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2008-10-31

ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 ルワンダは、ベルギーの植民地だった1930年代にカソリック国となっていた(『ジェノサイドの丘』フィリップ・ゴーレイヴィッチ)。映画『ホテル・ルワンダ』にも、白人男女の聖職者が登場していた。神の僕(しもべ)は、大虐殺を前にして戦おうとすらしなかった。そうだ。全ては神の思し召しなのだ。いかなる悲惨な結末が待っていようとも、キリスト教思想ではそれが「神の意志」とされる。神様のジャンケンはいつも後出しなのだ。


 では実際に、ルワンダの聖職者はどのように振る舞ったのか。こうだ――


(※ジェノサイドが始まった直後)私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで、私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。

「お互いに愛し合いなさい」

「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」

 自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。

 司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!

 ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。


【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ/山田美明訳(晋遊舎、2006年)】


 大鉈(おおなた)でこれから殺される人々に向かって放たれた言葉である。何たる偽善か。草葉の陰でイエス様も泣いていたことだろう。彼等がことあるごとに説いてきた「愛」の真実がここに現われている。結局は「自分の命が惜しい」だけに過ぎない。ツチ族を殺戮したフツ族よりも、こいつらの方が悪魔に見える。で、彼等は安全な場所へ移動してから、ルワンダを心配してみせたに違いない。


 思想や信条というのは、口で語るためのものではない。いざという時に、その人の生き方を問うような形で試されるものだ。生きざま以外に思想など存在しない。聖職者の説く神様はルワンダにはいなかったようだ。多分、アフリカ大陸のどこを探してもいないだろうし、世界を歩き回っても見つけることはできないことだろう。一体全体どこにいるのだろう? エ、「天」? ケッ、ふざけんじゃないよ。それじゃあ、屋根の上で日向ぼっこをしている猫と変わりがない。本当に神がいるのであれば、飢餓で死ぬ人々がこれほど存在するわけがない。


 修道女は自らが幸運という名のトラックに乗りながら、間もなく殺される人々の幸運を祈った。もし、殺されたツチ族のために彼女が涙を流したとすれば、そんな涙にいかほどの意味があるというのだろうか?

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

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