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2008-10-09

目撃された人々 21


 前回書いたやつの評判がよかった。読者から10通ほどのメールが寄せられた。というのは嘘だ。本当は2通だ。でも、少なからず反応があるのは嬉しい。


 で、何か書こうと思ったものの、如何せんネタがない。そこで、前回書いた女性の続きを書いて誤魔化すことにしよう。取り敢えず、この女性のことを「ペコちゃん(仮名)」と名づけておく。


 秋晴れの午後、つまり今日の昼のことだ。何の話をしていたかは忘れてしまったが、ペコが「うちの母もそうだったよ。亡くなる前に、『遺影はこれにしてね』『私がいなくなった後に、これをしておいてね』とか言ってたよ」と語った。


 その瞬間である。私の脳内でシナプスがバチバチと音を立ててフル回転した。この間、わずか0.25秒ほどだ。そして、ペコが何かを言い、私が「それは違うぞ」と応じた。


「君のお母さんは――」この後、約7秒経過。「自分の人生を肯定できたからこそ、迫り来る死を迎え入れることができたんだ。死ぬってことは誰にとっても恐ろしいことだ。死と向き合うことは中々できるものじゃないよ。君のお母さんは立派だ」。これがシナプスの結論だった。私は言葉には出さなかったものの、いたく心を打たれた。


 人は電波のようなものを発している。たとえ、死んだとしてもだ。私は何とはなしに、ペコのお母さんの電波を感じたのだ。それを受信した私の脳が、めまぐるしく動くのも当然である。


 しかし半日が経過した今、錯覚だったようにも感じている。私がキャッチしたのは、ペコの内側でまだ生きているお母さんだったのかも知れない。本当は、お母さんではなくペコの一部であり、お母さんから生まれたのはペコだから、やっぱりお母さんとペコは一体不二なのだろう。


 私は一人の人間の中に、二人の人間を感じた。生命は交錯する。そして、反射し合うのだ。生死(しょうじ)という壁すら越えて。

霊界は「もちろんある」/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 生と死、宗教にまつわるテキストが多い。文学論も少々。やはり脳科学は、唯物論よりも腰が強い、というのが率直な感想だ。「脳の機能」で割り切って考えているところが、養老孟司の痛快さでもあり危うさでもある。


 先生は霊界があると思いますか。そう尋ねる人が多い。そういう時には、「もちろんある」と胸を張って答える。そもそも「ない」ものについて語ることは不可能である。それなら、どこにありますか。頭の中にある。そう答えると、それは「ない」ということだと思うらしい。では聞くが、直線はどこにあるか。家の柱。では虫メガネを持ってきて柱を丁寧に観察する。とうてい直線とは言えない。デコボコしている。定規でまっすぐ線を引く。これは直線か。虫メガネで見たら、とてもそうは言えない。


【『カミとヒトの解剖学』養老孟司法蔵館、1992年/ちくま学芸文庫、2002年)】


 霊界なんぞあるわけがない。あるとすれば、今頃は蝉の霊でおおわらわになっていることだろう。「ゴキブリホイホイ」を製造しているアース製薬がゴキブリの霊に祟(たた)られたという話も聞いたことがない。


 それを「ある」と答えるところに、養老孟司のユニークさと性格の悪さが混在している。程度の低い迷信を、高度な問題に置き換えてから叩き落とす戦法だ。多分この頃、丹波哲郎の『大霊界』が流行っていたのだろう。


 この人の悪い癖で、時々文章がわかりにくくなるのだが、それを補ってあまりある刺激に満ちている。そして信仰を揶揄しながらも、決して宗教を否定しているわけではないのだ。唯脳論の立場からすれば、宗教もまた脳内から生まれたことになるわけだから、それも当然か。ベストセラーとなった『バカの壁』より、数十倍面白い。

カミとヒトの解剖学 カミとヒトの解剖学 (ちくま学芸文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)