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2008-09-30

極端な定型化が笑いを誘う/『山手線膝栗毛』小田嶋隆


 小田嶋隆丸山健二の共通点は、極端な定型化(ステレオタイプ)を描くことで笑いを誘っているところだ。この作品は、山手線の全ての駅にまつわるエッセイ集で、東京の断面図が鮮やかに描かれている。


 仮に、池袋、高田馬場、目白の三つの町を三姉妹と仮定してみる。と、長女の池袋は蓮っ葉なやくざの情婦、次女の高田馬場は小生意気なスケ番ぐらいの位置づけになる。二人とも、年齢を重ねるにつれて、化粧が濃くなり、言葉つきや仕草も日を追ってぞんざいになってきている。長女は、立て膝で冷や酒をあおり、次女は、口紅のついた煙草を、窓から放り投げ、そうすることについて、二人とも、何らの躊躇も感じていない。

 しかし、三女の目白だけは、奇跡的にも、いつまでも清楚な深窓の令嬢の風情を失わない。リア王の三人の娘たちの場合もそうだったが、末の娘だけは、まるで別の血が流れているみたいに、心優しいのである。

 駅前にはソープはおろかピンサロも雀荘もなく、サラ金や養老の瀧もない。町を歩く人々も皆、落ち着いた足取りで歩いている。

 と、延々と目白賛美を並べ立ててきたが、実のところ、私はこの町が好きなわけではない。むしろ、嫌いと言っても良い。小ぎれいなのは結構だが、面白味に欠けると思っている。目白には、おいしいケーキ屋さんがいくつもあるのだそうだが、そんなことは私にはどうでも良いことだ。

 結局、ある種のトカゲが砂漠にしか住めず、ある種の魚が清流を嫌うように、人間の中にも、いわゆる「良い環境」になじまない人々がいるのである。


【『山手線膝栗毛』小田嶋隆ジャストシステム、1993年)】


 私自身、東京の地に住んでから既に20年以上経っている。都市というのは巨大な分だけ格差が存在するものだ。東京には実に様々な表情がある。私は長らく亀戸駅界隈に住んでいたので、池袋に足を運ぶことはあまりなかった。用があれば新宿で足りてしまうからだ。何度か池袋へは行ったことがあるが、あの胡散臭い雰囲気はどうしても馴染むことができない。


 池袋駅にはキャッチセールスの輩が、ボウフラのようにウヨウヨしている。駅のアナウンスで注意を呼び掛けているほどだ。アイツらは多分、埼玉県民を騙すべく虎視眈々と眼を光らせているのだろう。


 目白には行ったことがない。ただの一度も。ま、私が足を運ぶような場所じゃないことは、オダジマンの文章からも明らかだ。私は道産子でありながらも東京下町の水が性分に合ってしまったがために、今住んでいる八王子に違和感を覚えてならないのだ。閉鎖性を田舎と称するのであれば、八王子は正真正銘のド田舎である。

山手線膝栗毛

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