古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2008-09-30

六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 既に紹介済みだが六月戦争(第三次中東戦争)があったのは1967年6月のこと。これ以降、アメリカとイスラエルは急接近し、腕を組んで歩き始める。これがその辺の男女の仲であれば、「ヨッ、ご両人!」で済むところだが、そうは問屋が卸さない。


 メディアというものは、大なり小なり国家意思に基づいた報道を行う。その典型が戦争報道であろう。米国内では六月戦争以降、イスラエル関連のコラムが激増する。


 六月戦争以後の主流アメリカ・ユダヤ人組織は、アメリカ・イスラエル同盟を確かなものとすることにすべての時間を費やした。ADLの場合、イスラエルや南アフリカの情(諜)報部とともに広範な国内調査まで実施している。また1967年6月以降、『ニューヨーク・タイムズ』紙がイスラエルを取り上げる回数が劇的に増加した。『ニューヨーク・タイムズ・インデックス』を見ると、1955年も1965年もイスラエルの項目は60コラムインチだった。それが1975年には、260コラムインチにもなっている。1973年のヴィーゼルは、「いい気分になりたいときには『ニューヨーク・タイムズ』のイスラエルの記事を見ることにしている」と言っている。ポドレツと同様に六月戦争では多くの主流派アメリカ・ユダヤの知識人が「宗教」を発見した。ノヴィックによれば、ホロコースト文学の第一人者ルーシー・ダヴィドヴィッチは、かつては「イスラエル批判の急先鋒」だった。1953年には、一方で故郷を追われたパレスティナ人に対する責任を回避しながら他方でドイツに賠償金を要求することはできないため、「道徳性はそんなご都合主義のものであってはならない」と、イスラエルを痛烈に批判していた。それが六月戦争のほぼ直後には「熱心なイスラエル支持者」となり、「現代世界における理想的ユダヤ人像へ向けた組織的パラダイム」だとして、イスラエルを熱烈に称賛するようになるのである。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 まったく酷い話だ。昨日、ダウが777ドルという暴落を記録したが、きっと遅過ぎた天罰が下ったのだろう。ざまあみやがれってえんだ。私の懐が痛まない限り、好き勝手に放言させてもらうよ。


 そして、六月戦争以降、ナチ・ホロコーストはザ・ホロコーストへと変貌するのだ。米国内のユダヤ・エリートは、金に任せて歴史を書き換えたってわけだ。恐るべきは“金の力”だ。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

極端な定型化が笑いを誘う/『山手線膝栗毛』小田嶋隆


 小田嶋隆丸山健二の共通点は、極端な定型化(ステレオタイプ)を描くことで笑いを誘っているところだ。この作品は、山手線の全ての駅にまつわるエッセイ集で、東京の断面図が鮮やかに描かれている。


 仮に、池袋、高田馬場、目白の三つの町を三姉妹と仮定してみる。と、長女の池袋は蓮っ葉なやくざの情婦、次女の高田馬場は小生意気なスケ番ぐらいの位置づけになる。二人とも、年齢を重ねるにつれて、化粧が濃くなり、言葉つきや仕草も日を追ってぞんざいになってきている。長女は、立て膝で冷や酒をあおり、次女は、口紅のついた煙草を、窓から放り投げ、そうすることについて、二人とも、何らの躊躇も感じていない。

 しかし、三女の目白だけは、奇跡的にも、いつまでも清楚な深窓の令嬢の風情を失わない。リア王の三人の娘たちの場合もそうだったが、末の娘だけは、まるで別の血が流れているみたいに、心優しいのである。

 駅前にはソープはおろかピンサロも雀荘もなく、サラ金や養老の瀧もない。町を歩く人々も皆、落ち着いた足取りで歩いている。

 と、延々と目白賛美を並べ立ててきたが、実のところ、私はこの町が好きなわけではない。むしろ、嫌いと言っても良い。小ぎれいなのは結構だが、面白味に欠けると思っている。目白には、おいしいケーキ屋さんがいくつもあるのだそうだが、そんなことは私にはどうでも良いことだ。

 結局、ある種のトカゲが砂漠にしか住めず、ある種の魚が清流を嫌うように、人間の中にも、いわゆる「良い環境」になじまない人々がいるのである。


【『山手線膝栗毛』小田嶋隆ジャストシステム、1993年)】


 私自身、東京の地に住んでから既に20年以上経っている。都市というのは巨大な分だけ格差が存在するものだ。東京には実に様々な表情がある。私は長らく亀戸駅界隈に住んでいたので、池袋に足を運ぶことはあまりなかった。用があれば新宿で足りてしまうからだ。何度か池袋へは行ったことがあるが、あの胡散臭い雰囲気はどうしても馴染むことができない。


 池袋駅にはキャッチセールスの輩が、ボウフラのようにウヨウヨしている。駅のアナウンスで注意を呼び掛けているほどだ。アイツらは多分、埼玉県民を騙すべく虎視眈々と眼を光らせているのだろう。


 目白には行ったことがない。ただの一度も。ま、私が足を運ぶような場所じゃないことは、オダジマンの文章からも明らかだ。私は道産子でありながらも東京下町の水が性分に合ってしまったがために、今住んでいる八王子に違和感を覚えてならないのだ。閉鎖性を田舎と称するのであれば、八王子は正真正銘のド田舎である。

山手線膝栗毛

コーマック・マッカーシー、中内光昭、エリオット・S・ヴァレンスタイン、苫米地英人


 2冊挫折、2冊読了。


すべての美しい馬コーマック・マッカーシー/10ページほどで挫ける。「彼が扉を開けて玄関の広間にはいると、ろうそくの炎と柱間の鏡に映ったろうそくの炎がゆらりと揺れてもとに戻り閉めるときにまたゆらりと揺れてもとに戻った」――コーマックさん、わかりにくいんだよね。文章が長過ぎて、途中でわけがわからなくなる。それを文学的というのであれば、私は口を噤(つぐ)もう。「彼」「彼女」といった代名詞も誰を指しているのかわかりにくく、科白がカギ括弧で括られていないのも更にわかりにくい。多分、「わかりにくさ」こそが文学性なのだろう。


DNAがわかる本』中内光昭/わからなかったよ(涙)。それでも頑張って84ページまで読んだ。この手の入門書に私が求めているのは、「概略的な説明」ではなくして、「わかりやすい絵を描くこと」である。わかっている。身勝手なのは私の方だ。


精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の科学と虚構エリオット・S・ヴァレンスタイン/誠実な学術書である。初めての著書ということなんで、多分「決定版」を目指したのだろう。A5判で316ページは量が多過ぎる。3分の1ぐらいに縮めた抄録版も出して、値段も3分の1程度にすれば、もっと売れることだろう。定価4200円。精神疾患を「脳の病気」と位置づけ、化学療法を推進しきたのが薬品メーカーであったことを暴露している。著者は新たな治療法を提唱しているわけではなく、徹底して慎重であろうとしている。派手さはないが実に好感が持てる姿勢だ。


洗脳原論苫米地英人/ベッチー先生のデビュー作。最近の胡散臭さがなく、文章は硬質。ただし例の如く、雲をつかむような内容で、具体的な手法は隠していると思われる。高額なセミナーへ誘(いざな)うのが真の目的か。「わかる奴なら、このくらいでもわかるだろ?」という高飛車な態度が素敵だ(笑)。

2008-09-29

社内文化に染まっている人は「抵抗勢力」となる/『制度と文化 組織を動かす見えない力』佐藤郁哉、山田真茂留


 目的があるからこそ組織される。そして、組織が出来上がると、今度は「組織を維持すること」が目的となってしまい、当初の目的が見失われる。こうして、組織の硬直化が始まる。


 どうでもいい朝礼、マネジメント能力を欠いた上司、不平等極まりないポストなど、どこの会社でも仕事の障害となる要素が多い。多過ぎて、両手の指では足りないことだろう。


 また、ちょいとばかり大きな企業となると、社風というものがある。これがまた、馴染んだり馴染まなかったりする人がいて、有為な人材を失う羽目となる。


 もっとも、文化化と言っても、個人が自分の置かれた文化的環境の中に埋没してしまうことは、個人や社会にとって必ずしも望ましい状態であるとは言えません。むしろ、時には自分が生活する社会や集団の決まり事や約束事に対して一定の距離をとることこそが、個人の精神衛生上も、また組織自体の健全性という点から言ってもより望ましいことが少なくありません。たとえば、会社の文化に完全に染まり、その中に埋没している社員は、社風改革や企業風土改革に対する「抵抗勢力」になってしまうことが少なくないでしょう。同じように、業界レベルの通念や既存の業界文化にどっぷりつかっている企業にとって、新しいビジネスパラダイムやビジネスモデルを自らの手で構築していくことは非常に困難な課題になるでしょう。


【『制度と文化 組織を動かす見えない力』佐藤郁哉、山田真茂留(日本経済新聞社、2004年)】


 チト、文章がダラダラしているが鋭い指摘である。社風に馴染んでいる社員は、改革者たり得ないってこと。するってえと、はみ出し者とか一匹狼みたいな社員が有力な改革者候補として浮上する。


 これは凄い。つまり、視点を変えただけで、新たな人材が見えてくるのだ。結局、改革に求められているのは“発想の転換”であり“新思考”といえる。


 で、改革ってえのあトップダウンで行うものだ。上が決断しなければ絶対に進まない。でも、日本人には微温的な体質があって、改革を好む人は少ない。できれば現状維持、やるなら漸進的に、って感じだろうな。


 だから、日本社会は変わらない。何だか、実も蓋もない結論となってしまった。すまん。


制度と文化―組織を動かす見えない力

2008-09-28

「危ない地域」と「危なくない地域」の境界線が消失/『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編


 様々な人の色々な意見を知ると脳が刺激される。事件が発生するたびに、「起こるべくして起こった」なあんて論調は随分と身勝手にも思えるが、事件をも含めた社会に我々が生きているという現実は確かなものだろう。


 事件は既に起こってしまった。となると、その事件には何らかの必然性があったという前提で、皆が物語を紡ぎだす。詰め将棋を反対にしたようなものだ。何手までさかのぼることができるか――ここにコメンテーターの勝負どころがある。


 殆どの事件の場合、まず俎上に載せられるのは家族だ。出来るだけ劣悪な関係性が求められる。人々は納得できる物語を求めているのだ。「ああ、やっぱりな」と必要条件と十分条件が満たされた時、善男善女は何とか安堵することが可能となる。メディアは手を叩いて拍子を取る。「ハイ、安・堵・徒労輪」。そして、想像力の餌食となる容疑者が異質な存在であればあるほど、社会の恒常性が維持できる仕組みになっている。


 フムフムと読み進んでいて、ギョッとさせられたのがこれ――


安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』でも書きましたが、昔は生活空間の中で「危ない地域」と「危なくない地域」が明確に分かれていました。「危ない地域」がいくらあっても自分が行かなければ怖くなかった。そもそも「治安が悪い」というのは警察の手が届かない地域がどれだけあるかということです。日本はそうした地域が少なかったから非常に治安はよかったのですが、むろん、警察の手の届かない場所があってもそんな場所へ行かなければ一般人には関係がないわけです。

 それでは犯罪が減少傾向にある中で、なぜ体感不安を感じるようになったのか? それは「危ない地域」と「危なくない地域」、すなわち、繁華街と住宅街、昼と夜といった境界がなくなったからだと思います。たとえば、最近話題になっているコンビニエンスストアの終夜営業規制、これは非常に大きいのです。治安のためにはむしろコンビニエンスストアは開いていたほうがいいという意見がありますが、夜に外を出歩く人が減れば治安は格段によくなります。治安をよくするための最強の手段は夜間外出禁止令であることを思い出してほしい。警察の取締りが、格段に楽になります。夜歩いている人は、皆不審人物ですから。

河合幹雄


【『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編(洋泉社MOOK、2008年)以下同】


 まるで、学校の先生が冷静に方程式を解くような教え方で、河合氏は解答を示す。三手詰めっぽい。眉ひとつ動かすことなく、「自由というのはですね、リスクという包装紙でくるまれているのですよ」と言ってるような印象だ。


 あまり考えずに読むと、「ははぁーーーっ」っとひれ伏してしまいそうだが、少しばかり頭を働かせると、これはこれで難しい問題を抱えていることに気づく。「じゃあ境界線は、はっきりしていた方がいいんですかい?」と質問したくなるよね。


 河合氏は、続けてこう言う――


 ですから、今回も様々な意見が言われていますけど、仮にもっと人間関係の濃密な社会に戻すことができたとしても、誰かが加藤容疑者に注意していたら、今度はその人が殺される可能性が高い。通り魔事件は減るだろうけど、一家殺しは増えるという、とても皮肉な結果がおそらく待っているのです。実際、殺人事件が減少しているのは、むしろ、人間関係が希薄になってもっとも多かった子殺しなどのケースが激減したからなのです。そしていまは配偶者殺しがトップです。


 結局のところ、人間社会には一定数の人殺しがつきものであり、犠牲者は時代の傾向によって異なるんだよって話になっている。「仕方がないんですよ。人間なんですから」と河合氏なら言いそうだ。でも、自分が殺される側になったら、多分そんなことは言わないだろう。我々もそうだ。いつだって見物人であって、当事者になるとは夢にも思わないのだ。ここが恐ろしい。

アキバ通り魔事件をどう読むか!? (洋泉社MOOK)

2008-09-27

中山国交相、進退問題で「しがみついているつもりない」


 中山成彬国土交通相は27日、宮崎市内で開かれた自民党宮崎県連の会合で日本教職員組合日教組)について「何よりの問題は道徳教育に反対していることだ。日教組は解体する。日教組をぶっ壊す運動の先頭に立ちたい」と言及した。

 国交相は県連の会合後、記者団に「日教組の強い所は学力が低い」などとした25日の発言に関して「撤回はしていない。日本の教育のガンが日教組だと思っている」と改めて強調し、謝罪もしない考えを示した。ただ自らの進退に関しては「絶対辞めないんだと言ってしがみついているつもりはない。推移を見守りたい」と述べた。

日本経済新聞 2008-09-27】


 その後、28日に辞任。在職わずか5日間だった。宮崎1区(宮崎市、宮崎郡、東諸県郡)から選出されているので、この次の選挙が楽しみだ。中山氏が当選するようであれば、宮崎1区には正真正銘の田舎者しかいない証拠だね。

目撃された人々 19


 何度か挨拶を交わしたことのある女性だった。年の頃は私と同じくらいであろうか。40代半ばと見た。化粧っ気はないのだが可愛らしい顔立ちで、心ばえのよさそうな印象を受けた。


 彼女が乗っている自動車に車椅子マークがあることを私は以前から知っていた。昨日、そのことを訊ねた。私が繰り出す質問はいつでも不躾だ。「ご家族に障害のある方がいらっしゃるんですか?」。


 彼女の反応は予想外のものだった。目を逸らし、顔を伏せたのだ。それから、泣き笑いのような表情を浮かべて、「子供が……」と答えた。


 私は非礼を詫び……るわけがない。私はミスター非礼だ。「お子さんはおいくつなんですか?」と重ねて問いかけた。


 私は図々しさを絵に描いたような人物でもあるが、あの一瞬の暗い表情に思いを馳せざるを得なかった。「子供に知的障害があるのは母親に原因がある」――誰かにそう言われたことがあったのか、自分でそう思っているだけなのかはわからない。しかし、紛れもない羞恥心のような匂いを私は感じた。


 取ってつけたような優しい言葉は、一瞬だけでも彼女の心を癒すかも知れない。だが、そんなものにはパウダーシュガー程度の甘さしかない。彼女は日々、心も凍りつくような現実が待ち受ける我が家へ帰らなくてはならないのだ。


 笑顔の裏側に隠された悲しみ。それこそが、彼女の笑顔を際立たせていたのだ。「かなしい」は「愛しい」とも書く。彼女の悲しさは、子への愛(いと)しさの表れであると信じたい。

たばこ自販機を巡る悲喜劇


たばこ:17歳、しかめ面で買えたゼ 認証機が誤認、福島県警補導


 福島県喜多方市内で9月中旬、たばこを持っていたとして県警喜多方署に補導された市内の無職少年(17)が、顔認証機能付き自販機でたばこを買ったと話していることが分かった。「顔をしかめたら買えた」と話しているという。

 顔認証機能付き自販機は、カメラに顔を撮らせ、しわなどから大人かどうかを識別して販売する。県警少年課によると、少年は顔をしかめるようにして機械に顔を認識させ、大人と誤らせたらしい。

 県たばこ販売協同組合連合会によると、顔認証機能付き自販機は雑誌の顔写真などで買える場合もあるという。一重靖夫会長は「年配の男性が丸刈りのため、子供と判断されて買えなかったという話も聞いた。顔認証機能の精度に問題があるのではないか」と話した。

【毎日新聞 2008-09-27】


 いやあ、笑った笑った。どうせなら、しかめっ面の少年と丸刈りのオヤジの顔写真も掲載すべきだったな。想像するだけでも楽しい時間を過ごせるよ。私は土曜の午後の全てを費やして、この二人の顔を思い描くことに決めた。


 たばこ自販機はご存じのように、「taspo(タスポ)」という成人識別ICカードがなければ、自販機では買えなくなった。私のドイツ製の財布には既にカードを入れる空き容量がないので、タスポははなっから無視することに決めた。


 神奈川県では受動喫煙防止のために、公共の場での禁煙条例を制定しようとしている。これが全国的に広まれば、顔認証機能付き自販機はそのまま、指名手配写真製造機となることが愛煙家の間で懸念されている(ウソ)。


 受動喫煙がこれだけ問題視されているのに、受動排気ガスがそれほど問題にならないのは、どうしたわけか? やはり、日本たばこvsトヨタ、ホンダ、日産、マツダ……という広告主の勢力図を考えると、戦わずして自動車メーカーに軍配が上がろうというもの。


 何とはなしにしかめっ面の少年少女が増えそうで、この国の行く末が案じられる。

小田嶋隆


 1冊読了。


仏の顔もサンドバッグ小田嶋隆/1993年発行、オダジマン6冊目の著書。荒削りだが、その分勢いがある。ぷっはっはっは、と何度か笑い声を上げてしまった。少し前から感じていたのだが、時折ハードボイルド的描写があって、昔の丸山健二に似たところがある。これは、小田嶋隆テクニカルライターであり、丸山健二が通信士上がりであるためと思われる。この二人が醸(かも)し出すユーモアには更なる共通点を見出すことが可能だ。それは、共に徹底した常識人であることだ。つまり、常識を踏まえていないと、笑うという知的作業に進めないのだ。オダジマンは世間を笑い飛ばし、挙げ句の果てには自分をも嘲笑する。その自由闊達さが魅力だ。

2008-09-26

2008-09-25

米国では大人の半分が天地創造を信じている/『赤ちゃんはどこまで人間なのか 心の理解の起源』ポール・ブルーム


 アメリカ南部では、ダーウィンの『進化論(正式名称は「種の起源」)』を掲載している教科書が採用されないことは知っていた。でもまさか、大人の半分が神による天地創造を信じているとはね。


 とはいえ、この説(ダーウィンの自然選択説)を絶対に受け入れない人たちもいる。米国では、大人の半分が、種の起源は神による創造だと考えている。ある研究では、大学卒業生の3分の1が、適切な人類学のコースを取った後でもなお、最初の人間が現れたのはエデンの園であり、「種の起源自体が神による創造だった」と考えていることがわかった。


【『赤ちゃんはどこまで人間なのか 心の理解の起源』ポール・ブルーム(ランダムハウス講談社、2006年)】


 運命論というのは非常に便利で、あらゆる出来事を運命で片づけることが可能だ。キリスト教の論理でいけば、イラク戦争も神が定めた運命であり、広島・長崎に原爆を落としたのも、また運命ということになる。ここでいう運命とは、“成り行き”という意味ではなく、全知全能の神が天地創造した時、そのようにプログラムされていたという意味である。ったく、とんでもない話だよな。本当に神様がいるなら、真っ先にアメリカに天罰を下しているはずだ。


 以下のアメリカとキリスト教関連リンクも併読されよ――

赤ちゃんはどこまで人間なのか 心の理解の起源

中山国交相が「誤解を招く表現」を連発、撤回


 中山国土交通相は25日、報道各社のインタビューで失言を連発した。「誤解を招く表現があった」として撤回したが、今後、波紋を呼びそうだ。

 住民の根強い反対もあり整備が遅れる成田空港。今後の施策、整備の考え方を問われ「ごね得というか戦後教育が悪かったと思いますが、公共の精神というか公のためにはある程度は自分を犠牲にしてでも捨ててもというのが無くて、なかなか空港拡張もできなかった」と、住民の対応を批判した。

 来月1日に観光庁が発足するなど注目を集める観光行政。訪日観光客を増やすには閉鎖的な国民性の克服が必要ではないかとの質問に「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか……」と答えた。86年、当時の中曽根首相は、「日本は単一民族」と発言し、アイヌ民族から抗議を受けた。

 文部科学相を経験している中山国交相は、教育問題にも言及。大分県教委の汚職事件について「日教組日本教職員組合)の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」と主張した。自ら提唱した全国学力調査については「日教組の強いところは学力が低いんじゃないかと思ったから」と実施の背景を説明。その仮説が証明されたとして「テストの役目は終わった」とも述べた。

【朝日新聞 2008-09-25】

若手芸人の役回りはイジメ被害者の「モガキ」/『テレビ救急箱』小田嶋隆


 私は高校生の頃から、30歳過ぎまで殆どテレビを見てこなかった。そのため、社会から懸け離れてしまうことを恐れて、新聞の番組表だけはしっかりと読んできた。それで困ったことといえば、何一つない。多分、得していることの方が多いことだろう。


 テレビというメディアは、刺激の強い嗜好品や、中毒性の高い薬物に似ている。人々を依存させ、思考能力を奪い取る点において。テレビジャンキーはテレビがないとたちまち不安になる。抑うつ状態に陥った彼等に処方されたのが「ワンセグ」という代物だ。携帯電話のテレビ画面に見入る彼等の姿は、ビッグブラザーの指示に従う人々そのものだ。


 そして、テレビの中で繰り広げられているのは、現代社会の縮図などではなく、未来を先取りした姿である。人々が満足できない「今」を放映したところで、さしたる意味はない。テレビが提供するのは刺激と欲望にまみれた別世界だ。そして、テレビという非現実世界に自分の現実を合わせるべく、大人も子供も努力を開始するのだ。


 テレビの使命は「倫理」や「道徳」ではない。放送コードにしたところで特定の団体の「苦情」や「圧力」への反応に過ぎない。だから、テレビの下品さについては、もう何も言わない。でも、せめて、キワ物の自爆芸を「お笑い」にする習慣だけはやめてもらいたい。

 だって、モラル云々は別にしても、あんまり哀れで見てられないから。

 にしおかすみこ、小島よしお、ムーディ某、あるいはちょっと前のHGや桜塚やっくんあたりを交ぜてもよいが、彼らが見せているのは「芸」ではない。個人的な「恥」に過ぎない。

 芸人修業の初期の段階で、「恥部」をさらけ出す根性が求められるという側面はあるのだろう。が、だとしても「恥」そもののは「芸」ではない。

 現状、若手芸人が求められている役回りは、イジメ被害者の「モガキ」だ。で、その七転八倒を、われわれは「笑い」として消費している。要するに、われわれの社会は、誰かが恥をかいたり、痛い目に遭ったりしている姿を大勢で眺めて笑うという、集団リンチにおける爆笑発生過程みたいなものを産業化しているわけだ。でなくても、お笑いの世界は、新人部員に裸踊りを強要する体育会系や、準構成員を家畜扱いする暴力団組織と同質のサル山構造でできあがっている。

 だから、もともとは人を笑わせたくてお笑いの道に入ったはずの芸人も、お笑い組織の準構成員として、やぶれかぶれの恥辱露出芸をやらされているうちに、いずれ、ヤクザじみた人々に変質する。と、それに合わせて人生観も、「面白い人」としての自覚よりも、「道を外れた人間」の自意識を「芸人魂」と解釈する方向に修正される。かくして、

「ワイらは、素人とは違うデェ」

 ぐらいな覚悟が、彼らのプライドないしは虚栄のよりどころとなり、それゆえ「いかに変わったことをするか」「いかに極端な逸脱を見せるか」「いかに耐え難い恥辱を晒(さら)すか」ということが、芸人としての「格」になる。


【『テレビ救急箱』小田嶋隆中公新書ラクレ、2008年)】


 私が前々から薄々感じていたものを、小田嶋隆は見事に表現しきっている。オダジマン師匠、一生ついていきますぜ。お笑い界の大物と言われる面々がテレビを私物化する様は、自民党の有力代議士と何ら変わりがない。


 テレビは免許事業である。ということは、テレビ局が恐れているのは経済産業省とスポンサーになる。政官業ならぬ、放官業の癒着ぶりが窺えようというもの。


 北朝鮮による拉致問題が明らかとなってからというもの、この国は右側に偏り始めた。一度傾いたバランスを取り戻すのは難しい。右傾化の言論は威勢がよくわかりやすい。このため、暴力の温床となる。著者が「あとがき」に記した杞憂は、既に現実のものとなりつつある。


 そもそも、テレビという枠組み自体が、タレントを意のままにコントロールする世界である。視聴者の意識が支配されるのも当然なのだ。

テレビ救急箱 (中公新書ラクレ 274)

2008-09-24

藤田恒夫、森村泰昌、ジェフリー・ディーヴァー


 3冊挫折。


腸は考える』藤田恒夫/出だしは好調だったんだが、専門用語が多くなってちんぷんかんぷんに。50ページで挫ける。


踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ』森村泰昌/カジュアルな美術論。チト、軽過ぎるな。著者はコスプレ・ポートレイト作品で有名らしい。


汚れた街のシンデレラジェフリー・ディーヴァー/玉に瑕、ディーヴァーにも駄作。忍耐力を総動員して70ページまで読んだが、ダメだった。イケイケのギャルが主人公。他の作品と比べると、まるでスローモーションのようだ。全く感情移入ができず。

2008-09-23

ロバート・ケネディ・ジュニアが政府による水銀/自閉症スキャンダルの隠蔽を暴く


 政府の官僚と業界の代表者は、幼児と子供に接種されるワクチンの安全性を警告する新しい研究について話し合うべく会合していた。10万人の子供たちの記録が含まれた大量のデータを分析した、疾病対策センターの免疫学者トム・ヴェルシュトレーテン博士によると、チメロサールという、水銀から作られたワクチンの保存剤が子供の自閉症やその他の神経系統の障害に大きな影響があると明らかにした。「私は自分の見たものに衝撃を受けました」。ヴェルシュトレーテン博士は、シンプソンウッドに集まった参加者達に、チメロサールと言語の発達の遅れ、注意力散漫、多動、自閉症との関係を示唆するこれまでの研究を発表した。 1991年より、疾病予防対策センターと食品医薬品局はその保存剤を添加したワクチンを新たに三種類、生後間もない子供に接種するよう義務付けた。それ以来、自閉症の症例は15倍になり、2500人に一人の割合から166人に一人の割合で発生するようになった。

【カーボンナノホーン】がんの光線力学療法に応用、腫瘍消滅


 毛髪の太さの1万分の1という極小の炭素集合体「カーボンナノホーン」にがんの光線力学療法の治療薬を詰め、患部に注射して治療を施すことでマウスの腫瘍(しゅよう)をほぼ消滅させることに、産業技術総合研究所と藤田保健衛生大などが成功した。「容器」のナノホーン自体がレーザーを吸収して高温になり、がん細胞を殺し光線力学療法との相乗効果を高めたという。新薬として開発を目指す。米科学アカデミー紀要電子版で23日発表した。

 光線力学療法は、光を受けると活性酸素を出す物質を患部に集め、レーザー光を照射し活性酸素でがん細胞を死滅させる治療。研究チームは、太さ2〜5ナノメートル(ナノは10億分の1)、長さ40〜50ナノメートルの角笛形をしたナノホーンの中に光感受性物質「亜鉛フタロシアニン」を入れた。マウスの腫瘍に注射し、毎日15分間ずつレーザー光を照射したところ、10日後に腫瘍が消えたという。

 黒色のナノホーンは、光を吸収しやすいため周囲の温度が約40度に高まり、がん細胞を死滅させる「温熱療法」の効果を発揮する。それぞれ単独で注射した場合は、消滅には至らなかった。

 産総研の湯田坂(ゆださか)雅子・研究チーム長(物理化学)は「ナノホーンは体内に長くとどまる性質があるため、長期毒性の有無を調べたり、治療後に体外へ排出する工夫が今後の課題だ」と話している。


【毎日新聞 2008-09-23】

新総裁 麻生氏 発言録 


 自民党総裁になった麻生太郎氏は、党青年局長のときから数々の失言・暴言を繰り返し、国内外から厳しく批判されてきました。


偏見・差別


「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」(1983年2月9日、高知県議選の応援演説)


創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」(2003年5月31日、東京大学での講演)


(北朝鮮のミサイル発射について)「(朝鮮労働党金正日総書記に)感謝しないといけないかもしれない」(06年7月8日、広島市内での講演)


地球温暖化を心配する人もいるが、温暖化したら北海道は暖かくなってお米がよくなる」(06年9月13日、札幌市での総裁選演説)


「7万8000円と1万6000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」(07年7月19日、富山県高岡市での講演)


(幹事長就任のあいさつで訪ねた江田五月参院議長に)「審議をしないとどうなるか。ドイツでは昔、ナチスに一度(政権を)やらせてみようという話になった」(今年8月4日)


「岡崎の豪雨は一時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたらこの辺、全部洪水よ」(9月14日、名古屋市での総裁選演説)


改憲・軍拡


「自衛隊(の存在)はみんなが認めている。日本は戦力を保持しないといっても、外国は理解できない。憲法九条二項を『陸海空自衛隊、これを置く』と置き換えればいい」(01年4月14日、時事通信社などとのインタビュー)


(海外での武力行使を可能にする集団的自衛権について)「権利はあるが使ってはいけない、というのは無理がある。世界中で認められていない国はない」(01年11月4日、学習院大学での講演)


(「核武装」をめぐる議論について)「いろんなものを検討したうえで持たないというのも一つの選択肢だ」。核武装の議論を否定せず(06年10月17日、衆院安全保障委員会)


靖国神社


遊就館には何度か行ったことがあるが、戦争を美化するという感じではなく、その当時をありのままに伝えているというだけの話だ」(05年11月21日、米ブルームバーグ・テレビの番組)


「(靖国神社に)祭られている英霊は、天皇陛下万歳といった。天皇陛下の参拝が一番だ」(06年1月28日)


小泉純一郎首相の靖国参拝について)「祖国のために尊い命を投げ出した人たちを奉り、感謝と敬意をささげるのは当然。首相としても簡単に譲るわけにはいかないと思う」(05年11月13日、鳥取県湯梨浜町での講演)


「『大変だ、大変だ』と言って靖国の話をするのは基本的に中国と韓国、世界191カ国で2カ国だけだ」(05年11月26日、金沢市内での講演)


消費税


「基本的には消費税10%はいまでも一つの案だ。小福祉小負担、北欧のような高福祉高負担とあるが、日本の落ち着く先は中福祉中負担だ。その場合、消費税10%は一つの目安かと思う」(今年9月14日、NHK番組)


しんぶん赤旗 2008-09-23】

大臣も次官も逃げた汚染米の闇の深さ


「国家的詐欺だ」の声も


 汚染米問題の責任を取る形で、19日、太田農相が辞任、白須敏朗事務次官が更迭された。2人のクビを切ることで、この問題の「幕引き」を狙っているのは歴然だが、冗談じゃない。

 新聞はあまり報じていないが、三笠フーズら悪徳業者と農水省は完全にグルだ。そして、まだまだ、とんでもない不正を隠そうとしている。

 まず、三笠フーズは事故米を工業用糊の原料として購入、食用転売していたが、工業用糊の原料は主に小麦粉やコーンスターチ、色がついたカドミ米で、普通の米はあまり使わない。工業用糊として、事故米を売ること自体、怪しげなのだ。

 しかも、三笠は糊原料の事故米を1キロ5円で仕入れ、食用に140〜240円で売ったとされる。こんなボロ儲けができるなら、どの業者も参入したいが、入札には工業用糊業者である資格がいる。結果的に三笠フーズは随契でボロ儲けのコメを仕入れ、荒稼ぎしたのである。

 18日に参院で開かれた農水委員会では高橋千秋参院議員が「大阪ではなぜ、三笠があんなに事故米を買えたのかという声が多い。表現は良くないが(農水省と)べたべたの関係だったのだろう。これは国家的詐欺だ」と切り込んでいたが、本当だ。

「そのうえ、農政事務所の立ち入り調査は事前通告し、帳簿や銀行通帳のチェック、仕入れと出荷の数合わせもやらなかった。農水省は保管にコストがかかる事故米を早く処分したい。三笠フーズは買ってくれるお客さん。売り手がお客のチェックをするわけがないのです」(福山哲郎参院議員)

 闇米業者と農水省の間には、昔から深いもたれあいの構図がある。ミニマムアクセスとして輸入させられた外国米を北朝鮮に売れば利権になる。汚染米を食用で流せば、濡れ手に粟で儲かる。そこから政治家へキックバックが行く。役人は見て見ぬフリをする。こうした構図だ。

 汚染米の広がりもこんなもんじゃないだろう。

「三笠フーズが流した汚染米は1779トン。政府は流通した米の行き先をすべて確認しているというが、怪しいと思う。汚染されていない米に事故米を混ぜればわからない。悪徳業者なら考えそうなことです。事故米は全部で7500トンもある。巧妙な形で食用にばらまかれている可能性は捨て切れません」(米長晴信参院議員)

 太田は業界の闇の深さ、汚染の拡大に恐れをなして逃げ出したのではないか。食品偽装が大きな問題になって以降、マトモに農相を勤めあげた大臣は皆無だ。


日刊ゲンダイ 2008-09-20】

太陽系の本当の大きさ/『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 3150円という値段は安い。639ページもある類い稀なポピュラーサイエンスだ。持ち歩くには不便極まりないので、トイレに置いておくのが正しい。便座の上で科学史を学べば、いっぱしの理系になれるというもの。私なんぞは、その日に読んだ内容を次々と色々な人々にしゃべりまくった。「昔から知ってました」という顔つきで。相手の瞳は敬意で染められ、「小野博士……」と呼びたくなる気持ちを抑えているようでもあった。


 すぐ気づくのは、今までに見た太陽系の地図がどれも恐ろしく縮尺を無視して描かれていることだ。学校にある地図ではおおむね、惑星と惑星が近所付き合いのできそうな間隔で並んでいるように見える――外側にある巨星が互いに影を落とし合っているようなイラスト画を見かけることさえ少なくない――が、これは同一紙面にすべてを収めるためにどうしても必要な、騙し絵なのだ。海王星は実際には木星のちょっと先にあるわけではなく、木星のはるか彼方――地球から木星までの距離の約5倍、木星から離れたところ――にあって、あまりの遠さに、木星が得る太陽光の3パーセント分しか海王星には日が当たらないほどだ。

 こんなに拡散していては、現実問題として太陽系を一定の縮尺率で描くのは無理だ。たとえ教科書の端に幾重にも折りたたんだ紙を貼り付けても、長い長いポスター用紙を使っても、正確な縮尺率とはかけ離れたものにしかならない。地球の直系が豌豆豆(えんどうまめ)くらいになる縮尺で太陽系を作図すると、木星は300メートル先、冥王星は2.4キロ先になる(しかも大きさはバクテリア程度だから、どのみち見ることができない)。同じ縮尺率を用いた場合、太陽系にいちばん近い恒星プロキシマ・ケンタウリに至っては、ほぼ1万6000キロの彼方だ。全体の縮尺率を上げて、木星が文末のピリオド、冥王星がせいぜい分子のサイズになるように縮めたとしても、冥王星はまだ10メートル以上向こうになる。

 というわけで、太陽系はまったくもって、とてつもなく広い。わたしたちが冥王星にたどり着くころには、太陽から遠く離れすぎて、あの暖かで、肌を小麦色に焼き、活気をもたらす麗しいお日様は、ピンの頭ほどのサイズになっている。ちょっと大きめの明るい星といったところだ。


【『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン/楡井浩一訳(NHK出版、2006年)】


 これ凄いよね。ゲゲッ、そんなに大きかったのかよ。じゃあ、宇宙人なんか来られるわけねーだろーよ、ってな具合。地球がえんどう豆ってことは、東京は塵(ちり)程度の大きさで、その中で生きている私に至っては存在しないも同然だよ。宇宙の大きさは、あくせく生きることの馬鹿馬鹿しさを教えてくれる。


 しかしながら実際は、えんどう豆の上で戦争を行い、貧困が拡大され、自然が破壊されている。私が神様だったら、踏み潰しているかも知れない。「そんな小さな世界で争っていてどうするのだ」と。


「我々はえんどう豆の住人に過ぎない」――ウム、素晴らしい思想だ。早速、これを広めることにしよう。私は今日から「えんどう豆教」の教祖だ。来れ、信者よ!

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫) 人類が知っていることすべての短い歴史(下) (新潮文庫)

小田嶋隆


 1冊読了。


山手線膝栗毛小田嶋隆/東京山手線の29の駅と町にまつわるエッセイ。開いたと思ったら読み終わっていた。オダジマンは天才だ。いや神かも知れぬ。蝶のように舞い、蜂のように刺す。また、酔っ払いのようによろめき、愛煙家のように痰を吐き捨てる。そして、塵芥のように空中へ舞い上がり、ミミズのように地中をのた打ち回る。鋭利な刃物と重さ十分の鈍器を武器に、慧眼と下卑た眼(まなこ)を併せ持ち、ロジックとセンチメンタルをさらりと表現してみせる男――それがオダジマンだ。東京にまつわる幻想と欺瞞を打ち破り、自分が生まれ育った東京に回帰しつつ、現在と過去を行き来する“内なる紀行文”として読んだ。傑作。

2008-09-21

高島俊男、有馬哲夫、内田義彦


 3冊挫折。


本が好き、悪口言うのはもっと好き』高島俊男/20ページあまりで挫けた。この人物は、山本七平渡部昇一と同じ臭いを発している。言葉の端々から、知識人に特有の鼻持ちならない傲慢さと差別主義を感じる。私が本を閉じたのは、モンゴルの件(くだり)が書かれた箇所だ。中国から訪れた少女をモンゴル人少年が「家へ遊びに来ませんか」と招待する。で、家へ入るや否や家族の目の前で強姦される。これがモンゴルの求婚文化だというのである。しかも用意周到に「中国の雑誌で読んだ記事」と前もって逃げを打っている。記事の検証もされていない上、あたかもモンゴル全体でこうしたことが行われているような印象を受けてしまう。もちろん、そうした効果を狙っているのだろう。実に薄汚い精神の持ち主である。本書の題名も、著者の精神性をよく表している。

日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫/人物紹介が多過ぎて、わけがわからなくなる。もっと情報を切り捨てて的を絞るべきだ。新聞記事よりも無味乾燥な文章になってしまっている。


社会認識の歩み』内田義彦/社会科学入門の古典に位置する作品。初版は1971年。話し言葉で書かれているのだが、どうもリズムが合わない。慎重な姿勢によって言葉が揺れている。そのため、考えなくてもいいようなところで考えさせられてしまい、曖昧模糊とした印象を受ける。明快さとわかりやすさが欠落しているように思う。いい本なんだけどね。私は堪(こら)え性のない老人だ。

2008-09-20

敢えて“科学ミステリ”と言ってしまおう/『数学的にありえない』アダム・ファウアー


 物語の重要な要素としてSF的な傾向はあるが、私は敢えて“科学ミステリ”と断言したい。統計学、確率論、物理学、量子論、脳科学、時間論などが散りばめられている。ストーリー展開は見事なミステリとなっている。アダム・ファウアーは1970年生まれというのだから、恐るべき才能といってよい。著者は幼少の頃に目が見えなくなるという経験をしている。作品の端々から窺えるのだが、多分アダム・ファウアーは共感覚の持ち主だろう。


 本気で読もうとするなら、佐藤勝彦著『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』、V・S・ラマチャンドラン著『脳のなかの幽霊』、ビル・ブライソン著『人類が知っていることすべての短い歴史』、苫米地英人著『夢をかなえる洗脳力』を先に読んでおいた方がよろしい。


「よし、いまいったように、クオークには12のちがうタイプがある。ただし、おれたちが生きている現実世界の物質はすべて、アップとダウンのふたつ、それにレプトンというクオークに似た素粒子だけから成り立っている」ジャスパーは息をついだ。「理解すべき重要な点は、クオークとレプトンは実際には物質ではないことだ」

「なら、なんなんだい?」とケインは訊いた。

「エネルギーさ。わかるか? 量子物理学によれば、物質は現実には存在していないことになる。古典物理学が物質と考えていたものは、原子からできている元素の合成物であり、その原子はクオークとレプトンからできている――いいかえればエネルギーというわけだ。かくして、物質はエネルギーだということになる」ジャスパーはいったん説明を休み、自分の説明がケインの頭にしみこむのを待ってから先をつづけた。「では、エネルギーでできているもうひとつのものはなにか」

 ケインは点と点をつないでいった。すると突然、ジャスパーの複雑な説明がひとつに結びついた。

「思考だ」とケインはいった。

「そのとおり。意識も無意識もひっくるめて、すべての思考は、脳のなかのニューロンが電気的なシグナルを発することで生みだされる。それは知ってるな? すべての物質がエネルギーであるように、すべての思考もエネルギーだ。ゆえに、すべての物質と思考はたがいに結びついている。そこから導きだされるのが集合的無意識――現在、過去、未来にわたってこの地球上に存在したすべての生物の無意識が共有され、つながった-ものだ-斧だ-ロトだ-友だ」

「オーケー」ケインは兄がいまいったことをなんとか理解しようと努力しながらいった。「集合的無意識の形而上的な顕現がほんとうにあるとしよう。でも、どうしてそれが時を越えられるんだい?」

「なぜなら、時間は相対的なものだからだ」とジャスパーはいった。「考えてみろ。光速よりも速い唯一のものは――」

「思考のスピードだ」ケインはあとをひきとった。最後のピースがカチッと音をたててはまった。

「そのとおり。とくに、無意識の思考だ。粒子が光速に近づくと、静止状態にくらべて時間の流れは遅くなる。ゆえに、無意識は永遠だと考えることができる。したがって、無意識は文字どおり時間を超越しているんだ」(中略)

「東洋の宗教や哲学はすべて、宇宙はエネルギーだという考えに基づいています。それが現代の量子物理学によって裏づけられたってわけですよ。それに東洋では、宇宙において人間の心は基本的にひとつだと信じられています。これは、ユングの集合的無意識を想起せずにはいられません。

 仏教徒は、万物は永遠ではないと信じています。ブッダは、この世界の苦しみはすべて、人間がひとつの考えやモノに執着することから生まれると説きました。人はあらゆる執着を捨て、宇宙は流れ、動き、変化するものだという真理をうけいれるべきだとね。仏教の視点からすると、時空とは意識の状態の反映でしかありません。仏教徒は対象をモノとしてではなく、つねに変化していく宇宙の動きと結びついた動態過程とみなしています。彼らは物質をエネルギーとしてとらえているんですよ。量子物理学と同様にね」


【『数学的にありえない』アダム・ファウアー/矢口誠訳(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)】


 こんな哲学的なやり取りが出てくるミステリなんぞ、そうそうお目にかかれるものではない。私の中では、ジェフリー・ディーヴァー以来の超新星といってよい。

数学的にありえない〈上〉 数学的にありえない〈下〉


数学的にありえない〈上〉 (文春文庫) 数学的にありえない〈下〉 (文春文庫)

(※上が単行本で、下が文庫本)

ポール・ブルーム、佐藤郁哉、山田真茂留、ジェフリー・ディーヴァー


 2冊挫折、1冊読了。


赤ちゃんはどこまで人間なのか 心の理解の起源』ポール・ブルーム/長谷川眞理子が解説をしているので読んでみたが、見事なハズレだった。何を言いたいのかが、さっぱりわからない。100ページでやめる。取り上げられた実験も興味が持てない。


制度と文化 組織を動かす見えない力』佐藤郁哉、山田真茂留/狙いはいいのだが、如何せん補助金の助成を受けている研究のせいか、“夏休みの宿題”的な硬さがある。例えば第1章では、『エクセレント・カンパニー』『セオリーZ 日本に学び、日本を超える』『シンボリック・マネジャー』といった有名なビジネス書の学習ノートみたいになっている。大学生が書いた論文みたいで面白みがない。


青い虚空ジェフリー・ディーヴァー/数日前に最初の1章だけ読んで、ぐっと堪(こら)えた。既に引き込まれてしまったからだ。しかし、今日再び開くや否や、時間が経つのも忘れて読み終えていた。あーあ……。しかし、『石の猿』の前作にもかかわらず、もう絶版になっているってえのあ、解せないね。タイトル(The Blue Nowhere)は、インターネット空間を意味するディーヴァーの造語。センスがいいよね。ハッカーが起こせる犯罪の究極を描いた作品。ストーリーが二転三転するのはいつもの芸当だ。そこら辺のミステリが束になってもかなわぬ面白さだ。

2008-09-18

感動は身体性を伴う/『子供の「脳」は肌にある』山口創


 感動は抑えることができない。無表情の感動なんてあり得ない。


 ピアジェの観察からもわかるように、知識というものは、それが本当に生きた知識として身につくときには、必ず何らかの具体的で情緒的な事物の操作を通じての感覚・感動を伴うものである。目の前でおこった事実を通じて「そうなんだ!」と喜びで瞳を輝かせ、「おもしろい!」と興味が湧いて胸をときめかせ、「へぇー!」と息をのんで納得する。そのようなリアルな感情や感覚を伴って得た知識というのは、頭の中で単なる記号として蓄積されるのと違って、一生忘れることはないし、また生きた知識としていつでも引き出すことができる。


【『子供の「脳」は肌にある』山口創光文社新書、2004年)】


 著者は幼児期における皮膚感覚の重要性を説いている。幼い子供を見ていると驚きに満ちていることがわかる。驚いた分だけ世界が広がっているのだろう。次々と新しい発見をする彼等は、まるで冒険者のようだ。


 昨今の若い親御さんは、子供の将来のためと称して習い事をさせる傾向が顕著だ。まだ日本語も満足に話せない年頃から、英語を習わせたりしている。子供が好きでやっているようにも見えない。親が勝手にレールを敷いているのだろう。目指すは「明るい未来」という名の駅だ。ま、10年ほど経てば脱線するだろうが……。


 ついでに書いておくと、身体性という点ではテキスト入力もその一つだ。以前から本を読むたびに、気に入ったテキストをせっせと入力しているが、読んでいる時には気づかなかったことが見えてくるから不思議である。きっと、ノートにペンで書き写せば、もっと感じることがあることと思う。


 特に本書である。面白い内容なんだよ。十分お薦めできる。ただ、著者が若いせいもあるのだろうが、論理構成が危うい箇所が散見される。つまり、主張の根拠が薄弱であったり、曖昧であったり、なかったりしているのだ。そのため、ややもすると単なる思い込みを述べているように感じる部分があった。だが、読んでいる時にはさほど気にならない。全体的には優れた内容だ。


 生活の中に感動がある人は幸せだ。テレビを見ている時しか、泣いたり笑ったりすることがないような人が最も不幸だ。

子供の「脳」は肌にある (光文社新書)

薬師院仁志、柳父章


 2冊読了。忙しい中でも、何とか「書くクセ」をつけておかないとダメですな。あっと言う間に時間は過ぎ去ってしまう。光陰矢のごとく、浦島太郎のごとし。だが、私のいる場所は竜宮城にあらず。


民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志/ハイ、見事に正されました。目からウロコが5枚ほど落ちる。モンテスキューやルソーは、「くじ引きで議員を選ぶことが真の民主主義である」と説いていた。つまり、選挙と民主主義の間には何の関係もないそうだ。いやはや凄いね。著者は変質してしまった民主主義を暴き出し、いびつな形を示した上で、「ちゃんと国家の枠組みを考えましょ」と提案している。文章がややくどいところもあるが、新書並みの短い章立てで構成されているので読みやすい。読み終えると、政治家が間抜けに見えて仕方がない。


翻訳語成立事情』柳父章(やなぶ・あきら)/1982年初版。翻訳語は“輸入された概念”そのものだった。俎上(そじょう)に載せられたキーワードは、社会・個人・近代・美・恋愛・存在・自然・権利・自由・彼、彼女。「個人」が翻訳語であることは阿部謹也の『日本社会で生きるということ』を読んで既に知っていた(明治17年ごろとしている)。ということは、明治以前に「個人」は存在しなかった。これが封建社会の実態だ。当時の文学論争までフォローされていて、書誌学的にも貴重な作品だ。

都合のいい新自由主義


 新自由主義ってえのあ、市場原理に任せて血みどろの競争をさせるものだと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。


米、金融危機対策で空売り規制拡大 全銘柄対象


 米政府が金融危機の拡大回避へ政策を総動員し始めた。米証券取引委員会(SEC)は17日、株式を所有しないまま売り注文を出す「空売り」規制をすべての上場銘柄に導入すると発表。米財務省は金融市場への流動性供給や民間金融機関への直接融資を増やしている米連邦準備理事会(FRB)を支援するため、米国債を臨時発行する制度を創設した。市場の動揺がなお続く中、マーケットに鎮静を促し、金融機関の資金繰りに万全を期すのが目的だ。

 SECの新しい空売り規制は18日から適用する。SECは米住宅金融公社2社の経営不安が浮上した今年7月、金融株の急落を受け、日米欧の19の大手金融機関の株式を対象に空売り規制を一時導入した。今回は対象をすべての上場銘柄に広げて再び適用する。

 コックスSEC委員長は「空売りの悪用は許さない。関連当局は今回の規制をふまえ、違法な相場操縦をやめさせるために戦う」とのコメントを発表した。

日本経済新聞 2008-09-18】


 マーケットというのは、売り方と買い方の合意によって形成される。結構勘違いしやすいのだが、どんなに相場が上がろうと下がろうと、売った人と買った人の人数は一緒。「空売り」とは、株式の信用口座を持っている人が、株を借りて売る方法。上がると予想すれば「買い」から入り、下がると睨めば「売り」から参入する。


 SECが行う空売り規制は、空買いを奨励しているようにも思える。でも、どうなんだろうねえ。ダウが2日間で1000ドル近くも下げた後で、「買え」って言われてもねえ……。


 先日、米国4位の投資銀行(証券会社)リーマン・ブラザーズが破綻した。その直前には、格上のメリルリンチがバンク・オブ・アメリカに買収された(5兆3000億円)。そして昨日、FRB(米連邦準備制度理事会)が、保険最大手AIGに対して9兆円の融資を決定した。


 ウーム、どこを探しても見つからない。どこへ行ってしまったんだろう市場原理主義は。冷戦構造が崩壊してからというもの、アメリカは鼻持ちならないシェリフ(保安官)ぶりを発揮し続けている。「この町では俺がルール」だと言わんばかりに。でさ、町=世界だから皆が困ってんのよ。新自由主義が示しているのは、米国支配者が謳歌する自由のようだ。

2008-09-16

バブルが崩壊したアメリカは中国を叩く/『2010年 資本主義大爆裂! 緊急!近未来10の予測』ラビ・バトラ


 14日、アメリカで4番目に大きな投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻した。英銀大手のバークレイズが買収するのではと囁かれていたが、まとまらず。結局、15日に民事再生法の申請を発表した。米メディアは「流血の日曜日」と報じている。


 昨日のNYダウは-500ドルで引けた。年初来安値までは後100ドルもない。今日の日経平均は“投げ”一色に染まることだろう。原油先物も既に100ドルを割っている。


 一朝(いっちょう)、アメリカで「住宅バブル」、「石油バブル」の二つのバブルが崩壊しはじめ、株が暴落、経済全体が混乱する状況になれば、アメリカ政府は、貿易赤字の元凶である「中国を叩く」という行動にでることは間違いない。


【『2010年 資本主義大爆裂! 緊急!近未来10の予測』ラビ・バトラ/ペマ・ギャルポ藤原直哉訳(あ・うん、2008年)以下同】


 所謂、「チャイナ・リスク」の表面化。日本がバブル景気に酔い痴れ、アメリカの不動産を次々と買収した頃、米国内でジャパン・バッシングが沸き起こった。アメリカという国は何でも他人のせいにする。悪くないのは自分達だけなのだろう。


 ラビ・バトラの予言は次のもの――


 ここで、これからの世界激変の過程について、新たに10の予測を掲げておこう。


 予測1 原油価格は100ドルを超えて高騰し続ける

 予測2 「サブプライム住宅ローン危機」は再三爆発する

 予測3 2008年、米大統領選挙は民主党の勝利

 予測4 アメリカの大企業の破綻が続発する

 予測5 日本の好況は2008年半ばか末まで

 予測6 2009年に、イランが新たな中東の火種となる

 予測7 アメリカの資本主義は数年内に終焉する

 予測8 2009年後半から2010年前半に世界的な重大危機

 予測9 中国にも2010年に危機到来

 予測10 日本で新たな経済システムの胎動が起こる



 今のところ当たっている。右肩上がりで伸び続けてきた資本主義も、もはやこれまでか――そう懸念せざるを得ないほど深刻な事態となりつつある。

2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測

2008-09-14

腐敗しきった警察組織/『桶川ストーカー殺人事件 遺言』清水潔

 ストーカー規制法のきっかけとなった事件のルポ。著者は写真週刊誌『FOCUS』の記者。覗き趣味のイエロージャーナリズムにも良心があることを示した傑作だ。腐敗しきった埼玉県上尾暑の実態を暴き、挙げ句の果てには著者が犯人を特定した。


 私は全く知らなかったのだが、桶川ストーカー事件の犯人はヤクザまがいの人物で、不特定多数のチンピラを使って嫌がらせを繰り返していたという。被害者を刺殺したのも彼の配下だった。


 身の危険を感じた女性は、何度も埼玉県上尾暑に足を運んだ。時には両親を伴って。しかし、警察は全く動こうともしなかった。それどころか、事件を闇へ葬ろうとした節(ふし)すら窺えた。


 しかし、私が驚いたのはそれからだった。1時間も話をしたあとだったろうか。そろそろ失礼しようかと思っていた矢先だった。雑談の中で私がポロリとこぼした言葉から、私は思いもかけない事実にぶちあたった。

「そういうえばニセ刑事まで来たそうですね。告訴を取り下げてくれとかって……」何気なくそう言った私に返ってきたご両親の返事はこうだった。

「いえ、それを言ったのは本当の刑事さんです。私達の告訴の調書を採った人です」

 一瞬私はその言葉の意味が分からなかった。どういうことだ。それでは本物の刑事が、一度受理した告訴を取り下げさせようと言ってきたというのか。何だそれは。そんなことがあるのか。

「告訴は取り下げてもまた出来るとも言ってました」

 そんなわけはない。刑事訴訟法では一度取り下げた告訴はその件で再度告訴出来ないとちゃんと書いてある。では刑事が、嘘をついてまで告訴を取り下げさせようとしたというのか。


【『桶川ストーカー殺人事件 遺言』清水潔(新潮文庫、2004年/新潮社、2000年『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』改題)】


 警察が犯罪を犯そうと思えば、これほど簡単なことはない。埼玉県上尾暑の刑事はマスコミに何度も嘘の情報をリークして、被害者家族を苦しめた。警察というのは、暴力を振るうことを公認された唯一の組織である。彼等が振るう暴力、彼等が垂れ流す嘘、彼等が行う意図的な不作為――これらは不問に付される。なぜなら、“捜査”という大義名分があるからだ。


 私の世代であれば、殆どの人がテレビドラマ「太陽にほえろ!」に夢中になったことだろう。こうしたドラマによって、当時小学生だった我々は「警察=正義」という価値観を刷り込まれた。昨今、放映されている「警察24時」の類いも同様の目的があると思われる。こうした番組にせっせと裏金づくりに励む警察官は絶対に出て来ない。


 函に入ったミカンは、一つが傷み始めると、あっと言う間に次々と腐り出す。政治家が腐っているから、官僚も警察も腐敗する。悪臭に気がつかなくなれば、あなたも私も腐り始めているのだ。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)




マークース・ズーサック、西原克成、横山三四郎、遅塚忠躬


 4冊挫折。選球眼が悪くなっているようだ。


本泥棒』マークース・ズーサック/2200円でソフトカバーはないだろうよ。死神の独白に感情移入できず。


内臓が生みだす心』西原克成/「はじめに」で挫けた。文章が酷過ぎる。思考が整理されていない証拠だろう。


ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡』横山三四郎/まるでパンフレットの文章だ。15ページで挫折。それにしても、講談社現代新書の活字は読みにくい。


フランス革命 歴史における劇薬』遅塚忠躬/半分を超えたところでやめた。説明が多過ぎて、つまらない文章になっている。革命は、思想から出発するものではなくして、生活の不満が爆発した暴力であった。

情報空間を高い視点から俯瞰する/『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人


 順序を間違えた。読み終えたのはこちらが先。『夢をかなえる洗脳力』は、やや宗教色が強いが、こちらはビジネス色が濃い。アプローチの角度を変えて2冊の本を出すのがベッチーの錬金術だ。その商魂の逞しさまで、私には魅力的に見える。「全く商売上手ね〜」と言いながら、買い物をさせられる主婦の姿と変わりがない。


 それでは、ベッチーの基本的な概念を――


 優秀なリーダーかどうかは、情報空間をいかに高い視点から俯瞰できるか、にかかっているのです。


【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)以下同】


 視点を高くすると情報量は減ります。けれども、様々な状況に対処できるようになるのです。

 別の言い方をすれば、リーダーは現場よりも持っている情報は少ない。現場にしかわからない情報がある。けれども、高い視点を持っていればどんな現場にも対処できる、ということです。現場の人が経験したことのない、新たな事態への対処すら、できるわけです。


 視点を高くすることを、カント以降の分析哲学では、抽象度を上げる、と言います。


 深く頷き過ぎたため、私の頭は股間にのめり込みそうになった(嘘)。それからというもの、私の脳内では「Google Earth」の映像がフラッシュをたいたように明滅した。

 文明の発達においては、常に高さを制した者が勝利を収めてきた。旧約聖書に登場するバベルの塔も、法華経見宝塔品第十一で説かれる宝塔も巨大な様が強調されているが、高さを象徴しているとも考えられる。


 なぜ、山に登るのか?――それは人間が高さに憧れるからだ。地中にもぐろうとする人は、まずいない。「地」とは束縛・不自由を表す。地獄。自由は高いところに存在する。鳥、天女、神……。そして、運命を決めているのは星だ。ウーム、高い。


 視点を高める作業は、昨日までの自分を見下ろす営みでもある。つまり、自分の小ささを自覚できるかどうかに鍵がある。


 哲学や宗教は羅針盤に喩えられてきた。ベッチー先生の凄いところは、羅針盤に対する依存性を否定して、視点を高めることで進路を選択するよう促している点である。ゆえに「抽象度を上げる」とは、思想のインカネーション(肉化/Incarnation)とリインカネーション(再生/reIncarnation)を往復する作業なのだ。法華経で説かれる霊山会(りょうぜんえ/現実世界)と虚空会(こくうえ/悟りの世界)の虚空会に該当すると思われる。

心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション 心の操縦術 (PHP文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-09-13

世界とは自分が認識したもののことである/『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人


「夢」+「洗脳」である。何という胡散臭さ。しかし、マイナス×マイナスはプラスに転じる。ベッチー先生、わたしゃ付いて行きますぜ。


 実は、「世界」についてずっと考えていた。「あなたの世界」と「私の世界」は別物だ。ミミズと人間の世界も全く異なっているはずだ。「自分を中心とする“場”」という考えも浮かんだが、呆気なく崩れた。同じ映画を観ても、私とかみさんの所感が違っていたためだ。やはり、人はそれぞれが異なる世界に生きているようだ。


 自分と世界との関係はこう考えてください。

「世界とは自分が認識したもののことである」

 世界とか環境とはあなたが認識したものであって、認識していないものはあなたにとって存在しないのと同じことなのです。

 こうも言い換えられます。

「モノがあるから認識するのではなく、認識するからモノがある」

 たいていは現実にモノがあって、世界があるから認識するものだと思っています。でも、実際にはそうではありません。認識したものが世界であり、認識しないものは存在しないのです。

「そんなバカな。ここにリンゴがあるからこそ、リンゴを認識するんじゃないか」

 では、こう言い換えてみましょう。

「認識したことが実際にある現実世界とは違っていたとしても、その人は認識したことだけを現実の世界であると判断する」

 これなら納得できる人も多いと思います。


【『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(アスコム、2007年)】


 凄い……凄過ぎる。ベッチーは多分、神なのだろう。仏教に関する件(くだり)は違和感を覚える人が多いことと察する。だが、少しばかり仏教を学んできた私からすれば、あっと驚くタメゴローなんだな、これが。


「狭い世界しか知らないから、そんな料簡(りょうけん)になるのだ」――こんな科白を口にすることが私は多い。見聞を広めれば、自分の世界が広がる。ともすると、知識が体験よりも劣るといった考えに陥りがちだが、そうとも言えない。例えば我々の殆どが宇宙に行ったことはないが、地球が丸いことを知っている。この時、我々の頭の中には漆黒の闇に浮かぶ、青々とした美しい星が認識されるのだ。つまり、物凄い高い視点から地球を見下ろしている状態となっている。ベッチーが説いているのは「視点を高くする=抽象度を上げる」作業であり、これが仏道修行の止観であると言い切っている。


 夢をかなえるためには、「自分には無理だ」、「私にはできない」といった思い込みを打ち破る必要がある。「俺ならできる」と積極的になれば、その瞬間から世界は音を立てて変わるのだ。

夢をかなえる洗脳力

ナンシー関、フィリップ・ナイトリー、ビル・ブライソン


 1冊挫折、1冊中断、1冊読了。


小耳にはさもう』ナンシー関/小田嶋隆がナンシー関を高く評価しているので読んでみた。直ぐやめた。10ページまで辿り着くことなく。消しゴム版画は味があっていいのだが、テキストは下らない噂話の類いだ。小田嶋隆のように、メディアと自分の関わりを読み解く作業が見当たらない。ここにあるのは“揶揄”だけだ。


戦争報道の内幕 隠された真実』フィリップ・ナイトリー/私が読んでいるのはハードカバー時事通信社)である。400ページ上下2段組。紙がいいのか、ずっしりとした重みがある。著者は『サンデー・タイムズ』(ロンドン)の老練記者。100ページほど読んだのだが、もっと腰を入れる必要を感じたので一旦中断。労作である。芳地昌三の訳文もこなれている。1854年から1975に至るまでの戦争がフォローされている。


人類が知っていることすべての短い歴史ビル・ブライソン/639ページの大著。人類が知り得た科学史が網羅されている。ビッグバンからヒトの誕生に至るまで。しかし、よくもまあこれだけのエピソードを集めたものだ。茶目っ気とユーモアと少しばかりの毒が盛り込まれたテキストが秀逸。読むだけで、君も「ミスター薀蓄(うんちく)」になれることを請け合おう。これだけの厚みがあるから、やはり持ち歩くよりは、トイレに置いておくべき一冊。便座の上で科学を学ぶのも悪くない。

毒を食らわば事故米まで〜三笠フーズ


「毒を食らわば皿まで」――どうせ罪を犯したのだから悪事は最後まで貫徹しようという意味の俚諺(りげん)だが、三笠フーズは皿の上に事故米を載せた。問題の米は中国産とベトナム産で、ダイオキシンの10倍以上の毒性をもつアフラトキシンや、メタミドホスなどの殺虫剤成分が確認されている。


 記者会見では梶島達也・食糧貿易課長が「公衆衛生の業務は農水省の仕事ではない」とのたまわった。確かに。お前達の仕事は「国民の目を欺くこと」だったな。私から記者に注意をしておこう。正しい質問はするなと。


 新任の太田誠一農水相も元気がない。「集団レイプは元気あっていい」と言ったのは5年前のこと。ひょっとすると、著しい精力の減退、及び低下で悩んでいたのかも知れない。立て、立つんだ、ジョー!


「コメの流通は農水省の責任。長年不正を見抜けなかったことは残念」。太田誠一農水相は12日、閣議後の会見で、そう語ったが、同省は、三笠フーズに過去5年間で96回、「浅井」(名古屋市瑞穂区)と「太田産業」(愛知県小坂井町)には、42回もの立ち入り検査を実施していたが、まったく不正を見抜くことはできなかった。

 工業用米は、月に1回程度、用途通りに使用されているか検査する。だが、抜き打ちではなく、相手側の都合にあわせるため毎回、事前に通告されていた。

産経新聞 2008-09-13


 つまり、単なる出来レース。八百長。シナリオに沿った行政手法。観客である消費者が怒るのはいつだって後の祭り。「政官業のタッグチームvs無知な国民」が好ゲームになることはあり得ない。それは、ドラえもんという後ろ盾を失ったのび太vsジャイアンみたいなもので、万に一つも勝ち目がない。


 そもそも、米の流通を問題視する声は以前からあった。どこでどうなっているかが不透明なのだ。まさに闇米。今回の事件は、保護行政の暗部が露顕しただけの話だろう。護送船団方式。赤信号もみんなで渡れば、前例と化す。大丈夫、悪いようにはしない。メタミドホスだって、中国製餃子は基準値の10万倍以上の成分が検出されたが、三笠フーズの事故米は2倍だ。何よりも、この国の国民は時間が経てば水に流してくれる。きっと、事故米ごと水に流してくれることだろう――こう官僚は考えていることだろう。あるいは、「誰のおかげでおまんまが食えると思っているんだ」とも。


 三笠フーズは架空取引を繰り返していた。これぞ流通マジック。資本主義は素晴らしい。株式会社は有限責任だ。潰してしまえばそれでチャラ。スイスの銀行が「プライベート・バンク」を名乗るのは無限責任を負っているためだ。


 日本というムラ社会では、政治家がルールをつくっているように見えるだけで、実際の胴元は官僚が行っている。彼等はルールを恣意的に曲げる才能に満ち満ちている。法律は文言よりも解釈で内容が決められる。ま、針金細工みたいなもんだな。


 それにしてもこの国には、「問題を未然に防ぐ能力」が全くといっていいほど見られない。長期にわたる自民党政権が歯槽膿漏のような悪臭を放っている。毒にまみれた米よりも、はるかに致死性が高いと思われる。

2008-09-11

神は細部に宿り、宇宙はミクロに存在する/『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修


 ここ数年、科学本が賑やかだ。福岡伸一著『もう牛を食べても安心か』や池谷裕二著『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』などがバカスカ売れたことは記憶に新しい。“未知なる世界への憧れ”や“正確な知識の渇望”といった人々の要求があるのかも知れぬ。


 量子とは女性の名前ではない。以前からお慕いしておりました。かつては物質の最小単位は原子であると考えられてきた。だが、原子は原子核と電子から成り、原子核は陽子と中性子で構成されている。この電子が量子の代表選手だ。


 電子を見ると実際には“粒”として存在しているが、「見てない時は“波”ってことにしておこうぜ」という暗黙の了解が成立しているそうだ。“波”であると考えれば、色々と説明がつくとのこと。


 私たちが物体を観察するとき、そのもっとも一般的な手段は「目で見る」というものです。「見る」という行為は、物体に当たって反射した光が目の網膜(もうまく)の中にある視細胞(しさいぼう)を刺激して、その結果生じる電気信号が脳に伝わって意識に上ることで成立します。つまり見るためには(自ら光を放つ物体を除いて)必ず光を対象物に当てなければなりません。

 私たちがふだん目にするマクロの世界の物質に光を当てても、物質の質量が十分に大きいので、その位置が変わってしまうようなことはありません。しかしミクロの世界の小さな物質の場合には、たとえばその物質が「どこにいるのか」を観測しようとして光を当てると、当てた光のエネルギーによってミクロの物質が動いてしまうために、もともといた位置がわからなくなったり、物質の運動方向が変わってしまうといったことが起こります。つまりミクロの世界を「見る」場合には、その対象物を「見る前の状態のまま」で見ることはできないのです。


【『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修(PHP文庫、2000年)】


 ミクロったってね、『ミクロの決死圏』なんか目じゃないよ。中性子のレベルからすると、人間の身体なんてスカスカの網の目状態なんだから。ミクロのレベルでは、我々が目にするモノは宇宙に等しい大きさだ。神は細部に宿る。極小の深遠といってよい。

「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! (PHP文庫)

軽犯罪法違反:天皇家批判の映画ポスター張った監督逮捕


 天皇家を批判する映画の宣伝ポスターを許可なく張ったとして、警視庁公安部は11日、住所不定、映画監督、渡辺文樹容疑者(55)を軽犯罪法違反(張り札行為)容疑で現行犯逮捕した。一緒に作業をしていた30代の女性も同容疑で書類送検する方針。

 調べでは、渡辺容疑者は11日午前4時10分ごろ、東京都江東区亀戸4の街路灯に、「現天皇は昭和天皇の子供ではない」などと訴える自作の映画「天皇伝説」の宣伝ポスター数枚を張った疑い。今月に入り、同様のポスターを都内で約100枚張っており、警戒中の捜査員に逮捕された。

 渡辺容疑者は90年、カンヌ国際映画祭にも出品した「島国根性」で、日本映画監督協会新人賞(奨励賞)を受賞した。天皇制に反対するテロリストを描いた「腹腹時計」などの作品がある。


毎日新聞 2008-09-11


「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」(大日本帝国憲法第3条)ということなのか? 「張り札行為」で摘発するなら、不動産屋とパチンコ店が先だろうよ。かような取り締まりを天皇家は望んでいないことだろう。

浅尾美和続報

 中日新聞が訂正記事を書くようだ。多分、訂正はしても反省はしないことだろう。


 東京中日スポーツの担当デスクは、「確かにちょっと厳しい書き方だと思います」として、08年9月10日に訂正のコラムを出すことを明らかにした。

【J-CASTニュース 2008-09-09】


 メディア関係者ってえのあ、人格障害の傾向が強い。閉ざされた業界内で他人の悪口を垂れ流しているうちに、自分達が正義であると勘違いしているのだろう。担当デスクの発言は、「他人のゲロよりは、自分のゲロの方が汚くない」といった感覚を示している。


「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」と書いた井上学記者は、「芸能人を扱うがごとく、周囲が過保護になってしまってはならない」と浅尾選手を斬って捨てた。芸能人を追っかける少年少女以上に、浅尾選手に依存している自分の姿を彼は自覚していないようだ。


 担当デスクは続けて、自分達のゲロについてこう釈明する――


「ツアーの主催者からは、棄権の詳しい理由を知らされていませんでした。『妹が急死した事情があります』と言われていれば、コラムの内容も違ったでしょう。亡くなられたので、過敏に反応する一般の方はいらっしゃると思います」

【J-CASTニュース 2008-09-09】


 つまり、わかりやすく翻訳すれば、「俺達には、どんな理由も隠しちゃダメだぜ。いつでも、どんなことでも書けるのだからな」という脅迫文となる。「過敏な反応」は井上記者の記事に向けられるべき言葉である。


 東京中日スポーツの広告主と購読者が、かような傲慢ぶりを支える結果となっている。よくよく熟慮すべきだ。

2008-09-09

「フィンガー・ダンシン」高中正義


 高中ナンバーで一番好きな曲。歌うようなギターと、ラテンのリズムが堪(たま)らん。アルバムがリリースされたのは、私が19歳の時。

オーシャン・ブリーズ

アダム・ファウアー


 上下巻2冊読了。


『数学的にありえない』アダム・ファウアー/昨日、今日で一気読み。ジェフリー・ディーヴァー以来の大物になりそうな予感。タイミングもよかった。佐藤勝彦著『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』、V・S・ラマチャンドラン著『脳のなかの幽霊』、ビル・ブライソン著『人類が知っていることすべての短い歴史』、苫米地英人著『夢をかなえる洗脳力』を事前に読んでおけば、面白さが倍増する。アダム・ファウアーはまだ30代。恐るべき才能である。文章に磨きをかければ、40代で巨匠になる可能性を秘めている。平日に読むと、仕事に支障が出るのでお気をつけあそばせ。映画化されることは、まず間違いない。


数学的にありえない〈上〉 数学的にありえない〈下〉

浅尾美和批判の勘違い


ビーチバレー・浅尾ドタキャン プロとしての責任は……


“ビーチの妖精”浅尾美和(22)=エスワン=が5日、岡山県玉野市で開幕した今季国内ツアー最終戦「アイムの家オープン」をドタキャンした。大会主催者は「家族が急病になったとのことで棄権の連絡が入った」と説明。6日の本戦から出場するためビーチ隣接の宿泊ホテルまでは来ていたが、会場に姿を見せることなくとんぼ返りしたという。

 同県内で初のツアー開催とあって、この日は浅尾の試合がないにもかかわらず、観客席やビーチ周辺に100人近くのファンが集まっていた。出場前日は通常、砂の状況を確かめるために本番コートで練習する。ペアを組む西堀もそのつもりでビーチに現れたが、1人では何もしようがなかった。

 浅尾のツアー欠場は、8月末の東京大会から2大会連続。関係者によると、前回は「CM出演企業と大会冠スポンサーが同業種」というのが理由だったという。13日からは福井で、20日からは六本木で特別大会がある。北京五輪期間中もテレビ局の特別リポーターとして大忙しだった浅尾だが、ビーチ復帰のメドは立たない状態だ。


▽日本ビーチバレー連盟・川合俊一会長「人気選手の浅尾が2大会連続で出場できなくなってしまったことは残念。ファンの方にも申しわけなく思う」


記者の目


 親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている。もちろん、家族を大切にする気持ちは分かる。しかし、今や浅尾は“ビーチの顔”である。片田舎のビーチにまで足を運ぶファンのためにも、プロとしての責任を果たすべきではなかったか。彼らは欠場することも、その理由も知らないのだ。

 主催者は「詳しいことは所属事務所に聞いてください」と繰り返した。今大会の欠場を知る前、浅尾を指導するコーチに練習の再開時期を尋ねると、「(事務所から)答えるなと言われている」と返された。いろんな種目で多くの選手や関係者を取材してきたが、こんな対応は初めてだ。

 浅尾がいなければ、ビーチバレーにこれほどの注目が集まることはなかった。だからといって、芸能人を扱うがごとく、周囲が過保護になってしまってはならない。“タレント選手”などと言われることのないように、真のアスリートとして成長する手助けをする必要があるのではないか。(井上学


中日スポーツ 2008-09-08


 ビーチバレーって、そこまで責任が問われるスポーツなのかね? 「浅尾美和」という名前は聞いたことがあるが、メディアが勝手に盛り上げ、けしかけ、囃(はや)し立てておいて、それから梯子を外し、御輿(みこし)を引っくり返しているだけの話だろう。


 大体、スポーツ新聞の記者なんてえのあ、ダニみたいな存在だろ? もう少し、ダニらしくしたらどうなんだろうね。


「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」――勝手な物語をプロ選手に押しつける発想が凄いね。井上学記者が言いたいことは、「俺達が望むように踊れ」というレベルの要求だ。


 プロスポーツ選手というのは、あるスポーツにおいて技量が並外れた人物である。ところが大衆は、そこに「美しい物語」を仮託する。身勝手なまでに、人格・見識・善良さなどを強要する。まるで、「道を極めた人は神に近づいているはずだ」とでも言うように。


 有名人に社会性が求められるのは当然だ。しかし、それ以上の何かを望むのは依存性の表れであると思う。まして、メディアというダニからすれば、「有名人はいくら叩いても構わない」という了解事項がある。


 この記事は、「危険な“あるべき論”」というべき内容で、依存性が反転した攻撃性が“政治的真空状態”を物語っているように感じた。


【※浅尾美和さんの妹が交通事故のため亡くなったとのこと】

2008-09-07

『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』


 1冊読了。


アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編/事件が起きたのが6月8日で、本書の発行が8月29日だから、機を見るに敏。執筆陣のチョイスがいい。凶悪犯罪を読み解く作業は、社会が犯罪者に歩み寄ろうとする試行錯誤であり、社会の窓口を広げる営みであると思った次第だ。あるいは、異質な物語に耳をそばだてる行為か。でも、結局のところ他人事だから、こんなことを書けるんだよな。殺された被害者の遺族には見せられる代物じゃない。ただし、他人という距離感がなければ、冷静に事件を見つめることはできない。往年の別冊宝島に比べると、薄っぺらくて(126ページ)、レイアウトが画一的だ。でも、やっぱり活字はいいよな――そんな気にさせられる一冊である。後半の失速感が少々残念な程度。

「個人授業」「恋のダイヤル6700」「学園天国」フィンガー5


 ウーーーム、今聴いても全く古く感じない。フィンガー5の才能が窺える。一世を風靡したのは私が小学4年生の頃。この時、リードボーカルの晃クンは小学6年生。ジャクソン・ファイブとよく比較されていた。後年、小泉今日子が「学園天国」をカバーしているが、歌にキレがなかった。しかし、可愛いから許そう。


D


D


D


フィンガー5 ベスト10

美術史は人類史の重要な資料/『イメージを読む 美術史入門』若桑みどり


 北海道大学で行われた集中講義を編んだもの。レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとする中世の西洋画を読み解こうとする目的が、初めて理解できた。教会が社会を牛耳っていたため、科学的発見ですら「神を冒涜するもの」という烙印を押されて葬られた。ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて、ドミニコ会の修道士と論争を始めたのが1615年。ローマ法王が正式に謝罪をしたのは何と1992年のことだった。実に377年間もの長きにわたって、ガリレオは異端者として扱われてきた。こうした時代背景の中で、画家達は絵の中に重要なメッセージを残した。つまり、一種の暗号ってわけだ。


 美術史は、思想史や科学史や経済史や一般的な社会の歴史と同様に、人間の歴史の重要な一部であるから、これを欠いては人類の創造してきた世界の総体を理解することなどとうていできはしない。つまり、美術は人類の歴史のとても重要な資料なのである。そればかりでなく、美術史の知識や方法論というのは、過去の芸術作品を理解するばかりでなく、現在身の回りにたくさんあふれているイメージを解釈したり、イメージを作り出したりするためにたいへん役に立つものなのだ。

 企業も役所も学校も、イメージを利用しなければ製品を売ることも、共同体をまとめることも、心をひきつけることもできない。遠い過去から身近なところまで、われわれは無数のイメージに取り巻かれ、その影響を受け、それとともに暮らしているのである。


【『イメージを読む 美術史入門』若桑みどり(筑摩書房、1993年/ちくま学芸文庫、2005年)】


「美術史を学ぶことで、シンボルを読み解くスキルを身につけなさいよ」という、みどりオバサンの指摘は重要。やや牽強付会と思われる部分もあるが、私は黙って従うつもりだ。敬老の精神を堅持しながら。長幼序あり……。


 それにしてもだ、中世の西洋画に比べると、今頃のイメージってえのあ、まるで思想がない。流行(はや)り廃(すた)りに敏感な様は、大衆の欲望に火をつけようと躍起になっているだけの姿勢を示している。経済がグローバル化しようと、家紋や半纏(はんてん)の印みたいなロゴで頑張ってもらいたいもんだよ。名は体を表し、イメージは文化を表す。


 ところで、人のイメージってのは何だろうね? まずは顔。ナンシー・エトコフによれば「美人は得をする」ことになっている。でも、顔だけじゃないよね。可愛いだけの馬鹿女も山ほどいらあ。イメージだからこの際、内面的な価値は無視しておこう。すると、体型・挙措・声・髪型などが浮かんでくる。パーツに関しては大きい部分に注目する傾向がある。「つぶらな瞳」とかね。


 また、フランス・ドゥ・ヴァールによれば、ボノボはボディランゲージに敏感で、係員が悲しげな表情をしていると、近寄ってきて肩に腕を回すという。


 まとまらなくなってきたので、筆を擱(お)く(←筆なんか持ってねーだろーが!)。

イメージを読む―美術史入門 (ちくまプリマーブックス) イメージを読む (ちくま学芸文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 1960年代初頭は、まだ「ナチ・ホロコースト」(歴史上のホロコースト)だった。そして、イスラエルは米国を利する存在にはなっていなかった。1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)までは。


 1960年代初頭のイスラエルは、アイヒマンを拉致したことで、AJC元代表のジョゼフ・プロスカウアー、ハーヴァード大学の歴史学教授オスカー・ハンドリン、ユダヤ人が社主を務める『ワシントン・ポスト』紙など、各方面のユダヤ人エリートからさんざんな批判を浴びた。精神分析学者で社会学者のエーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまったく同じ不法行為である」と述べた。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 こうした事実が、「ザ・ホロコースト」(金儲け、及び政治的プロパガンダとしてのホロコースト)へと歴史を捏造(ねつぞう)した有力な証拠である。ただし、ユダヤ人エリート以外がどのような反応を示したのかはわからない。


 当時、アメリカにとってはイスラエルよりもドイツとの同盟関係が重きをなしていた。エーリッヒ・フロムが政治に沿った発言をしたのだとすれば、彼の思想・信条は眉唾物であると言わざるを得ない。


 価値関係からしても、巨悪を撃つための小さな悪ならば、善となるはずだ。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

崩壊しつつある介護事業/『失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているか』平澤哲哉


 タイトルが衝撃的だ。「貧乏人、金持ちになる」よりも凄いね。介護版『王子と乞食』と言いたいところだが、そんな甘いものではない。平澤は言語聴覚士となった現在も尚、失語症と格闘している。


 私が訪問している患者さんの奥さんがこんな話をしてくれました。

「いつもST(言語聴覚士)に叱られて嫌な思いをしました。『毎日やっているのに何故できないの。しっかりやりなさい』と怒られてばかりでした」

 これでは何のための言語訓練なのかということになります。訓練に対する効果、という単純な図式を失語症にも当てはめて、必死でやりさえすれば必ずよくなると考えるSTもいるのです。これは、失語症の方たちにはとても迷惑な話です。

 できないのは患者さんの努力が足りないからではなく、失語症の特徴なのです。このことがわからなくてかえって大きな関係障害を起こしています。

 できないことが、訓練によってできるようになって満足するというのは、確かに素晴らしいのですが、“できないまま”でも満足に生活できるようにしていくことが、プロとしてもっと大切なことではないでしょうか。むしろ、そのニーズのほうが強いと思います。なぜならば、ことばが本人の満足のいくように回復するには、相当な期間と努力が必要なはずですから。


【『失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているか』平澤哲哉(雲母書房、2003年)】


 介護とは労多くして功少なき仕事であると思う。要介護者の笑顔を、自分への報酬と受け止めることができなければ、最悪の仕事といっていいだろう。そして、どんな業界にも悪党が存在する。当然ではあるが、「介護で一儲け」をたくらむ連中も多い。しかしながら、その殆どが失敗に帰している。ざまあみろ。


 大体、介護保険が1割負担ということは、9割が保険による診療報酬なのだ。つまり、9割をメーカーから損失補填(ほてん)してもらいながら、9割引でサービスを提供しても儲からない仕事が介護ということになる。


 介護制度自体がきちんと整理されていない現実がある。資格認定すらデタラメだ。介護福祉士が国家資格でありながら、ケアマネージャーが国家資格じゃないって、どういうことなんだ?


 介護の要とも言うべきケアプランを作成するのがケアマネージャーの業務だが、実際の仕事は小学生が夏休みの宿題として絵日記を書かされているような代物だ。利益の9割を厚生労働省に支えてもらっているため、保険報酬の詐取を防ぐ目的で膨大な書類の提出が義務づけられている。環境省は直ちに紙の無駄づかい注意すべきだ。全国のケアマネはCO2を増産していることに、心を痛めているぞ。


 平澤の指摘はあまりにも重い。国家主導で行われているリハビリテーションが、実は生活と乖離(かいり)したものであることを示しているのだ。結局、国が目を光らせているのは、障害者の再起でも何でもなく、診療報酬を減らすという一点のみ。「願わくはリハビリよりも死を」というのが本音だろうな。


 ファンダメンタルとしては、高齢者を医療保険から介護保険に追い出した上で、民間保険にまで押し出す予定である。土俵から締め出された高齢者は、両国駅を通り越して錦糸町あたりまで追いやられることだろう。


 根本的な解決法としては、介護で儲かる仕組みをつくることしかない。こうなると非情極まりないことではあるが、死亡保険とセットで介護を行うしか、今のところ手はなさそうだ。

失語症者、言語聴覚士になる―ことばを失った人は何を求めているのか

2008-09-06

昼寝


 昼過ぎにちょっと横になって、目が覚めたら何と6時間も経っていた。死んだのかと思ったよ。

セバスチャン・フィツェック、小田嶋隆


 1冊挫折、1冊読了。


ラジオ・キラー』セバスチャン・フィツェック/日高晤郎が薦めていたので読んでみたが30ページほどで挫けた。赤根洋子の翻訳がまるでダメだ。冒頭の4行に「彼」という文字が7回も出てくる。まるで、皿にへばり付いたしつこい脂みたいだ。忍耐力を総動員して読み続けたが、訳文の拙さを確認できただけだった。表紙の装丁も中途半端な漫画みたいでセンスがなさ過ぎる。本の作りも全くなってない。目次がないのだ。玄関がない家みたいだよ。ベランダから入れって言うのか? セバスチャン・フィツェックはドイツのホラー作家で、新進気鋭という形容詞を欲しいままにしているようだ。


テレビ救急箱小田嶋隆/こんなに面白いと、他の本が読めなくなって困る。昨日開いたと思ったら、もう読み終えてたよ。もっと時間をかけるべきだった。『テレビ標本箱』よりも脂が乗っている。適確な語彙(ごい)と絶妙な比喩がその辺のコラムニストを圧倒している。もうね、読んでいるだけで快感を覚えるようなテキストだ。後書きに「バンソウコウでできることは限られている」と書いているが、メスは深い部分にまで届いており、バンソウコウで止血することは無理だ。オダジマンが行っているのは一種の「瀉血(しゃけつ)療法」なのだ。メディアリテラシーのバイブルに君臨すべき一冊である。

人間が挑める高さの限界/『人間はどこまで耐えられるのか』フランセス・アッシュクロフト


 ヒトが登れる高さの限界、潜れる深さの限界、暑さ、寒さ、スピードの限界を生理学的見地から探っている。誰もが実感できそうなテーマがグッド。


 夢枕獏著『神々の山嶺』を読んで以来、私は自称“山男”となった。多分、同意見の人が多いことと思う。そして私は高尾山にアタックした。もはや完全な山男の出来上がりである。いつの日か8000メートル級に挑むため、まずは標高599メートルを攻略するのだ。ちなみに、我が家は標高200メートルに位置している。もちろん、冬山をも視野に入れているため、自宅では冬でもストーブを使っていない。耐え難い時は、腕立て伏せやヒンズースクワットで我が身の脂肪を燃やすことにしている。


 言うまでもなく、激しく動くほど(速いペースで登るほど)より多くの酸素が必要になる。標高7000メートルでは、海抜ゼロメートルに比べて体の動きは4割以下に落ちる。したがって、無酸素登山のペースはかなり遅くなる。1952年にレイモンド・ランバートとテンジン・ノルゲイがエベレストのサウスコルを登ったときは、わずか200メートルに5時間半かかった。ラインホルト・メスナーとペーター・ハーベラー山頂が近づくにつれて、疲労のあまり数歩ごとに雪の中に倒れ込み、最後の100メートルに1時間かかった。


【『人間はどこまで耐えられるのか』フランセス・アッシュクロフト/矢羽野薫訳(河出書房新社、2002年/河出文庫、2008年)】


 これだよ、これ。世界の尾根は下界とは別世界なのだ。安閑と過ごしている平野とは時空まで異なる。登った人でなければわからない(←私も未踏)。しかも、酸素が薄いということは、体内の水分が蒸発しやすくなる。でもって寒い。つまり三重苦。


 なぜ、山に登るのか? それは、人間が神になるためだ。眉村卓の『通りすぎた奴』を読めばわかるよ。神は天上にましまし、仏は生命の上座に存する。キーワードは「高さ」だ。文明の発達は、高さを制したものが勝つ。エシュロンよ、お前の勝ちだ。


 しかし、生身の身体で勝負するドラマにエシュロンはかなわない。本書に書かれていたが、ヒトが登れる高さの限界はちょうどエベレストの山頂の高さらしいよ。


 視点が高くなると、見える世界が変わる。小さな子供は世界を広げようと、いつも背伸びをしている。経済的なステイタスは高層マンションと相場が決まっている。


 私は神となるべく、近いうちに再び高尾山に登る予定だ。私の姿を見た途端、拝む人がそろそろ出てくることだろう。

人間はどこまで耐えられるのか 人間はどこまで耐えられるのか (河出文庫 ア 6-1)

(※左が単行本、右が文庫本)

2008-09-05

「あの唄はもう唄わないのですか」風


 私の得意な歌だ(笑)。伊勢正三の文体は見事なハードボイルドである。「22歳の別れ」に続いて発表されたシングル第2弾だった。私が中学3年の時。


D


COMPLETE BEST

2008-09-04

苫米地英人


 1冊読了。


夢をかなえる洗脳力苫米地英人/ウーーーム、ベッチー先生の胡散臭さが堪らん。IQが高いにもかかわらず、文章の下手クソなところがまたいい。「インチキ本でござい」って感じのタイトルで、紹介されている洗脳法はどれ一つやる気がしないが、それでも凄いことが書かれている。苫米地流「摩訶止観」といっていいだろう。

2008-09-03

武藤康史、苫米地英人


 1冊挫折、1冊読了。


国語辞典の名語釈』武藤康史/5ページほどで挫ける。博覧強記の書誌情報が盛り込まれているが、どうも鼻につく。意図的に挿入されている古めかしい言葉も、作為が強過ぎて浮き上がっている。決定的なのは、あまり楽しそうに書いてないところ。これほど相性が悪いのは、宮部みゆき以来か。


心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション苫米地英人/ベッチー先生にはまっているこの頃である。少々胡散臭さを感じないわけではないが、多分、凄く難しいことを簡単に表現しているせいだろうと、善意に解釈している。「情報空間を高い視点から俯瞰できるかどうか」という教えが基調。敢えて「教え」と書いておこう。科学、宗教、脳という三つの角度から、人間の可能性が説かれている。まだまだ興味が尽きない。

「春なのに」柏原芳恵


 今、聴いても名曲。作詞作曲は中島みゆき。「記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます」という歌詞が圧巻。

プライムセレクション 柏原芳恵

2008-09-02

三郷幼児放置死事件 男児なお「ママ悪くない」


「ママは悪くない。僕がご飯を自分だけ食べて、弟や妹にあげなかったから。僕が本当に全部悪い」


 先月20日、さいたま地裁。埼玉県三郷市の豪邸で3月、2歳の男児が餓死しているのが見つかり、保護責任者遺棄致死傷罪で起訴された島村恵美被告(30)の初公判で、検察官が双子の弟妹とともに11日間置き去りにされた長男(6つ)の調書を読み上げた。


 小学校に上がる直前に出て行った母なのに、そこに恨みの言葉はなかった。能面のようだった島村被告が肩を震わせて泣いた。


 豪邸の中は「ごみ屋敷」だった。室内に残飯やおむつが散乱。男児の双子の妹も脱水症状で入院した。


 検察官「自分だけ風呂に入り、かわいそうと思わなかったのか。子供がどうなるか想像しなかったのか」

 島村被告「しなかった」


 島村被告は中学生の時に両親が離婚、不在がちな母親に代わり10歳近く離れた二人の弟の面倒を見た。22歳で結婚。不妊治療の末に長男を授かり、親族は喜んだ。だが間もなく離婚。2005年12月、一緒に暮らすようになった別の男性との間に男と女の双子を産んだ。親族との関係は冷え込み、長男の運動会には誰も来なかった。


 双子の育児は大変だった。一人が泣きやめばもう一人が泣く。単身赴任した男性の帰宅は年に数回。祖母も母親も資金援助だけで育児を手伝ってはくれなかった。会社経営者の祖母には「ちゃんと子育てしろ」と厳しくされ、母親からは「仕事で朝が早い」と突き放された。自分の時間が欲しかった。


 弁護人「祖母から『子供を見ているから遊んできなよ』と言われたことは」

 島村被告「なかった」


 1月ごろから子供を放置して居酒屋に入り浸り、また別の男性と交際。3月3日、長男に「ママはもう居なくなるから」と言い残し、自宅近くのマンションでこの男性と暮らし始めた。長男は寂しさと不安から1日30回も電話をかけてくることがあった。


 9日後、長男の「弟が起きない」との電話で自宅に戻った。玄関で声を掛けたが、動かない次男を見て不安になり、引き返した。その2日後、今度は「弟が血を吐いている」との電話。「体を揺さぶって起こせ。人工呼吸しろ」と長男に伝えたが、手遅れだった。「ママも悪いけど、おまえも悪い。自分一人でご飯を食ってんじゃない」。激高し長男を平手でたたいた。


「ママのシチューとカレーが大好き。ママが帰ってこなくて寂しかった」。保護された長男はそう話したという。


「長男は今もあなたをかばっている。どう思うんですか」。法廷で検察官に問いただされた島村被告は、泣くしかなかった。


 長男と長女は今、施設で暮らしている。


 検察側は懲役8年を求刑。判決は3日に言い渡される。


東京新聞 2008-09-02】


 全く同様の事件が以下――

近代政府による組織的な宣伝活動/『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー

 ノーム・チョムスキーを読むのは『9.11 アメリカに報復する資格はない!』以来のこと。本物の知性は、人々を無知蒙昧のままにしようとする権力と対峙せざるを得ない。果たして日本にかような知性は存在するのか? 一身の栄誉栄達に身をやつすのような学者が大半ではないだろうか。


 国家がどのようにメディアをコントロールし、意のままに国民を操ってきたかを検証している。日本でも昨今、国益を声高に主張する政治家が多く見受けられるが、国益=国民益でないことを見抜く確かな目が求められる。多くの戦争は国益という大義名分の下(もと)で行われてきたのだ。


組織的宣伝の初期の歴史


 まず、近代政府による最初の組織的な宣伝活動から始める。

 それはウッドロー・ウィルソンの政権下で行われた。

 1916年に、ウッドロー・ウィルソンは「勝利なき平和」を綱領に掲げて大統領に再選された。第一次世界大戦のさなかのことである。世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。

 しかし実際には、ウィルソン政権は戦争に関与していったので、何らかの措置を講じる必要が生じた。政府主導の宣伝委員会――いわゆる「クリール委員会」――が設立され、半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた。

 戦争熱に浮かされた人びとは、ドイツのものをことごとく破壊してやりたい、ドイツ人を八つ裂きにしたい、戦争に参加して世界を救いたいと考えるようになった。ウィルソン政権によるこの作戦は大成功であり、さらには別の成果にもつながった。

 戦中から戦後に、ヒステリックな「赤狩り」をあおるのにも同じ手法が使われ、組合をつぶし、報道の自由や政治思想の自由といった危険な問題を排除することにも首尾よく成功したのである。これにはメディアと財界からの非常に強力な支援があった。さらに言えば、メディアと財界はこの作戦のほとんどを組織し、推進したのであり、それは総じて大成功をおさめた。

 ウィルソンの参戦の意向を積極的かつ熱狂的に指示した人びとの一部は、ジョン・デューイを中心とする進歩的な知識人だった。デューイをはじめとする人びとがそのころに書いた文章を読めばわかるとおり、彼らは自分たちのような「社会の知識階層」が、躊躇する一般の人びとを鼓舞して、戦争にかりたてることができたことをたいへん誇りにしていた。実際には、人びとを怯えさせ、狂気じみた好戦的愛国精神を引きだしただけなのだが。

 このときに使われた手口は半端なものではなかった。たとえば、ありもしないドイツ兵の残虐行為がいくつもでっちあげられた。両腕をもぎとられたベルギー人の赤ん坊など、ありとあらゆる暴虐の結果が、いまでも歴史の本に載せられているぐらいだ。その大半は、イギリスの宣伝省によって捏造(ねつぞう)されたものだった。彼らの目的は、当時の極秘審議録に書かれているように、「世論の動向を操作する」ことにほかならなかった。

 だが、それよりも肝心なのは、彼らがアメリカ社会の知識階層の考えを操作しようとしたことだ。そうすれば、その連中がイギリスによってでっちあげられた宣伝を広め、平和主義の国を好戦的なヒステリー集団に変えてくれる。

 その思惑は当たった。みごとに当たった。そして、これが一つの教訓となったのである。国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。


【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー/鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】


 人間の憎悪や嫌悪感を煽り立てるのが基本的なテクニックだ。“憎しみの演出効果”といってよいだろう。まさか、ジョン・デューイまでがこれに加担していたとは……。チョムスキー自身が尊敬する人物なのだ。

 こうした情報操作は、時代を経た我々の目には滑稽に映る。なぜなら、「子供じみた嘘」に他ならないからだ。チョムスキーは事実を淡々と述べるだけで、“嘘の動機”に対しては何も語らない。きっと、「ここから先は自分の頭で考えるように」ということなのだろう。


 情報には必ず意図がある。意図のために利用される度合いが高まるほど、そこには嘘が盛り込まれる。作為的な割愛・隠蔽というケースもあろう。メディア・コントロールに踊らされる国民が、“嘘つき国家”を支えている。

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)