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2008-10-21

洗練された妄想/『我が心はICにあらず』小田嶋隆

 小田嶋隆のコラムデビュー作。まあ凄いよ。150kmのナックルボールと言ってよい。電車の中で読んだら、間違いなく白い目で見られることだろう。噛み殺せる程度の笑いじゃ済まないからだ。本を読んで、これほど笑い転げたのは初めてのことだ。


「何を探してるの?」

 秋葉原の電気街をぶらついていると、店のお兄ちゃんが行く手をさえぎっていきなり話しかけてくる。

 たとえば、ここが秋葉原でなく、話しかけてきたのがパンチパーマでなく、私が私でないのならこの質問にももう少し答えようがある。仮に私が砂浜で桜貝を集めている傷心の男で

「何かお探しのものですか」

 と声をかけてきたのが妙齢の女性ということにでもなれば、私も確信を持って

「未来を探しているのです」

 と答えることができる。すると彼女は花のように笑ってこう言う。

「それで、もうお見つけになって」(育ちが良いのだ)

 そこで私は、たっぷり2秒間彼女の目を見つめたあとにこう言う。

「たったいま見つけたところです」

 ところがここは秋葉原で、話しかけてきたのはパンチパーマで、私はといえば桜貝で癒せるような傷心は持っていない(赤貝でもやっぱりダメだ)。


【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】


 妄想は、想像の母だ。そして、想像は創造と婚姻関係にある。とすると、全ての芸術は妄想の孫と言ってよい(よいわけねーだろーが)。


 秋元康の向こうを張るほどの臭さだ。だが臭さを極めてしまえば、ドリアンや銀杏のように多くの人々を魅了してしまうのだ。そして、小田嶋隆の妄想は、秋元よりも洗練されていて文学的だ。その上、オチもある。


 人は笑うと無防備になる。笑いは心を開放するからだ。オダジマンはそこに毒を吐きつける。揶揄・嘲笑・愚弄という成分の毒が全身に行き渡り、読者は餌食となる。小田嶋隆は、現代という砂漠を駆け抜けるサソリだ。

我が心はICにあらず(単行本)


我が心はICにあらず(文庫本)

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