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2008-10-02

明治以前、日本に「社会」は存在しなかった/『翻訳語成立事情』柳父章


 元始の言葉はどんなものであったのだろう。時折、そんなことを思う。叫び、祈り、歌――いずれにせよ、何らかの感動が込められていたに違いない。しかしながら残念なことに、最初の言葉は名詞であったという説が有力だ。ヘレン・ケラーが最初に発した言葉も「ウォーター(水)」だった。


「言葉(=名前)」がなければ、それは「存在」しないという考え方がある。例えば、苫米地英人の『夢をかなえる洗脳力』では、外国人が風鈴を知らない様子が描かれている。日本人であれば、風鈴の音を聞くと涼しげな心持ちとなるのが普通だが、外国人には全く通用しない。それどころか、情報空間に存在すらしていないという。


 もちろん風鈴は実際に音を鳴らしている。だが、その概念や意味合いを知らなければ、脳内で情報として処理されることはないのだ。明治期に導入された翻訳語もこれと似ている。


 この「社会」ということばは、societyなどの西欧語の翻訳語である。およそ明治10年代の頃以後盛んに使われるようになって、1世紀ほどの歴史を持っているわけである。

 しかし、かつてsocietyということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。

 やがて「社会」という訳語が造られ、定着した。しかしこのことは、「社会」−societyに対応するような現実が日本にも存在するようになった、ということではない。そしてこのような事情は、今日の私たちの「社会」とも無縁ではないのである。そこで、societyの翻訳がいかに困難であるか、そのことを実感していた時代をふり返る必要がある、と私は考える。


【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】


 非常に抑制された慎重な文章である。まどろっこしいほどだ。


 それまでは、「世間」はあっても「社会」はなかったのだろう。何となく、いまだに「社会」は存在しないような気になってくる。どうも、なさそうだな。「世間」は確かに存在している。だって、不祥事があるたび、世間に向かって詫びを入れる面々がいるからね。そして、「世間」は狭い。更に、「渡る世間は鬼ばかり」である。


 でも、「世間」ってどの範囲を指しているんだろうね? よもや、日本全体ではあるまい。都道府県レベルでも広過ぎるだろう。多分、「ムラ」でしょうな。DNAに伝わる仮想空間としての「ムラ」である。日本人が恐れてやまない「村八分」が徹底できる範囲だ。


 共同体としての「ムラ」は実在しないから、極めて狭い人間関係となる。親戚、友人、同僚という程度か。つまり、日本人にとっての世間とは、せいぜい数十人程度の関係性を示すもので、そこでのルールは法律や道徳などではなく、「ムラの掟」だ。


「societyの翻訳」は、まだ終わっていない。

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

金森重樹


 1冊読了。


1年で10億つくる! 不動産投資の破壊的成功法』金森重樹〈かなもり・しげき〉(ダイヤモンド社、2005年)/凄いタイトルだよね。何てったって「破壊的成功」だよ。表紙を見ただけで木っ端微塵になりそうだわな。著者の名も体を表しているよ。黄金の葉っぱが生い茂る森を思わせる。私のハンドルも金光仏蔵(きんぴか・ぶつぞう)にしようかな。セオリーを押さえたオーソドックスな不動産投資法を紹介。金森氏が1970年生まれと若いため、実にわかりやすい内容となっている。ただし、昨今の不動産相場は不況の風が吹いている。それなりの目利きでなければ成功は覚束ないことだろう。不動産を購入するリスクも解説されていて、優良な投資本といってよい。

CIA局員の表向きの肩書きは大使館員、広告・出版関係者/『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫

    • CIA局員の表向きの肩書きは大使館員、広告・出版関係者

 私が子供の時分からスパイに憧れていたのは、テレビアニメ「スーパースリー」の影響かも知れない。当時はまだ「諜報部員」と称していた。


 中年おやじになった今、振り返ってみると「仮面ライダー」「鉄人28号」「巨人の星」などは、広義の意味で“スパイもの”と言っていいだろう。いずれも、ある目的のために人生の大半を犠牲にし、その犠牲を超克することで強い意志を発揮して、正義を実現する内容となっている。


 多分、そういう国民像が望まれていたのだろう。つまり、兵隊。


 スパイはカメレオンでもある。徹底して身分を秘匿し、その時その時の役回りを演じる。観客は上司一人。演出者は国家。


 ただし、現在でもCIA局員の表向きの肩書きは大使館員以外では広告関係や出版関係の会社の従業員というものが多いので不思議はない。

 当時からCIAは国費を使って世界各国の新聞社や広告会社を買収し、運営していた。かくしてCIA局員はこれらの会社を隠れ蓑として、会社の従業員という肩書きで活動しているのだ。


【『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫(新潮社、2006年)】


 そうだったのか。すると、先日我が家を訪れた新聞拡張員もCIAの手先であった可能性がある。


 スパイへの憧れは、ジョン・ル・カレやフリーマントルを読むようになって色褪せていった。二重スパイ、三重スパイとなると、何がなんだかわからなくなる。米ソの冷戦構造によって諜報戦は本格化したが、自分の手であるスパイによって首を絞められるような場面もあったってこどだな。


 情報には精度と付加価値が求められる。そのため、本格的な情報は等価交換される。こっちの手の内をさらした分だけ、向こうも情報を差し出してくれる。だったら最初っから、全部話してしまえばいいだろうよ。すると、世界は一瞬にして平和となる。


 そうはならない世界の現状を鑑みると、複雑な状態を維持したい指導者の意向が窺える。奴等の好物は、貧富の格差、テロ、薬物依存、犯罪、人種差別といった類いのものだ。混乱した世界が望ましいのだ。


 日本テレビを創設した正力松太郎を、CIAが全面的にバックアップしていた。暗号名は「ポダム」。戦後のドサクサに紛れて、日本社会の中枢に食い込むことなど、アメリカにとってはわけもなかったことだろう。そして今、我々はアメリカによって、どこをどうコントロールされているのかも自覚できなくなっているのだ。だから取り敢えず、アメリカを嫌っておくことにしよう。

日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」 (宝島SUGOI文庫)

民主的な議員選出法とは?/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志

 民主主義=善である。いつからそうなったのであろうか。全く覚えていない。いつの間にやらそうなっていたのだ。少年時代に読んだリンカーンの伝記の影響だろうか。はたまた、平等の価値観を押し付けた義務教育のせいかも知れない。


 だが、図らずもブッシュ大統領が本当の意味を教えてくれた。民主主義とは、アメリカが戦争を仕掛ける大義名分であり、異教徒や有色人種を殺戮する言いわけであることを。そして民主主義の目的は、独裁国家の体制を破壊して、国民が選挙によって議員を選び、自由競争を原則とする資本主義体制を構築し、ドル機軸通貨制度の支配下に組み込むところにある。


 アメリカが牛耳る世界では、アメリカに逆らう国が“世界の敵”と化す。つまり、実は米主主義(パックス・アメリカーナ)だったってことだわな。


 我々はいともたやすく民主主義という言葉を使う。殆どの場合、多数決という程度の意味合いで、議会制民主主義こそ民主主義の本道であると考えている。だが、そうではなかった――


【問題】括弧の中に入る言葉を、下記の1から6の中から選び、番号で答えなさい。


 モンテスキューやルソーは、議員や統治者を(   )によって選ぶことが民主政治の本質にかなうものだと論じた。


1.選挙 2.世襲 3.魚屋の意見 4.くじ引き 5.決闘 6.占い


 実は、この問題、それほど常識的なものでもなければ、学校のテストに出題されるような代物でもない。むしろ、こんな問題が出題されることは絶対にないだろう。選択肢がふざけたものであるからではない。正解が4、すなわち「くじ引き」だからである。何も怪しげな珍説を持ち出しているのではない。事実として、ルソーの『社会契約論』(1762年)には、次のように明記されているのである。


「抽籤(ちゅうせん)による選任法(suffrage par le sort)は民主政の本質にかなうものだ」と、モンテスキューは言っている。これはわたしも賛成である


 モンテスキューもルソーも、「抽籤」こそが「民主政の本質にかなう」と明言している。これは、厳然たる事実である。しかも、この見解が、枝葉末節に関わる問題ではなく、まさに「民主政の本質」として示されているということを軽視してはならない。


 たしかに、ルソーの発言は、我々の常識と相反するものであろう。だが、常識に反することは切り捨てるという態度は、思考停止の最たるものなのだ。


【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】


 たまげた。あんぐりと口が開いたまま、3日間を経たような感覚に陥った。目が点になるどころか、それ以前の私の目にはウロコしかなかったと言ってもいいくらいだ。目からウロコが落ちると言うよりは、ウロコだらけの目が落ちたって感じだな。


 そしてルソーは、民主主義が正しいものとは考えていなかった。お前の名前は「ル嘘」に変えるべきだと私は思った。


 このテキストだけでは、その理由がわかりにくいことだろう。追って紹介する予定である。取り敢えず今日のところは、「民主政の本質=くじ引き」と覚えておけば宜しい。

民主主義という錯覚