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2008-06-30

『国家の自縛』佐藤優


 佐藤優氏の著書としては『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』に続く第二弾。聞き手は産経新聞社の斎藤勉氏。佐藤氏は、どのような球も鮮やかに打ち返す。しかも、「なぜ、ここに打ったのか」との理由まで示す。圧倒的な知識量と論理力の前に、読者はただただ恐れにも似た感情を抱きながらひれ伏すのみ(笑)。ハハァーーーッ。


 以前から、なぜ佐藤氏が「起訴休職外務事務官」という職業を名乗っているのかが私はわからなかった。とっくにクビになっているものと思い込んでいたからだ。実はこれが、日本外交の問題を象徴的に表していた。


 不作為ですよ。今の日本外交の一番の問題は不作為なんです。余計なことを背負い込むのは嫌だと。だから私はまだ外務省の処分を受けていない。処分するには聴聞しないといけない。聴聞になった場合、マスコミに公開した形で行うということを代理人(弁護士)を通じて外務省に申し入れた。そこで私は今まで黙っていたことを話す。そう伝えたら外務省は処分について一切言ってこなくなりました。


【『国家の自縛』佐藤優〈さとう・まさる〉(産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】


 さすが外交の世界で交渉力を身につけてきただけのことはある。喧嘩巧者だ。相手が攻めて来る前に、「急所を指摘する」ことで怯ませているのだ。


 中国における反日教育の意味も私は初めて知った。


 実は私の見立てでは、中国で初めて中華思想ではなく、中国史における中国民族という、欧米でいうところの民族ができていると。ネーションビルディングが行われていると見ているんです。これは産業化と一緒に起きてるんです。産業化で流動性が担保されるときに統一の空間というのが出てくる。結論から言うと、その時に「敵のイメージ」というのがとっても重要になるんです。

 チェコ人ができる時にはドイツ人を敵とする、「敵のイメージ」があり、ポーランド人が形成される時にはロシア人を敵とする、「敵のイメージ」があるんです。ロシア人がロシア人という意識を草の根から持つのはナポレオン軍との戦争を描いたトルストイの『戦争と平和』が流行ってからですよ。ロシアではナポレオン戦争を祖国戦争と呼び、第二次世界大戦大祖国戦争というんですね。「敵のイメージ」ができることによって民族ってできてくるんですよ。

 中国で今回初めて、内陸部を含めて本格的な産業化、近代化が始まった。その中で日本は「敵のイメージ」を付与されてしまっているように私には見えます。だから中国との関係はなかなか良くならない。これを冷静に認識した方がいいと思います。


 やはりよく言われるように、地球が平和になるには、宇宙人に攻めてもらう必要がありそうだ。「敵のイメージ」が具体的でなければ、国家の求心力は高まらない。


 どういうことかと言うと、中華人民共和国になってから略字を大幅にとり入れる文字改革が断行されましたよね。どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。ですから、中華人民共和国で標準的な教育を受けている人間は、戦前の文献、古代の文献が読めないんですよ。

 ナチスのヒトラーも1930年代に文字改革してヒゲ文字のドイツ語をやめてしまった。これは19世紀と20世紀のドイツの高度な哲学的、思想的な遺産を労働者から切り離してしまうのが目的でした。同じように、ボルシェビキ以降のソ連・ロシアもやはり文字改革をして帝政時代の文字を読めなくしてしまった。新しい文字によって情報空間を隠蔽してしまうんですよ。これに逆らった者はみんな強制収容所に送られました。


 国家と教育を考える上で、実に多くの示唆を含んだ内容だ。


 ウーーーム、所感を綴れば綴るほど自分の愚かさが浮かび上がってきそうだ(笑)。黙って抜き書きしておこう。


 歴史とは死者と生者が連続しているという物語で、この物語を維持する仕組みを失ってしまえば、国家も歴史も崩壊する。戦没者の顕彰はナショナリズムを維持する上での不可欠の機能で、私の理解では、靖国神社は戦没者を慰霊するというよりも顕彰する場所なんですね。


 ナショナリズムは一種のウイルスなんです。近代以降、このウイルスが人類に蔓延している。高度に産業が発達した国家に生きている国民で、ナショナリズムというウイルスに感染していない人はほとんどいません。このウイルスは通常は外部社会と極端な軋轢はもたらさない国際協調的愛国主義パトリアティズム)という形で現れるんですが、ボタンを少しばかり掛け違えると排外主義に転化してしまうんです。


 率直に言いますが、私は「国家の罠」にとらわれている。神とか愛とか平和という「究極的な価値」は国家や経済という「究極以前の価値」を通じてしか実現できないと私は考えているんです。


 小泉さんはドイツでシュレーダー首相と一緒にワーグナーを聴いたんですが、外務官僚はなんでこれを止めなかったんだと思うんですよ。ワーグナーとナチス・ドイツは一体で、ナチスの党大会でもベルリン五輪でも演奏されましたよね。イスラエルで一度ワーグナーが演奏されたら国を割る大変な議論になった。それを日独の首相が一緒に聴くことを世界はどう受け止めるでしょうか。恐ろしいのは、それが非難の対象にならなかったことなんです。

 これはどういうことか。日本はプレーヤーとして認知されていないということなんです。これをアメリカの大統領がやれば次の選挙で落ちます。フランスの大統領がやれば国論を割る大問題になります。問題は全世界のユダヤ人たち、そしてイスラエルの人たちが日独首相の行為をどう受け止めているかということなんです。2005年はアウシュビッツ解放60年でもあるわけで、日本人はそのところの思いを理解しなければいけない。


《佐藤氏は東京拘置所の独房での512日間の拘留中にも思索を続けていた。読破した書籍は約160冊に及び、60枚綴りの「研究ノート」約63冊を書き上げ、毎日のように弁護団にしたためていた手紙は400字詰め原稿用紙に換算して5000枚にも達した》


“国家”という怪物は自分を縛ることでしか、その形が浮かび上がってこないのかも知れぬ。大半の人々は“国家”の内側にいるがゆえに自覚することができない。佐藤氏の存在は、国家が切り落とした“小指”のようなものだろう。


 佐藤氏が逮捕された2002年は、小泉政権が誕生して2年目のことだった。ライオンのような髪型をしたアジテーターは、確かにこの国を変えた。彼は政治家の言論から“責任”を抜き取り、感情をテコにして二者択一を迫った。小泉首相に乗せられた国民に跳ね返ってきたのは二極化という貧富の差であった。そして今、小泉改革によって日本の医療・福祉は崩壊しつつある。


 そういう意味では、佐藤氏の逮捕が21世紀のエポック・メーキングとなる可能性もある。

国家の自縛 国家の自縛 (扶桑社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

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