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2008-07-05

『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄


世界的な免疫学者もリハビリ難民


 多田富雄は抑制T細胞を発見した人物で、DNAによる支配に異を唱え、自己生成系としての超(スーパー)システムを唱える免疫学の世界的権威。その傍らで能の創作も行っており、病に倒れた後も続けている。


 多田は2001年に脳梗塞で右麻痺となった。現在も執筆活動をされているが、左手だけでキーボードを操作している。これも、リハビリによって勝ち取った身体機能だった。多田氏の怒りは静かな青白い焔のようだ。しかし、凄まじい高温を放ち、暗い社会に生きる我々の面を照らす。

 文章を書いて反論することが、一障害者の私にできる唯一の抵抗であった。本にまとめておきさえすれば、この医療史上の一大汚点は、実名とともに後世に残る。私にはそれを書き残す義務があると思った。


 非人間的な制度改定から一年あまりの間、私は命がけで新聞や雑誌に論文を書き続けた。その間、私の病状は、前立腺癌の再発によって、予断を許さぬ状況が続いた。でもこれだけは言っておかなければならないと、不自由な体に鞭打ってキーボードに向かった。私を駆り立てたのは、不幸にして障害を負ってしまった、社会の最弱者を狙い撃ちにしたような、冷たく執拗な厚労省の制度改悪だった。

 書いて行くうちに、これが単に私のような中途障害者の人権を守る運動ではない事に気づいた。リハビリ打ち切りは、小泉内閣が相次いで実施した、医療費削減のための冷酷な改革の一例に過ぎなかった。障害者自立支援法療養病棟の廃止といった、一連の非人間的な医療改革の矛盾が、ここに一挙にむき出しになった象徴的事件だったのだ。

 これを看過したら、社会の最弱者である、重い障害を背負ったものの人権は失われてしまう。これは、人命より経済を優先させた小泉内閣によって、推し進められた医療破壊のい象徴なのだ。これから起こるであろう、生命と人権を軽視した政策の前哨戦でもある。

 さらに、こんなことが堂々とまかり通る社会は、弱者を兵器で犠牲にする社会、戦争に突き進んでしまう社会に直結するという思いが、不自由な体をキーボードに向かわせた。人の10倍はかかる、左手一本の困難な執筆である。これだって、リハビリの訓練で可能になったぎりぎりの身体機能である。


 今、社会保障がズタズタになっている。犯人は小泉首相である。彼がやったことは、郵政民営化と銀行の不良債権解消、そしてセーフティネットの破壊だった。その小泉を待望する声がいまだに根強いというのだから、空いた口が塞がらない。無知にもほどがある。


 2006年4月8日、多田氏の寄稿が朝日新聞に掲載された。

 これに対して、原徳壽医療課長が反論を寄せた。噴飯物の内容に多田氏が再反論を提示した。しかし――


 私は朝日新聞に投稿された原徳壽医療課長の反論に対して、すぐさま再反論を投稿したが、今度は担当のデスクに掲載を拒否された。同じ主題で同一人物が、何度もこの欄に登場するのはまずい、という意見があったからという。前に仲介してくれた記者は、正義感あふれた人物であったが、この時点から朝日新聞は、厚労省寄りの提灯記事を掲載するようになった印象が拭えない。それから何度かインタビューを受けたが、そのたびに陰で厚労省の意図が働いているという印象は否めなかった。突然変節したのは、何らかの圧力が掛かったに相違ないと疑っている。


 我々の知らないところで、メディアは奇々怪々な力学で動いている。きっと現実世界では、ビリヤードの球が上から降ってくることもあるのだろう。一般市民が知らないだけの話だ。


 障害を背負った身体で多田氏は怒りを謳い上げる。


君は忿怒佛のように


 君は忿怒佛のように

 今こそ

 怒らねばならぬ

 怒れ 怒れ

 怒って 怒って 地上をのたうち回れ

 虐げられた難民

 苦しむ衆生のために


 君は

 血まみれの衣を

 ずたずたに引き裂き

 腰からぶら下げ

 仁王立ちになって睨む

 口からは四本の牙をむき出し

 血の混じった唾液の泡を吹きながら


 君は軍荼利夜叉明王(ぐんだりやしゃみょうおう)のように

 戦いの甲冑に身を固め

 火炎の光背に

 護るべきものを押し隠す


 あらゆる不正を暴く

 牛頭(ごず)明王の目を半眼に見開き

 君は身の丈六尺の

 九頭龍(くずりゅう)明王となって現われ

 弱者を救い上げ権力者を

 喰らい尽くす鬼となって


 背中に真紅の火炎を頂き

 不動の知恵の

 蛇の巻きついた利剣を垂直に立て

 怒りに右目を中空に見据え

 左目は血の涙を流す


 馬頭(めず)権現の耳には

 慈悲と愛をたたえながらも

 なおも君は忿怒佛として

 怒らねばならぬ

 怒れ 戦え 泣き叫べ


 時には阿修羅王のごとく

 赤子を貪り食い

 女を際限なく凌辱するが

 次の日には懺悔に

 地上をのた打ち回る

 また次の日は

 孔雀明王となって

 中空に布施をばら撒く


 君の名は

 何とでも呼べ

 悪鬼鬼神の類(たぐい)は

 いつでもこの世に現われるものだ

 血のような花弁を振りまきながら

 雪の夜を泣きながら彷徨う

 君は忿怒佛となって

 怒りに身を震わせよ


 盟友であった鶴見和子女史は「小泉に殺される」と何度も言いながら先に逝った。以下は鶴見さんが読んだ歌――


 政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと


 ねたきりの予兆なるかなベッドより

 おきあがることできずなりたり


 民主主義が「数の論理」であるならば、虐げられた少数者は無視される。「数の論理」は社会の平等性を破壊し、結果的に我が身を傷つける。「生きる権利」が何らかの力量や才覚に応じて配分が決まるならば、庶民や子供に「生きる権利」はなくなってしまうだろう。


 小泉政権は、憲法上の矛盾を抱えたままの自衛隊をイラクに派兵した。そして、国民が気づかないところで、弱者を切り捨てることを粛々と決めた。既に、介護も保険報酬が大幅にカットされている。介護難民が出るのは時間の問題だ。家族にのしかかるストレスが、社会を一段と歪めることは火を見るよりも明らかである。


 多田氏の「リハビリ闘争」は、リハビリに挑戦することではなくして、リハビリを奪う国政に異義を唱えるものとなってしまった。何という矛盾だろう。もはや、自民党+官僚にノーを突きつけるしか道は残されていない。


 尚、重複する内容が目立つが、本の値段が安いため気にする必要はあるまい。

わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか

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