古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2008-10-28

オバマ就任直後に国際的な大危機が起きる?


 米国では、外交通で知られる民主党のバイデン副大統領候補が、最近の選挙演説の中で「オバマが大統領になったら、就任後半年以内に、国際的な危機が発生し、オバマは(1962年のキューバ危機に対処した)ジョン・ケネディのように、試練に立たされる」と発言した。バイデンは、この件をホワイトハウスからの情報として得たと言っている。

 10月19日にNBCテレビに出演したパウエル元国務長官は「オバマ就任翌日の1月21日か22日に、危機が起きる。それがどんなものか、今はわからない」と、唐突に奇妙な発言をした。

 これらの発言の後、米国防総省の顧問団(軍事産業系のDefense Business Board)の委員長も「次の大統領は就任から9カ月以内に、大きな国際危機に直面しそうだ。そのため次政権は、就任から30日以内に、国防総省の主要ポストの人事を決定する必要がある」と指摘している。

 この発言からは、米軍事産業が国防総省の人事を操ることにバイデンが協力したという推測も可能だが、そのような他意のある話でなく、実際に何か大事件が起きそうであるとしたら、オバマ就任直後に起きる国際危機とは、イスラエルによるイラン空爆など、イスラエルが絡んだ中東の戦争である可能性が高い。以前には「米大統領選挙後、イスラエルがイランを空爆する」という説を放つネオコンもいた。(9.11のような米本土における「やらせテロ」の再発だとしたら「国際的な危機」と言わないはず)

 何が起きるのか。何も起きないのか。米国の中東覇権が衰退する中、不安定な情勢が拡大している。


田中宇 2008-10-28

Google Trends


 キーワードの検索動向やランキングを調べることができる。

日本は流動性なきタコツボ社会/『生物と無生物のあいだ』福岡伸一


もう牛を食べても安心か』で火がつき、本書がベストセラーとなった。科学本が売れるのは異例の事態。出版界の動向を変えるほどの衝撃を与えた。


 福岡伸一が来し方を振り返り、このように綴っている――


 ポスドク(ポスト・ドクトラル・フェロー/博士研究員)の賃金は安い。私が雇われていた頃で二万数千ドル程度であった(もちろん年俸である)。今でもそれほど変わってないはずだ。ニューヨークやボストンといった都会にいれば、まずレント(家賃)だけで給与の半分は飛ぶ。

 それでもポスドクが日々ボスのために研究に邁進できるのは、次に自分がボスになる日を夢見てのことである。ポスドクの数年間に重要な仕事をなして自らの力量を示すことができれば(成果は論文として表れ、筆頭著者にはポスドク、最後の責任著者にはボスの名前が記される)、それはそのまま独立した研究者へのプロモーションの材料となる。科学専門誌の巻末には必ずおびただしい数のポスドクの求人広告がある。少なくともたこつぼではなく流動性のある何か、あるいは風なのだ。


【『生物と無生物のあいだ』福岡伸一講談社現代新書、2007年)以下同】


 私はハタと膝を打ち、悟りを得る思いがした。ま、いつものことだ。私は過去に数百回ほど悟りを得ているのだ。悔しかったら私を拝んでみろ。


 丸山健二が『見よ 月が後を追う』(文藝春秋)で「動く者」と「動かざる者」の鮮やかな対比を描いてみせたのも、つまるところは「流動性」であった。


 日本は山紫水明と言われる通り、縦長の国土の真ん中に山々がそびえ立っているため、全国どこへ行っても川が多い。海となると、準備をして出掛けなくてはならない人々が多いが、少し歩けばどこにでも川は存在する。


 古来、日本人は川の流れに過去・現在・未来を見つめ、鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」(『方丈記』)と書いた。


 であるにもかかわらず、我等の先祖は「定住」の道を選んだ。つまり、農耕で生計を立てることにしたのだ。こうして「ムラ意識」は末裔である我々のDNAにまで脈々と伝えられることになったってわけだ。


 ムラの掟に従うことなく流動性を求める人々は土左衛門となった(ウソ)。自由を追い求める者は三途の川を渡らざるを得なかった(更なるウソ)。だが、村八分(残りの二分は葬式と火事)は限りなく死刑に近い仕打ちであったことは容易に想像がつく。流れる川に身を投げたくなる人々がいたとしても、決して不思議ではあるまい。


 日本人ははみ出すことを嫌う。だから、本来であればはみ出し者の先頭に立つべき不良少年(&少女)の類いですら横並びである。同じ髪型、同じ服装、同じ言葉遣い、同じ顔つきをしている。ま、小さなムラに過ぎないわな。


 これは、どうしたことか。流動性は川だけで、変化は四季だけで満足しているのだろうか。あるいは、年に一度の祭りで鬱憤を晴らせているということなのか。それとも、我々は流動性を忌避しているのだろうか。


 きっと、そうなのだろう。いや、間違いない。我々の子孫は、田舎の山道の脇にある地蔵や、田んぼに突っ立っている案山子(かかし)を目指しているのだ。私の目には、林立しながらも微動だにしない未来の日本人が確かに見える。


 生命とは動的平衡にある流れである。


 とするならば、日本人はとっくに死んでいることになる。南無――。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫系/『免疫の意味論』多田富雄


 多田富雄の名著をやっと読んだ。専門用語が多いが、すっ飛ばして読んでも十分お釣りが来る。

    • 「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫系

 人体は常に病原菌にさらされており、ミクロの戦場では熾烈な攻防が繰り広げられている。健康が維持できるのは、免疫系が日夜奮闘しているおかげであり、病原菌が大量殺戮されている証拠でもある。生きるか死ぬか――これが進化の実相だ。


 免疫系を調べる目的で遺伝子操作による異種交配が行われている。こうして生まれた動物を「キメラ」と呼ぶそうだ。ま、スフィンクスや鵺(ぬえ)みたいなものと思えばよい。


 で、だ。ニワトリとウズラを合体させる。すると、ウズラの羽根を持つニワトリが誕生する。しかし、2ヶ月ほど経つと羽根が麻痺して、歩行も摂食もできなくなり死んでしまう。ところが、免疫の中枢臓器である「胸腺」になる原基を胚に移植すると、拒絶反応が起こらない。


 ご存じのように、免疫とは「自己」以外の異物を攻撃するシステムである。ニワトリにとって、ウズラの羽根は異物に他ならない。これは、どうしたことか。もっとわかりやすくするためには、脳だけ別の動物にしてみればよい。


 しかし、ここではっきりしたことは、個体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もうひとつの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうことである。つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。


【『免疫の意味論』多田富雄青土社、1993年)】


 これは凄い。我々は普段、「意識」が自分を支配していると思いがちだが、脳味噌なんて所詮、身体の一部に過ぎないことがよくわかる。確かに「自己」を考える際、免疫系のことは全く考えていなかったよ。すまん、許せ。そういや、自律神経のことも考えてないわな(笑)。


 多田富雄の指摘は、ゲームの佳境で将棋盤を引っくり返すほどの衝撃がある。しかし、我々は再び将棋の駒を並べる羽目になる。


「では、免疫系さえあれば、脳は不要なのか?」


 もちろん、そんなわけがない。複雑にして精妙なるネットワークによって「自己」が成り立っている事実を再確認する必要があるのだ。人体を貫く様々な系が「生」という名の交響曲を奏でている。


 脳科学がビッグバンにさかのぼるかの如き発想であるのに対し、ネットワークという発想は開かれた宇宙を展望するような広がりがある。多田富雄は生命という機能を「超(スーパー)システム」と名づけた。

免疫の意味論