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2008-06-04

『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫


 山本譲司著『累犯障害者 獄の中の不条理』に出てきた共生舎と犯人の妹のことが知りたくて読んだ。期待したほどではなかったが、触れられている。


 レッサーパンダの帽子をかぶった男が女子大生を刺殺する。当初は大きく報じられ、ワイドショーでも毎日のように取り上げていた。ところが、容疑者が「養護学校出身者」であることが判明すると、潮が引いたようにメディアから消え去った。障害者、及び知的障害者を槍玉に挙げることは今でもタブーとされている。


 犯人とされるレッサーパンダの帽子をかぶった若者は「自閉性の障害」があった。目撃証言もあることから、犯罪をおかしたことは間違いないだろう。著者が問題提起しているのは「障害者に対する取り調べのあり方」についてである。


 男は、任意同行から3時間で「上申書」や員面調書を取られている。しかし弁護人が接見を始めたとき、ひと月以上は「会話」にならなかったという。話す内容の不可解さ、言葉の拙さ、うつむいたままかたくなに黙り込むその態度。なぜ警察がたった3時間であの上申書を取ることができたのか、どう考えてもこれは信じられるものではない、と弁護人はくり返した。


 容疑者と被害者の家族は、互いを思いやりながらも何らかの行動をとることは許されない。犯罪を取り囲む悲惨な状況をこれほど雄弁に物語るエピソードもあるまい。


 以前、知人の、北海道の某テレビの若い報道記者が取材で(被害者の)父親に会い、(犯人とされる)男の妹のそれまでの状況を話していたときに、そのあまりの惨状に父親が涙を流した、という話を聞いていた。「家族の困窮があったかもしれない。しかし私は一顧だにしない」。そう述べていたその人が加害者の家族に涙を流す、これもまたもうひとつのまぎれもない父親の姿だった


 著者の心は揺れる。揺れ過ぎるほど揺れる。容疑者の家族と被害者の家族に近づくにつれ、感情は強くなる。ジャーナリストとしては、やや湿っぽい。だが、そこにこそ確かな人間の証があった。こうした心の揺れは決して違和感を覚えるものではない。報道は客観的に行われるべきだが、現在のジャーナリズムにはあまりにも第二者としての立場(「あなた」と呼ぶ位置)が欠けていると感じる。


 被害者の叔父から著者は次のように言われる。


(被害者の叔父の)連絡先を伺ってから数日して後、私は電話の前で立ち往生していた。

「なんの目的で、私らに会いたいのか。なにを聞きたいのか。私らになにか聞いて、それをあなたが書いて、世の中が少しはよくなるのか。よくなったためしはあるのか。人の行くところ行くところ付け回して、不幸をさぐって、それを面白おかしく書いて。それがマスコミの仕事かもしれないが、人をさんざん不快な思いにさせ、しかも書くことは嘘。こっちがどれほど不愉快きわまりない思いをしているか、少しは考えたことがあるのか。世の中をどんどん腐らせているのは、あなたらマスコミではないか」

 15分、いや20分以上もそうやって問われていただろうか。私は返す言葉もなく、黙って受話器を耳に当てていた。


「これまで、あちこちから取材の申し込みがあった。でも、一度も応じたことはない。すべて断ってきた。今回のあなたの取材がはじめてだ。記事を読んでも気分が悪くなるだけだし、どうせ野次馬。他人の不幸を騒いで面白がっているだけ。他人の不幸ほど面白いものはない。とくに週刊誌はひどい。姉夫婦の生活まで踏み込んで、あれこれと、あることないことを書いていた週刊誌もあった。近所の誰に聞いたかは知らないけど、噂程度の話を、さもほんとうであるかのように書く。我々から見れば、すぐに嘘かほんとうか分かる。そんな目に散々遭わされて、取材させてほしい、はい分かりました、なんでもどうぞ聞いてください。そんな人のよすぎる話はないだろ」

 まったくその通りだった。


 ペンが凶器であることを自覚しながらも、著者は使命感を奮い起こしてペンを握り締める。ノンフィクションとしての事件モノはどうしても「済んでしまった事実」に対して冷酷になり、「今そこにある問題」が優先される。それをこの人は知っているのだろう。


 例えば、『週刊新潮』なんぞに至っては、既に1億2000万円もの損害賠償が命じられている。完全な「デマ雑誌」といっていいだろう。本来であれば権力を監視すべきジャーナリズムが、弱い立場の人々を傷つけている現実がある。一度でも悪意に満ちた記事を書かれてしまえば、破滅的な結果が待ち受けている。そして見過ごせないことは、こうした人権侵害に対して「書く側」の人間が非難することが殆どない事実である。


 かような状況を踏まえて本書を読むと、一服の清涼剤のように感じる。表紙にはアサヒビール吾妻橋ビルのオブジェが写っている(通称「ウンコビル」)。この界隈で仕事をしていたこともあって、異様な親近感がわいた。

自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)

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