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2008-09-07

『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』


 1冊読了。


アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編/事件が起きたのが6月8日で、本書の発行が8月29日だから、機を見るに敏。執筆陣のチョイスがいい。凶悪犯罪を読み解く作業は、社会が犯罪者に歩み寄ろうとする試行錯誤であり、社会の窓口を広げる営みであると思った次第だ。あるいは、異質な物語に耳をそばだてる行為か。でも、結局のところ他人事だから、こんなことを書けるんだよな。殺された被害者の遺族には見せられる代物じゃない。ただし、他人という距離感がなければ、冷静に事件を見つめることはできない。往年の別冊宝島に比べると、薄っぺらくて(126ページ)、レイアウトが画一的だ。でも、やっぱり活字はいいよな――そんな気にさせられる一冊である。後半の失速感が少々残念な程度。

「個人授業」「恋のダイヤル6700」「学園天国」フィンガー5


 ウーーーム、今聴いても全く古く感じない。フィンガー5の才能が窺える。一世を風靡したのは私が小学4年生の頃。この時、リードボーカルの晃クンは小学6年生。ジャクソン・ファイブとよく比較されていた。後年、小泉今日子が「学園天国」をカバーしているが、歌にキレがなかった。しかし、可愛いから許そう。


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フィンガー5 ベスト10

美術史は人類史の重要な資料/『イメージを読む 美術史入門』若桑みどり


 北海道大学で行われた集中講義を編んだもの。レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとする中世の西洋画を読み解こうとする目的が、初めて理解できた。教会が社会を牛耳っていたため、科学的発見ですら「神を冒涜するもの」という烙印を押されて葬られた。ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて、ドミニコ会の修道士と論争を始めたのが1615年。ローマ法王が正式に謝罪をしたのは何と1992年のことだった。実に377年間もの長きにわたって、ガリレオは異端者として扱われてきた。こうした時代背景の中で、画家達は絵の中に重要なメッセージを残した。つまり、一種の暗号ってわけだ。


 美術史は、思想史や科学史や経済史や一般的な社会の歴史と同様に、人間の歴史の重要な一部であるから、これを欠いては人類の創造してきた世界の総体を理解することなどとうていできはしない。つまり、美術は人類の歴史のとても重要な資料なのである。そればかりでなく、美術史の知識や方法論というのは、過去の芸術作品を理解するばかりでなく、現在身の回りにたくさんあふれているイメージを解釈したり、イメージを作り出したりするためにたいへん役に立つものなのだ。

 企業も役所も学校も、イメージを利用しなければ製品を売ることも、共同体をまとめることも、心をひきつけることもできない。遠い過去から身近なところまで、われわれは無数のイメージに取り巻かれ、その影響を受け、それとともに暮らしているのである。


【『イメージを読む 美術史入門』若桑みどり(筑摩書房、1993年/ちくま学芸文庫、2005年)】


「美術史を学ぶことで、シンボルを読み解くスキルを身につけなさいよ」という、みどりオバサンの指摘は重要。やや牽強付会と思われる部分もあるが、私は黙って従うつもりだ。敬老の精神を堅持しながら。長幼序あり……。


 それにしてもだ、中世の西洋画に比べると、今頃のイメージってえのあ、まるで思想がない。流行(はや)り廃(すた)りに敏感な様は、大衆の欲望に火をつけようと躍起になっているだけの姿勢を示している。経済がグローバル化しようと、家紋や半纏(はんてん)の印みたいなロゴで頑張ってもらいたいもんだよ。名は体を表し、イメージは文化を表す。


 ところで、人のイメージってのは何だろうね? まずは顔。ナンシー・エトコフによれば「美人は得をする」ことになっている。でも、顔だけじゃないよね。可愛いだけの馬鹿女も山ほどいらあ。イメージだからこの際、内面的な価値は無視しておこう。すると、体型・挙措・声・髪型などが浮かんでくる。パーツに関しては大きい部分に注目する傾向がある。「つぶらな瞳」とかね。


 また、フランス・ドゥ・ヴァールによれば、ボノボはボディランゲージに敏感で、係員が悲しげな表情をしていると、近寄ってきて肩に腕を回すという。


 まとまらなくなってきたので、筆を擱(お)く(←筆なんか持ってねーだろーが!)。

イメージを読む―美術史入門 (ちくまプリマーブックス) イメージを読む (ちくま学芸文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

 1960年代初頭は、まだ「ナチ・ホロコースト」(歴史上のホロコースト)だった。そして、イスラエルは米国を利する存在にはなっていなかった。1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)までは。


 1960年代初頭のイスラエルは、アイヒマンを拉致したことで、AJC元代表のジョゼフ・プロスカウアー、ハーヴァード大学の歴史学教授オスカー・ハンドリン、ユダヤ人が社主を務める『ワシントン・ポスト』紙など、各方面のユダヤ人エリートからさんざんな批判を浴びた。精神分析学者で社会学者のエーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまったく同じ不法行為である」と述べた。


【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/ 立木勝訳(三交社、2004年)】


 こうした事実が、「ザ・ホロコースト」(金儲け、及び政治的プロパガンダとしてのホロコースト)へと歴史を捏造(ねつぞう)した有力な証拠である。ただし、ユダヤ人エリート以外がどのような反応を示したのかはわからない。


 当時、アメリカにとってはイスラエルよりもドイツとの同盟関係が重きをなしていた。エーリッヒ・フロムが政治に沿った発言をしたのだとすれば、彼の思想・信条は眉唾物であると言わざるを得ない。


 価値関係からしても、巨悪を撃つための小さな悪ならば、善となるはずだ。

ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち

崩壊しつつある介護事業/『失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているか』平澤哲哉


 タイトルが衝撃的だ。「貧乏人、金持ちになる」よりも凄いね。介護版『王子と乞食』と言いたいところだが、そんな甘いものではない。平澤は言語聴覚士となった現在も尚、失語症と格闘している。


 私が訪問している患者さんの奥さんがこんな話をしてくれました。

「いつもST(言語聴覚士)に叱られて嫌な思いをしました。『毎日やっているのに何故できないの。しっかりやりなさい』と怒られてばかりでした」

 これでは何のための言語訓練なのかということになります。訓練に対する効果、という単純な図式を失語症にも当てはめて、必死でやりさえすれば必ずよくなると考えるSTもいるのです。これは、失語症の方たちにはとても迷惑な話です。

 できないのは患者さんの努力が足りないからではなく、失語症の特徴なのです。このことがわからなくてかえって大きな関係障害を起こしています。

 できないことが、訓練によってできるようになって満足するというのは、確かに素晴らしいのですが、“できないまま”でも満足に生活できるようにしていくことが、プロとしてもっと大切なことではないでしょうか。むしろ、そのニーズのほうが強いと思います。なぜならば、ことばが本人の満足のいくように回復するには、相当な期間と努力が必要なはずですから。


【『失語症者、言語聴覚士になる ことばを失った人は何を求めているか』平澤哲哉(雲母書房、2003年)】


 介護とは労多くして功少なき仕事であると思う。要介護者の笑顔を、自分への報酬と受け止めることができなければ、最悪の仕事といっていいだろう。そして、どんな業界にも悪党が存在する。当然ではあるが、「介護で一儲け」をたくらむ連中も多い。しかしながら、その殆どが失敗に帰している。ざまあみろ。


 大体、介護保険が1割負担ということは、9割が保険による診療報酬なのだ。つまり、9割をメーカーから損失補填(ほてん)してもらいながら、9割引でサービスを提供しても儲からない仕事が介護ということになる。


 介護制度自体がきちんと整理されていない現実がある。資格認定すらデタラメだ。介護福祉士が国家資格でありながら、ケアマネージャーが国家資格じゃないって、どういうことなんだ?


 介護の要とも言うべきケアプランを作成するのがケアマネージャーの業務だが、実際の仕事は小学生が夏休みの宿題として絵日記を書かされているような代物だ。利益の9割を厚生労働省に支えてもらっているため、保険報酬の詐取を防ぐ目的で膨大な書類の提出が義務づけられている。環境省は直ちに紙の無駄づかい注意すべきだ。全国のケアマネはCO2を増産していることに、心を痛めているぞ。


 平澤の指摘はあまりにも重い。国家主導で行われているリハビリテーションが、実は生活と乖離(かいり)したものであることを示しているのだ。結局、国が目を光らせているのは、障害者の再起でも何でもなく、診療報酬を減らすという一点のみ。「願わくはリハビリよりも死を」というのが本音だろうな。


 ファンダメンタルとしては、高齢者を医療保険から介護保険に追い出した上で、民間保険にまで押し出す予定である。土俵から締め出された高齢者は、両国駅を通り越して錦糸町あたりまで追いやられることだろう。


 根本的な解決法としては、介護で儲かる仕組みをつくることしかない。こうなると非情極まりないことではあるが、死亡保険とセットで介護を行うしか、今のところ手はなさそうだ。

失語症者、言語聴覚士になる―ことばを失った人は何を求めているのか