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2008-06-06

『知的好奇心』波多野誼余夫、稲垣佳世子


 初版が刊行されたのが1973年というのだから、既に35年の長きにわたって読み継がれている名著。私は20代で一度読んでいる。


「人間はナマケモノなのか?」というテーマで、旧来の「アメとムチ」スタイルを脱却する狙いがある。様々な心理実験のデータを引っ張り出し、自発的に労働や勉強と取り組める方途を探っている。その核となるのが知的好奇心だ。


 そのサルたちにとっては、パズル解きは電気ショックなどによって強制されたものではなかった。さらに、その熱中ぶりからみて、サルがパズル解きを楽しんでいることもあきらかだろう。これらの諸特徴――「自己目的性」、「自発性」、「楽しみ」――から考えて、これは「遊び」の一種といってよい。


 また別の実験では、人間を何もしない状況下に放置しておくと、「情報に対する飢え」が生じることが明らかにされている。普段は意味不明と思える株価情報にまで耳を傾けるようになる。


 最もわかりやすいのは、トーキングタイプライターである。これは幼児に文字を覚えさせる目的で開発されたタイプライターで、最初はキーボードを押すとAなら「エイ」という音声が出る。幼児は初めの内は面白がって、ランダムに押すがしばらく経つと飽きてしまう。そこで次の段階は、短い単語を画面に表示し、それ以外のキーは押せない状態にする。正しい順序で文字が挿入されると、画面が発音して意味を教える。こうして幼児は次々と語彙を獲得する。しかも、キーと爪に色を施すことによって、正しいキー操作を覚えさせることも可能だという。このタイプライターを使えば、3〜4歳児が新聞を読むことも可能になる。


 ここからは具体的な義務教育におけるスタイルを試行錯誤している。その根底には、現行教育に対する痛烈な批判精神が漲っている。本書がすぐれているのは、その見識もさることながら、やはり志の高さにあると思われてならない。


 彼らにとっては、勉強は遊びと敵対するものである。もし勉強しなくてよいとなったら、教科書や参考書のたぐいをすっかり燃やしてしまいたい、と思っている子どもだって多いだろう。勉強していくなかで自分を高めていくどころか、勉強の時間こそ、自分が自分でなくなるときなのである。


 知的好奇心を刺激し、児童本来が持っている「学ぶ力」を引き出すことに力点が置かれている。


 子どもに自由を与えること、これは子どもを放任することではない。子どもが真に「自由」を楽しめる状態に環境を「整備しておく」ことが指導する側の責任である。


 ブルーナーが、彼の有名な著書である『教育の過程』のなかで「内発的動機づけ」という語をはじめて使ってから約15年になる。


 個々の学習者のイニシャティブと選択を、教材や教師との関係で尊重するとともに、もう一つ大切なことがある。それは、学習者同士で、互いにイニシャティブを持った活発な相互交渉をもっと行うよう奨励する、ということである。


 いずれも卓見である。教授よりも指導、全体よりも個別、協調性よりも主体性を追求することで、個々の能力は飛躍的に伸びると思われる。


 例えば、国民の生命を預かる医師の不足が問題となっているが、私は医師を公務員にすればよいと考えている。テレビで「神の手を持つ医師」を見る機会が多いが、大工さんや建築職人、あるいは裁縫が得意な主婦の中には、もっと巧い人がいると思うのだ。しかしながら残念なことに、現代社会では裕福な家でない限り、医大に入ることは難しい。そこで国家プロジェクトとして、小学生ぐらいから器用なメンバーを選りすぐり、税金でエリート育成を施せば、医療が崩壊することもないだろう。でもその前に、「出る杭は打たれる」といった精神風土を革命するのが先だね。


 アルビン・トフラーの『パワーシフト 21世紀へと変容する知識と富と暴力』が刊行されたのが1990年10月だった。その20年ほど前に、言葉こそ表記されてないが「ソフトパワー」を解明したのが本書であり、今尚、色褪せることはない。

知的好奇心 (中公新書 (318))

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