった。しかしこれ以後は、すべて檀家となった寺院の僧侶が執りおこなうようになるのである。むろん、それには多大な出費をともなったが、檀家は寺請証文を出してもらう手前、ことわることができなかった


 しかも常念寺が百姓から銭をとるのはじつに簡単だった。布教はもちろん、法話をする必要も、経を上げる必要も、頭を下げる必要さえなかった。寺請証文を書かないとだけ匂わせれば、それでいくらでも必要なだけ銭が集まったのである。中根村の百姓たちはその常念寺に対し、キリシタンであることを知られないために、他の二村の百姓たちよりいつも多額の寄進をしなければならなかった。


 その上、キリシタンは転向しても尚、子孫までもが監視対象となった。


 藤右衛門は136年前の享保12年(1727)に転びキリシタンとなった武右衛門の長男の惣右衛門から数えて5世代目、甚三郎も同じときに転んだ百姓の5世代目の子孫であった。彼らは176年も前の貞享4年(1687)に出されたキリシタン類族令によって、いまだにキリシタン類族として監視されており、藩外に出ることは許されず、結婚をするときでも、奉公に出るときでも、届け出て移動先をつねにあきらかにしておかなければならなかった。むろん近隣の村からは村八分同然に扱われており、桜川から田に引く水も、他村の百姓が十分に引き終わったあとからでなければ引くことができなかった。


 甚三郎はキリシタン類族であった。キリシタン類族の者は、幕府の許可がなければ、葬儀も埋葬もできなかったのである。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「坊主丸儲け」「地獄の沙汰も金次第」などといった言葉は、多分この時期につくられたのだろう。


 秀吉・家康に始まるキリシタン弾圧が鎖国につながり、幕府の宗教統制が寺請制度を生み出し、寺院は権力の出先機関と化した。結局のところ、傲慢の限りを尽くした坊主どもに対する反感が、幕末明治の廃仏毀釈運動に発展し、日本から宗教を奪い去ったのだ。


「ほう。おまえさん、連中に同情して帰ってきたか」

 勝海舟はいった。

「連中の受けた拷問の様子をきいたら、同情もしたくなります。竜造さんは、今後は神も仏も信じないことにしたそうです」

「おそろしくなったか」

「いえ、そうじゃござんせん」

 竜造はいった。

「神や仏を信じて、キリシタンだ何だと役人にこづきまわされるのはいやだと思っただけのことです」

「どっちでも同じことだ」

 勝海舟はいった。

「キリシタンでも何でもいいが、公儀にかぎらず、お上というものが宗教を取り締まるのは、それを見せしめにして、人民をみなおまえさんのような考えにさせるのが目的なのさ」

「どうしてです」

「人民が、みな死ぬことはおそろしくないなどといいだしたら、お上のいうことをきかせられなくなるじゃないか。死ぬのがおそろしくない人間ほど面倒な人間はいない。だから、おまえさん、そんなことじゃ駄目だよ」


 宇源太は江戸に出て数年で大きく成長した。果たして幼馴染みが見たがっていた「青い空」を見ることはできただろうか。ラストシーンは簡単に予想できたが、それでも胸がキュンとなるほどの希望が託されている。

青い空


青い空〈上〉―幕末キリシタン類族伝 (文春文庫) 青い空〈下〉―幕末キリシタン類族伝 (文春文庫)


(※上が単行本、下が文庫本)

2008-05-23

『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治

 威勢がいい。喧嘩も強そうだ。国際NGOに身を置き、世界各地で紛争処理の指揮を執ってきた人物である。白々しい理想もなければ、七面倒な平和理論もない。伊勢崎氏は素早く現実を受け入れ、具体的に武装解除を行う実務家である。平和は「説くもの」ではない。明治維新において数々の調停をこなしてきた勝海舟を思わせる。


「組織は所属し自分のために利用するが絶対に帰属しない」というスタンスはその後、今の今までずっと続いている。


【『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治講談社現代新書、2004年)以下同】


 やや日本人離れした印象を受けるのは、徹底して個人であろうとしているためだろう。


 人は、明日の糧を想い、子供たちの明日を想い、たとえ慢性的な飢餓の状態であっても、ぎりぎりの状態まで、来季植えるはずの種に口をつけるのをためらう。この営みを「開発」という。「開発」とは、明日を想う人々の営みである。だからこそ、どんなに貧しい人々であろうとも、それぞれの地にとどまり、なけなしの種を蒔(ま)き、雨を待つ。未来への投資。まことにちっぽけなものであるが、それこそが自らの「開発」に向けての意欲である。僕たち国際協力業界の人間は、その意欲に寄り添い、それが倍倍速で進むよう追加投資をするのだ。しかし、「紛争」は、それを根こそぎ、人々の社会秩序、伝統文化、人間の倫理を含めて、すべて破壊し、人々を地から引き裂く。人々の「開発」の営みが、その積年の集積が、そして僕たち「部外者」が他人の生活のうえに描く理想郷が、一瞬にして廃墟と化す。


 平和活動家にありがちな自己讃美は皆無だ。「開発」という言葉の重みを見事に表現している。


 9.11、世界貿易センターでの犠牲者は3000人余。

 シエラレオネで、殺人より残酷と言われる手足の切断の犠牲者になった子供たちの数は、数千人。10年間の内戦の犠牲者は、5万とも、50万人とも言われる。この内戦の直接的な指導者は、フォディ・サンコゥ。

 過去の虐殺を犠牲者の数だけで比較するのは不謹慎かもしれない。しかし、3000人しか死んでないのに、なぜそんな大騒ぎを、というのが、1000人単位で市民が犠牲になる身近なニュースに馴れたアフリカ人の率直な感想だろう。そして、3000人しか殺していない(それも自爆テロという勇敢な方法で)オサマ・ビンラディンが“世界の敵”になり、量的にその何十倍の残虐行為(それを無知な子供を少年兵として洗脳し、親兄弟を殺させ、生きたまま子供の手足を切断し、妊婦から胎児を取り出し、目をえぐり、焼き殺す)を働いた首謀者フォディ・サンコゥが、どうしてシエラレオネの副大統領になるの? というのが、前述のBBCの番組に生の声の出演をした名もないシエラレオネ人婦人の本音であったろう。


 この鬼畜の如き人物を副大統領にしたのは米国であった。BBCのラジオ国際放送に電話で参加したリスナーの女性は、「オサマ・ビン・ラディン氏を米国の副大統領にすべきだ」と主張した。


 米連合軍の司令官クラスと日常的に接する著者は、日本の資金的貢献が評価されていることを実感する。


 つまり、相手はちゃんと評価しているのに、評価していないと、その相手がいない日本国内で、日本の政治家たちは騒ぎ立ててきたのだ。

 本来、国際協力の世界では、金を出す者が一番偉いのだ。

 それも、「お前の戦争に金だけは恵んでやるから、これだけはするな、それが守れない限り金はやらない」という姿勢を貫く時、金を出す者が一番強いのだ。

 しかし、日本はこれをやらなかった。「血を流さない」ことの引け目を、ことさら国内だけで喧伝し、自衛隊を派兵する口実に使ってきた。

 ここに、純粋な国際貢献とは別の政治的意図が見え隠れするのを感じるのだ。


 議論巧者とは全く異質の説得力がある。さすが、「紛争屋」を名乗るだけのことはある。

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

2008-05-22

『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ


 50あまりの事故を取り上げ、その原因を検証。いずれも、小さなミスと油断が取り返しのつかない大事故、大惨事の導火線になっている。専門用語が多いが、達意の文章で読ませる。少しばかり難を言えば、過去の歴史を引っ張り出した際に時系列がわかりにくくなっている。一つのヒューマンエラーで事故は起こらない。必ず、複合する要因がある。重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する(ハインリッヒの法則)。あらゆるところで、コンピューターや機械が使用されている現在、被害は桁違いになることを銘記する必要がある。


 安全係数は年ごとに小さくなり、いっぽう、われわれの利用するエネルギーの出力は増大している。


 奇怪な脅威はどこからともなくあらわれ、一撃をくらわすと、姿を消すかのように思われるのだ。だが、最近の研究によれば、マシン事故による惨事は、ほとんどの場合、複数の失敗とミスが重なってようやく発生するということが明らかになった。たったひとつの災難、たったひとつの原因だけでは、なかなか大惨事にはいたらない。大惨事は、貧弱なメンテナンス、意思疎通の悪さ、手抜きといった要因が組みあわされることによって発生する。そうしたゆがみは徐々に形成されていく。


 大規模な工業技術事故という世界は、深刻なものであり、戦場に匹敵するような混沌と破壊をもたらす可能性がある。生き残った人びとが、周囲に生まれた新しい世界のことを理解しようとあがいているあいだにも、貴重な時間が刻々とすぎていく。それはクラッシュしたコンピューターを再起動するときにかかる時間と似ている。そうした出来事は、あまりにも珍奇だったり、あまりにも大きな精神的外傷を与えるものだったりするので、われわれの原始的本能である「闘争か逃走か」という行動をとらせるような衝撃をもたらさないことがある。人びとはパニックになってはいけないときにパニックになる。逃げ出さなければ助からないときに、じっとすわっている。不時着した英国航空機の乗客のひとりがあとから語ったところによると、同乗者たちは、衝撃の激しさにびっくりしたのと、自分たちがまだ生きているのに驚いたあまり、全員が静かに着席したまま、通路を流れてくる燃料の火炎をながめていたという。


 最近の研究によれば、タイタニックは、船殻(せんこく)に打ってあるリベットの金属が高品質であれば、氷山と接触したぐらいでは沈没しなかっただろうといわれている。


 この事故に関する著作の決定版ともいえるダイアン・ボーンの『チャンレジャー打ち上げの決断』によると、NASAとモートン・シオコール社の双方とも、お役所的な目標達成を第一とするあまり、大きくなりつつある問題があっても都合のいいように解釈し、あげくには黙認してしまう体質におちいっていて、そのため事態を深刻化させたのだという。NASAは、この問題を宇宙飛行士たちに直接伝えて意見を聞こうとせず、また、危険を真剣に受けとめて、適切な措置をとるために計画を一時中断することもせずに、耐熱パテを詰めたり、Oリングの試験手順をいじるといった小手先の対策でOリング危機を封じ込めようとした。それどころか、シオコール社がこうした技術上の判断よりもずっと説得力のある提案を出してこないかぎり、打ち上げを延期して天気が暖かくなるのを待つ意思はなかった。ボーンのことばによれば、それは「逸脱の常態化」だった。

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか

2008-05-21

植草被告、徳間書店に勝訴=「アサヒ芸能」記事で賠償命令−東京地裁


 ほかにも痴漢行為があったとの週刊誌「アサヒ芸能」の記事で名誉を傷つけられたとして、エコノミスト植草一秀被告(47)=2審で実刑、上告=が発行元の徳間書店に2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は21日、190万円の支払いを命じた。

 村田渉裁判長は「記事の内容は真実ではなく、真実と信じる相当の理由もない」と判断。「逮捕後であっても、記事により社会的評価がさらに低下する」と述べた。

 判決によると、同誌は2004年4月から06年12月にかけ、逮捕容疑以外にも植草被告が痴漢をしていたとの記事を3回掲載した。


時事通信社 2008-05-21】

『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司

 とにかく読んでもらいたい。そして、家族や友人にも読ませて欲しい。衝撃などという生やさしいレベルではない。登場人物全員によって袋叩きにされたような痛みを覚えた。障害者が置かれた現状を知れ! この国に政治家どもが口にするセーフティーネットなんか存在しないことが理解できる。


 著者の名前に聞き覚えのある人も多いことだろう。民主党の衆議員をしていた時に、秘書給与流用の罪で実刑判決(2001年2月)をくらった人物である。山本氏は刑務所に知的障害者が多いことに気づく。出所後に取材を重ねて出版された第二弾が本書である。このような事実がいまだかつて指摘されなかったこと自体が大問題だ。


 タゴールは叫んだ。「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」(「迷える小鳥」/『タゴール著作集』第1巻所収/藤原定訳〈第三文明社〉)と。詩聖の心に去来したのは、人間扱いされずに虐げられた人々への限りない共感であり、人間が人間らしく生きてゆける世界への渇仰であり、正義が正義としてまかり通る真っ当な歴史への期待と確信であった。だが、侮辱されたまま牢獄で朽ち果ててゆく人々が日本には山ほどいた。


 ある日、満期出所を目前にした受刑者の一人が言った。

「山本さん、俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ。だから罰を受ける場所は、どこだっていいんだ。どうせ帰る場所もないし……。また刑務所の中で過ごしたっていいや」

 再犯をほのめかしているとも受け取られる発言だ。さらに、「俺ね、これまで生きてきたなかで、ここが一番暮らしやすかったと思っているんだよ」と真顔で語る。

 自由も尊厳もない刑務所のほうが暮らしやすいとは、塀の外の暮らしは、障害者にとってそんなにも過酷なものなのか――。私は、彼の言葉に胸をえぐられるような衝撃を受け、同時に、「議員活動のなかで、福祉の問題に関しては自分なりに一生懸命に取り組んでいた」と考えていた自分自身が情けなくなってきた。


 法務省が毎年発行している『矯正統計年報』に、「新受刑者の知能指数」という項目がある。最新の統計結果、2004年の数字で例示すると、新受刑者3万2090名のうち7172名(全体の約22%)が知能指数69以下の受刑者ということになる。測定不能者も1687名おり、これを加えると、実に3割弱の受刑者が知的障害者として認定されるレベルの人たちなのだ。


 2006年1月7日、JR下関駅が放火され全焼。隣接する飲食店など約4000平方メートルを焼き尽くした。福田九右衛門(74歳)による犯行だった。10回目の服役を終え、出所した直後のことだった。放火の理由を「刑務所に戻りたかったから、火をつけた」と語った。著者は福田被告に会うべく刑務所を訪れた。


「刑務所に戻りたかったんだったら、火をつけるんじゃなくて、喰い逃げとか泥棒とか、ほかにもあるでしょう」

 そう私が訊ねると、福田被告は、急に背筋を伸ばし、顔の前で右手を左右に振りながら答える。

「だめだめ、喰い逃げとか泥棒とか、そんな悪いことできん」

 本気でそう言っているようだ。やはり、常識の尺度が違うのか。さらに質問してみる。

「じゃー、放火は悪いことじゃないんですか」

「悪いこと」

 即座に、答えが返ってきた。当然、悪いという認識はあるようだ。

「でも、火をつけると、刑務所に戻れるけん」

 そう付け加える福田被告。頭の中に、「放火イコール刑務所」ということが刷り込まれているようだ。もし最初の懲役刑が別の犯罪だとしたら、その場合は、それと同じ犯罪を延々と繰り返していたかもしれない。


 福田被告は犯行直前に北九州市内の区役所を訪ね、生活保護の申請をしていた。「刑務所から出てきたけど、住むところがない」と何度も言ったが、「住所がないと駄目だ」の一点張り。全く相談にも乗ってくれなかったという。挙げ句の果てに一枚の切符を渡され、追い出される。その切符が、下関駅までの切符だった。福田被告は少年時代、父親から凄まじい虐待を受けていた。


 浅草・女子短大生刺殺事件。レッサーパンダの帽子をかぶった男による犯行。彼もまた知的障害があり、職場で散々ないじめに遭った。前歯が全部折れるほどの暴行を受けたという。父親からも、皮膚が膨れ上がるほど青竹で叩かれた。山口被告の妹は、13歳の時に母親が病死したため進学を断念。家計を支えるために働き通しの毎日を過ごした。事件の直前に末期癌が見つかった。一家を支えてきた妹は、障害者手帳も所持してなければ、障害者基礎年金も受給してなければ、医療費免除の対象にすらなってなかった。当然、生活保護も受けていなかった。「共生舎」という札幌市内の障害者支援グループが支援に乗り出した。後に、58歳の父親にも知的障害があることが判明した。


「病院では死にたくない。最後に少しだけでもいいから、一人暮らしがしてみたい」――そう話す山口被告の妹を共生舎が全力で支援する。主宰者の岩渕進さんが号令をかけた。「自分たちの持つあらゆる力を駆使して、彼女の一人暮らしを支えていこう。体力、知力、根性、金、すべてをとことん注ぎ込む。これは、硬直した現在の医療・福祉行政への挑戦でもある」。凄まじい気概である。本当のセーフティーネットとして窮地に陥った人々を救っているのは、社会福祉法人格もNPO法人格も持たない彼等であった。


「これまで生きてきて、何も楽しいことはなかった」

 岩渕さんは、妹のこの言葉に愕然としたという。彼女は、中学生の頃から家事労働に追われる毎日を過ごし、休日や放課後に友人と遊ぶこともなかったらしい。個人旅行の経験など、ただの一度もなかった。自我を消し去り、家族のために生き続けた25年間。これでは、あまりにも寂しすぎるし、悲しすぎる。

「これからは、目一杯、楽しいことをして暮らそう」

 岩渕さんは、そう妹に呼びかけた。そしてそれからは、彼女を未知の世界へと連れ出す日々が続く。映画館、花火大会、学園祭、居酒屋などなど。ボランティアの学生たちとのパーティーも頻繁に開いた。「東京ディズニーシー」「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」「志摩スペイン村・パルケエスパーニャ」「ジブリの森」といった日本各地のテーマパークにも出掛けた。いつも、酸素吸入用の大型コンプレッサーやストレッチャーを携えての大移動だった。

「はじめは誰にも心を開かなかったあの娘がな、声をあげて笑うようになったんだ」

 微に入り細を穿(うが)つ支援を尽くした岩渕さんは、磊落(らいらく)な笑顔を浮かべ、当時を振り返る。「人生、何も楽しいことはない」と漏らしていた彼女が、「もう少しだけ、生きてみたい」と望むようになったそうだ。


 そんな中でも妹は、兄が事件を起こしたのは自分にも責任があると我が身を責め続けた。妹は、医師の宣告よりも7ヶ月長生きし、多くの人に見守られて亡くなった。


「おいお前、ちゃんとみんなの言うことをきかないと、そのうち、刑務所にぶち込まれるぞ」

 そう言われた障害者が、真剣な表情で答える。

「俺、刑務所なんて絶対に嫌だ。この施設に置いといてくれ」

 悲しいかな、これは刑務所内における受刑者同士の会話である。

 かくの如く、私が獄中で出会った受刑者のなかには、いま自分がどこにいて何をしているのかすら全く理解していない障害者がいた。さらには、言葉によるコミュニケーションがほとんどできない、重度の知的障害者もいる。


 物証は何もない。にも拘わらず、宇都宮地検は9月29日、自白調書のみを頼りに、男性を起訴した。こうして重度の知的障害者である男性が、連続強盗事件の被告人となったのである。

 重度知的障害者は医学的にいって、精神年齢は3歳から5歳程度である。そんな人間を、どう裁くというのだろう。


 この沿革からも分かるように、知的障害者と売春の関係は根深い。我が国では古くより、知的障害者の女性を売春婦として働かせるために勾引(かどわ)かしてきた歴史があり、売春防止法以前の公娼にはかなりの割合で知的障害者がいたといわれる。


 売春するたび、その相手からの言葉に満足感を覚えていたという彼女。そこからは、売春という行為に対する負い目や反省の気持ちはまったく伝わってこない。

 早苗さんが長男を儲けたのは、23歳の時だった。父親はキャバレーの客だった男性だが、子供の顔を見ることもなく、彼女の前から消え去ってしまう。そして結局、早苗さんは母親のもとに戻ることになった。

 私はその母親についての話を聞き、さらに驚くことになる。

 実は、重度の知的障害者である母・夏江さん(仮名)も、早苗さんと同じような生き方をしてきた人なのだ。つまり、この知的障害者親子は、二代にわたり売春婦をやっていたことになる。


 立件された事件のみを並べただけでも、男たちの没義道(もぎどう)ぶりがよく分かる。組織の資金を得るため、彼らがそのターゲットとしたのは、すべてろうあ者だった。おそらく、これだけの非人道的な事件は、ヤクザの世界でも前代未聞であろう。

 が、しかしである。この事件をマスコミが報道することは、ほとんどなかった。また、ろうあ者団体による抗議の声明も出されていない。その理由は、明らかである。実は男もまた、生まれながらのろうあ者だったのである。それだけではない。男が率いる暴力団組織の構成員は、全員がろうあ者だったのだ。


 ところで、内閣府が発行している『障害者白書』の平成18年版によれば、「現在、日本全国の障害者数は、約655万9000人」となっている。その内訳は、身体障害者が約351万6000人(うち聴覚障害者・約34万6000人、視覚障害者・約30万1000人)、精神障害者が約258万4000人、知的障害者が約45万9000人だ。

 しかし、この知的障害者の総数は、非常に疑わしい。

 人類における知的障害者の出生率は、全体の2%から3%といわれている。だが、45万9000人だと、我が国総人口の0.36%にしかならない。欧米各国では、それぞれの国の知的障害者の数は、国民全体の2%から2.5%と報告されているのだ。「日本人には知的障害者が生まれにくい」という医学的データは、どこにもない。要するに、45万9000人というのは、障害者手帳所持者の数なのである。現在、なんとか福祉行政とつながっている人たちの数に過ぎない。本来なら知的障害者は、日本全国に240万人から360万人いてもおかしくないはずである。


 いずれも我々が住む国の話だ。政治家の無能と国民の無知が、刑務所と暴力団をセーフティーネットにしているのだ。

累犯障害者 累犯障害者 (新潮文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-05-20

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉

    • 病気になると“世界が変わる”

 カバー装丁がまるでダメだ。もっとセンスがよければ、ベストセラーになっていたはずだ。出版社の怠慢を戒めておきたい。


 どんな剛の者でも病気にはかなわない。権力、地位、名誉、財産も、病気の前には無力だ。幸福の第一条件は健康なのかも知れない。普段は意に介することもない健康だが、闘病されている方の手記を読むと、そのありがたさを痛感する。まして、私と同い年であれば尚更のこと。


「病気になると“世界が変わる”」――決して気分的なものではない。脳に異変が起こるとそれは現実となるのだ。医師である山田さんはある日突然、高次脳機能障害となる。


 当時、私は医師として10年ほどの経験を積み、亡き父の跡を継いで、高松市にある実家の整形外科病院の院長を務めていた。子どものころから成績はともかく、勉強は嫌いではなかったのし、知識欲も人一倍あったほうだと思う。とくに記憶することは得意で、自分の病気についても、教科書に書いてある程度のことはだいたい頭に入っていたつもりである。

 だが私の後遺症、のちに「高次脳機能障害」と聞かされるこの障害は、これまで学んだどんなものとも違っていた。

 最初は自分の身に何が起こったのか、見当もつかなかった。

 靴のつま先とかかとを、逆に履こうとする。

 食事中、持っていた皿をスープの中に置いてしまい、配膳盆をびちゃびちゃにする。

 和式の便器に足を突っ込む。

 トイレの水の流し方が思い出せない。

 なぜこんな失敗をしでかすのか、自分でもさっぱりわからなかった。


 脳の機能障害で、立体像を認識することができなくなっていた。入院直後には中枢神経抑制剤を投与され、正常な認知ができずベッドから転落した。「暴れる患者」と判断され、「精神異常者」として扱われた。医師や看護師すら、この病気を正しく認識していなかった。


 それでも、山田さんの筆致はユーモラスで明るい。以前とは性格まで変わってしまった自分を振り返ってこう言い切ってしまうのだ。


 いろいろな自分に会えるのも、考えようによっては、この障害の醍醐味である。


 また、山田さんを取り巻く医師の言葉が、何とも味わい深い。まるで、哲学者のようだ。


「高次脳機能障害は、揺れる病態です。同じ病巣(びょうそう)の患者さんをつれてきても、必ずしも同じ症状ではない。今日できたことが、明日もできるとはかぎらない。患者さんは揺れています。だから診(み)る方も、いつも揺れていないと診られない」(山鳥重〈やまどり・あつし〉教授)


 ある日の朝礼で、私の上司であり、主治医でもある義兄が、全職員を前にして言った。

「ここに入ってこられる方は、病気やけがと闘って、脳に損傷を受けながらも生き残った勝者です。勝者としての尊敬を受ける資格があるのです。みなさんも患者さんを、勝者として充分に敬ってください」


 山田さんは、不自由な生活を強いられながらも社会復帰を果たす。


 3歳の時、一緒に救急車に乗って以来、子息は山田さんを支え続けた。最後に「いつもお母ちゃんを助けてくれたまあちゃんへ」と題して、20行のメッセージが書かれている。私は、溢れる涙を抑えることができなかった。何度となく読んで、何度となく泣いてしまった。

天声人語


 たとえば地下鉄の階段の前で立ちすくむ。上りなのか、下りなのかがわからない。時計の針を見ても左右の違いがわからず4時と8時とを取り違えてしまう。靴の前と後ろとの区別がつかない。

 脳卒中をたびたび経験した医師の山田規畝子(きくこ)さんが自らの体験をつづった『壊れた脳 生存する知』(講談社)は、後遺症の症状を実に冷静に観察している。「脳が壊れた者にしかわからない世界」の記録である。「病気になったことを『科学する楽しさ』にすりかえた」ともいう。

 脳の血管がつまったり破れたりする脳卒中の患者は多い。一昨年10月時点で137万人にのぼる。高血圧の699万人、歯の病気487万人、糖尿病の228万人に次いで4番目だ。

 この病気が厄介なのは、いろいろな後遺症が現れることだ。極めて複雑な器官の脳だけに、現れ方も千差万別らしい。医師にも個々の把握は容易ではない。視覚に狂いが出た山田さんも、何でもないような失敗を重ねて「医者のくせに」と、冷たい目で見られたこともあった。

 リハビリが大事である。山田さんは生活の中で試行錯誤を続けた。階段の上り下りにしても「目で見て混乱するなら見なければいい」と足に任せた。足は覚えていた、と。とにかく無理は禁物だという。育児をしながらの毎日、しばしば「元気出して。がんばって」と励まされる。しかし「元気出さない。がんばらない」と答えるようにしている。

 脳梗塞(こうそく)で先日入院した長嶋茂雄さんも、リハビリを始めるらしい。無理をしないで快復をめざしてほしい。


【朝日新聞 2004-03-09】

壊れた脳 生存する知 壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)

(左が単行本、右が文庫本)

2008-05-19

美は生まれながらの差別/『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ

    • 美は生まれながらの差別

「まともなコラムニストが読めば、死ぬまでネタには困らないだろう」――と思わせるほど、てんこ盛りの内容だ。タイトルはやや軽薄だが、内容は“濃厚なチョコレートケーキ”にも似ていて、喉の渇きを覚えるほどだ。著者は心理学者だが、守備範囲の広さ、興味の多様さ、データの豊富さに圧倒される。アメリカ人の著作は、プラグマティズムとマーケティングが根付いていることを窺わせるものが多い。


 人びとは美の名のもとに極端なことにも走る。美しさのためなら投資を惜しまず、危険をものともしない。まるで命がかかっているかのようだ。ブラジルでは、兵士の数よりエイヴォン・レディ(エイヴォン化粧品の女性訪問販売員)のほうが多い。アメリカでは教育や福祉以上に、美容にお金がつぎこまれる。莫大な量の化粧品――1分あたり口紅が1484本、スキンケア製品2055個――が、売られている。アフリカのカラハリ砂漠ブッシュマンは、旱魃(かんばつ)のときでも動物の脂肪を塗って肌をうるおわせる。フランスでは1715年に、貴族が髪にふりかけるために小麦粉を使ったおかげで食糧難になり、暴動が起きた。美しく飾るための小麦粉の備蓄は、フランス革命でようやく終わりを告げたのだった。


 もうね、最初っから最後までこんな調子だよ(笑)。学術的な本なんだが、「美の博物館」といった趣きがある。雑学本として読むことも十分可能だ。それでいて文章が洗練されているんだから凄い。


 手っ取り早く結論を言ってしまうが、「美人が得をする」のは遺伝子の恵みであり、進化上の勝利のなせる業(わざ)だった。


 美は普遍的な人間の経験の一部であり、喜びを誘い、注意を引きつけ、種の保存を確実にするための行動を促すもの、ということだ。美にたいする人間の敏感さは本性であり、言い換えれば、自然の選択がつくりあげた脳回路の作用なのだ。私たちがなめらかな肌、ゆたかで艶(つや)のある髪、くびれた腰、左右対称の体を好ましく感じるのは、進化の過程の中で、これらの特徴に目をとめ、そうした体の持ち主を配偶者に選ぶほうが子孫を残す確率が高かったからだ。私たちはその子孫である。


 科学的なアプローチをしているため、結構えげつないことも書いている。例えば、元気で容姿が可愛い赤ちゃんほど親に可愛がられる傾向が顕著だという。つまり、見てくれのよくない子に対しては本能的に「劣った遺伝情報」と判断していることになる。更に、家庭内で一人の子供が虐待される場合、それは父親と似てない子供である確率が高いそうだ。


 ビックリしたのだが、生後間もない赤ん坊でも美人は判るらしいよ。実験をすると見つめる時間が長くなるそうだ。しかも人種に関わりなく。するってえと、やはり美は文化ではなく本能ということになる。


 また背の高さが、就職や出世に影響するというデータも紹介されている。


 読んでいると、世間が差別によって形成されていることを痛感する(笑)。そう、「美は生まれながらの差別」なのだ。ただし、それは飽くまでも「外見」の話だ。しかも、その価値は異性に対して力を発揮するものだ。当然、「美人ではあるが馬鹿」といったタイプや、「顔はキレイだが本性は女(めぎつね)」みたいな者もいる。男性であれば、結婚詐欺師など。


 人びとは暗黙のうちに、美は善でもあるはずだと仮定している。そのほうが美しさに惹かれるときに気持ちがよく、正しい世界に感じられる。だが、それでは人間の本性にある矛盾や意外性は否定されてしまう。心理学者ロジャー・ブラウンは書いている。「なぜ、たとえばリヒャルト・ワーグナーの謎に関する本が2万2000種類も書けるのか。その謎とは、崇高な音楽(『パルジファル』)や高貴でロマンチックな音楽(『ローエングリン』)、おだやかな上質のユーモアにあふれる音楽(『マイスタージンガー』)を書けた男が、なぜ熱心な反ユダヤ主義者で、誠実な友人の妻(コジマ・フォン・ビューロー)を誘惑し、嘘つき、ペテン師、策士、極端な自己中心主義者、遊蕩(ゆうとう)者でもあったかということだ。だが、それがいったい意外なことだろうか。本当の謎は、経験を積み、人格や才能にはさまざまな矛盾がまじりあうことを承知しているはずの人びとが、人格は道徳的に一貫しているべきだと信じている、あるいは信じるふりをしていることだ」


 でも、幸福の要因は「美しい心」「美しい振る舞い」「美しい生きざま」にあるのだと思う。

なぜ美人ばかりが得をするのか

2008-05-18

『偽善系 やつらはヘンだ!』日垣隆


 日垣氏は『「買ってはいけない」は嘘である』で名を馳せた人物。左翼系人権派をこき下ろしたコラムが多いが、決して右寄りではない。ここがミソ。徹底した取材を基にして、「普通の感覚」で切り捨てている。後味が悪くないのはそのためだ。社会問題、少年法、裁判制度、100冊に及ぶ名著批判といった章立て。いずれも、専門家や識者が「議論のための屁理屈」をこねている姿を浮き彫りにしていて痛快。


 ルポルタージュの名作として不動の地位を得ている本多勝一中国の旅』(朝日新聞社、72年)も、ほとんどすべてが聞き書きで成り立っている。同書が、新聞記者に与えた深刻な影響を見逃すことはできない。『中国の旅』から学ぶものも私にはあったが、しかしその取材すべてが中国共産党中央委員会によってアレンジされたものだという事実は、断じて無視できないのである。

 その本多氏が、《ルポルタージュは、この作品によってはじまる》とまで絶賛するのは、ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』(新日本出版社など、原書初版は19年)である。残念ながらこれは、ルポの弱点をすべて備えた今世紀最大の迷著の一つだ。

 英語版にはレーニンが、露語版にはクルプスカヤ(レーニンの妻)が序文を書いている。レーニンにべた惚れし、ロシア革命に心酔しきった著者の姿勢は、冷静さや客観性とは無縁である。いってみれば、ライフスペース高橋弘二氏が『サイババ伝』を書いたようなものだ。違いはといえば、後者ではサイババがお墨付きを与えていないということくらいだろう。

『世界をゆるがした十日間』が米国で刊行された1919年に、アメリカ共産党が創立されている。その創始者の一人にジョン・リードが名を連ねているだけではない。レーニンの党からジョン・リードの党は、1921年に100万米ドルを秘密裏に受け取っている。ロシアでの彼の取材は、文字どおりの「お抱え取材」であり、豪華な住居と私用飛行機までクレムリンから与えられていた。

偽善系―やつらはヘンだ!

2008-05-17

『議論のウソ』小笠原喜康


 文章がやや生硬なのは大学教授のせいか。メディア・リテラシーの手引きといった内容。私としては少々物足りなかった。「権威のウソ」と題して、『ゲーム脳の恐怖』というベストセラーを俎上(そじょう)に乗せて、バッサバッサと切りまくっている。ゲームをする人と痴呆の人との脳波が似ているからといって、テレビゲームをすることが「よくない脳波特性」を作り上げると推断するのは、「典型的な『軽率な概括』である」と。また、「時間が作るウソ」では、本当に携帯電話が心臓のペースメーカーを誤作動させるのかどうかを検証している。結論は、満員電車の中で抱き合っていない限りは、殆ど影響はないとのこと。昨今の環境問題もこれと似てますな。


 実際のところ、メディアに流される言説の嘘とマコトを見分けるのは、いうほど簡単ではない。その理由は、そうした言説が巧妙だからというばかりではない。マスメディアに流される言説は、私たち自身が望むような形で流される傾向があるからである。


 わかるということは、単に字面を追い、それを記憶に留めることではない。それを自分自身の問題として受け止め、かかわってみることである。「わかる」というのは、「かかわる」ことである。


議論のウソ (講談社現代新書)

2008-05-16

帰還兵の80%心にダメージ/元米大佐・外交官アン・ライトさん


「イラクやアフガニスタンからの帰還米兵の80%が精神的ダメージを受け、正常に判断できる状態ではない」。元米陸軍大佐・元外交官のアン・ライトさん(61)が11日、沖縄市のくすぬち平和文化館で講演し、米国帰還兵局の統計データなどを報告。「軍がカウンセリングしなければ、何をするか分からない兵士を放置することになる」と警告した。

 ライトさんは陸軍に29年間、外交官として16年間勤務。2003年に、ブッシュ政権のイラク戦争に反対して外交官を辞任し、平和を目指す活動を続けている。今回は九条世界会議の招きで来日、大阪や北海道、新潟などを回り沖縄入りした。

 講演では米国防総省の発表などから、「米軍内では女性兵士の3人に1人がレイプされている。イラクやバーレーンなどで39人の女性兵士が戦闘によらない死に方をし、15人は死因に疑惑があるが、5人は自殺と発表された。うち2人の両親は虐待されて死んだとして、3週間前に国会に申し立てた」とした。

 米兵の海外駐留中の性犯罪は、米国内の性犯罪者リストに乗らないと指摘。1995年、2000年に県内で暴行事件を起こした加害者がそれぞれ、米国内でも犯罪を起こしたとし、「日本の皆さんが米国領事館に、性犯罪者リストに載せるよう要求しほしい」と訴えた。

 参加者からの質問に答え「レイプは増えてきている。メディアや勇気ある発言で数は明らかになってきたが、米政府は積極的に公表したり警告はしていない。軍隊に女性を勧誘するならはっきり危ないと示すべきだ」などと訴えた。

 ライトさんは、13日午後6時から名護市労働福祉会館でも講演する。


沖縄タイムス 2008-05-12夕刊】

高村薫


 今、ミステリーも純文学も含め、すべての作家が直面している最大の問題は、私たちが共有している言葉の数の減少だ。ある時期まで、小説にひとつの言葉を書けば、大方の日本人が言語空間を共有できた。21世紀には確実にそれが減っていく。世界を、人間を表す言葉が単純になる。小説の持っている可能性が小さくなるだろう。「さあ、どうするか」というところに現代の物書きは追いつめられている。


読売新聞 2005-12-13

『仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理 マネーの時代を生きる君たちへ 原田武夫の東大講義録』原田武夫


 最近の日米関係を通して綴る金融経済入門。右ページが全て用語解説となっていて初心者でもわかりやすい構成。著者は元外務官僚で、政治の舞台裏からアメリカの意図を読み解いている。尚、この講義は正規単位として認められている。アメリカの巧妙な手口は、最終的に狙った国を「焼畑農業」状態にする。日本の近現代史にも触れており、目が行き届いている。原田氏は1971年生まれというのだから、大したものだ。


 実は、日本人以上に日本における教育に関心を持っている国が米国である。教育史の本を読むと、明治期の近代教育システムの立ち上げから始まって、大正期、そして敗戦後の「アメリカ教育使節団」の派遣、更には中曽根政権の下での「臨教審」の答申に至るまで、日本の教育史では重要な局面になると必ず米国が顔をのぞかせてきたのだ。日本人からすれば、「何も他国の教育にまで首を突っ込まなくても」と思えるだろうが、米国からすれば事情は全く異なる。日本が米国以外の国をモデルにしないように仕向け、同様に優秀な日本人は皆、米国の教育システムへと吸収するシステムを作り上げること。――これが米国の対日統治政策の根幹にあるのである。


 小泉政権によっても成し遂げられなかった憲法改正ではあるが、各政党はそれぞれ、改憲草案を作り上げ、既に発表してきている。大手メディアはこれらの草案の中でも平和主義をうたった「第9条」だけを取り上げてきた。しかし、実際にはもっと大きな問題が、とりわけ自民党の「新憲法草案」にあるのだ。

 国の予算は、毎年の会計年度が始まる4月1日より前に国会の承認を得なければならない。ところが「新憲法草案」第86条第2項によれば、「仮に前年度中に承認が得られなければ、内閣が当分の間、必要な支出をして良い」ということいなっているのだ。これに国会は事後的に承認をすれば良いという。

 大手メディアや憲法学者たちは、表立ってこのことについて全く問題視していない。しかし、この規程によって内閣は予算による縛りを国会からは事実上受けなくなる。なぜなら、国会が予算を認めなくても、内閣は必要経費を振り出すことができるからだ。これで、内閣、そしてこれを仕切る内閣総理大臣の力は絶大なものとなる。


仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理 ~マネーの時代を生きる君たちへ~  -原田武夫の東大講義録-

2008-05-15

中日新聞の特集記事が素晴らしい


 静かではあるが、断固たる態度でペンを握っている姿が目に浮かぶようだ。ジャーナリズムの魂は「勇気」にある。決して安易な批判ではなく、トヨタへの熱い思いが「諫言」となっているのだ。

日本のTV報道がいかに腐っているか


 淡々としているが、実に内容の濃い議論である。後で要点をまとめる予定。


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2008-05-13

丸山健二の豪語


 最新作『日と月と刀』(上下)について、日本経済新聞に寄稿した模様。梅田望夫氏が紹介していた。随分と豪語している(笑)。

『海馬 脳は疲れない』池谷裕二、糸井重里


 ちょっと前のベストセラーぐらいに思っていたら、既に5年も経っていて驚いた。「脳味噌モノ」といえば、今は池谷裕二氏が旬。私は今回始めて読んだ次第。


 対談なんでスイスイ読める。錯覚の図などが盛り込まれていてバランスもいい。個人的に糸井重里は嫌いなんだが堪能できた。内容が軽めに感じられるが急所は押さえている。

  • 子どもはまわりの世界に白紙のまま接するから、世界が輝いて見えている。何に対しても慣れていないので、まわりの世界に対して興味を示すし、世界を知りたがる。だけど、大人になるとマンネリ化したような気になって、これは前に見たものだなと整理してしまう。
  • 「ものや人とのコミュニケーションがきちんと取れている状態」が「脳のはたらきがいい状態」。
  • 30歳を過ぎると、つながりを発見する能力が非常に伸びる。
  • 一個一個の神経細胞だけを比較すると、人間も昆虫も変わらない。
  • 脳は疲れることがない。疲れるのは目。
  • 夢は記憶の再生。フランス語を話せない人がフランス語の夢を見ることはない。
  • (錯覚の理由の一つ)人は光を「上から当るもの」と思い込んでいるため。
  • 海馬の脳細胞と脳細胞をつなぐシナプスに可塑性があることが最近の研究でわかった。
  • 扁桃体を活躍させると海馬も活躍する。扁桃体を活躍させるには「生命の危機状況」をつくればよい。部屋を寒くしたり、空腹状態にすると、脳の活動はアップする。

「脳の適応化」ということで驚いたのだが、上下が逆さに見える眼鏡をかけると、最初はまともに歩くこともできないが、1週間も経てば「その世界」を当たり前のように感じて普通に歩けるようになるそうだ。


「脳を意識する」ことは「自我を意識する」ことに似ている。普段は完全に脳の支配下にあるわけだが、客体化することで自分をコントロールできる志向性が生まれる。

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

2008-05-12

ティッピング・ポイントの特徴と原則/『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)マルコム・グラッドウェル

 何という安直なタイトルか。せっかくの名著復刊が台無しだ。ま、テレビCMを大量に流す「マーケット覇権主義」企業の出版部門だから仕方がないか(ソフトバンク文庫)。


「読書は昂奮だ!」というエキサイティングな日々を過ごすようになったのも、元はと言えばネットワーク理論によるところが大きい。『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』→『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』→本書という順番で読んできたが、多分私は天才になっていることだろう(笑)。と、錯覚するほど面白い。やはり、本を読めば世界が広がる。固定概念の一角が破壊されて、青空が見えるような感覚がある。


 何かを広めたい人、広がるさまに興味がある人は必読。マーケティング+心理学+メディア+社会事象で、流行の原因を鋭く分析している。ユニークな発想、多様な事例、洗練された思考に圧倒される。本書そのものが、ネットワーク理論のティッピング・ポイントとなっていることは疑問の余地がない。


ティッピング・ポイントの特徴

  • 感染的だということ。
  • 小さな原因が大きな結果をもたらすこと。
  • 変化が徐々にではなく劇的に生じる。

ティッピング・ポイントの原則


少数者の法則――いかに社交的か、いかに活動的か、いかに知識があるか、いかに仲間うちで影響力があるか。

 媒介者(コネクター)、通人(メイヴン)、セールスマン。

  • 一見すると些細なことが大きな違いにつながる。
    • 何かを語るときにそれを取り巻いている状況のほうが語られた内容よりも重要になる場合がある。
      • 説得というものが自分たちの与(あずか)り知らないところで作用する。
      • 感情や気分を上手に表現できる人は、他の人よりもはるかに感情の感染力が強い。

粘りの要素――発信するメッセージが「記憶に粘りつく」強い印象があるか。
  • 余白に小さな工夫を加える。
    • 「セサミ・ストリート」と「ブルーズ・クルーズ」。
背景の力――環境の条件や特殊性。
  • 感染は、それが起こる時と場所の条件と状態に敏感に反応する。
    • 「割れた窓」理論。
    • 犯罪を解決するには大問題を解決する必要はない→ニューヨークの地下鉄。
    • スタンフォード大学で行われた模擬監獄の実験。(※映画「es[エス]」)

 ざっとまとめてみたが、この本の魅力を示すことは困難極まりない。その辺の本の10冊分の面白さと言っておこう。


 付箋だらけになっている中から出血大サービスで一ヶ所だけ紹介しよう。


 残る唯一の結論は、ジェニングズ(ABCのニュースキャスター)はレーガンに対する「意図的かつ顕著なえいこひいきを顔の表に」出したということになる。

 さて、この研究はここから佳境に入る。ミューレンの心理学チームは、3大ネットワークの夜のニュースをいつも見ている全米各地の有権者に電話をかけ、どちらの候補者に投票したかをアンケート調査した。すると、ヘニングズによるABCのニュースを見ている人でレーガンに投票した人の数は、CBSやNBCを見ている人よりもはるかに多いことが判明した。

 たとえばクリーヴランドではABCの視聴者の75%が共和党を支持したのに対し、CBSやNBCの視聴者は61.9%にとどまった。マサチューセッツ州のウィリアムズタウンでは、ABC視聴者の71.4%がレーガン支持で、他の二つの全国ネット視聴者は50%だった。ペンシルヴァニア州のエリーでは、この格差は73.7%対50%とさらに開いた。ジェニングズの顔に出た巧妙なレーガンびいきの表情は、ABC視聴者の投票行動に影響を与えたようである。(中略)

 信じがたい話だ。多くの人は直感的に因果関係を逆にすることができるのではないかと思うかもしれない。つまり、もともとレーガンを支持している人がジェニングズのえこひいきに惹かれてABCを見ているのであって、その逆ではないだろうと。だがミューレンは、それは妥当性を欠くと明言する。

 というのも、他のもっと明白なレベル――たとえばニュース原稿選択のレベル――では、ABCは他局よりも反レーガン色の濃いテレビ局であることが明らかであり、筋金入りの共和党支持者ならABCなど見向きもしないことが十分想像されるからだ。

 さらには、この調査結果が偶然にすぎないものかどうかに答えるために、4年後のジョージ・ブッシュ対マイケル・デュカキスの選挙戦でもミューレンは同じ実験を繰り返し、まったく同じ結果が出ているのだ。

「ジェニングズは共和党候補に言及するとき、民主党候補に対するよりも多く笑顔をつくった」とミューレンは言う。「そしてふたたび電話調査をしたところ、ABCの視聴者はブッシュにより多く投票したという結果が出た」

 さてここで、説得の機微に関するもう一つの例をお目にかけよう。

 ハイテク・ヘッドフォンの製造会社による市場調査だという名目で、大人数の学生が招集された。学生たちはヘッドフォンを渡されると、使用者が動いているとき――たとえばダンスしたり、頭を振ったりしているとき――どんな影響が出るかを調べるのが目的だと言われた。

 まずべすての学生にリンダ・ロンシュタットイーグルスの歌を聴いてもらい、それから自分たちが所属する大学の授業料を現在の587ドルから750ドルに上げるべきだと主張するラジオの論説を聞かせた。

 ただし、論説を聞くにあたっては、3分の1の学生にはたえず頭を上下に振るように、次の3分の1の学生は頭を左右に振るように、残る3分の1は頭を定位置に保つように指示が出された。

 これが終わると、歌の音質と頭を振ったときにどんなふうに聞こえたかを問う短い質問票がすべての学生に配られ、その最後にこの実験の本当の目的である質問が添えられた。「学部の妥当な授業料の額についてどう思いますか?」

 この質問に対する返答は、ニュース番組の世論調査に対する返答と同じくらい信じがたい。

 頭を動かさないように指示された学生は番組の主張にも動かされなかった。彼らが適正だと感じた授業料の額は582ドル、ほぼ現行の額に一致した。

 頭を左右に振るように指示された学生は――たんにヘッドフォンの質を試す実験だと言われているにもかかわらず――授業料の増額に反発し、平均すると年間の授業料を467ドルに下げるのが妥当だと答えた。

 ところが、頭を上下に振るように言われた学生は、この論説に説得力を感じたのである。彼らは授業料の増額に賛成し、平均して646ドルに上げるべきだと答えた。建前としては他の理由があるにせよ、たんに頭を上下に振るという行為が、自分たちの身銭を切らされる政策に賛同する結果をもたらしたのである。

 ただうなずくことが、1984年の大統領選挙でピーター・ジェニングズが演じた笑顔と同様、大いに影響を与えたわけだ。


 この後、人が会話をする際、話を聞いてる側がダンスをしている様子が検証されている。つまり、ボディランゲージ。「言葉の始まりは歌だった」という私の持論が補強されたような気がして、ニンマリ。

急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則 (SB文庫 ク 2-1)

2008-05-10

公文


 いわゆる「公文式」というヤツ。小学生の塾。「5月無料体験学習受付中」のパンフレットがやたら投函されている。ご丁寧にビニールの封筒まで使っていて、ゴミの分別を強制されているような気分だ。この一週間で三度入っていた。特定の場所が記載されてないので、本社が行っているのだろう。体裁は整っているものの、会社情報がどこにもない。


 Wikipediaには、生徒数が「国内150万人、海外210万人(ともに2004年3月)」とあった。それでも経営が苦しいのか? はたまた、フランチャイズオーナーをたくさん募り過ぎてしまったのかも知れない。


 チラシ・テレアポ・訪問販売という使い古されたマーケティング手法が、功を奏するとは思えない。生徒や父系のネットワークを駆使すべきだろう。どんなにキレイなパンフレットであっても、私にとってはゴミに過ぎない。

『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ


 不勉強を恥じておこう。既に紹介した『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』は本書のパクリだった。ただし、読みやすさではマーク・ブキャナンに軍配が上がる。いずれにしてもこの2冊の作品は、グローバリズムを避けられない現代にあっては不可欠のテキストとなることだろう。それにしても、世界には恐るべき才能が存在するものだ。著者のアルバート=ラズロ・バラバシ氏は1967年生まれというのだから驚かされる。


 大好きな玩具をばらばらにしてしまった子供を見たことはあるだろうか? 元通りにできないとわかって、その子供は泣き出したのではないだろうか? ここで読者に、決して新聞記事にならない秘密の話を教えてあげよう。それは、われわれは宇宙をばらばらにしてしまい、どうやって元に戻せばいいのかわからないでいるということだ。前世紀、われわれは何兆ドルもの研究資金を注ぎ込んで自然をばらばらに分解したが、今はこの先どうすればいいのか手がかりのない状況なのである――何か手がかりがあるとすれば、さらに分解を続けていくことぐらいだ。


 スイスに生まれたオイラーは、ベルリンとサンクトペテルブルグで研究を行い、数学、物理学、工学のあらゆる領域に絶大な影響を及ぼした。オイラーの仕事は、内容の重要性もさることながら、分量もまた途方もなく多い。今日なお未完の『オイラー全集』は、1巻が600ページからなり、これまでに73巻が刊行されている。サンクトペテルブルグに戻ってから76歳で世を去るまでの17年間は、彼にとっては文字通り嵐のような年月だった。しかし、私的な悲劇に幾度となく見舞われながらも、彼の仕事の半分はこの時期に行われている。そのなかには、月の運動に関する775ページに及ぶ論考や、多大な影響力をもつことになる代数の教科書、3巻からなる積分論などがある。かれはこれらの仕事を、週に1篇のペースで数学の論文をサンクトペテルブルグのアカデミー紀要に投稿するかたわらやり遂げたのだ。しかし何より驚かされるのは、彼がこの時期、一行も本を読まず、一行も文章を書かなかったことだろう。1766年、サンクトペテルブルグに戻ってまもなく視力を半ば失ったオイラーは、1771年、白内障の手術に失敗してからはまったく目が見えなかったのだ。何千ページに及ぶ定理は、すべて記憶の中から引き出されて口述されたものなのである。


「どんな社会階級にも、友人や知人を作る並はずれたコツを身につけた人が少数存在する。そういう人たちがコネクターなのだ」


 ネットワークのノードはどれも平等であり、リンクを獲得する可能性はどのノードも同じである。しかしこれまで見てきた実例が教えているように、現実はそうなっていない。現実のネットワークでは、リンクがランダムに張られたりはしないのだ。リンクを呼び込むのは人気である。リンクの多いウェブページほど新たにリンクを獲得する可能性が高く、コネの多い俳優ほど新しい役の候補に挙がりやすく、頻繁に引用される論文はまた引用される可能性が高く、コネクターは新しい友だちを作りやすい。ネットワークの進化は、優先的選択という、デリケートだが情け容赦のない法則に支配されている。われわれはこの法則に操られるようにして、すでに多くのリンクを獲得しているノードに高い確率でリンクするのである。

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く

2008-05-09

秋山氏、軍需企業から5億円 防衛族団体専務理事


 防衛族議員などが参加する社団法人「日米平和・文化交流協会」(東京)の秋山直紀専務理事(58)が、約3年間で軍需関連企業を中心に総額約5億円に上る資金を集めていたことが関係者の話で分かった。この間の秋山氏は数千万円しか所得申告しておらず、東京地検特捜部は所得税法違反(脱税)の疑いも視野に入れ、捜査を進めているもようだ。

 関係者によると、主に資金の受け皿となったのは、秋山氏が日本支社の顧問を務める米国法人「アドバック・インターナショナル・コーポレーション」(ロサンゼルス)や米非営利法人「カウンシル・フォー・ナショナル・セキュリティー(CNS)」(ワシントン)名義などの米国での口座。

 日米の大手軍需メーカーや商社10社前後から、コンサルタント料などとして約3億円の送金があった。

 このほか、日米の軍需関連企業が同協会に支出した会費や寄付金などの一部もアドバック社に流れていた。2006年10月には防衛専門商社「山田洋行」から秋山氏へ約3000万円が渡っていることが判明しており、これらを合わせると秋山氏が集めた資金は約5億円に上るとみられる。

 前防衛次官の汚職事件を捜査していた東京地検特捜部は昨年11月、同協会の事務所がある東京都千代田区の高級マンションや豊島区の自宅マンションなどを捜索し、押収資料を分析。軍需メーカー関係者などから事情聴取し、日米の防衛産業界と政官界とのパイプ役とされる秋山氏の資産形成の経緯や資金の流れの解明を進めた。

 その結果、軍需関連企業からアドバック社やCNSへの送金のうち必要経費を引いた分については、秋山氏の個人収入に当たるとして、脱税の疑いがあるという見方を強めているもようだ。

 秋山氏は今年1月、参院外交防衛委員会の参考人質疑に応じた。翌2月には東京地裁の破産手続き開始決定を受けた。


東京新聞 2008-05-09】

『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス


 祖父がアルツハイマーになった。著者が15歳の時だ。祖父が元気な頃、「体調がよくなる」と言って好んで献血をしていた。その理由を学校の先生や、かかりつけの医師に尋ねてみたがわからなかった。15歳の少年は医学図書館へ足繁く通い、遂にヘモクロマトーシスという珍しい遺伝性の病気を発見する。体内に鉄が蓄積される病気だった。少年は直感的に、ヘモクロマトーシスがアルツハイマーと関連していると推測した。だが、子供の話に耳を傾ける大人はいなかった。後年、シャロン・モアレムはこれを証明し、博士号をとった――こんな美しいエピソードからこの本は始まる。専門書にもかかわらずこれほど読みやすいのは、スピーチライター(ジョナサン・プリンス )の力もさることながら、最初の志を失わない研究態度に由来しているのだろう。


 遺伝子は「生命の設計図」といわれる。遺伝情報によって、罹(かか)りやすい病気がある。はたまた、「生きとし生けるものが必ず死ぬ」のも遺伝情報があるためだ。では、なぜわざわざ病気になるような遺伝子が子孫に伝えられてゆくのか?


 40年後にかならず死ぬと決まっている薬をあなたが飲むとしたら、その理由はなんだろう? その薬は、あなたが明日死ぬのを止めてくれるからだ。中年になるころ鉄の過剰蓄積であなたの命を奪うかもしれない遺伝子が選ばれたのはなぜだろう? その遺伝子は、あなたが中年に達するよりずっと前に死ぬかもしれない病気から守ってくれるからだ。


【『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス/矢野真千子訳(NHK出版、2007年)以下同】


 つまり、致死性の高い病気の流行から生き延びるために、ヒトは少々のリスクを選び取ったということらしい。当然、国や地域によって固有の遺伝情報が存在する。


 そう、進化はすごいが、完璧ではない。適応というのは言ってみればある種の妥協で、ある状況にたいする改良は別の面で不利益を生む。クジャクの美しい羽根はメスを引きつけるのにはいいが、捕食動物の目も引いてしまう。人類の二足歩行への進化は大きな脳を作ることを可能にしたが、胎児の頭が産道を通り抜けるときに母子ともにひどい苦痛をもたらしている。自然淘汰がはたらけば、いつも「よくなる」とはかぎらない。生存と種の保存の機会が少し高まるだけなのだ。


 その典型が「アレルギー」である。


 次に、身体全体がどれほど絶妙なシステムで健康を維持しているかという例を――


 僕たちの皮膚は太陽光にさらされるとコレステロールをビタミンDに変える。(中略)人間の体はよくできていて、体内に十分なコレステロールがある状態で夏場に日光を浴びておけば、冬場を切り抜けられるだけのビタミンDを備蓄できる。(中略)

 日焼けのもととなる紫外線を遮断する、いわゆる日焼け止めは、皮肉なことにビタミンDを作るのに必要なUVBも遮断してしまう。オーストラリアではこのところ国をあげて、皮膚癌予防のために「長袖シャツを着よう、日焼け止めを塗ろう、帽子をかぶろう」というキャンペーンを展開しているが、そのために予期せぬ結果が生じている。浴びる日光の量が減るとともに、オーストラリア人にビタミンD欠損症が増えているのだ


 だれでも経験のあることだと思うが、皮膚の色は太陽の光を浴びることで一時的に濃くなる。いわゆる日焼けだ。人が自然な状態で太陽光にさらされると、ほぼ同時に下垂体が反応してメラノサイトの稼働率をアップさせるようなホルモンを出す。ところが、この増産命令は意外なものでじゃまをされる。下垂体は情報を視神経から得る。視神経が日光を感知するとその信号を下垂体に伝え、メラノサイトに増産命令を下す。そんなとき、サングラスをかけていたら? 視神経に届く日光の量が少ないので下垂体に送られる信号も少なくなり、下垂体が出すホルモンの量が減り、メラニンの生産量も減る。結果、日焼けによる皮膚の炎症を起こしやすくなる。もしあなたがいま、ビーチで紫外線カットのサングラスをかけてこの本を読んでくれているのなら、悪いことは言わない、そのサングラスをはずしたほうがいい。


 便利さや快適さが、本来受けるべきシグナルを遮断する。


「特定の人類集団は特定の遺伝的遺産を共有しており、その遺伝的遺産はそれぞれが暮らした環境に適応するようそれぞれの淘汰圧を受けた結果だ」


 科学や医学など、文明の発達によって淘汰圧は少なくなっている。ということは、遺伝子が進化(変化)するチャンスは少なくなりつつあるのだろう。それでも、環境汚染や食品添加物などは淘汰圧といえる。


 有機農業がときに諸刃(もろは)の剣(つるぎ)となることを説明するには、セロリがいい例になる。セロリはソラレンという物質を作って防衛している。ソラレンはDNAや組織を傷つける毒で、人間にたいしては皮膚の紫外線への感受性を高める性質をもつ。(中略)

 セロリの特徴は、自分が攻撃されていると感じると急ピッチでソラレンの大量生産をはじめることだ。茎に傷がついたセロリは無傷のセロリとくらべて100倍ものソラレンが含まれている。合成殺虫剤を使っている農家というのは、基本的には植物を敵の攻撃から守るためにそれを使っている(もっとも、殺虫剤を使うことでさまざまな別の問題も生み出しているわけだが、それについてはここでは割愛する)。有機栽培農家は殺虫剤を使わない。つまり、虫やカビの攻撃でセロリの茎が傷つくのをそのままにして、ソラレンの大量生産を野放しにしていることになる。殺虫剤の毒を減らそうとあらゆる努力をしている有機農家は、結果的に植物の天然の毒を増やしているというわけだ。

 いやはや、生き物の世界は複雑だ。


 この前後に、ウイルスが宿主としての人間をどのようにコントロールしているかが書かれていて実に面白い。普段のくしゃみは異物の混入を防ぐ行為だが、風邪をひいた時のくしゃみは、ウイルスを撒き散らすために行われている、というような発想がユニーク。


 でもって、著者が出した結論は何か――


 イーワルドは、病原体の進化のしくみを理解すれば毒力を弱めることは可能だと考えている。この考え方の基本はこうだ。「人間を動き回らせる以外には病原体を広める手段がない」という状況にしてしまえば、病原体は人間をとことん弱らせる方向には進化しないのではないか。


 このことから、僕たちはひじょうに重要なことを学べる。すなわち、抗生物質による「軍拡競争」で細菌をより強く、より危険にしてしまうのでなく、細菌を僕たちに合わせるよう変える方法を探ったほうがいいということだ。


 イーワルドはこう述べている


 病原体の進化をコントロールすることで、その毒力を弱め、人類と共存しやすい病原体に変えていくことが可能になる。病原体が弱毒性のものになれば、私たちの大半はそれに感染したことさえ気づかなくなるかもしれない。つまりは、ほとんどの人が体内に無料の生きたワクチンを入れているような状態になるのだ。


 さて、ジャンクDNAの話をおぼえているだろうか? これは、タンパク質を作る指示である暗号(コード)を出さない「非コードDNA」だ。人間はなぜ、こんな役立たずの膨大なDNAを背負って進化の旅を続けているのだろう? そもそも科学者たちがこれらのDNA を「ジャンク」と呼ぶようになったのは、それが役立たずだと思ったからだ。しかし、その科学者たちもいまや、非コードDNAの役割に注目しはじめている。最初の鍵となったのはジャンピング遺伝子だった。

 科学者がジャンピング遺伝子の存在と重要性を認めるや、研究者たちは人間を含むあらゆる生き物のゲノムのそれを探しはじめた。そしてまず驚いたのは、非コードDNAの半分近くがジャンピング遺伝子で占められていることだった。さらに、もっと驚いたのは、ジャンピング遺伝子が特殊なタイプのウイルスにひじょうによく似ていることだ。どうやら、人間の DNAのかなりの割合はウイルス由来のようなのだ。


 ね、凄いでしょ。ドキドキワクワクが止まらんよ(笑)。本を読む醍醐味ってのは、こういうところにあるのだ。題して「ウイルスとの共生」。しかも、遺伝子自体がそのようにできてるってんだから凄い。


 昂奮のあまりまとまらないので、あとは抜き書きしておくよ(笑)。


 遺伝子があることと、その遺伝子が機能することは別なのだ。


 人間のエピジェネティクス(後成遺伝学)研究で、現在もっとも注目されているのは胎児の発生についてだ。受精直後の数日間、母親自身まだ妊娠したとは気づいていない時期が、かつて考えられていた以上に重要であることはいまや明白になっている。この時期に重要な遺伝子のスイッチが入ったり切れたりしている。また、エピジェネティックな信号が送られるのは早ければ早いほど、胎児にその指示が伝わりやすい。言ってみれば、母親の子宮は小さな進化実験室だ。新しい形質はここで、胎児の生存と発育に役に立つものかどうかが試される。役に立たないとわかったら、それ以上育てずに流す。実際に、流産した胎児には遺伝的な異常が多く認められている。

 エピジェネティックが小児肥満の大流行に関与している理由をここで説明しておこう。アメリカ人の奥さんが食べているいわゆるジャンクフードは、高カロリー高脂肪でありながら、栄養分、とくに胚の発生時に重要な栄養分がほとんど入っていない。妊娠1週目の妊婦が典型的なジャンクフード中心の食事をしていれば、胚は、これから生まれ出る外の世界は食糧事情が悪いという信号を受け取る。こうしたエピジェネティックな影響を複合的に受けて、さまざまな遺伝子がスイッチをオンにしたりオフにしたりしながら、少ない食料で生き延びられる体の小さな赤ん坊を作る。(中略)

 母親が妊娠初期に栄養不良だと、節約型の代謝をする体の小さな赤ん坊が生まれる。だがその節約型の代謝のせいで、その後はどんどん脂肪をためこんで太るというわけだ。


 エピジェネティック効果や母性効果の不思議について、ニューヨークの世界貿易センターとワシントン近郊で起きた9.11テロ後の数か月のことを眺めてみよう。このころ、後期流産の件数は跳ね上がった――カリフォルニア州で調べた数字だが。この現象を、強いストレスがかかった一部の妊婦は自己管理がおろそかになったからだ、と説明するのは簡単だ。しかし、流産が増えたのは男の胎児ばかりだったという事実はどう説明すればいいのだろう。

 カリフォルニア州では2001年の10月と11月に、男児の流産率が25パーセントも増加した。母親のエピジェネティックな構造の、あるいは遺伝子的な構造の何かが、胎内にいるのは男の子だと感じとり、流産を誘発したのではないだろうか。

 そう推測することはできても、真実については皆目わからない。たしかに、生まれる前も生まれたあとも、女児より男児のほうが死亡しやすい。飢餓が発生したときも、男の子から先に死ぬ。これは人類が進化させてきた、危機のときに始動する自動資源保護システムのようなものなのかもしれない。多数の女性と少数の強い男性という人口構成集団のほうが、その逆よりも生存と種の保存が確実だろうから。(1995年の阪神大震災後も同様の傾向が出ている)


 すでにご存じのことと思うが、癌というのは特定の病気の名前ではない。細胞の増殖が軌道を外れて暴走してしまう病気の総称だ。


 おそらく、老化がプログラムされていることは個人にとって有益なのではなく、種にとって進化上有益なのだろう。老化は「計画された旧式化」の生物版ではないだろうか。計画された旧式化とは、冷蔵庫から自家用車まで、あらゆる工業製品に「賞味期限」をあたえるという概念だ。

迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか

2008-05-08

エレキコミックのラジオ番組

 TBSラジオの深夜番組「JUNK」の中では、エレキコミックが一番面白い。テレビを賑わしているお笑いタレントの多くは、ラジオに不向きだ。つまり、話芸が無いということ。エレ片は、大学生の雑談のようでありながら、3人のトークが独特のリズムを奏でている。何と言っても笑い声の明るさがいい。


エレ片コントライブ~コントの人~

2008-05-07

「CHANGE」福原美穂


 札幌出身。二十歳でこれだけの歌唱力は凄い。アメリカの黒人教会でも歌っていたそうだよ。

CHANGE

“思いやり”も本能である/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール

「本能」の定義が変わるかも知れない、と思わせる内容。取り上げられているのはチンパンジーとボノボ。同じ類人猿でも全く性格が異なっている。わかりやすく言えば、チンパンジーは暴力的な策略家で、ボノボはスケベな平和主義者。社会構造も違っていて、ボノボはメスが牛耳っている。

  • 動物の世界は力の強い者が君臨している。
  • 食べる目的以外で殺すのは人間だけ。
  • 動物は同種同士で殺すことはない。
  • 動物には時間の概念がない。
  • 動物は「会話する言葉」を持たない。
  • 快楽目的の性行為をするのは人間だけ。

 これらは全て誤りだった。丸々一章を割いてボノボの大らかな性の営みについて書かれているが、まるでエロ本のようだ(笑)。ビックリしたのはディープキスもさることながら、オス同士でもメス同士でも日常的に性的な触れ合いがあるとのこと。


 あまりの衝撃に翌日まで脳味噌が昂奮しっ放し(笑)。知的ショックは脳を活性化させる。読めば読むほど、「ヒト」はチンパンジーからさほど進化してないことを思い知らされる。ボノボはエッチだが、穏和なコミュニティを形成していて人間よりも上等だ。


 メガトン級の衝撃は、「“思いやり”も本能である」という考察だ。我々が通常考えている「人間性=非動物的、あるいは非本能的」という図式がもろくも崩れる。全てはコミュニティを存続させるため=種の保存のための営みであることが明らかになる。


 今世界は、米国というボスチンパンジーに支配されている。日本は自民党チンパンジーが支配し、大企業チンパンジーが後に続いている。ヒトがボノボに進化しない限り、滅亡は避けられない。そんな気にさせられる。


 野生チンパンジーに対する先入観は、さらにくつがえされる(1970年代、日本人研究者によって)。それまでチンパンジーは、平和的な生きものだと思われており、一部の人類学者はそれを引きあいに出して、人間の攻撃性は後天的なものだと主張していた。だが、現実を無視できなくなるときがやってくる。まず、チンパンジーが小さいサルを捕まえて頭をかち割り、生きたまま食べる例が報告された。チンパンジーは肉食動物だったのだ。


ベートーヴェンエラー」とは、過程と結果はたがいに似ていなければならないという思い込みである。

 完璧に構成されたベートーヴェンの音楽を聴いて、この作曲家がどんな部屋に住んでいたか当てられる人はいないだろう。暖房もろくにない彼のアパートメントは、よくぞここまで臭くて汚い部屋があると訪問者が驚くほどで、残飯や中身の入ったままの尿瓶、汚れた服が散乱し、2台のピアノもほこりと紙切れに埋まっていた。ベートーヴェン本人も身なりにまったくかまわず、浮浪者とまちがわれて逮捕されたこともある。そんなブタ小屋みたいな部屋で、精緻なソナタや壮大なピアノ協奏曲など書けるはずがない? いや、そんなことは誰も言わない。なぜなら、ぞっとするような状況から、真にすばらしいものが生まれうることを私たちは知っているからだ。つまり過程と結果は、まったくの別物なのである。


 2対1という構図は、チンパンジーの権力闘争を多彩なものにすると同時に、危険なものにもしている。ここで鍵を握るのは同盟だ。チンパンジー社会では、一頭のオスが単独支配することはまずない。あったとしても、すぐに集団ぐるみで引きずりおろされるから、長続きはしない。チンパンジーは同盟関係をつくるのがとても巧みなので、自分の地位を強化するだけでなく、集団に受けいれてもらうためにも、リーダーは同盟者を必要とする。トップに立つ者は、支配者としての力を誇示しつつも、支援者を満足させ、大がかりな反抗を未然に防がなくてはならない。どこかで聞いたような話だが、それもそのはず人間の政治もまったく同じである。


 ふだん動物と接している人は、彼らがボディランゲージに驚くほど敏感なことを知っている。チンパンジーは、ときに私自身より私の気分を見抜く。チンパンジーをあざむくのは至難のわざだ。それは、言葉に気をとられなくてすむということもあるのだろう。私たちは言語によるコミュニケーションを重視するあまり、身体から発信されるシグナルを見落としてしまうのだ。

 神経学者オリヴァー・サックスは、失語症患者たちが、テレビでロナルド・レーガン大統領の演説を聴きながら大笑いしている様子を報告している。言語を理解できない失語症患者は、顔の表情や身体の動きで、話の内容を追いかける。ボディランゲージにとても敏感な彼らをだますことは不可能だ。レーガンの演説には、失語症でない者が聞いても変なところはひとつもない。だが、いくら耳ざわりの良い言葉と声色を巧みに組みあわせても、脳に損傷を受けて言葉を失った者には、背後の真意が見通しだったのである。


 下の階層に属する者が、力を合わせて砂に線を引いた。それを無断で踏みこえる者は、たとえ上の階層でも強烈な反撃にあうのだ。憲法なるもののはじまりは、ここにあるのではないだろうか。今日の憲法は、厳密に抽象化された概念が並んでいて、人間どうしが顔を突きあわせる現実の状況にすぐ当てはめることはできない。類人猿の社会ならなおさらだ。それでも、たとえばアメリカ合衆国憲法は、イギリス支配への抵抗から誕生した。「われら合衆国の人民は……」ではじまる格調高い前文は、大衆の声を代弁している。この憲法のもとになったのが、1215年の大憲章(マグナ・カルタ)である。イギリス貴族が国王ジョンに対し、行きすぎた専有を改めなければ、反乱を起こし、圧政者の生命を奪うと脅して承認させたものだ。これは、高圧的なアルファオスへの集団抵抗にほかならない。


 民主主義は積極的なプロセスだ。不平等を解消するには働きかけが必要である。人間にとても近い2種類の親戚のうち、支配志向と攻撃性が強いチンパンジーのほうが、突きつめれば民主主義的な傾向を持っているのは、おかしなことではない。なぜなら人類の歴史を振りかえればわかるように、民主主義は暴力から生まれたものだからだ。いまだかつて、「自由・平等・博愛」が何の苦労もなく手に入った例はない。かならず権力者と闘ってもぎとらなくてはならなかった。ただ皮肉なのは、もし人間に階級がなければ、民主主義をここまで発達させることはできなかったし、不平等を打ちやぶるための連帯も実現しなかったということだ。


「他者の苦痛に対するラットの情動的反応」という興味ぶかい標題の論文が発表されていた。バーを押すと食べ物が出てくるが、同時に隣のラットに電気ショックを与える給餌器で実験すると、ラットはバーを押すのをやめるというのである。なぜラットは、電気ショックの苦痛に飛びあがる仲間を尻目に、食べ物を出しつづけなかったのか? サルを対象に同様の実験が行なわれたが(いま再現する気にはとてもなれない)、サルにはラット以上に強い抑制が働いた。自分の食べ物を得るためにハンドルを引いたら、ほかのサルが電気ショックを受けてしまった。その様子を目の当たりにして、ある者は5日間、別のサルは12日間食べ物を受けつけなかった。彼らは他者に苦しみを負わせるよりも、飢えることを選んだのである。


 霊長類は群れのなかにいると、大いに安心する。外の世界は、外敵がいるわ、意地悪なよそ者がいるわで気が休まらない。ひとりぼっちになったら、たちまち生命を落とすだろう。だから群れの仲間とうまくやっていく技術が、どうしても必要なのである。彼らが驚くほど長い時間――1日の活動時間の最高10パーセント――をグルーミング(毛づくろい)に費やすのもうなずける。そうやって相手との関係づくりに努めているのだ。野生のチンパンジーを観察すると、仲間と良好なつながりを保つメスほど、子どもの生存率が高いことがわかる。

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

2008-05-06

「混合診療自由化」は国民皆保険を破壊する大きな罠:レジュメ


 菊池英博氏(日本金融財政研究所長)の卓見をメモしておこう。

  • 急速に日本の医療システムが崩壊し始めたのは、小泉構造改革による診療報酬の二度にわたる大幅削減によるもの。
    • 医療システム維持のための必要最低限の経費すら不足する事態に陥った。
  • 2006年6月16日に衆議院で強行採決された「医療制度改革関連法」。
    • 2007年度から診療報酬と薬価合計で毎年3000億円削減。

 こうした乱暴な医療費の削減によって、日本の医療システムが崩壊した。


背景には「米国の意向」が


 1994年から始まった,アメリカから日本への「対日年次要望書」によって、アメリカ側から「混合診療の認可」と「公的医療費の圧縮」が要望されており、これに便乗して社会保障関連の財政支出を削減しようとしたのが、政府・財務省である。


 医療費の増加が財政赤字の原因であると財務省が宣伝して、消費税を引き上げようとしている。


 日本にとって、医療費の増加が財政赤字の原因ではないのに、医療費の増加にこじつけて、「構造改革失敗のツケ」を医療費圧縮に回してきているのである。


 政府は、イギリスで失敗し、アメリカでさらに医療システムを崩壊させている市場原理型医療システムを強引に日本に導入しようとしている。

2008-05-05

「始まりの詩、あなたへ」岩崎宏美


 岩崎宏美の新曲。作詞作曲は大江千里。映画「能登の花ヨメ」の主題歌。ヒットして欲しいね。

始まりの詩、あなたへ

『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン

 人や物などのつながりに興味がある人は必読。2200円だが、5000円以上の価値がある。


六次の隔たり」とはネットワーク理論の一つで、6段階を経ることによって、世界の現実が「スモールワールド・ネットワーク」となっていることを示したもの。


 なぜこれが逆説的かというと、強い社会的絆はネットワークを一つにまとめるきわめて重要なリンクのように思えるからである。しかし、隔たり次数に関しては、強い絆は実際のところ、まったくといっていいくらい重要ではない。グラノヴェターがつづけて明らかにしたように、重要なリンクは人々のあいだの弱い絆のほうであり、特に彼が社会の「架け橋(ブリッジ)」と呼んだ絆なのである。


「広い世界」を「狭い世間」に変えるのは「弱い絆である」というのがポイント。実際に行われた実験を見てみよう。ミシガン州のある中学で、1000人ほどの生徒全員に「親友を8人」親しい順番で書いてもらう。このリストから社会的つながりを明らかにした。まず、1番目と2番目の親友をたどってゆくと、生徒全体の一部にしかならなかった。ところが、7番目と8番目の名前を書き出してゆくと、はるかに大きいネットワークであることが判明した。


 チト、もどかしいので、手っ取り早く何箇所か抜き書きしておこう。


 グラノヴェターは、だれにも騒乱に加わる「閾値(しきいち)」があるという発想から出発した。大半の人は理由もなく騒乱に加わることはないだろうが、周囲の条件がぴったりはまったときは――ある意味で、限界を越えて駆り立てられれば――騒乱に加わってしまうかもしれない。パブのあちこちに100人がたむろしていたとして、そのなかには、手当たり次第にたたき壊している連中が10人いれば騒動に加わる者もいるだろうし、60人あるいは70人が騒いでいなければ集団に加わらない者もいるだろう。閾値のレベルはその人の性格によって、またこれは一例だが、罰への恐怖をどの程度深刻に受け止めているかによっても変わってくる。どんな状況におかれても、また何人が参加していようとも暴動に加わらない人もいるだろうし、反対に、自分の力で暴動の口火を切ることに喜びを覚える人も、ごく少数ながらいるだろう。



「閾値」とは沸点ともいえよう。熱を加える仕事がマーケティングだ。


 このような結果(「金持ちほどますます豊かになる」「有名サイトほどアクセス数が増える」)は、心理学でよく知られた「集団思考」と呼ばれる考え方ともつながりがある。1970年に社会心理学者のアーヴィング・ジェイナスは、何かを決めるとき人々の集団はどのような経緯をたどるのかを調べている。彼の結論は、集団内では多くの場合、集団力学(グループダイナミクス)のために、代替可能な選択肢をじっくり考える力が制限されてしまうというものだった。集団の構成員は、意見が一致しないがゆえの心理的な不愉快さを緩和するため、なんとか総意を得ようと努め、ひとたびあらかたのところで合意ができてしまうと、不満をもっている者も自分の考えを口に出すのが難しくなってしまう。波風を立てたくなければ、じっと黙っているほうがいいのだ。ジェイナスが書いているように、「まとまった集団内では総意を探ることがきわめて突出し、そのため、代わりにどんな行動がとれるかを現実的に評価することよりも優先されるのである」


 集団が個を殺す。


『ティッピング・ポイント(文庫版=急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則)』(マルコム・グラッドウェル著)の中心をなす考えは、些細で重要とは思えない変化がしばしば不相応なほど大きな結果をもたらすことがあるというものだ。そう考えれば、急激に浸透していく変化は多くの場合どこからともなく生じ、産業、社会、国家の様相を一変させるにいたるという事実も説明できるというのである。この考え方の要点は、グラッドウェルが述べているように、「だれも知らなかった本があるとき突然ベストセラーに躍り出るという事実や10代の喫煙の増加、口コミによる広まり、さらには日常生活に痕跡をとどめるさまざまな不思議な変化を理解するいちばんいい方法は、こうした出来事を一種の伝染病と考えることである。アイデア、製品、メッセージ、行動様式は、まさにウイルスと同じように広がっていくのだ」。


 問題は感染力か。


 こうした事実をもとにすれば、疾病管理予防センターの研究者たちが、ボルチモア市での梅毒流行の原因として、社会や医療の実情がほんの少し変化したことをあげた理由がわかる。病気がティッピング・ポイントを越えるには、ほんのわずかな変化が生じるだけで十分なのだ。1990年代の初期、ボルチモア市の梅毒はもはや消滅の瀬戸際にあったのかもしれない。一人の感染によって引き起こされる二次感染者数は平均では1未満であり、したがってこの病気は押さえ込まれた状態になっていたのかもしれないのだ。けれども、このときにクラックの使用が増加し、医師数が減少し、さらに市の一定地域に限定されていた社会集団が広い範囲に転出したために、梅毒は境界を越えてしまった。梅毒をめぐる状況は大きく「傾いた(ティップト)」のであり、こうしたいくつかの些細な要因が大きな差異をもたらしたのである。


 均衡が崩れると、一気に片方へ傾く。


 だれもが知っているように、水が凝固して氷になるとき、実際には水の分子そのものはなんの変化もしていない。この変化は、分子がどのような振舞いをするかによる。水のなかの分子は、ひどい渋滞に巻き込まれてい身動きがとれなくなった自動車のように、ある位置にしっかりと固定されている。一方、水(液体)のなかでは、分子は固体のなかよりも自由に動き回ることができる。同じように、ガソリンが気化して蒸気になるときや、熱した銅線が溶けるとき、あるいは無数の物質がある形態から別の形態に突然変化するときも、原子や分子は同じであり、変化するわけではない。いずれの場合も、変化するのは、原子や分子の集団が作る全体としての組織的構造だけである。


 社会に求められるのは「流動性」であろう。日本がタコツボ社会のままであれば、有為な人材はいつまで経っても埋もれたままだ。

複雑な世界、単純な法則  ネットワーク科学の最前線

2008-05-04

『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』上杉隆


「人間は物語に生きる動物である」――昨年以来、私はこう考えるに至った。思想とは物語を紡ぎ出す源泉であり、その究極が「宗教」だと思う。


 前評判の高かった本書だが、一読して圧倒された。とにかく、「物語を編む力」が凄い。この作品は間違いなく、10年、20年を経ても読み継がれるテキストになるだろう。


 安倍政権の失敗は人事に起因した。


 案の定、内閣官房関係者は大変な憤りを示していた。旧自治省、旧厚生省など旧内務省系の事務次官経験者が歴任してきた聖域を荒らされた霞ヶ関全体に衝撃が走る。その衝撃は怒りに変わり、官僚たちのある決心を促すのだった。

 なぜ安倍は事務副長官(官房副長官)の人事に手を突っ込んだのか。正気の沙汰ではない。霞ヶ関全体に対する宣戦布告か。これで役所は動かなくなるだろう――。


 スタート直後から、役人のサボタージュが始まった。血筋のよさ、小泉という後ろ盾、「史上最年少総理」と騒がれたことなどが相俟(ま)って、強大な自信となったことだろう。そこに油断があった。更に脇士である官房長官の人事を誤る。


 つまり塩崎は、調整能力が待たれる官房長官という役職にあって、政策能力を誇示する人物だった。

 その塩崎が官房長官に就任した時、政治記者たちから一斉に警告が発せられた。これで官邸は機能しないだろう。次期政権は必ず行き詰まる。


 塩崎は優秀な政治家だったが、官房長官は適所ではなかった。そして、チーム安倍の連絡系統が乱れる。


 連携の取れていない世耕、塩崎、井上がそれぞれ独自の情報を安倍に上げる。もちろん井上が、塩崎や世耕に事前に伝えることはない。そんなことをしたら、彼らの手柄になってしまう。別の事務秘書官や参事官、役所からの情報は基本的に井上経由で伝えられる。

 確かに、安倍の元には情報が集まりはする。だが、これらの情報がすべて有効であり、同じくらい精確であるとは限らない。時には矛盾した情報が同時に上がり、安倍を混乱させるのだ。安倍にしてみれば、整理されず、多元的に上がってくる情報は迷惑以外の何ものでもなかった。


 更に側近の足並みがおかしくなる。


 井上(首相政務秘書官)は、安倍総理はすごいよ、本当にすごい人だ、と懸命に自らのボスを褒め上げる。記者たちには、具体的に何がすごいのか、十分に伝わらない。そうした彼らの反応を受けて、井上の言葉はますます熱くなる。安倍総理はいかに優しいか、周囲の人間のことをいつも考えてくれている人物か、まさに礼賛の嵐、絶賛の波状攻撃、抽象的な絶叫の連続。


「政権のプロデューサー」を自認する井上は、塩崎・世耕らと対立する。


 公務員改革の旗揚げで役人を敵に回した安倍は、自民党内にも敵をつくってしまう。これが、今国会で審議されているガソリン暫定税率に踏み込んだ政策だった。


揮発油税を含めて、見直しの対象としなくてはなりません」

 揮発油税――。道路特定財源ならまだしも、法定財源である揮発油税に触れたことで、道路族の立場は決まった。無遠慮な首相官邸の「小僧たち」に思い知らせてやる、というものだった。

 道路族は一斉に不快感を示し、チーム安倍にも直接苦情が届く。世耕は慌てた。なにしろ情報が一切入っていなかったのだ。広報担当でありながら、安倍の発表まで、何も知らされていなかった。官邸内の連絡不足が露呈する。そうしている間にも、道路族は着々と手分けして「仕事」に取り掛かっていた。


 もう一つ引用を。北海道洞爺湖で開催されるサミットの会場「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」が決まった経緯について。


 表向きの決定理由は、開催費用を少しでも抑えるために、比較的警備のしやすいこの会場を選んだということになっている。ほとんど困難の伴わない安倍の決断が、官邸を通じて盛んに喧伝されるが、実際は、すでに記したように警察庁長官の漆間巌の強い意向によって決まっていたのだ。

 この美しいホテルは数年前まで廃墟と化していた。前のオーナーが経営破たんし、営業停止に追い込まれたからだ。ホテルに向かう一本道の道路も立ち入り禁止となった。高価な調度品は、警備も雇えないことからそのまま放置され、若者たちや不良グループが忍び込んでは、カネ目のものを盗み出していった。地元では近づく者もおらず、ただただ荒れ放題であった。

 2000年、セコムグループがその「廃墟」を約60億円で買い取った時でさえ、地元住民は好奇の目で眺めるばかりだった。あまりに高価な買い物であったのだ。

 警備会社大手のセコムには、数多くの警察OBが天下っている。さらにマスコミの中には、安倍とセコムの親密な関係を疑い続ける者もいた。北海道の土地を調査するジャーナリストも現れた。こうした情報が噂されるのと平行するように、まるで英断と言わんばかりに安倍が「決断」という言葉を使う回数も増すのであった。


 そして、安倍首相の辞任を予感させる文章でこの本は締め括られている。


 最初から最後に至るまで、静かではあるが確実に響いてくる通奏低音がある。それは「2世、3世議員の甘さ」だ。閨閥(けいばつ)や学閥がはびこる日本社会の暗澹(あんたん)たる未来を予測しているようで恐ろしい。

官邸崩壊 安倍政権迷走の一年 官邸崩壊 (幻冬舎文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-05-03

「Bleeding Love」「A Moment Like This」レオナ・ルイス


「20年に一度の逸材」と鳴り物入りで登場。全英・全米チャートは既に制覇。高い声が少しドナ・サマーに似ている。2曲目は「Xファクター」というオーディション番組で優勝した時のビデオ。

スピリット(初回生産限定盤)(DVD付)

『不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる!』宮嶋茂樹


 報道カメラマンの宮嶋茂樹氏が、中学生向けにメディアリテラシーを説いた本。実にわかりやすく丁寧な文章が著者の人間性を表している。学校の先生は必読。中学の教科書に採用してもらいたいぐらいだ。巻末では、自分がカメラマンになった経緯を紹介し、将来の職業をどのように選択すればよいかまで書かれている。


 気をつけてください。メディアから発信される情報の「もっともらしさ」というのがクセモノなのです。

 テレビに顔を出してしゃべっている人の中には、ニュースキャスターとか、コメンテーターと言われている人たちがいます。

「人を人とも思わない凶行。このような凶悪な犯罪を許してはいけないと思います」

「犯人は死をもって償うしかないでしょう」

「被災者の住民のみなさんには、一日も早く立ち直ってほしいですね」

 そんなことを流暢(りゅうちょう)にしゃべっている人たちです。

 それはそれはごもっともなご意見です。文句も言えません。反論の余地がありません。

 でも、こういうことは若い皆さんでも思いつくような内容です。ほとんど意味のあることとは思えません。もっともらしすぎて、耳を傾けるのも損な気がしてきます。

「これからは同じことがくり返されないように、みんなで注意し合いましょう」というような発言は、学級会レベル。いや、学級会以下のコメントではないでしょうか。


 テレビ朝日なんぞは、あらゆる犯罪を「格差社会に結びつける」傾向がありますな。コメンテーターで反対意見を言ってるのは、私が知る限りでは橋下弁護士だけである。意見の良否はともかく、そうした姿勢が好ましい。


 タレント化が進んだ挙げ句、ニュースキャスターは感情的なコメントを発し、女子アナウンサーは正確な発音よりも容姿が重んじられるようになった。フジテレビの女子アナを見ると、私は吐き気を催す。若い内から、あれほどの“あざとさ”が身につくのだから、まともな世界じゃないだろう。もしも彼女達が、高額所得のタレントやスポーツ選手との結婚目当てで職業を選んだとすれば、長期的展望による売春行為と断じてよい。


(ニュースキャスターが)サーッとヘリコプターで飛んできて、快適なワゴン車で現場に乗りつけます。お付きの人をたくさん引き連れ、ワーッと現場を見て、そのまま嵐のように去っていく。お忙しいので仕方がありません。

 でもそんなふうに、ササーッと表面しか現場を見ていなかった人に限って、「現地で徹底取材した」なんてテレビで堂々と語っているわけです。

 私が同じ番組に出演したら、

「徹底取材って言うけど、あなた、現地にいたのはたったの1日だけやないか!」

「おまえが取材したわけやないやないか!」って、ツッコミ入れますが。

 現場で徹底した調査や取材ができないコンプレックスがあるから、あたかも徹底取材したように言いたがるのではないでしょうか。

 キャスターはキャスターとして、おとなしく、記者が書いた原稿を読んでいればいいのです。


 もう一つ――


 みの(もんた)さんは、ついその場の勢いで不二家をズバッ!と斬ってしまったのでしょうが、その根拠が捏造(ねつぞう)報道では、どうしようもありません。だいたい、朝から晩までスタジオにいるような人が、ズバッ!とニュースを斬れるだなんて、思い上がりです。現場も見ない、自分で調べもしない、スタッフから与えられた情報だけを頼りにズバズバものを言うから、ああいう間違いを起こすのです。

 古舘伊知郎氏には、放送作家が4人、スタイリスト、ヘアメークが1人ずつ、担当マネジャーが2人、広報が1人、付き人が2人の総勢11人が付いているそうだよ。ついでに言っておくと、私は筑紫哲也も嫌いだ。リベラルさを担保しようとするあまり、どっちつかずで何を言いたいんだかわからなくなることが多い。


 イスラエルとの国境付近では、イスラエルとレバノンのテロ組織「ヒズボラ」が激しい戦闘をくり広げていました。

 その時、本当に危険な最前線にいた日本人ジャーナリストは、私を入れて3人だけでした。でも戦闘が終了すると、「そこにいた」というジャーナリストがたくさん出てくるのです


 これは知らなかった。アメリカも当然、メディアを利用している。しかももっと巧妙に。


 メディア側は公正中立な報道という看板を掲げていますが、あくまでそれは報道する側の理想でしかないのです。

 ニュースや報道番組が「真実」を放送していると、勝手に思い込むのもやめましょう。あくまで伝わってくる情報は、あなた自身が考えて結論を出すための「素材」ぐらいの役割しか果たさないのです。つまり、ひとりでじっくり考え、判断することが、情報に惑わされないための方法であると言えます。


 例えば、アフガニスタンで自動車が爆破されたとしよう。すると、犯人=テロリストという思考が自動的に働く。パブロフの犬さながらに我々は条件反射してしまうのだ。アフガニスタン政府がこの手を利用しないとは断言できない。


 大体ね、「テロとの戦い」なんて言葉は信用しちゃダメだよ。実際問題、大量破壊兵器を持っているのはアメリカなんだから。暴力団が拳銃を突きつけて、民間人からハサミを取り上げようとしているのが、アメリカの覇権主義の実態だ。


 メディアから垂れ流される情報は、全て意図が隠されている。しかも、許認可事業であるため、権力の言いなりになる傾向が顕著だ。


 日本は農耕民族型村社会であるがゆえに、「噂」という文化がある。そして噂話を鵜呑みにして、他人を白い目で黙って見つめる。村では一度レッテルを貼られると取り返しがつかない。


不肖・宮嶋 メディアのウソ、教えたる! (14歳の世渡り術) (14歳の世渡り術)

今月から光ファイバーに


「光」ってえんだから、光速に近いスピードが出ると思い込んでいたよ(笑)。スピードテストの結果は以下――

  • 下り受信速度:19Mbps(19.5Mbps,2.44MByte/s)
  • 上り送信速度:5.9Mbps(5.90Mbps,730kByte/s)
  • 診断コメント:Bフレッツ マンションVDSL方式の下り平均速度は28Mbpsなので、あなたの速度は標準的な速度です。

 フウム、そうかい。標準かい。ADSLは1メガだったので、19倍になったということだ。でも、そんな実感はないねえ。せいぜい、1.25倍といったところか。添付ファイルの送信やダウンロードが早くなったことは確かに実感できる。あと、動画がスムーズに再生できるのは利点ですな。

2008-05-02

ガソリン税の一般財源化は、「道路利権」という思考停止が支えている


 現在、道路特定財源として徴収している税率分を一般財源化すると福田首相は明言した。新聞各紙はこぞって賛成している。

 政治家とメディアは「道路族から利権を取り上げる」ことに重きを置いて、国民生活を無視している格好だ。


 既に、ガソリン税の一部は一般財源化されている。「道路整備をするために、カーユーザーが負担している税金」が他のことに使われているのだ。これは、「参考書を買うからお金をちょうだい」と言った子供が、そのお金でゲームソフトを買っているようなものだろう。しかしながら、誰も問題にしていない。


 それにも増しておかしいのは、マスコミから自民党議員までが当たり前のように言うところの「道路族利権」という言葉である。利権構造がどうなっているのか、はたまたどこからどこへいくらの金が動いているのかなど、全く調べるつもりがないようだ。


 その道路族のボスが自民党の古賀誠氏(自民党選対委員長)。現政権は郵政解散によってできたものだが、古賀氏は「土壇場の衆議院本会議採決では採決直前に退席し、棄権」した。今頃でかい顔をしているのが不思議でならない。小沢一郎氏同様、爬虫類タイプの顔つきは信用できない。


 道路族の頭目、古賀誠はおそらく財界のドンでさえ震え上がらせる力を持っているのだろう。今井敬は古賀の凄まじい圧力に耐えかね、「自民党の人たちの勢いを見たら、とても止められない。彼らはどんなことがあっても道路をつくりたいのです」と委員会のメンバーにこぼしたという。

クレイジーパパ


「誠大橋」に続き「誠ロード」が29日開通


 古賀誠の地元・福岡で、29日、国交省所管の地域高規格道路「有明海沿岸道路」(総延長55キロ)が部分開通した。福岡県大川市大牟田市を結び、古賀の選挙区のど真ん中を貫く自動車専用道路だ。総事業費は2380億円。案の定、古賀の利権にまみれていて、地元では“誠ロード”と呼ばれている。

 01年以降の3000万円以上の入札結果を情報公開請求したところ、この道路工事の受注額は計425億円。そのうち、着工前年の99年以降に古賀に献金した業者の受注額は185億円、全体の44%も占めていた。しかも、献金業者の落札率が平均96%と異常に高いのである。

 古賀の利権道路はまだある。通称“誠橋”こと「朧大橋」。民主党菅代表代行に「ムダの象徴」とされた橋だが、最も金額が大きい27億円の工事の落札率は99.86%だ。

 古賀の威光といわれる福岡県所管の道路建設は14カ所、トータルの事業費は3312億円に上る。道路特定財源は50〜55%つぎ込まれているが、やはり、これらの道路を受注した業者のうち、古賀に献金している業者は49社、9000万円に達していた。

 百歩譲って、地元の役に立っているならともかく、この“誠ロード”は悪評フンプンだ。ある地元住民がこう嘆く。

「地元の人は自動車専用道路なんて使いませんよ。下道を走っても、それほど時間は変わらんけんね。むしろ町に下りてくる人が減って、商店街がさびれるかもしれないと、みんな心配しているくらいですよ」

 それでも、誠ロードは2023年まで工事が続く。自民党の道路族が福田提案を歯牙にもかけないのも当然だ。

日刊ゲンダイ 2008-04-01】

『セブン-イレブンおでん部会 ヒット商品開発の裏側』吉岡秀子


 セブン-イレブンの礼賛本。褒めるからにはそれなりの理由がある。


 1974年、江東区の豊洲に第1号店をオープン。6年後の1980年に1000店舗を達成し、2003年には遂に1万店舗を突破したというのだから凄い。破竹の快進撃だ。


 小売業で業績がいい会社は、必ず緻密なマーケティングを行っている。貪欲(どんよく)なまでに消費者と向き合う。そしてマーケティングの成否が売り上げにそのまま現れる。


 今では当たり前のように売られているが、当初、おにぎりがヒットするとは誰も予想してなかった。では、どのような商品開発が行われていたのか。いい素材を使用するのは当然だが、名人に握ってもらったおにぎりの空気含有量、握る圧力まで調べた。手づくり感にこだわった製造機は、ご飯をクルクルと回して丸く整形し、直系1センチほどの棒で穴をあけて、そこに従業員が具を挿入する。手づくりと何ら変わりがない。この機械を開発したことで、初めて年間10億個を超える販売数を記録した。


 雑誌を読むような気楽さですいすい読める。取り上げられた商品は、おにぎり、メロンパン、調理めん、おでん、サンドイッチ、カップめん、アイスクリーム、お菓子&デザートの8品目。


 1998年に鈴木敏文会長が近所のセブン-イレブンで冷やし中華を買って食べた。役員試食会で味見はしているものの、おいしくない。


「今すぐやめろ!」


 販売中止が商品本部へ伝えられ、店頭から冷やし中華が消えた。その後、鈴木会長から11回のダメ出しを食らって、やっとの思いで新製品が完成した。現在では、スープの味も春は甘め、夏はさっぱり、秋はコクを深くして変化をつけている。


 そして白眉はタイトルにもなっている「おでん部会」だ。それぞれの具によって部会が存在するのだ。大根部会、豆腐部会、つゆ部会などなど。全国からベンダー(販売業者)や専門メーカーが毎週、ミーティングを行って、デビューさせる具を決定する。その上、2006年からは全国を6エリアに分けて、異なるつゆが使われている。確かにセブン-イレブンのおでんは美味しい。


 商品開発のためには高額の機械をつくり、工場まで建ててしまう。今では全体の6割が自社製品だという。そして、何と言っても見逃すことができないのは、同一地域に一気に店舗展開する「ドミナント出店戦略」だ(驚くべきことに青森・秋田・富山・石川・福井・鳥取・島根・香川・愛媛・徳島・高知・鹿児島・沖縄にはまだ出店してない)。これは配送時間を短縮して、食品の鮮度を保つのが目的で、工場からセブン-イレブンには1時間で届いている。


 最後に鈴木会長の痺れる言葉を――


(※競合店の視察は)しません。見る必要がないからです。もう30年以上、社員に言い続けていることですが、競合店がどうかなんてことはまったく関係ない。ぼくらが見なきゃいけないのはお客様です。お客様の立場に立って考える。そしてコンビニとは何かを正しく理解し、基本を押さえていかなくては、いい商品開発はできません。


セブン-イレブンおでん部会―ヒット商品開発の裏側 (朝日新書 34) (朝日新書 34)

2008-05-01

『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子


 行間から祈る声が聞こえてくる――。


 昨年の「24時間テレビ」でドラマ化された作品。ドラマの方は見るに堪(た)えない代物だったが、著作は「2冊買って、1冊誰かにあげあたくなる」ほど素晴らしい内容だ。


 山崎直也君は9歳でこの世を去った。ユーイング肉腫という悪性の癌に侵(おか)されたのが5歳の時。短い人生の約半分を闘病に捧げた。


 平凡な両親の元に生まれた直也君は、“本物の天使”といってよい。どんな痛みにも弱音を吐かず、再発する度に勇んで手術に臨んだ。


 それにしても、直也君の言葉は凄い。まるで、「年老いた賢人」のようだ。


「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」


 直也自身、少しでも体調が悪化すると、

「山崎直也、がんばれ!」

 そう口に出して、自分で自分を励ましていました。16日の呼吸困難の発作のさなかにも、「落ち着くんだ」といっていたような気がします。

 あの日、息苦しさが少し治まってから、直也はこうもいいました。

「おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。だからナオ、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。『先生早く!』って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。がんばれば、最後は必ず幸せになれるんだ。苦しいことがあったけど、最後は必ずだいじょうぶ」


 夜10時過ぎ、直也は突然落ち着かない様子で、体を前に泳がせるようなしぐさをしました。

「前へ行くんだ。前へ進むんだ。みんなで前に行こう!」

 びっくりするほど大きな力強い声です。そして、まるで、迫り来る死と闘っているかのように固く歯を食いしばっています。ギーギーという歯ぎしりの音が聞こえるほどです。やせ衰えて、体を動かす元気もなくなっていた直也のどこにこれだけの力があったのかと驚くほど、力強く体を前進させます。


 ある日、私が病院に行くと、主任看護婦さんが、「おかあさん、私、今日、ナオちゃんには感動したというか、本当にすごいなと思ったんだけど」と駆け寄ってきました。直也は、

「この痛みを主任さんにもわかってもらいたいな。わかったら、またナオに返してくれればいいから」

 といったそうです。「えっ、痛みをまたナオちゃんに返していいの?」とびっくりして聞くと、

「いいよ」

 と答えたそうです。

「代われるものなら代わってあげたい」。よく私もそういっていました。でも直也はそのたびに力を込めて「ダメだよ」とかぶりを振り、

「ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。おかあさんじゃ無理だよ」

 きっぱりとそういうのです。


 何だか自分が、ダラダラと走るマラソンランナーみたいな気になってくる。直也君は、人生を全力疾走で駆け抜けた短距離ランナーだった。「生きて、生きて、生きまくるぞ!」と言った通りに生きた。


 山下彩花ちゃんといい、直也君といい、命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿に圧倒される。

がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉 がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉 (小学館文庫 や 6-1)

(※左が単行本、右が文庫本)