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2008-09-02

三郷幼児放置死事件 男児なお「ママ悪くない」


「ママは悪くない。僕がご飯を自分だけ食べて、弟や妹にあげなかったから。僕が本当に全部悪い」


 先月20日、さいたま地裁。埼玉県三郷市の豪邸で3月、2歳の男児が餓死しているのが見つかり、保護責任者遺棄致死傷罪で起訴された島村恵美被告(30)の初公判で、検察官が双子の弟妹とともに11日間置き去りにされた長男(6つ)の調書を読み上げた。


 小学校に上がる直前に出て行った母なのに、そこに恨みの言葉はなかった。能面のようだった島村被告が肩を震わせて泣いた。


 豪邸の中は「ごみ屋敷」だった。室内に残飯やおむつが散乱。男児の双子の妹も脱水症状で入院した。


 検察官「自分だけ風呂に入り、かわいそうと思わなかったのか。子供がどうなるか想像しなかったのか」

 島村被告「しなかった」


 島村被告は中学生の時に両親が離婚、不在がちな母親に代わり10歳近く離れた二人の弟の面倒を見た。22歳で結婚。不妊治療の末に長男を授かり、親族は喜んだ。だが間もなく離婚。2005年12月、一緒に暮らすようになった別の男性との間に男と女の双子を産んだ。親族との関係は冷え込み、長男の運動会には誰も来なかった。


 双子の育児は大変だった。一人が泣きやめばもう一人が泣く。単身赴任した男性の帰宅は年に数回。祖母も母親も資金援助だけで育児を手伝ってはくれなかった。会社経営者の祖母には「ちゃんと子育てしろ」と厳しくされ、母親からは「仕事で朝が早い」と突き放された。自分の時間が欲しかった。


 弁護人「祖母から『子供を見ているから遊んできなよ』と言われたことは」

 島村被告「なかった」


 1月ごろから子供を放置して居酒屋に入り浸り、また別の男性と交際。3月3日、長男に「ママはもう居なくなるから」と言い残し、自宅近くのマンションでこの男性と暮らし始めた。長男は寂しさと不安から1日30回も電話をかけてくることがあった。


 9日後、長男の「弟が起きない」との電話で自宅に戻った。玄関で声を掛けたが、動かない次男を見て不安になり、引き返した。その2日後、今度は「弟が血を吐いている」との電話。「体を揺さぶって起こせ。人工呼吸しろ」と長男に伝えたが、手遅れだった。「ママも悪いけど、おまえも悪い。自分一人でご飯を食ってんじゃない」。激高し長男を平手でたたいた。


「ママのシチューとカレーが大好き。ママが帰ってこなくて寂しかった」。保護された長男はそう話したという。


「長男は今もあなたをかばっている。どう思うんですか」。法廷で検察官に問いただされた島村被告は、泣くしかなかった。


 長男と長女は今、施設で暮らしている。


 検察側は懲役8年を求刑。判決は3日に言い渡される。


東京新聞 2008-09-02】


 全く同様の事件が以下――

近代政府による組織的な宣伝活動/『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー

 ノーム・チョムスキーを読むのは『9.11 アメリカに報復する資格はない!』以来のこと。本物の知性は、人々を無知蒙昧のままにしようとする権力と対峙せざるを得ない。果たして日本にかような知性は存在するのか? 一身の栄誉栄達に身をやつすのような学者が大半ではないだろうか。


 国家がどのようにメディアをコントロールし、意のままに国民を操ってきたかを検証している。日本でも昨今、国益を声高に主張する政治家が多く見受けられるが、国益=国民益でないことを見抜く確かな目が求められる。多くの戦争は国益という大義名分の下(もと)で行われてきたのだ。


組織的宣伝の初期の歴史


 まず、近代政府による最初の組織的な宣伝活動から始める。

 それはウッドロー・ウィルソンの政権下で行われた。

 1916年に、ウッドロー・ウィルソンは「勝利なき平和」を綱領に掲げて大統領に再選された。第一次世界大戦のさなかのことである。世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。

 しかし実際には、ウィルソン政権は戦争に関与していったので、何らかの措置を講じる必要が生じた。政府主導の宣伝委員会――いわゆる「クリール委員会」――が設立され、半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた。

 戦争熱に浮かされた人びとは、ドイツのものをことごとく破壊してやりたい、ドイツ人を八つ裂きにしたい、戦争に参加して世界を救いたいと考えるようになった。ウィルソン政権によるこの作戦は大成功であり、さらには別の成果にもつながった。

 戦中から戦後に、ヒステリックな「赤狩り」をあおるのにも同じ手法が使われ、組合をつぶし、報道の自由や政治思想の自由といった危険な問題を排除することにも首尾よく成功したのである。これにはメディアと財界からの非常に強力な支援があった。さらに言えば、メディアと財界はこの作戦のほとんどを組織し、推進したのであり、それは総じて大成功をおさめた。

 ウィルソンの参戦の意向を積極的かつ熱狂的に指示した人びとの一部は、ジョン・デューイを中心とする進歩的な知識人だった。デューイをはじめとする人びとがそのころに書いた文章を読めばわかるとおり、彼らは自分たちのような「社会の知識階層」が、躊躇する一般の人びとを鼓舞して、戦争にかりたてることができたことをたいへん誇りにしていた。実際には、人びとを怯えさせ、狂気じみた好戦的愛国精神を引きだしただけなのだが。

 このときに使われた手口は半端なものではなかった。たとえば、ありもしないドイツ兵の残虐行為がいくつもでっちあげられた。両腕をもぎとられたベルギー人の赤ん坊など、ありとあらゆる暴虐の結果が、いまでも歴史の本に載せられているぐらいだ。その大半は、イギリスの宣伝省によって捏造(ねつぞう)されたものだった。彼らの目的は、当時の極秘審議録に書かれているように、「世論の動向を操作する」ことにほかならなかった。

 だが、それよりも肝心なのは、彼らがアメリカ社会の知識階層の考えを操作しようとしたことだ。そうすれば、その連中がイギリスによってでっちあげられた宣伝を広め、平和主義の国を好戦的なヒステリー集団に変えてくれる。

 その思惑は当たった。みごとに当たった。そして、これが一つの教訓となったのである。国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。


【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー/鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】


 人間の憎悪や嫌悪感を煽り立てるのが基本的なテクニックだ。“憎しみの演出効果”といってよいだろう。まさか、ジョン・デューイまでがこれに加担していたとは……。チョムスキー自身が尊敬する人物なのだ。

 こうした情報操作は、時代を経た我々の目には滑稽に映る。なぜなら、「子供じみた嘘」に他ならないからだ。チョムスキーは事実を淡々と述べるだけで、“嘘の動機”に対しては何も語らない。きっと、「ここから先は自分の頭で考えるように」ということなのだろう。


 情報には必ず意図がある。意図のために利用される度合いが高まるほど、そこには嘘が盛り込まれる。作為的な割愛・隠蔽というケースもあろう。メディア・コントロールに踊らされる国民が、“嘘つき国家”を支えている。

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)