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2008-10-26

官僚の特権意識が不正を正当化する/『官僚病の起源』岸田秀


 読んでから随分と時間が経ってしまった。1997年1月発行。今頃出せば、もっと売れていたことだろう。時代を先読みし過ぎた感がある。


 岸田秀の言い分は、『ものぐさ精神分析』に尽きており、他の著作は焼き直しに過ぎない。これは本人もそう語っている。「唯幻論」という原理は非常に便利な代物で、何にでも当てはめることが可能だ。


 岸田秀が本書で指摘しているのは、官僚組織が自己目的化し、自閉的共同体となっていることだ。


 特権意識がよくないのは、官僚が国民に対して威張っていい気分になるからではない。官僚がいい気分になるだけですむなら、大した害はない。特権意識が危険なのは、官僚が国民の犠牲において多大の利益を享受することを正当化する根拠として使われるからである。官僚の不正の背景には、必ず、おれはとくに選ばれた優秀な人間で、国のためにこんなに働いているのだから、これぐらいのことはいいんだというような、不正を正当化する特権意識がある。腐敗官僚は気が咎めながらコソコソと不正をしているわけではない。だから、逮捕されたりすると、運が悪かったとしか思わないのである。


【『官僚病の起源』岸田秀新書館、1997年)】


 それにしても、メディアがこれだけ天下りに言及しながらも、一向になくなる気配がないのはどうしたことか。公金横領・税金詐欺が堂々とまかり通っている。犯罪はスケールが大きいほど見えにくくなる。メディアは像の一部しか報じない。そして、群盲と化した国民は象を撫でて好き勝手を言うのだ。


 象をここまで大きく育てたのは自民党だ。自民党は象使いなのだ。そうであれば当然のように持ちつ持たれつの関係性となる。


 カレル・ヴァン・ウォルフレンは『日本権力構造の謎』(ハヤカワ文庫)で、日本には真の意味での権力者がいない。日本における権力はシステムと化しており、権力システムは東大法学部の人脈によって支えられていると喝破した。国家を国民の手に取り戻すためには、東大を潰すしかないとも書いていたように記憶している。


日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) 日本 権力構造の謎〈下〉 (ハヤカワ文庫NF)


 資本主義は競争原理が支えている。問題は、競争のルールが統一されていないところにある。アメリカの金融危機に対応すべく、米・欧・日で時価会計を緩和し、簿価での計上を認める動きがあるが、これまた同様の話だ。力の強い者に都合が悪くなると、ルール変更が認められるというのが、実は資本主義経済の本当の姿であった。最初っから競争“原理”なんかなかったんだよね。「神の見えざる手」だと? ケッ、神様は今頃ヘソでお茶を沸かしていることだろう。


 官僚&自民党は、きっと胴元なんだろう。「税金奪い合いゲーム」の。連中はプレイヤーではないのだ。そう考えるとわかりやすい。天下りってえのあ、寺銭(てらせん)のことだったんだな。


 やっとわかったよ。本当の問題は、プレイヤーである国民が一番人気である自民党にしか賭けてこなかったところにあるのだ。恐ろしいことは、賭ける金額(=税金)まで自民党が決めていたことだ。


 子供が生まれたら、官僚にしようっと。

官僚病の起源 歴史を精神分析する (中公文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

ポーカーにおける確率とエントロピー/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 トール・ノーレットランダーシュは、実に巧みな表現で科学の世界を明かしてくれる。前回紹介した「ボルツマン」もそうだが、簡にして要を得た言葉がスッと頭に入ってくる。「通る・脳烈人乱打手」という名前を進呈したい。


 で、今回はこれまた絶妙な比喩で、マクロとミクロ、そしてエントロピーを説明している。


 ポーカーは格好の例となる。トランプが一組あるとしよう。買ったときには、そのトランプは非常に特殊なマクロ状態にある。一枚一枚のカードがマークと数に従って並んでいる。このマクロ状態に呼応するミクロ状態は、たった一つしかない。工場から出荷されたときの順で全部のカードが並んでいるというミクロ状態だ。しかし、ゲームを始める前にカードを切らなければならない。順番がばらばらになっても、マクロ状態は相変わらず一つしかない(切ったトランプというマクロ状態だ)が、このマクロ状態に呼応するミクロ状態は数限りなくある。カードを切ると、じつに様々な順番になるが、私たちにはとてもそれを全部表現するだけのエネルギーはない。だから、たんに、切ったトランプと言う。

 ポーカーを始めるときには、一人一人のプレーヤーに5枚のカード、いわゆる「手(持ち札)」が配られる。すると、今度はこの手が、プレーヤーが関心を向けるマクロ状態となる。5枚の組み合わせは多種多様だ。たとえば、数は連続していないが、5枚全部が同じマークという組み合わせ(フラッシュ)のように、似たもの同士のカードから成るマクロ状態もある。また、同じマークではないが、数が連続している組み合わせ(ストレート)というマクロ状態もある。ストレートには何通りもあるが、極端に多いわけではない。ストレートでない組み合わせのほうが、はるかに多い。(中略)

 確率とエントロピーには明らかに関係がある。ある「手」を作れるカードの数が多いほど、そういう手を配られる確率が高くなる。だから、「弱い手」(エントロピーの多い手)になりやすく、「強い手」(呼応するミクロ状態の数がとても少ないマクロ状態)は、なかなかできない。ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ。


【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ/柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)】


「ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ」――凄いよね。「これぞ科学的思考だ!」ってな感じ。麻雀や花札も同様だ。ただし、雀卓であなたが厳(おごそ)かにこの言葉を叫んだとしても、誰一人耳を貸さないことだろう。


 カードを何万回切っても、買った時のように数字とマークが順番で並ぶことはあり得ない。これが不可逆性を意味する。カードはどんどんバラバラになってゆく。これが拡散。熱エネルギーは一方向に拡散する。


 当然ではあるが、この後で「マックスウェルの魔物」「ゼノンのパラドックス」にも触れている。

ユーザーイリュージョン―意識という幻想