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2008-08-31

フランセス・アッシュクロフト、佐藤勝彦


 1冊挫折、1冊読了。


人間はどこまで耐えられるのか』フランセス・アッシュクロフト/悪い本ではないんだが、読むスピードが落ちてきたのでやめた。生理学的見地からヒトの身体の限界を探っている。“面白い教科書”といった印象。豊富な知識を散りばめているのだが、如何せんヤマ場に欠けている。


「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦/科学に興味がなくっても何とか読めるぞ(笑)。初心者に親切な量子論入門。「電子は粒でもあり波でもある」んだってさ。「波じゃないと説明がつかないから、波で行こうぜ」ということらしい。ミクロの世界も極めると、信仰とあまり変わらなくなっているのが面白い。シュレーディンガーの猫も初めて理解できたよ。歴史に名を残した科学者たちの一癖、二癖を紹介しているのもグッド。多くの科学者たちの“知の系譜”によって、我々は文明という名の果実を手にすることができる。

江原啓之はヒンドゥー教的カルト/『スピリチュアリズム』苫米地英人


 タイトルは『スピリチュアリズム』となっているが、内容は「反スピリチュアリズム」。苫米地英人が警鐘を鳴らしているのは、「江原啓之を受け入れてしまう社会情況」に対してである。オウム後に現れたカマイタチといっていいだろう。


 江原啓之氏などの言っていることは、宗教史的に言うと輪廻転生を前提としたヒンドゥー教的カルトです。実はスピリチュアルのみならず、流行っている新宗教はすべて差別的な思想を持つという興味深い共通点があります。それは「人間を超えた存在」という超人思想であり、選民思想です。もっとはっきり言うとナチズムに繋がるものです。

 そしてこれも彼らがよく口にする「守護霊」ですが、それは、元々はキリスト教的カルトにあるゴーストの概念を、日本古来から存在する鬼神の概念と結びつけたものです。


【『スピリチュアリズム』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】


 大雨が降ると川が氾濫する。家屋や畑に甚大な被害を与える。これを納得するためには物語が必要となる。そこで編み出されたのが“竜”だ。雨を降らせているのは竜の働きであり、人々は竜の怒りを恐れた。竜が荒れ狂う様相は、氾濫する川そのものであろう。


 人間は起承転結や因果という物語に支配されている。“理由を考えずにはいられない”のが人間に課された宿命だ。それが証拠に、運不運を否定する人を見た例(ためし)がない。


 僥倖があれば感謝を捧げ、不慮の災難に遭えば身を慎むという生き方を否定するつもりはない。だが、いたずらに何かを恐れるようになれば、必ずそこに付け込む輩が現れる。宗教、健康食品、美容、痩せる、背が高くなる、ハゲが治る、女にもてる、能力が開発される、ギャンブル必勝法――などなど。


 人間が物語に生きるのは幸不幸を感じるからだ。しかしながら、何に対して幸不幸を感じるかは人によって異なる。勝って驕らず、負けても腐らぬ人こそ賢人か。中庸とは、鈍感さをキープすることではなく、強靭な意志の発露であると思う。


 政治の劣化、生活の不安、家族関係の崩壊などが、スピリチュアリズムを受け入れる土壌となっているように感じた。

スピリチュアリズム

2008-08-30

太田直子、デヴィッド・W・モラー、平澤哲哉、パトリシオ・エイルウィン、池田大作


 2冊挫折、2冊読了。


字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』太田直子/何となく30ページほど読んで挫けた。文章は読みやすいのだが、どうも肌が合わない。二つの大冊と取り組んでいることもあって切り捨てた。


詐欺師入門 騙しの天才たち その華麗なる手口』デヴィッド・W・モラー/詐欺師の手口を書いた作品。専門用語にたじろぐ。適当な日本語訳にすべきだ。そうでないと意味がわからなくなってしまう。例えば、〈コン・モブ〉〈ビッグ・ストア〉〈おとり〉〈インサイドマン〉〈ビッグ・コン〉〈ブックメーカー〉〈サクラ〉〈ボードマーカー〉〈カモ〉〈マネージャー〉〈グリフター〉〈フィクサー〉など。これが1ページに記されている言葉だよ。映画『スティング』にヒントを与えたというので結構期待していたのだが、見事に外れた。


失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているのか』平澤哲哉/著者は大学生の時に、交通事故で頭蓋骨を陥没骨折した。その際の脳出血で失語症となる。ひとたびは言葉を失いかけた著者がリハビリに挑戦しながら、少しずつよくなっていく様子が描かれている。言語聴覚士(ST)になったというのだから大したものだ。一般的には脳の左半球にダメージがある(右半身麻痺)と失語症になるケースが多い。ただし、言語野は利き腕によって変わるので例外もある。体験記となっているので致し方ないが、個人的には失語症のメカニズムを知りたかったというのが本音である。


太平洋の旭日パトリシオ・エイルウィン池田大作/今年の1月から読み始めたので、何と8ヶ月間もかかって読み終えたことになる。きっかけは「ヌエバ・カンシオン」だった。エイルウィン氏は元チリ大統領。ピノチェト政権を支えた時期もあったが、紆余曲折を経てチリの民主化を成し遂げた。米国からの圧力を知る人物でもある。強靭な意志もさることながら、深い見識と謙虚な人柄が伝わってくる。真の政治家を仰ぎ見る思いがした。往復書簡を会話形式に直した箇所もあるため、少々読みにくく難解なところもあるが、未来を見据えた“明るい展望”を語る議論に救われる思いがする。

第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 第三次中東戦争は「六日戦争」とも呼ばれ、わずか6日間の戦闘でイスラエルは占領地域を4倍にまで拡大した。


 すべてが変わったのは、1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)からだ。誰に聞いても、ザ・ホロコーストがアメリカ・ユダヤ人の生活と切っても切れないものになったのはこの紛争後のことだという意見がほとんどだ。標準的な説明では、この変化は、六月戦争におけるイスラエルの極度の孤立と脆弱さがナチによる絶滅計画の記憶を蘇らせたため、とされている。しかし実際は、この分野は当時の中東における力関係を表わしてはいないし、アメリカ・ユダヤのエリートたちとイスラエルの間の深まりゆく関係の本質も伝えてはいない。

 主だったアメリカ・ユダヤ人組織は第二次世界大戦後、冷戦でのアメリカ政府の優先事項に従ってナチ・ホロコーストを軽視した。そしてそれとまったく同じ理由から、イスラエルに対する姿勢についても、彼らはアメリカの政策と歩調を合わせたのである。アメリカ・ユダヤのエリートたちは最初、ユダヤ人国家というものに根深い不安を抱いていた。その最たるものは、ユダヤ人国家が「二重の忠誠心」という嫌疑を裏付けることになるのではないかという恐れだった。(※イスラエルは国家成立後、西側陣営に加わったものの、イスラエル指導層のほとんどが東ヨーロッパ系の左翼であったため、ソヴィエト陣営につく懸念を払拭できなかった。当時はアメリカもイスラエルとは距離を置いていた)


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/立木勝訳(三交社、2004年)】


 中東におけるイスラエルと、極東における日本は地政学上無視できない位置にあるという点で似ている。しかしながら決定的に異なるのは、日本人が黄色人種であることだ。日本にとっての外交はアメリカが大半を占めているが、アメリカにとっての日本は数多い同盟国の一つに過ぎない。


 第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的な勝利を収め、米国のユダヤ・エリートは同盟関係を深めることに全力を注いだ。アメリカという国は、「世界の警察」というよりは、「暴力にものを言わせるボス」という存在だが、民主主義の宗主国である以上、世論を無視することは絶対にできない。そこで、自分達が描いた物語に誘導するべく、情報操作が始まる。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

『穴 HOLES』ルイス・サッカー


 全米で350万部も売れたベストセラー。小中学生向けの作品。こういう本が読まれているのだから、やはりアメリカは侮れない。


 先祖代々不運に見舞われてきた家に生まれた主人公が、やはり不運によって少年院へ入る羽目となる。少年院は砂漠の真ん中にあり、毎日穴を掘る作業を命ぜられる。これがジャブとなっている。なぜ、穴を掘っているのかがわからないから、否応なく引きつけられてしまうのだ。


 カットバックで先祖の物語が加わり、重層的な展開となる。


 だが、そんな呪いの話など、エリャは気にもとめなかった。まだ15歳だ。「未来永劫」と言われたって、火曜日から1週間と言われたのと大差ない。それに、エリャはマダム・ゼローニが大好きだった。喜んで山へ連れていくつもりだった。


【『穴 HOLES』ルイス・サッカー/幸田敦子訳(講談社、1999年/講談社文庫、2006年)】


「呪い」というのは占い師の脅し文句だった。子供の気分を上手く捉えている。


 決して安易な成長譚ではない。主人公の少年はいじめられっ子で、最初から最後まで臆病なままだ。また、それほど荒唐無稽なストーリーでもなく、オチも予想がつく。それでも、この作品に引き込まれるのは、「物語の語り口」が優れているからだろう。落語のような味わい深さがある。


穴 (ユースセレクション) 穴  HOLES (講談社文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-08-29

悪しき「私化」の進行/『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄


 サブカルチャーから読み解くジェンダー論といった内容。軸足がジェンダー論にあるため難解な点もあるが、アニメや漫画に言及することで身近な問題として考えることができる。


 以下は、石原慎太郎のテキストに対して賛否両論を示した件(くだり)――


 私流に言い替えれば、公共圏・共同性を欠いた悪しき意味での「私化」が進行しているのである。公共圏・共同性が求められているのは確かだと思う。しかし、現在の「私化」は、旧来の公共圏・共同性が若い世代に通用しなくなったことを背景として生じているのであり、いま求められているのは新たな公共圏・共同性ではないだろうか。それなのに石原(慎太郎)は、忠臣蔵物語を持ち出すことによって、若い世代にはもはや通用しなくなった「滅私奉公」の世界を復活させようとしているのである。

 公共圏・共同性のモデルとして、忠臣蔵という近代日本の覇権的男性性を持ち出すことは、ポストモダン状況においてはアナクロニズム以外の何ものでもない。


【『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄(風媒社、2005年)】


“悪しき意味での「私化」”というのは秀逸なキーワードだ。現代社会には「共通の物語」が欠如していることを見事に表していると思う。


 ただ問題は、私化=価値観の多様化という背景を踏まえた上で、果たして「公共圏・共同性」を築くことが可能かどうかである。一旦バラバラに散ったものを、再びまとめることは難しい。


 確かに『忠臣蔵』で若者を糾合することは無理がある。多分、石原慎太郎は封建主義が好きなだけだろう。私に言わせれば、「短気な主に仕えた不幸な家臣の物語」にしか見えない。


 価値観を支えているのは物語性である。とすると、新しい物語はアニメや漫画から生まれる可能性が高い。おじいさんやおばあさんから教えてもらった話ではないことだろう。


 新しい共同性は、マーク・ブキャナンが言うところの「弱い絆」=緩やかな関係性、になるはずだ。そうでなければ、何らかの強制性が働くことになる。


 誰もが憧れるヒーロー像を描くのは、極めて困難な時代である。多用なモデルがあってしかるべきだ。

男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学

山口創


 1冊読了。


子供の「脳」は肌にある 山口創/具体的な「心と身体」論。幼児期におけるスキンシップが脳や心にどのような影響を及ぼしているかが、よく理解できる。私はベランダ人なので、皮膚感覚の大切さは十分自覚している。上半身裸で太陽の光を浴びていると、わずかな風の動きや、邪悪な紫外線を感じることができる。やや根拠が明らかでない記述もあるが、秀逸な身体論といってよい。付箋だらけになってしまった。

2008-08-28

住宅情報館


 住宅情報館の「アガツマ」という女性から営業電話あり。コンプライアンス上の問題を指摘したところ、「現在、販売期間ではないため、販売目的ではありません」とのこと。「大体だな、そんな物言いがおかしいことに気づかないのか? 不動産屋がどうして“販売しない期間”を設けているんだ? その間、営業の連中は何をやってんだよ!」と怒鳴りつけると、「もういいです」と切れた。


 テレアポの経験は少ないということだったので、詳細情報は確認しなかったが、いずれにしても住宅情報館の企業姿勢は好ましくない。多分、コンプライアンスのコの字も知らないのだろう。

巧みな介護の技/『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎


 DVD付き。岡田慎一郎古武術を利用した介護を提唱したエキスパート。古武術甲野善紀に師事している。介護にありがちなのは、介護している側が要介護者の体位移動で腰を痛めることである。同居家族やヘルパー、はたまた看護師に至るまで腰痛を抱える人は多い。疲労はそのままストレスとなる。こうなると、三好春樹が説くところの「関係障害」になりやすい。


 体位変換の基本は力を入れずに行うことだ。基本は要介護者の身体を小さくまとめること。例えば、寝た状態から→胸の上で腕を交差してもらう→両膝を立てる、たったこれだけのことだが、指一本で立てた膝の横を押すと、身体は横に転がるのだ。試しに家族でやってみるといい。シーツ交換をする時の基本だから覚えておいて損はない。


 岡田慎一郎古武術介護で特筆すべきことは、「キツネさんの手」と「手のひら返し」だ。


 まず、立っている人を後ろから抱え上げてください。何も考えずに普通にやると、腕をまわしてギュッと握ると思います。もしかすると、より相手と密着できるように、手首を握る持ち方をする人もいるかもしれません。しかし、いずれにしてもかなり筋力を使用するやり方で、体重があるとだんだん厳しくなってくると思います。

 ここで、古武術的な一工夫を加えます。両手をぐっと握るのではなく、中指と薬指で「キツネさんの手」を作り、互いにひっかけ、そのまま、腕には力を入れずに相手の身体を自分の身体に乗せるように抱え上げます。

 ……いかがでしょうか? 常識で考えれば、しっかり力を入れて握ったほうが安定するし、力も効率的に伝わりそうですよね。でも、実際にやってみると、こちらのほうが相手の身体を楽に持ち上げることができるのを実感いただけたのではないでしょうか。

 この方法の威力を強く実感した出来事をご紹介します。

 NHKの『課外授業 ようこそ先輩』という番組に甲野善紀先生が出演されたとき、その収録現場でアシスタントとして小学校5年生の女の子にこの方法を教えたところ、当日のゲストで183cm92kgもあるスポーツ指導者の方を軽々と持ち上げてしまったのです。持ち上げたのは3名で、みな体重40kgにも満たない女の子でした。


【『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎(医学書院、2006年)】

 こうした実践的な介護手法は開発されているとは言い難く、レスリングや柔道などは、いくらでも応用可能だと思われてならない。


 いずれにせよ、超高齢社会となるのは時間の問題である。介護を必要とする人々は増え続け、他人事では済ませられなくなることだろう。力任せの介護は長続きせず、要介護者に与える負担も大きい。本書が介護現場に光を射す知恵であることは確かだ。

 また古武術ではないが、こんなやり方もある。


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古武術介護入門[DVD付](古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する)

残酷なまでのユーモアで階層社会の成れの果てを描く/『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル


 階層社会におけるエントロピー増大の法則といった内容。教育学博士であるローレンス・J・ピーターが編み出した法則とは以下のもの――


 階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能のレベルに到達する。


【『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル/渡辺伸也訳(ダイヤモンド社、2003年)以下同】


 やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる。


 仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行なわれている。


 管理職が無能な理由が明快に解き明かされている。人間には無限の可能性が秘められているが、不特定多数の人々は人間には限界があることを雄弁に物語っている(笑)。文章にするとピーターの法則は、悪い冗談のように思えるが、極めて数学的な概念である。社長や代表取締役までの段階は数える程度しかないものの、サラリーマンにとっては無限に続く階段のようなものだろう。


 この世に生を享けた以上、人は必ず老いる。太陽も必ず沈む。その意味でローレンス・J・ピーターが奨励する“創造的無能”は、太陽を正午の時間で止めてしまうような無謀さを露呈している。しかしながらその本意は、欲望に任せて昇進を遂げるよりは、自分の才能を発揮しながら楽しい人生を歩むよう促しているのだろう。


 パオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』と併せて読めば、社会学の天才になれるかもよ。

ピーターの法則

スイス『核の闇資料破壊』 米の圧力説浮上 米紙報道


 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は25日、「核の闇市場」の鍵を握るとされるスイス人が米国のスパイだった、と報じた。米当局は、この人物からリビアやイランの核開発をめぐる重要な情報を得る一方、スイス当局の訴追からかばうため、スイス側に重要データの破壊を働きかけた疑いが浮上しており、闇市場解明の足かせとなっている。

 問題の人物はスイス東部に住むフリードリヒ・ティネル氏(71)。

 同紙によると、氏は真空技術の専門家で、30年来、パキスタンの核開発の中心人物カーン博士に協力し、博士が構築した闇市場にかかわった。米中央情報局(CIA)は2003年に同氏に接触。協力を取り付けた。既に同氏の息子も協力者にしており、一家には計1000万ドル(約11億円)が支払われたという。実際、同氏らからの情報をもとにリビアへの遠心分離機密輸を阻止。リビアの核兵器計画放棄につながったとされる。

 しかし、同氏は04年、禁輸品取引の疑いでスイス当局に逮捕され、暗号データから小型核兵器の設計図が発見。弾道ミサイルに搭載可能で、イランや北朝鮮に流れた可能性もある。捜査上の重要な証拠にもかかわらず、07年にスイスは国際原子力機関IAEA)の立ち会いのもとにデータを破壊。核拡散防止条約(NPT)上の措置とされたが、証拠を失ったことで訴追は困難となった。

 同紙は、事件の扱いをめぐりスイス司法当局と米情報当局が協議していたとも報道。破壊されたデータには他のCIA協力者の情報も含まれていたとしている。

東京新聞 2008-08-26】

2008-08-27

ノーム・チョムスキー


 1冊読了。


メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会ノーム・チョムスキーチョムスキー作品を読むのは『9.11 アメリカに報復する資格はない!』以来のこと。活字の向こうから、微動だにしない知の巨人といった風貌が浮かんでくる。私がチョムスキーをあまり読んでこなかったのは、ジョン・コールマン著『陰謀家たちの超権力構造 三百人委員会 ついに暴かれた秘密世界政府の“極悪”正体!』に、チョムスキーが300人委員会のメンバーの一人であることが書かれていたため。この手の情報は確認しようがないから困ったもんだ。尚、チョムスキーはノーマン・G・フィンケルスタインの議論を支持している。結局、氾濫する情報の波の中で、何をどう読み解いて、自分の世界観を構築するかということが問われているのだ。チョムスキーの意見に賛否を示すのは誰にでもできる。そうではなく、世界観の枠組みを広げなければ意味がないだろう。情報というのは、最終的に「自分が何を信じるか」という次元で決着がつく。自分を正当化するために、情報を利用したり悪用するのが人の常であるが、そうした態度を拒否することをチョムスキーは教えてくれる。

2008-08-26

相手の痛みを理解できない子供達/『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香


 軽度発達障害の子が増えていると聞く。意思の疎通が難しいと、犯罪の要因ともなりかねない。こうした徴候の目立つ少年を、見事に教育している宇治少年院のルポ。我が子に対して「ちょっと変わっているな」と思ったことのある親御さんには是非読んで欲しい一冊だ。教育関係者は必読。


「自分が殴られているときは痛かったですよ。もちろん。殴られて血が出て、つらかった。でも自分が殴っている相手が痛いと思っているとは思わなかった。全く思わなかったですね。だって、殴っている自分は痛くないし、自分が痛くないんだから、相手がどう思おうが興味なんかなかったというか、宇治に来るまで、相手の気持ちなんて考えたことはありませんでした。だって、自分がいじめられていたとき、だれ一人自分の気持ちなんか考えてくれなかったし、自分が痛かったとき、だれも自分が痛いとは思わなかったからやったわけでしょう。なのにどうして、自分が相手に暴力振るうときは、相手が痛いかどうか考えるんですか?」

 そう一気に言って、タダシは、はあ、とため息をついた。

 私には言うべき言葉がなかった。思いつくのは陳腐な正論で、それもここでは無意味のように思えた。

 じゃあ、相手が痛いかどうかって関係ないんだ。そう言って、タダシを見た。タダシは笑った。

「前はね。相手の気持ちには興味なかったっすから。ここに……宇治に来るまで自分の考えは正しいとずっと思っていました。でも、ここに来てそれが間違いだったと思うようになったんです」


【『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香(中央法規出版)】


 親の愛情が足りないと、脳の発達が阻害される。赤ん坊はその全てを受け入れてもらわねば、安心して人生を歩むことができない。愛情といっても特別なことではない。ハイハイが出来たり、立つことが出来れば、褒めちぎる。いないいないばあなど、赤ちゃんの興味を引くことをする。何にも増して肌を触れ合うことが大切だ。


 人間扱いされてこなかった赤ん坊は人間になれない。彼等は「人間として愛されること」をひたすら待っているのだ。もちろん、どうしようもない親が存在する以上、誰かが愛情を注ぐしかない。宇治少年院と出会った少年達は幸せな部類に入るだろう。


【※当初、「人間扱いされてこなかった赤ん坊は人間になれない。人の形をした未人間の状態こそ、軽度発達障害ではないだろうか」と書いたが、差別的な表現となっていたため削除した】

心からのごめんなさいへ―人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦

2008-08-24

チャンドラー・バール、アレックス・シアラー、ルイス・サッカー、苫米地英人


 2冊挫折、2冊読了。


匂いの帝王 天才科学者ルカ・トゥリンが挑む嗅覚の謎』チャンドラー・バール/妙なテンションの高さが、どうしても肌に合わない。巻頭の「謝辞」を読んだだけで嫌な予感がした。予感的中。撃沈。


青空のむこう』アレックス・シアラー/小学生高学年向け。交通事故で死んでしまった少年の“あの世の物語”。狙いは悪くないんだが、余計な文章が多過ぎる。途中をすっ飛ばしてラストを読んだが、見事なまでの予定調和。ありきたり過ぎて、子供を馬鹿にしているのかと思ったほど。毒のない童話というレベル。


』ルイス・サッカー/これまた小学生高学年向け。全米で350万部を売り上げた作品。こりゃあ、確かに面白い。無実の罪で少年院に送られたスタンリー・イェルナッツは、毎日毎日穴を掘らされる。先祖代々運に見放され、デブといじめられていた少年が少しずつ逞しくなってゆく。カットバックで先祖の物語も交えられ、ラストで縦糸と横糸が結び合う。際立った展開ではなく、物語という確立した世界観で勝負している。続編の『』も読んでみたい。


スピリチュアリズム苫米地英人/苫米地作品は初めて読んだ。特に文章が上手いわけではないのだが、途中から一気読み。公安から依頼を受けてオウム信者の洗脳を解いた著者が、現在のスピリチュアルブームに警鐘を鳴らしている。江原啓之のことを「自分探し君」と徹底批判。後半の仏教論に私は完全にハマってしまった。「ひょっとして、苫米地に洗脳されているのかも」と思ったほどだ。

米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 第二次世界大戦後、米ソの冷戦構造が世界を支配した。アメリカでは反共ヒステリーともいうべきマッカーシズム旋風が吹き荒れ、赤狩りに血道をあげた。米ユダヤ人組織は、反共の旗幟(きし)を鮮明にして同胞であるユダヤ人をも生贄(いけにえ)として差し出した。


 アメリカ・ユダヤのエリートたちのあいだで最終的解決の話題がタブーだったのには、もう一つ理由がある。左翼のユダヤ人が、冷戦でドイツと同盟してソヴィエト連邦と対峙することに反対で、こちらはナチの問題を持ち出すことをやめなかったからである。ナチ・ホロコーストの記憶は共産主義の理想と結びついた。ユダヤ人と左翼を同一視するステレオタイプの見方に縛られて――実際に1948年の大統領選挙では、進歩派候補ヘンリー・ウォーラスの得票数の3分の1はユダヤ人によるものだった――アメリカ・ユダヤのエリートたちは躊躇なく、同胞のユダヤ人を生贄として反共産主義の祭壇に捧げたのである。危険分子と疑われたユダヤ人の名簿を政府機関に提供することで、AJCとADLは積極的にマッカーシーの魔女狩りに協力した。AJCはローゼンバーグ夫妻の死刑を容認する一方で、月間機関誌『コメンタリー』に、夫妻は「本当の」ユダヤ人ではないという社説を掲載した。

 国内外の左翼とつながっていると見られることを恐れた主流ユダヤ人組織は、反ナチだったドイツ社会民主党との協力にも反対し、ドイツ製品の不買運動や元ナチ党員の合衆国入国に反対する大衆デモへの協力までも拒んだ。その一方で、プロテスタント牧師で反ナチ運動の指導者だったマルティン・ニーメラーは、ナチ強制収容所で8年を過ごし、当時は反共産主義運動に参加していたにもかかわらず、訪米中にアメリカ・ユダヤの指導者たちから誹謗中傷された。ユダヤのエリートたちは、自分たちの反共姿勢の信用度を上げようと躍起になり、ついには「共産主義と闘う全米会議」のような右翼過激派組織に参加して財政的に支えるようになり、ナチ親衛隊の元隊員の入国も見てみぬふりをしたのである。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 訳文が拙く、途中でわかりにくくなっているが、米国内で極右の立場になることで保身を図ったのだろう。「だが、なぜ?」という疑問が湧いてくる。そこまで、ユダヤ・エリート達が臆病にならざるを得なかった理由は何なのか?


 ただ、共産主義者という新たなスケープゴートが狩りの対象となったことで、ナチスによる迫害の記憶がまざまざと甦ったことは容易に想像がつく。人類の歴史はいつだって犠牲者を必要としてきた。暴力という本能をいまだにコントロールできないところを踏まえると、人類の宿命と言っていいのかも知れない。


 ユダヤ人にとっては、率先して赤狩りに取り組むことが、自分達にとっての保険だったのだろう。ただし、このことがユダヤ人組織に限られたことかどうかは確認する必要がある。狂った風が吹けば、身を屈めてじっとしているか、風に吹かれてよろけるのが人の常。殊更、非難すべきこととは思えない。


 米国のユダヤ・エリートが大博打を打つのは、もう少し後のことである。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

2008-08-23

熊田一雄


 1冊読了。


男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学熊田一雄愛知学院大学の助教授が書いた“サブカル・ジェンダー論”ともいうべき一冊。門外漢には濃過ぎる内容で、「やおい」から「百合」までフォローされている。各章の冒頭にある「ノート」はいずれも興味深いテーマだ。内観サークル系宗教運動の「エルランティの光」や大本教出口王仁三郎が取り上げられていて、サブカルチャーとしてのアニメに対して、カウンターカルチャーとしての宗教と捉える可能性を示しているように感じた。まあ、とにかくてんこ盛りだ。ジェンダー論に関して私は、いささか腰が引ける。広くジェンダー論全般に言えることだが、とにかく「非」や「反」の付く名詞が多くてわけがわからなくなる。前原政之さんあたりに書評してもらえば面白そう。


 尚、余談になるがAmazonで検索すると『“男らしさ”という病?』と表記されているため、『男らしさという病』ではヒットしない。表紙は『男らしさという病』になっているが、巻末データでは『〈男らしさ〉という病』になっている。ネットで販路を拡大しようとするなら、タイトルに記号を盛り込むことは避けるべきだろう。尚、Amazonへは私の方から意見しておいた。




 Amazonから早速、返事があった(2008-08-23)――


 このたびは、当サイトの商品詳細ページの記載に誤りがあり、ご不便をおかけしたことをお詫びいたします。

 お問い合わせの商品『“男らしさ”という病? ポップ・カルチャーの新・男性学』の情報を出版社サイトにて確認いたしましたところ、『男らしさという病?』という表題が正しいものだと判明いたしました。お客様にはご不便をおかけいたしましたことを重ねてお詫び申し上げます。

 ご参考に出版社サイトをご案内いたしますので、ご確認いただければ幸いです。

 お客様からご指摘いただきました件につきましては、担当部署で内容を再度確認の上、修正いたします。修正内容が詳細ページに反映されるまでには時間がかかる場合があります。恐れ入りますが、詳細ページの内容が修正されるまで、いましばらくお待ちくださいますようお願いいたします。なお、当サイトでは、修正完了のご連絡はいたしておりませんので、お手数ですが、後日サイト上で修正内容をご確認くださいますよう、あわせてお願いいたします。

 お忙しいなか、ご連絡をいただき、ありがとうございました。

 Amazon.co.jpのまたのご利用をお待ちしております。

戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 生きてゆくためなら利口になる必要がある――それを否定する人は少ないだろう。しかし、功利主義は時に善悪を見失い、いつしか我が身を狡猾さで染めてゆく。まして歴史を改竄(かいざん)するともなれば、後世の人々を嘘で惑わす結果となる。これほどの巨悪はあるまい。


 ナチのユダヤ人絶滅計画が公の場で語られなかった本当の理由は、アメリカ・ユダヤ指導者層の体制的順応政策と、戦後アメリカの政治風土だった。国内問題でも国際問題でも、アメリカ・ユダヤのエリートたちは、アメリカ当局の方針に忠実に従った。そうすることで、同化による権力への道という伝統的な目標が実際に促進された。冷戦が始まると、主流ユダヤ人組織もこの争いに飛び込んでいった。アメリカ・ユダヤのエリートたちがナチ・ホロコーストを「忘れた」のは、ドイツ(1949年からは「西ドイツ」)が戦後アメリカの重要な同盟国となり、アメリカとともにソヴィエト連邦と対峙するようになったからだ。今さら過去をほじくり出しても何の役にも立たないばかりか、問題を複雑化するだけだった。

 わずかな留保条件を残したのみで(それでもすぐに破棄された)、主だったアメリカ・ユダヤ人組織はすぐに政府方針に従い、ほとんど脱ナチ化していないドイツの再軍備を支持した。アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)は、「新方針および戦略的アプローチに対して組織的に反抗すれば、アメリカのユダヤ人は多数派を占める非ユダヤ人から孤立してしまい、戦後国内で達成してきた実績が危うくなる」として、まっ先にドイツとの再同盟の利点を説いた。シオニズム推進派の世界ユダヤ人会議(WJC)とそのアメリカ支部は、始めはこの方針に反対していたが、1950年代初めにドイツとの補償条約が調印されると反対をやめた。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 ユダヤ・エリートはアメリカの国策に従う道を選んだ。そのこと自体を私は批判するつもりはない。アメリカはユダヤ人国家ではないのだから、必要以上の軋轢(あつれき)を避けたと見ることもできよう。問題は、戦後のこうした事実を隠蔽(いんぺい)して、後出しじゃんけんのようにホロコーストを糾弾したことだ。


 もしも全てが、最初から練られた戦略であったとするならば、ユダヤ人恐るべしとしか言いようがない。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

2008-08-22

ルワンダ大虐殺にフランス政府が加担、ルワンダ政府が報告書


 ルワンダ政府は5日、1994年のルワンダ大虐殺にフランスが積極的に加担したとする報告書を発表した。報告書は、フランスの複数の政治家や軍幹部の氏名を挙げ、彼らは訴追されるべきとしている。

 500ページにも及ぶ報告書は、フランス政府が大虐殺への準備が進んでいることを事前に察知し、虐殺の計画に加担し、虐殺に積極的に参加したと主張している。また、虐殺にかかわったとするフランスの大物政治家らの氏名を挙げ、2国間関係はさらに悪化することになるだろうと指摘している。

 この報告書が発表されたあと、ルワンダ司法省は、「フランス軍は、ツチ人(Tutsi)とフツ人(Hutu)穏健派の殺害に直接手を下し、ツチ人への複数のレイプも行った」とする声明を出した。

 ルワンダは、大虐殺の引き金となった1994年4月のルワンダのハビリャマナ(Juvenal Habyarimana)大統領(当時)暗殺の容疑でポール・カガメ(Paul Kagame)現大統領の側近9人をフランスが国際手配したことから、2006年11月にフランスとの国交を断絶している。

 報告書は、虐殺にかかわった人物として、当時首相だったフランスのエドゥアール・バラデュール(Edouard Balladur)氏、当時外相だったアラン・ジュペ(Alain Juppe)氏、当時ジュペ外相の側近を務めのちに首相となったドミニク・ドビルパン(Dominique de Villepin)氏、当時大統領だったフランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)氏(1996年に死去)ら13人の政治家、20人の軍幹部の氏名を挙げている。

 フランス政府は、この報告書について、内容が正当性と公平性に欠けるとして、コメントを避けた。

 あるフランス国防省のスポークスマンは、報告書はフランスの関与に関する証拠を寄せ集めたに過ぎず、「独立性と公平性」に欠けるとの談話を発表した。さらに、2006年11月に国交が断絶されたため、ルワンダ当局がフランス国内で尋問を行うことは合法ではなくその権限もないと指摘した。

 フランスは、ルワンダで「誤り」を犯したことは認めているが、虐殺に対する責任は一切否定している。

 国連(UN)は、1994年のルワンダ大虐殺で、少数派のツチ人とフツ人穏健派合わせて約80万人が殺害されたと推定している。


【AFP 2008-08-06】

ルワンダ大虐殺の報告書、元仏大統領らの関与を指摘


 ルワンダ政府は5日、1994年4-7月に80万人が犠牲になった大虐殺の報告書を発表し、故ミッテラン元大統領やドビルパン元首相など、当時のフランス当局者が関与したとの見解を示した。フランス外務省は報告書の内容を検討中だとして、今のところコメントを控えている。

 ルワンダ政府や虐殺を免れた人々の組織は、虐殺を主導したフツ族強硬派民兵組織や当時の政府軍を訓練し、武器を提供したとして、これまでにも度々フランス政府を批判してきた。しかし今回の報告書にはこれまでで最も詳細な記述があり、当時のフランス当局者を名指しで非難している。

 虐殺ではフツ族民兵組織が、少数派のツチ族やフツ族穏健派を標的にした。ルワンダ法務省の調査チームがまとめた報告書は「ツチ族や、ツチ族をかくまっていたフツ族の暗殺に、フランス兵は直接関与していた」と明言しているうえ、フランス兵がツチ族女性などに対する婦女暴行事件を多数起こしていたと述べている。最後の部分では、虐殺を「政治および軍事、外交、後方支援」の面でほう助したとして、ミッテラン氏やドビルパン氏ら十数人のフランス当局者を挙げている。

 ルワンダのカルガラマ法相は、実行する計画は今のところないとしたうえで、報告書を基に個人もしくは国家を訴追する可能性を示唆した。

 フランス当局は、フツ族民兵への支援や支持は行っていないと繰り返し否定。同国議会の委員会は98年、ルワンダ大虐殺について免責を決議した。しかし議員団はフランスが90-94年、外交および軍事面で当時のルワンダ政権を支援したと指摘している。


【CNN 2008-08-08】

ルワンダ政府報告書「大虐殺にフランスの政治家ら関与」


 80万人が犠牲になったとされる94年のルワンダ大虐殺に、当時部隊を派遣していたフランスの政治家らが積極的に関与したとする報告書が5日、ルワンダ政府によって発表された。AFP通信などによると、故ミッテラン元大統領やバラデュール元首相ら、当時の仏政府首脳らが名指しで非難されている。

 大虐殺は、多数派のフツ族民兵などが、少数派のツチ族や穏健派のフツ族を襲撃して起きたとされる。仏政府は90年からのルワンダ内戦で、自国民保護による派兵やフツ族中心のルワンダ政府への武器供与などを行っていた。

 120人の目撃証言に基づく報告書は、仏軍兵士が殺人やレイプに直接かかわったほか、民兵側の路上検問を黙認するなど、政治的・軍事的に支援したとしている。その責任者として、ミッテラン氏ら政治家と軍関係者計33人の名前が列挙されている。

 94年4月の故ハビャリマナ・ルワンダ大統領(当時)の搭乗機撃墜事件をめぐり、仏捜査当局は04年、ルワンダのカガメ現大統領が首謀者だったとする報告書をまとめている。これに反発して、ルワンダ政府が06年、仏政府の大虐殺での役割を調べるための特別委員会を設けたいきさつがある。ルワンダは06年11月にフランスと断交。ルワンダ政府はすぐには起訴手続きを取らないとしているが、今回の報告書で両国関係がさらに悪化することは必至だ。

 仏外務省は報告書を見ていないとして、コメントは出していない。


【朝日新聞 2008-08-06】

ルワンダ大虐殺:ルワンダ「仏関与」、仏政府「公平性欠ける」

 ルワンダ政府は5日、約100万人が犠牲となった「ルワンダ大虐殺」(94年)に関する報告書を発表。当時のフランス政府が積極的に虐殺に加担したとし、ドビルパン前首相や故ミッテラン大統領ら政治家13人と軍幹部20人の名を挙げ、訴追されるべきだと訴えた。AFP通信が伝えた。

 フランス司法当局は06年、ルワンダ大虐殺の発端とされる94年4月のハビャリマナ大統領(当時)搭乗機撃墜事件に関して、当時反政府勢力指導者だったカガメ現ルワンダ大統領が指揮したと認定。側近9人の逮捕状をとり、国際手配した。ルワンダはこれに反発し国交を断絶。今回の報告書も意趣返しの意味合いが強いとみられる。

 報告書は、仏政府が虐殺計画を事前に知りながら、実行した当時のルワンダ軍や民兵組織を指導するなどし、虐殺にも関与したと非難。ルワンダ司法省は「仏軍は、少数派ツチ人とフツ人穏健派の殺害に直接手を下した」との声明を出した。

 フランス国防省報道官はAFP通信に対し、「(報告書は)独立性と公平性に欠ける内容だ」と話した。


【毎日新聞 2008-08-08】

イエスは“感謝の人”だった/『キリスト教思想への招待』田川建三


 田川建三の威勢のよさは好きなんだが、論理の飛躍があるため、どうしても説教臭い印象を受けてしまう。また、同じ主張の繰り返しが目立ち、小うるせえ年寄りみたいだ。


 古代人が、心をふるわせて、一つ一つの収穫のたびに、この自然をたまわったことについて感謝していたことを、今、我々は思い出してみる必要があろう。彼らは、その自然を与えて下さった神様に感謝した。我々も、同様にその神に感謝しようではないか。神なんぞ存在しなくてもかまわないから。

 こういう感謝を最も素直に表現していたのは、イエスという男である。


【『キリスト教思想への招待』田川建三(勁草書房、2004年)】


 クリスチャンでありながら、あっけらかんと「神なんぞ存在しなくてもかまわないから」という物言いに思わず笑い声を上げてしまった。ただ、どうなんだろうね? クリスチャンってえのあ、やたらめったら「神への感謝」を強いられているので、どうも他人に対する感謝の念が乏しいように感じる。神様の方ばっかりじゃなくて、周囲の人々をよく見るべきだろう。


 キリスト教に対する疑問は以下の通り――

  • 神はどこにいるのか? 存在するなら座標を特定せよ。
  • 天地創造は1回きりだったのか? なぜ、追加作品がないのか?
  • アダムとイヴがリンゴを食べてしまったのは、神の製造責任ではないのか?
  • 神をつくった存在は考えられないのか?
  • キリスト教の歴史は、戦争と人種差別に彩られているがどう考えるか?
  • 右の頬を殴っても構わないか?

キリスト教思想への招待

2008-08-21

パトリック・ジュースキント


 1冊読了。


香水 ある人殺しの物語パトリック・ジュースキント/めくるめく「匂いの物語」。舞台は悪臭紛々たる18世紀のフランス。“匂いの魔術師”ともいうべき男の一代記である。芝居がかった言い回しに魅了される。『スカラムーシュ』『モンテ・クリスト伯』を思わせる。池内紀の翻訳が絶品。匂いのためとあらば人殺しも辞さない悪党が、万人を魅了してやまない匂いを創り出す。匂いのために犯される罪と、匂いのための求道というコントラストが鮮やか。ページを開いている間は、物語が奏でる至福の時を過ごすことができる。

並外れて優秀なマネジャーは伝統的なルールを破る/『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン


 秀逸なビジネス書。胡散臭いポジティブ思考が数多く出回っているジャンルだが、豊富なデータを緻密に検討している。それもそのはず、米国の調査会社ギャラップ社が8万人のマネジャーと100万人の従業員に行ったインタビューが基本データとなっている。ギャラップ社は既に世論調査の代名詞となった感がある。


 世界中の最も優秀と評価されているマネジャーのあいだいに共通点はほとんど見あたらない。性別、人種、年齢など、どれをとっても千差万別だ。実際の行動スタイルも違えば目標も異なっている。しかし、こうした違いはあってもただ一つ、並外れて優秀なマネジャーには共通点がある。それは、新しく何かを始めようとするときに、まず、伝統的常識であるはずのルールをことごとく打ち破っているということだ。


【『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン/宮本喜一訳(日本経済新聞社、2000年)】


 ビジネスマンからすれば「無理無理」という話になりそうだが、映画やドラマ、はたまた小説や漫画などを考えると理解しやすい。革新に破壊はつきものだ。『24 TWENTY FOUR』のジャック・バウアーなんぞは、その典型といっていいだろう。規則を踏みにじるのは“小さな悪”だが、“大いなる正義”のためには許容できる範囲なのだ。


 ポイントは「並外れて優秀なマネジャー」ということだ。規格外の大きさは、必ず組織の序列や枠組みからはみ出してしまう。それを正当化し得るだけの力量があるかないかが問われるのだろう。


 会社も組織も、新しい人が新しい歴史をつくる。管理下に置かれた人間が革命家になることはあり得ない。

まず、ルールを破れ―すぐれたマネジャーはここが違う

2008-08-19

環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人

「環境」というだけで善なる匂いが立ち込める。しかし、環境問題といっても気候変動といっても、高く掲げた大義名分とは裏腹の、政治的な罠が仕掛けられていた。帝国主義の立場から見れば、問題なのは環境ではなく有色人種だった。「反ホロコースト=善」という構図とそっくりだ。

「環境ファッショ」という言葉がある。「環境帝国主義」や「環境植民地主義」と同じく、過激で独善的な自然、環境、動物保護運動に対する表現である。この環境帝国主義の犠牲者は、アザラシと共に生きるイヌイットや、象の利用で潤うアフリカ民族以外にも、いくつも指摘できる。また捕鯨の禁止で伝統的食文化を奪われたのは日本人だけではない。韓国、トンガ、フィジー、アイスランド、カナダ、ブラジル、ペルーなどの人々も同じだ。

 日本はさらに、母船式サケ・マス漁業とアカイカ、カジキを対象にした公海流し網漁業も、環境保護団体のキャンペーンで禁止に追い込まれている。


【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】


 国際的な環境保護団体によるキャンペーンは、常に有色人種国家のみを糾弾してきた。こうした詳細が日本のマスメディアで報じられない事実を鑑みると、欧米に対して人種差別を指摘すること自体が日本の国益を損なうことになるのだろう。「日本側の主張は受け入れられなかった」という程度のソフトで簡潔な表現になっていることと思われる。もはや、ジャーナリズムに取材という文字はなく、記者クラブによる報道管制体制がきっちりと出来上がってしまっている。


 米・英・仏といった第二次大戦戦勝国がいまだに敗戦国を虐げている。「国際連合」と翻訳された機関の本当の意味は「連合国」(United Nations)であり、敗戦国はいつまでたっても常任理事国にはなれない。ルワンダに至っては、国連とアメリカによって完全に放置された。その結果、わずか3ヶ月あまりで100万人ものツチ族が殺戮される羽目になった。

動物保護運動の虚像―その源流と真の狙い

誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 迷信・誤信のメカニズムを微に入り細を穿(うが)って解き明かしている。思考回路に何らかの変化が訪れることは確実だ。情報化社会における迷信・誤信は、人生の舵取りを誤る可能性がある。人間心理を鋭く洞察した本格的な一冊である。


 以上から明らかなように、多くの誤った考えはもっぱら認知的な原因によって生じてくる。つまり、情報を処理したり結論を引き出したりする能力の不完全さによると考えられる。言い替えれば、「そう思いたい」というような心理的欲求を満足させるために誤った考えを持つのではなく、得られた事実に最もうまくあてはまる結論として導き出されたものが、結果的に誤った考えとなってしまうのである。ロバート・マートンの言葉を借りれば、人々がそうした信念を持つのは「自分自身の体験からこう結論せざるを得ない」と考えるからである。誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである。


【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ/守一雄、守秀子訳(新曜社、1993年)】


 全体的に訳文がよくないが、それを補ってあまりある内容。3分の1ほど進めば後は一気読みだ。このテキストのポイントは、「人間は合理性を求めるがゆえに、異形のジグソーピースであっても無理矢理はめ込む」ことである。つまり、“知識”という名の世界地図に余白があればあるほど、違う形のジグソーピースが紛れ込む可能性が高くなる。


 更に、情報の可塑性(かそせい)についても考えざるを得ない。同じ情報であっても受け手次第で変質することがよくある。人は、自分にとって都合のいい情報、都合のいい解釈、都合のいい関連づけをするからだ。


 悪質商法まがいの情報が氾濫する現在、我が身を守るためにも本書を精読すべきである。

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 信じ難い話である。捏造された歴史が、蜘蛛の巣さながらに後世の大衆をからめ取る。身動きのできない我々は嘘を信じて生きる他ない。本物の知性とは、我が身を飾る最新情報などではなく、人々の蒙を啓(ひら)かしめる光を伴っている。ノーマン・G・フィンケルスタインの勇気が「知は力」であることを雄弁に物語っている。


 しかしごく最近まで、ナチ・ホロコーストがアメリカ人の生活に登場することはほとんどなかった。第二次世界大戦終結から1960年代の終わりまで、このテーマを取り上げた書籍や映画はほんのわずかだったし、この問題を扱う講座のある大学は合衆国中で一つだけだった。1963年にハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』を出したとき、引用できる英語の研究書は、ジェラルド・ライトリンガーの『最終的解決』とラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の二つしかなかった。そのヒルバーグの名著にしても、やっとのことで日の目を見たものだった。コロンビア大学でヒルバーグの論文指導をしたフランツ・ニューマンはドイツ系ユダヤ人だったが、「君は不幸になる」と言って、この問題で論文を書くことを何とか思いとどまらせようとした。原稿が完成しても、どこの大学や大手出版社も手をつけようとしなかった。ようやく出版にこぎつけたが、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』はほとんど注目されず、たまに取り上げられても批判的なものがほとんどだった。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


「歴史」とは、「言い伝えられるもの」であり「教わるもの」だ。ここに歴史の危うさがある。古(いにしえ)の権力者は自らの正当性のために“勝手な物語”を創作してきた。つまり、歴史の書き手はいつの時代も政治家であった。歴史の嘘を見破るためには、「検証できないものを拒絶する」強靭なまでの知性が求められる。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

2008-08-17

極端な集中が国家を崩壊する/『2010年 資本主義大爆裂! 緊急!近未来10の予測』ラビ・バトラ


 前々から読みたかった一冊。ラビ・バトラといえば、ややトンデモ本っぽい印象を抱いていたのだが、経済学博士だけあってさすがに分析はしっかりしている。ヒンズー教徒としての瞑想にも触れているが、目くじらを立てるほどではあるまい。米国ではいずれの作品もベストセラー入りしている。数々の予言を的中させているが最も有名なのは、「どんなに遅くとも2000年までに共産主義は断末魔の苦しい革命を経て崩壊し、2010年までに資本主義は崩壊する」というもの。


 ここで明らかにしておきたいのは、共産主義も資本主義も、崩壊の引き金となるのは「極端な集中」だということだ。


【『2010年 資本主義大爆裂! 緊急!近未来10の予測』ラビ・バトラ/ペマ・ギャルポ藤原直哉訳(あ・うん、2008年)】


 あまりにも基本的な指摘に目からうろこが落ちる思いがする。結局のところ、税の目的である所得の再分配が上手くいってないところに問題の根っこがあるのだろう。


 例えば、昨年の夏まで日本経済は緩やかなカーブを描いて成長していたはずだ。輸出もそれなりに順調だったと記憶している。だが、働くサラリーマンの賃金の上昇にはつながらなかった。では、企業の利益はどこへ行ったのであろうか? 多分、企業の内部留保になっているのだろう。サブプライム・ショックに端を発し、昨今の原材料高騰がダブルパンチとなって、先の見通しがつかない。その上、銀行がまたぞろ貸し渋りし始めた。


 経済成長が覚束なければ、マネーの動きは鈍る。こうなると、血液の循環が鈍くなった身体と同じだ。手足の指先が冷え込み凍傷が起こる。社会保障費のカットはまさしく“凍傷”そのものだ。


 グローバリゼーションの波に流されることなく、国内でマネーが循環する仕組みを考える必要がある。また、国家や業種といった枠組みで、現物商品高騰に対するヘッジとしての投資活動行うことも必要だ。


 いずれにしても、この国の政治が変わらない限り、何も始まらないことだろう。所得の再分配が上手くいってないのは、政治が利権に侵されている証拠である。

2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測

誇張された歴史を生還者が嘲笑/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 ナチス・ドイツの強制収容所を体験した人は、確実に真実の一部を知っている。歴史家の仕事は、部分的な真実をつなぎ合わせ、全体像を再構築することであろう。しかし、ホロコーストの全体像は歴史家の手によって“新しい物語”を創作された。


 私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関心を示さなくなっていた。父の親友にアウシュヴィッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理想主義者で、戦後のドイツから補償金も信念に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」の館長になった。父は心から失望し、なかなか認めようとしなかったが、最後にはこう言った――あいつもホロコースト産業に買収された、権力と金のために信念を曲げたのだ、と。ザ・ホロコーストの演出が一層ばかげた形を取るようになるにつれ、母は皮肉を込めて、「歴史など戯言だ」というヘンリー・フォードの言葉を引いた。わが家では「ホロコースト生還者」の話はどれもこれも――収容所にいた者やレジスタンスの英雄の話もすべて――特殊な、捻れた笑いの種になった。ジョン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 最大の問題は、ホロコーストが神聖化され、一切の批判を封じていることだ。その陰でホロコーストの犠牲が拡大再生産されてゆく。


 第二次世界大戦が終了したのは1945年。あと数十年経てば、戦争を体験した人はこの世からいなくなる。そこで再び、歴史の修正、捏造(ねつぞう)、創作が行われることだろう。政治の目的とは、歴史をでっち上げることなのかも知れない。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

2008-08-16

風が秋の気配を運ぶ


 まだまだ暑い日が続くが、風は秋の気配を告げている。「夏の死」が近づきつつある。そこはかとなく“もののあはれ”を感じる。時は、生と死が交錯しながら進んでゆく。

産経新聞特別取材班、後藤健二、若桑みどり、ローレンス・J・ピーター、森巣博


 1冊挫折、4冊読了。


エシュロン アメリカの世界支配と情報戦略』産経新聞特別取材班/2001年初版ということもあって情報の鮮度が落ちる。退屈な事実を羅列していて、面白くない新聞記事みたいだ。知り得る事実が少なかったためと思われるが、それを汲んでも物語を構成できていない。3分の1まで到達できず。


ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二/シエラレオネの少年兵が描かれているが、表面をなぞった程度の内容。それもそのはず、小学生高学年向けと思われる一冊だ。20分ほどで読める。表紙の写真が“やぶの殺し屋”と仇名されたムリア君である。眼の下に三日月形の傷がある。これは、戦闘直前に自らカミソリで切り、そこに麻薬を入れて縫い込んだ痕である。反政府軍は子供達を麻薬漬けにして、シエラレオネの人々を殺させた。


イメージを読む 美術史入門』若桑みどり/山村修著『〈狐〉が選んだ入門書』で紹介されていた一冊。いやはや、これは面白い。北海道大学で行った集中講義を編んだもの。題材は、ミケランジェロシスティーナ礼拝堂の天井画、ダ・ヴィンチモナ・リザデューラーのメレンコリアI、ジョルジョーネのテンペスタ(嵐)。一枚の絵を読み解く作業が実にスリリング。「絵画は、言葉にできない思想である」という主張も腑に落ちる。絵画に興味のない人でも十分堪能できるだろう。


ピーターの法則 創造的無能のすすめローレンス・J・ピーター/高校の英語教師・渡辺伸也の訳が読みやすい。「ユーモア社会学の奇書」なんて言われているようだが、そうではあるまい。「現実を見据えた茶目っ気たっぷりのニヒリズム」だと私は感じた。ピーターの法則は実に簡単で、「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに達する」というもの。そして、ピーターの必然として「やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる。仕事は、まだ無能レベルに達していない人間によって行なわれている」という状況になる。パオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』と併せて読めば、社会学を極めることができるだろう……多分。


無境界の人森巣博/ギャンブラーによる日本人論といった内容。書評としても読める。天衣無縫の文体が楽しい。インテリ博徒といった趣あり。奥方は人文学者。考えようによっては、博奕や相場というのは純粋な経済行為である。俗世間よりも俗っぽいにもかかわらず、俗世間を超越した“場”で行われる。ニヒリズムで武装しなければ生きてゆけない世界であろう。単純な行為の繰り返しが天国と地獄に直結する。運不運の波をくぐり抜けてゆく内に、大概のことはどうでもよくなる。その“乾いた魂”こそが森巣博の魅力だ。これは、めっけものだ。

エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 これだけの告発を行えば、いつ殺されてもおかしくないだろう。ノーマン・G・フィンケルスタインの怒りは、収容所を生き延びた両親によって培われたものだった。嘘が人を殺す――ナチス・ドイツでもルワンダでもそうだった。大量虐殺を実行するには、嘘に踊らされる群衆が必要なのだ。著者は、その嘘を憎んだ。本書を執筆する動機がそこにあったことと察する。


 本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうと思う。大半のイデオロギーと同じようにこれも、わずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。

 どちらも、どのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生みだしている。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者はご多聞に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによってザ・ホロコーストの基礎となる利益を得ているからである。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 この本の主人公はエリ・ヴィーゼルだ。エリ・ヴィーゼルこそはホロコースト産業におけるトリックスターであり、司祭であり、裁判官だ。ミスター・ホロコーストはアメリカ・ユダヤエリートのシナリオ通りに演技をする人気タレントだ。人々から寄せられる同情がエリ・ヴィーゼルへの批判を封じ込めている。そして、ホロコースト産業が行っているのは世界規模での“恐喝”である。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

2008-08-15

2008-08-14

生まれて初めての体験


 日中は裸になってベランダで読書をしていた。2時頃から曇り始めたので部屋に戻った。北島康介の2大会連続2冠のニュースを眺めていると、突然雨が降り始めた。何と網戸越しに部屋まで濡れている。「こりゃ凄い」とベランダに出ると、水平に雨が降っていた。まだ緑色の葉っぱが飛び交っている。私の住んでいる公団が倒れるんじゃないと心配したほど。すると、パラッパラッと音が鳴り出した。何と雹(ひょう)だった。目の前に降ってきたものは2センチ大だった。生まれて初めて見たよ。小一時間ほど経つと、何事もなかったかのように蝉が喚(わめ)き声を再開した。

『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 今、せっせと入力しているのだが、あまりにも衝撃的な内容であるため、目次には掲載されていない見出しを紹介しておこう。原著はペーパーバックで刊行され、米国を除いた各国でベストセラー入りしている。ノーマン・G・フィンケルスタインの両親は強制収容所からの生還者である。歴史的な事実を「ナチ・ホロコースト」、戦後20年以上経って突然現れた論調を「ザ・ホロコースト」=「ホロコースト産業」と厳密に区別している。


 ホロコースト産業は、アメリカとイスラエルが接近してから後に生まれたものである。何と1967年以降というのだから驚きだ。それまでは第二次大戦後、米独が友好関係にあったため、アメリカ在住のユダヤエリート達は沈黙を保っていた。それどころか、反共姿勢を明確にするために元ナチスのアメリカ入国をも支援していた。


 ホロコースト産業は、スイスやドイツを始めとする世界各国に賠償金を吹っ掛けて脅し上げる。強制収容所からの生還者数を水増しし、アメリカ合衆国の政治力をバックに賠償金を吊り上げる。まさに「壮大なカツアゲ」と言っていいだろう。そして、まんまとせしめた莫大な資金は、犠牲者に支払われることなくユダヤ人組織が吸い上げている。


 ユダヤ人による内部告発といった内容であるが、改竄(かいざん)されたのは食品の賞味期限なんかではなく歴史そのものなのだ。桁違いの巨悪というべきだ。そのお先棒を担いでいるのがエリ・ヴィーゼルである。『』に始まる3部作もゴーストライターが書いたという噂があるが、確かにそう言われてみると現実感の伴わない文章である。


 梅崎義人著『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』と併せて読めば、世界がどのような力学で動いているかが実によく理解できる。


序論 ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている

  • イデオロギー兵器としてのザ・ホロコースト
  • アメリカ・ユダヤによるナチ・ホロコーストの「発見」
  • ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている

第1章 政治・経済的な「資産」としてのザ・ホロコースト

  • 戦後ある時期までナチ・ホロコーストは注意を払われなかった
  • 冷戦下、同盟国ドイツの過去に蓋をする
  • 第三次中東戦争(1967年)がすべてを変えた
  • アメリカ最新の戦略的資産としてのイスラエルの「発見」
  • アメリカの権力とぴったり歩調を合わせる
  • アメリカで“突然流行”し、組織化されていったホロコーストの話題
  • すべてはアメリカ・イスラエル同盟の枠組みの中で起こった
  • アイヒマン裁判で証明されたナチ・ホロコースト利用の有用性
  • イスラエルが資産になった途端にシオニストに生まれ変わったユダヤ人
  • 新たな反ユダヤ主義をめぐる作られたヒストリー
  • 歴史的な迫害を持ち出すことで現在の批判を逸らす

第2章 騙し屋、宣伝屋、そして歴史

  • ホロコーストの枠組みを支える二つの中心教義
  • 唯一性はホロコーストの枠組みにおける所与の事実
  • ホロコーストの唯一性をめぐる議論の不毛さ
  • ホロコーストの唯一性からユダヤ人の唯一性の主張へ
  • 異教徒による永遠の憎悪というザ・ホロコーストの教義
  • 反ユダヤ主義の非合理性はザ・ホロコーストの非合理性から導かれる
  • ユダヤ人の選民意識を強化したザ・ホロコースト
  • コジンスキー『異端の鳥』におけるホロコーストのでっち上げ
  • 『断片』のヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった
  • アラブにナチズムの汚名を着せようとするホロコースト擁護者たち
  • ホロコースト文学の批判的研究に対する執拗な中傷と圧力
  • でっち上げられたホロコースト否定論というお化け
  • なぜアメリカの首都に政府運営のホロコースト博物館があるのか
  • 策略の核心はユダヤ人のためだけに記念すること

第3章 二重のゆすり

  • 年々水増しされる「生存するホロコースト生還者」の数
  • ドイツはすでに1952年に諸ユダヤ機関との賠償金協定に調印していた
  • 請求ユダヤ人会議は補償金を犠牲者の社会復帰のために使わなかった
  • ホロコースト期ユダヤ人資産の所有権を主張するホロコースト産業
  • 「数十億を盗み取った50年にわたるスイスとナチの陰謀」
  • 「スイスの銀行に資産が存在したことを証明できる者」はほとんどいなかった
  • 公聴会のポイントは「センセーショナルなストーリーを作り出す」こと
  • 調査結果が出る前に金銭による和解へ向けて圧力をかけるホロコースト産業
  • スイスを脅す二つの戦略としての集団訴訟と経済的ボイコット
  • ついに屈服したスイスは12億5000万ドルの支払いに同意
  • 最終和解で「困窮するホロコースト生還者」がどう扱われるかは不透明
  • ベルジェ委員会「スイスと第二次世界大戦中の金取引」
  • ヴォルカー委員会「スイスの銀行におけるナチ迫害犠牲者の休眠講座に関する報告」
  • 実際の休眠ホロコースト口座総額は世界ユダヤ人会議の主張より桁違いに少なかった
  • アメリカの銀行ではホロコースト期の休眠口座はどうなっているか
  • アメリカの銀行を調査せよという運動は起きなかった
  • スイスの次はドイツに対するゆすりが始まった
  • ドイツはまったく補償していないという言いがかり
  • 補償金の請求額をつり上げるために存命生還者の数が増やされる
  • 60万以上の生還者がいるとしたらナチの最終的解決は杜撰なものだったことになる
  • ゆすりの最大の山場は東ヨーロッパに対するもの
  • アメリカによる経済制裁という棍棒を振るうホロコースト産業
  • 巨大な金持ち官僚機構となったホロコースト産業はますます凶暴化していく

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

まず最初に南オセチアに手を出したのはグルジア


 グルジアにロシアが攻め込んだような雰囲気で日本のメディアも含めて報道していますが、実際は、まず最初に南オセチアに手を出したのはグルジア。ロシアは「ロシアの人の保護」を名目に介入した形になっている。


中田安彦

2008-08-13

田川建三


 1冊挫折。


キリスト教思想への招待』田川建三/山村修著『〈狐〉が選んだ入門書』で紹介されていた一冊。仏教徒である私が後学のために紐解いたが、やはりダメだった。文章は威勢がよくって面白いのだが、如何せんキリスト教的な論理の飛躍が目につく。キリスト教全般における手口は大体において次のようなものだ。理路整然とダーウィンの『進化論』を徹底的に批判した上で、「“だから”神様が創造した」という論理構成。このため、どうしても牽強付会の印象を拭えない。田川氏の威勢のよさが、飛躍した論理を強調する結果となっている。同じ主張が何度となく繰り返されている点も気になった。

2008-08-12

ニコラス・ロックフェラーは9.11テロを予見していた


 今は亡きアーロン・ルッソが、ニコラス・ロックフェラーとの会話を暴露した。「桁外れの邪悪」といっていいだろう。


 ルッソによると、ロックフェラーはアメリカ同時多発テロ事件の11ヶ月前の時点で、米国でアフガニスタン侵攻やイラク戦争のきっかけとなる事件が起こることを、すでに予告していたという。そしてロックフェラーは同時に、その事件及び後に起こる米軍侵攻の全てが、「巨大なでっち上げ」であるとも語ったという。


アーロン・ルッソ


 ウーマン・リブ運動に資金提供をしたのもロックフェラー一族だった。その目的は、子供から母親を切り離して学校教育で洗脳するためだった。世界の人口を半減すべきだという持論も語っていたようだ。やはり、イルミナティって本当に存在するんだな。

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2008-08-11

石川九楊


 1冊読了。


一日一書石川九楊京都新聞の一面コラム集。一ページに一文字のカラー写真が配され、150字足らずのコラムはまさに寸鉄人を刺すが如し。漢字の奥深い世界を知るにはうってつけの一書。かような書物は一気に読まぬ方がよい。トイレなどで少しずつ読むのが正しい。写真の数々は石川九楊編『書の宇宙』より。

2008-08-10

「Got My Mojo Working」Muddy Waters


“シカゴ・ブルースの父”マディ・ウォーターズ。辛口で知られる中村とうようが絶賛していたので、迷わずレコードを買った覚えがある。ブルースハープとギターの疾走感が堪(たま)らん。控え目なドラムもクール。

ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ +8

武藤康史、アニック・カイテジ、フィリップ・ゴーレイヴィッチ


 1冊読了、2冊挫折。


文学鶴亀』武藤康史/武藤氏の作品は初めて。書評というよりは、書誌学の匂いが強い。とにかく博覧強記。文章は読みやすいのだが、さだまさしと似た“あざとさ”を感じてならない。計算された技巧が裏目に出ていると思う。極端に文体を変えない限り、胡散臭さが抜けないことだろう。


山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ/ルワンダもの。ページ数の帳尻を合わせようとしたのか、少女時代の余計な独白が多過ぎる。レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読んだ後では、見劣りすると言わざるを得ない。比較するのもおこがましいほど。


ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実フィリップ・ゴーレイヴィッチ/やっと読了。後半になると文章の勢いが出ている。この作品が読みにくいのは、時間軸と空間軸が交錯しているため。史実を明らかにする以上は時間軸に沿って書くべきだろう。それでも、やはり経験者が書いた作品と比べると、客観的で貴重な情報が多い。ルワンダものに関しては、まだまだ時間の経過が必要なのかも知れない。今後も、ベルギー・フランス・イギリス・アメリカ側の立場から書いた作品が生まれると面白くなる。いずれにしても、賛否両論・百家争鳴という状況によって成熟が始まるのだと思う。RPF(ルワンダ愛国戦線)のポール・カガメ(現大統領)は軍人でありながら、哲人政治家の趣がある。多数紹介されているカガメの言葉が実に味わい深い。

2008-08-09

北京五輪が開幕


 抗議活動をした連中もテレビに釘付けとなっていることだろう(笑)。

赤塚不二夫逝く〜タモリの弔辞


タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに


 タモリは、手にしていた紙を何度も見ながら弔辞を読んでいたが、紙は白紙で、すべてアドリブだった可能性がある。7日夜放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、弔辞の様子をVTRで伝え、映像から「手にした紙には何も書かれていないようにも見える」と指摘。インターネット上の掲示板でも話題となり「白紙なんだよね。すごいよタモさん」「あの長い弔辞を白紙で読んでるとかすげぇな」「読み上げるふり。ささげるギャグなのかな」などといった書き込みが相次いだ。


タモリ弔辞全文


 弔辞


 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。


 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。


 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。


 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。


 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。


 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。


 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。


 今、二人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。


 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も一つのギャグなのかもしれません。


 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。


 平成20年8月7日、森田一義


【スポーツニッポン 2008-08-08】

2008-08-08

環境・野生動物保護団体の欺瞞/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人

 シーシェパードという環境団体が、日本の調査捕鯨船に対して妨害行為を行ったことは記憶に新しい。テロ同様の示威行為がなぜ可能なのか? 本書を一読すれば理解できる。


 1970年代に端を発した環境・野生動物保護運動は、ことごとく成功を収めた。成功者はグリーンピースWWF(世界自然保護基金)などの巨大環境保護団体である。彼らはマスメディアを利用して、説得力ある訴えと目を引きつける映像を一般大衆に送り、国際世論を創り上げた。だが、その訴えの多くが事実に反していたし、映像も創作されたものがほとんどだった。


【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】


 安易な陰謀モノではない。梅崎義人氏は元時事通信の記者である。環境問題や野生動物保護運動の矛先が、常に有色人種国家に向けられている現状を丁寧に描いている。


 既に「環境問題」なるキーワードがグローバルスタンダードとなってしまったが、気候変動(こちらが世界標準の言葉)が環境破壊によるものなのかどうかは確定しているわけではない。名古屋大学大学院教授の武田邦彦氏は、「科学的な視点の欠如」を指摘している。人類の歴史を振り返っても、脅威となるのは寒冷化であって温暖化ではない。


 テーマは環境問題となっているが、書かれているのは「国際社会がどのような力学で動いているか」という実にスリリングな内容である。欧米列強の行為はいじめにも等しいもので、あまりにも稚拙な世界の実態に驚愕せざるを得ない。静かな怒りから生まれた“告発の書”である。

動物保護運動の虚像―その源流と真の狙い

2008-08-06

歴史とは「文体(スタイル)の積畳である」/『漢字がつくった東アジア』石川九楊


 凄い言葉だ。中々出て来るものではあるまい。さすが“漢字思想の語り部”石川九楊である。タイトルだけでは意味が理解しにくいと思われるが、以下のテキストを読めば多少なりとも腑に落ちることだろう。


 まず歴史とはいったい何でしょうか。歴史というのは、過去の出来事にとどまらず、現在に連なり、現在を絶えずつくり出している力ですから、結論的にいえば「文体(スタイル)の積畳である」と私は定義したいと思います。言葉のスタイルや言葉以外のさまざまな文化ジャンル、また言葉の前段階での表現のスタイルを人類史は蓄積してきました。そういうスタイルの積み重なりを歴史と考えるのが一番いいと思います。


【『漢字がつくった東アジア』石川九楊(筑摩書房、2007年)以下同】


 そういう意味で人間は「言葉する存在」です。

 その言葉は、世界を切り取って名付けていく単語つまり語彙と、文体(スタイル)からなり、これらのあり方が人間の思考を決定づけています。文体というのは語彙を載せる船のようなもので、その船が思考の枠組みとして、あるいは文化として一番大きな力を持っています。われわれはその船を離れて思考することはできません。思考や行動は具体的な言語のなかに微粒子的に存在し、これと一体のもので、自分たちの文体のあり方をどのように変えていくかを考えないかぎり歴史が変わっていくことにはなりません。またこのことは、人間の歴史が、言葉(語彙と文体)から離れられず、したがって言葉の枠組が変われば、歴史もまた異なった姿であらわれる事実を意味します。


「自分たちの文体のあり方をどのように変えていくかを考えないかぎり歴史が変わっていくことにはなりません」という指摘が痛烈。言葉は他者とのコミュニケーションへの道を開いたが、言葉が人間の思考を支配したのもまた事実だ。ヒトは言葉を離れて生きてゆくことができない。大体、「言葉以外」で考えることが不可能だ。


 稚拙な若者言葉でもなく、泡沫(うたかた)のような流行語でもない。あらゆる差異を乗り越えて、万人の胸に響き、轟くような“新しい言葉”が、歴史を大きく塗り替えてゆくのだ。それは、技巧に富んだものではなく、本来の人間に備わった素朴な“何か”であろう。極端とは異質な、中庸を志向する感覚から発せられるに違いない。

漢字がつくった東アジア

今日の夕焼け


 八王子は夕焼けが美しい。 童謡の「夕焼け小焼け」は八王子で生まれた歌である。八王子市役所付近で撮影。空の一部分だけが朱に染まっていた。


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2008-08-05

ノーマン・G・フィンケルスタイン、清水潔


 2冊読了。


ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたちノーマン・G・フィンケルスタインエリ・ヴィーゼルは悪党だったよ(涙)。ユダヤ人関係団体がホロコーストを盾に「賠償ビジネス」を始めたのは、何と1970年代に入ってからのこと。これ以前にホロコーストが問題視された歴史はないというのだから驚き。アメリカとイスラエルの距離が近づいてから、米国ユダヤエリートが立てた戦略らしい。ゆすりたかりの類いと変わりがない上、賠償金の大半は“団体”の懐に入り、被害者には雀の涙程度しか実際には支払われていない。著者の親御さんもその一人。梅崎義人著『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』と併せて読めば、世界がどういう力で動いているかが、よくわかる。真の知性は、勇気に支えられていることを痛感。


遺言 桶川ストーカー殺人事件』清水潔/こんな有名な本もいつの間にか絶版になっていた。著者は写真週刊誌『FOCUS』の記者。下劣なイエロージャーナリズムにも良心が存在する。執念の取材で、著者は警察に先んじて犯人を割り出した。後半は上尾警察暑のデタラメ極まりない捜査ぶりを暴露している。殺された被害者は、何度も上尾警察署に足を運んで被害を訴えていた。その杜撰、手抜き、怠慢が、遺族に二重、三重の苦しみを与える。文章が軽快で読み出したら止まらない。休日の明るい時間から読み始めた方がいい。

善は急げ、遅いのは悪だ/『夜』エリ・ヴィーゼル


 私たちは目から鱗が落ちたが、もう遅すぎた。


【『夜』エリ・ヴィーゼルみすず書房、1995年)以下同】


 ルワンダ大虐殺と同じ光景がここにも。「まさか……」「よもや……」「いくら何でも……」――そんな人々の声が聞こえてきそうだ。『夜』でエリ・ヴィーゼルが書いた風景を辿ってみよう。


 私のうしろで一人のユダヤ人が溜息をもらしながらこう言っているのが聞こえた。

「しようがないじゃないですか。戦争だもの……」


 人びとはこんなふうに話していた。

「(ロシア戦線において)赤軍は巨人のような足どりで前進している……。ヒトラーはたとえそうしたくても、われわれに害を加えることができないだろう……。」

 そう、彼にわれわれを絶滅する意志があるのかどうかさえ、われわれは疑っていたのである。


 過越祭(すぎこしのまつり)の7日め、幕があいた。ドイツ人がユダヤ人共同社会の重立った(ママ)人たちを逮捕したのである。

 このとき以後、いっさいが非常に速やかに伸展した。死へむかっての競争がもう始まっていた。

 最初の措置――ユダヤ人は3日間自宅を離れてはならない、もし離れたならば死刑に処する。


(ゲットーがつくられてから)生活は少しずつ平常どおりに戻っていった。鉄条網が壁のように私たちをとりまいていたが、それはほんとうの畏怖をよびさましはしなかった。私たちはかなり居心地がよいとさえ感じていた。まったく仲間同士だったからである。ささやかなユダヤ共和国……。ユダヤ人評議会、ユダヤ人警察、社会援助局、労働委員会、衛生部が――政府機関のすべてが――つくりあげられた。

 だれもがすばらしがっていた。もう目の前に、あの敵意にみちた顔や、あの憎しみのこもったまなざしを見なくてもよいのだ。畏怖も不安も、これでもうおしまいだ。ユダヤ人同志(ママ)、兄弟同志(ママ)で暮らしているのだ……。


 明け方には、この憂鬱な気分はもうあとかたもなくなっていた。まるで休暇旅行にでも来たような感じであった。人びとはこんなふうに語っていた。

「わかったものじゃない。われわれを流刑にするのは、われわれによかれと思ってのことかもしれないよ。前線はもうあまり遠くない、いまに砲声が聞こえるようになるよ。そこで一般市民が撤退させられるのさ……。」

「たぶん彼らは、われわれがパルチザンになるのを恐れているんだね……。」

「ぼくの考えでは、この移送騒ぎはすべて、大がかりの道化芝居以上のなにものでもないんだ。そうなんだよ、笑わないでくれ。ドイツ野郎どもはわれわれの宝石をくすねたいだけの話。ところで連中は、なにもかも埋めてあって、掘り返しさえすればいい、ということを知っているんだ。家主が休暇旅行に出かけているときのほうがやさしいものね……。」


 文字通りの致命的な油断だった。変化の風はあっと言う間に数百万のユダヤ人を飲み込んだ。安住を好む人間の性質が瞳を曇らせたのか。はたまた、ナチスが巧妙だったのか。どんな理由があったにせよ、亡くなった人々が生き返ることはない。


 人の生死(しょうじ)は小さな変化に支えられている。脳の血管が一本切れたり、詰まったりしただけで、五体は不満足となるのだ。そうであれば、小さな変化、些細な予兆を侮ることはできない。


 非正規雇用、後期高齢者医療制度だって、大量虐殺の前兆かも知れない。

夜 [新版]

2008-08-04

私の肌は小麦色だ


 誰かが私に、アグネス・ラムという仇名をつけるべきだ。

岡庭昇、岡田英弘


 2冊読了。


戦後青春 食わず嫌いのスーパースター』岡庭昇/「食わず嫌いのスーパースター」とは創価学会名誉会長の池田大作氏のこと。左翼系文芸評論家による戦後論だ。ただ、池田大作に仮託して叙述されているため、物凄い変化球となっている。欲張り過ぎた試みのせいで、中途半端な感を否めない。また、左翼+文芸評論家の短所である「わかりにくい文章」も指摘せねばなるまい。更に、孫引きに寄り掛かっている印象も受けた。岡庭昇という作家は、角度をつけたテーマだといい文章を書いているんだけどね。


世界史の誕生岡田英弘/『〈狐〉が選んだ入門書』で紹介されていた一冊。「世界史はモンゴルから始まった」という主張に興味を掻き立てられた。これは凄い。凄過ぎる。「歴史という文化は、地中海世界と中国世界にしか存在しなかった」。そして、洋の東西を結びつけたのは、13世紀に中央ユーラシアを外へ外へと拡大し続けたモンゴル帝国だった。ここから世界史が始まるという論旨。日本にこれだけの学者が存在する事実に驚愕。大上段から降り下される知性の刃(やいば)に斬られることは、読者にとってこの上ない快感である。啓蒙の書といっておこう。

2008-08-03

フィリップ・ゴーレイヴィッチ、三井誠、マーカス・バッキンガム&カート・コフマン


 2冊読了、1冊中断。


まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン/私が読んできたビジネス書の中では三本指に入る。中断したのは、内容が濃過ぎるため(笑)。時間の余裕がないと読み込めない。それほど咀嚼力が試される内容だ。米国の調査機関ギャラップが、8万人のマネジャーと100万人の従業員から聞き取り調査。傑出したマネジャーの共通点を探る。プラグマティズムの鑑といった趣がある。


人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠/内容は面白いんだが、文章が面白くない。小中学生向けの新聞記事みたいな顔の見えない文章だ。多分、意図的にそうしたのだろう。それでも目配りが行き届いていて、好感が持てる。


ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実フィリップ・ゴーレイヴィッチ/初めの内はとっつきにくい。テーマがぶれているためだ。それでも独白ものと比べると、貴重な事実が数多く記されている。ルワンダ大虐殺のアウトラインを知るためには必読。『ホテル・ルワンダ』の主人公ポール・ルセサバギナの豊富な証言も紹介されている。

昨日からツクツクボウシが鳴き出した


 太陽は暑いが、風は秋の気配をはらんでいる。休日はベランダで本を読むに限る。

西田幾太郎の人生/『〈狐〉が選んだ入門書』山村修


 哲学者の西田幾多郎が、京都大学退職のおり、「回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」と語っています。


【『〈〉が選んだ入門書』山村修(ちくま新書、2006年)】


 痺れるね〜。たまらん。人生を簡潔にスケッチする様が、ハードボイルドの領域に達している。極端なまでに削ぎ落とされた世界を想像せずにはいられない。圧倒的な余韻をはらんでいる。西田幾太郎が描く自伝は、膨大な「空白」で描かれている。我々は、その潔さに頭を垂れるのだ。

“狐”が選んだ入門書 (ちくま新書)

2008-08-01

弁当


 弁当のジンギスカンが死ぬほど美味い。「スタミナ源たれ」のおかげだろう。

「WILL」中島美嘉


 出だしの「あの頃って」でノックアウトされる。中盤から後半にかけて、リズムがややもたつくが、そんなことは構わない。「あの頃って」だけで許そう。私の胸の内で、いくつもの思い出が去来する。尚、書くまでもないがPVは最悪だ。

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